第5話 こんにちは、死ね!
「どわあああぁぁぁあーーーーッ?! 待て待て待ってくれってぇぇぇ!?」
ビュカッ! という風を切り裂く音を残して、俺のすぐそばを一条の風が駆け抜ける。
「問答無用っ、悪は必ず成敗されるのです! さあ、大人しく私に倒されてください!!」
新たに取り出した矢を弓につがえ、細腕に似つかわない腕力で引き絞るのは、見惚れるような美貌と美しい金の髪を備えた少女。
どうも、ただいま絶賛勘違いで攻撃を受けています。
いや違う、冗談言ってる場合じゃなくて本気で怖い。人に本気で殺意を向けられるってこんなに怖いのか……と、焦って必死に逃げる心身とは裏腹に思考は冷静だった。
「くっ、流石は賊の長! ……ですが、それもここまでです!」
そんなことを考えつつ、右へ左へ森の中を疾駆していると、不意に少女がつぶやいて立ち止まる。ようやく話を聞く気になってくれたのか……と一瞬考えたが、それはどうやら思い過ごしだったらしい。
「逃げられると――思わないでください!」
そんな言葉と共に、背後から聞きなれない、不思議な音が響いてくる。
例えるならば、ゲームの中でよく聞く魔法を行使するときの音が、そのまま鳴り響いているかのような、形容しがたい音。それを聞いた俺は、とっさに身をよじって進路を横にずらした。
瞬間、先ほどまで俺が居たところを、鋭い音を引き連れて何かが――オレンジ色の光が通り過ぎる。直後、離れた場所に立っていた背の低い細木が、小さな破砕音と眩い閃光を伴って爆ぜた。
――間違いない。良く言う詠唱の類なんかを使うそぶりはなかったが、今の攻撃は間違いない。エタフロでよく見た「戦技」そのものだった。
どうやら、今いるこの場所では戦技らしきものも普通に使えるらしい。先ほど少女が使ったのは、初級の弓系戦技「パワーショット」で間違いないだろう。
「って、あぶなっ!?」
考察したのもつかの間、すぐさま2射目が飛来する。とっさに倒れ込んで回避に成功した俺は、再び一目散に逃げる作業に戻る羽目になってしまった。
相手の狙いはそこそこに正確で、先ほどから何発も至近距離を掠めている。今は複雑にコースを変えて攪乱しているが、これが相手にめがけて突っ込むとなれば話は別だ。居場所を把握されて、裏手に回り込む余裕もない以上、奇襲作戦も使えないのが現状である。
……正直勝てる気がしない。いくら今の俺がアステルの身体になっていると言っても、その中身は戦闘経験も戦闘知識も不足している、単なるいち一般人なのである。そんな奴が、明らかに戦い慣れしている相手に戦いを挑んでも、結果は火を見るより明らかだった。
「けど、それじゃラチが明かないんだよなぁ」
逃げ込んだ木の幹の影で、俺ははぁっと一つため息をついて、わしわしと頭を掻きむしる。正直なところ、このまま逃げ続けて状況が好転することはないのだ。だったら、このままジリ貧になるよりも、賭けに出る方が得策だろう。
勝てる気はしない。それでも、やらないよりはマシだ。痛みを想像して恐怖におののく自分をそう叱咤して、ばしんと両の頬を叩いた俺は、一息に飛び出した。
「来ましたね!」
向き直り、疾駆を始めたその先には、俺を追い立てていた金髪翠眼の少女。恐らく、すでに次弾を準備していたのだろう。構えていた弓につがえた矢には、明るいオレンジ色に輝く美しい燐光が宿っていた。
さぁ、どう出ようか。矢の速度は速く、アステルの身体能力を駆使したとしても回避は難しい。加えて、先ほどからちらちらと見えている、おそらくは短剣らしい柄の存在を鑑みるに、彼女が格闘戦に精通している可能性も考えるべきだろう。
覚悟を――――と考える俺の視界の隅の隅で、何かが動く。
えっ? と口には出さずに呟き、そちらへと目線を向けて――直後、俺の身体が考えるよりも早く、勝手にそちらめがけて進路を転換した。
「危ないッ!!」
遅れて叫びながら、俺は構えていた少女の脇を、全速力で通過する。勢いのまま、ほとんど無意識のままに握りしめていた星剣を遮二無二振るえば、その切っ先が飛来した斧にかち当たり、甲高い金属音をまき散らした。
「えっ?」
鳴り響いた金属音によってか、数瞬遅れてようやく少女が驚きの声を上げて、こちらを振り向く。対する俺は、斧が飛んできた――正確に言えば投擲されてきた方角に向き直り、愛剣を構えた。
「……ちっ、どこぞの粋がった小僧だと思っていたが、どうやら見立て違いだったみたいだな」
直後、茂みをかき分けて、一つの影がのそりと這い出て来る。
一目見て、コイツこそが少女の話に合った「山賊の長」だとわかる粗野な風貌と、浅黒い隆々とした体躯。その手には、先ほど投擲した物とは別の、肉厚で大ぶりな刃を備えた、巨大な戦斧が握られていた。
「なるほど、お前が山賊か」
「なんだ、知ってるのか。……お仲間、にしちゃあ、さっきは随分とイチャついてたじゃねえか」
「アレのどこがイチャついてたって言うんだ……」
まこと心外な表現である。勘違いで斬りかかられたこっちとしてはいい迷惑だ。正直めっちゃ怖かったし。
「えっ……あっ」
眉をひそめていると、背後の方で少女が何か気づいたような感じの声を上げた。顔は見えないが、多分その美貌に似つかわしくない感じの表情をしているだろうことは、振り向かずとも読み取ることができる。まぁ、向こうにも悪意はなかった――というかこっちが不用意な行動をしたのがそもそもの原因なので、とやかく言うのはやめておこう。
「……あーまぁ、ともかくそういうことだ。一応部外者、って体にするつもりだったんだけど……無意識とはいえ干渉した以上、そういうわけにもいかんよな」
頭をぽりぽりと掻きながら、俺は構え直した愛剣の切っ先を、山賊の長めがけて鋭く突きつけた。
「なんにせよ、山賊って言うんなら聞き捨てちゃいられないな。――お役立ちついでだ。間違えられて斬りかかられた憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ」
よどみなくそんなセリフを吐きながら、内心で俺は自分に驚く。
ほんの数瞬ほど前まで、俺は戦い方はおろか剣の振り方すら知らないド素人。戦うための度胸も、強大な敵を相手に立ち向かっていく勇気すら持ち得ず、年もそう離れていないであろう少女から受けた殺気に狼狽していた、単なる一般人なのだ。それがこんなクサいセリフを口にするのには、なんというか激しい違和感がある。あるいは、これもアステルの身体になったが故なのか。
「ガッハッハ! ずいぶんと威勢がいじゃねえかクロスケ。――――ガキが図に乗ってんじゃねえぞ!!」
豪快に笑い飛ばして見せた男が、こちらめがけて突っ込んでくる。その手には、先ほどの巨大な戦斧が握られていた。
「離れろ!」
「っ!」
少女に向けて声をかけながら、俺は横っ飛びに男の攻撃を回避する。数瞬遅れて少女も飛びのいた直後、先ほどまで俺たちが居た場所めがけて、戦斧の重い一撃が振り下ろされた。
地面を深々と抉る一撃を放ち、いったん着地した山賊の男の視線が――
「って、俺かよ?!」
ぐるりとこちらに向いたかと思うと、その大柄な体躯に見あわない俊敏さでこちらめがけて突っ込んでくる。慌てて別方向に飛びのいた直後、先ほどまで俺が居た空間を男の戦斧が風を切って薙いだ。
「そっちの小娘にゃ価値が出るだろうから、傷物にしたくないんでな。悪いが、先に運のないお前に死んでもらうぞ!」
言うが先か、再び戦斧の一撃が俺めがけて飛来する。風を引きちぎる音を響かせるそれを受け止められる実力は俺にはなく、身体が勝手に回避を選択した。
「くっ……!」
「どうした? さっきの威勢を見せてみればどうだ!」
飛び退る俺へと、さらに追撃が迫る。
啖呵を切った手前非常に格好悪いが、今の俺には戦闘の知識がないどころか、戦うための体の動かし方すらわからない状態だ。なので現状、男の猛攻に対して逃げの一手を打つしかないのが実状である。
――ただ、身体能力がなせる業なのか、相手の攻撃の回避は実にすんなりといく。それによく見てみれば、どういうわけか山賊の男が振るう斧の軌跡を克明にとらえることができた。
「――試す価値はあるかもな」
そこまで考えて、ふと俺は一つの可能性に思い当たる。
正直、一撃を貰えば致命傷になりうるかもしれない状況で試すのは危険だが、これを乗り切らなければ試すことすらできなくなるかもしれないのだ。なら、一か八かでもやる価値はあるだろう。
「逝ねやァ!!」
無意識に強く握りしめていた剣を、静かに握り直す。剣の持ち方なんてわからないが、直感に従うまま持ち変えてみれば、意外にもしっくりきた。
逃げ腰になる意識を切り替え、後退をやめる。そのまま突っ込んでくる山賊の男へと向き直った俺は、奴の振るう戦斧に意識を集中させた。
剣を携える右の腕に、意識を傾ける。不思議なことに、そうすることで同剣を振るえばいいのかが、わかるような気がした。
――頭の芯のスイッチを、切り替えるイメージを浮かべる。今この瞬間を「現実世界の俺」としてではなく、「この世界で剣を振るって生きてきたアステル」として振る舞うために!
「――――はあああぁぁぁぁッ!!」
腹の底から絞り出した雄叫びを伴って、握りしめた星剣を振るう。今度は、先ほど投擲された斧をはじいた時のように、規則性も何もないものではなく、男が振るう戦斧の刃部分を狙いすました、一閃。
――瞬間、金属が叩き付けられる甲高い音が森にこだました。
「な、にッ!?」
オレンジ色の火花が飛び散る中で、俺の視界が、驚愕に歪んだ男の顔を捉える。――奴の攻撃を弾き飛ばすことに、成功したのだ。
そのまま体重移動に身を任せ、男のすぐ脇を駆け抜けざまに、返す刀で再び一閃を叩き込む。直撃、とまではいかなかったが、風を薙ぐ一撃は、男の頬を浅く、しかし鋭く切り裂いた。
「チィッ!!」
一か八かの賭けが上手くいき、安堵しながら離脱しようとする俺めがけて、男が反撃の一撃を振りかぶる。今まさに振り下ろされんとするその一撃は、完全に油断していた俺に、避ける術もなく。
やられる――――と思ったが、そのままゴロゴロと地面を転がっても、衝撃はおろか斧が発する風切り音の一つも聞こえてはこなかった。
「……?」
とっさに顔を上げると、そこには男が不自然な体勢でのけぞっている光景。ぐらりと身体をよろめかせる男の肩口には、細長い棒きれとその先端に取り付けられた羽らしきものが覗いていた。
まさか、と思って、飛来したと思わしき方角へと顔を向ける。
「――援護します、お兄さん!」
そこには予想通り、木の陰から身を乗り出して、矢をつがえた弓を構える、金髪翠眼の少女の姿があった。どうやら、あのまま離脱していたわけではなく、山賊の男に対して攻撃できる機会をうかがっていたらしい。
「悪い、助かる!」
片手を上げてジェスチャーを返しながら、俺は男に向き直る。倒れていた男はしかし、矢が刺さっているとは思えないほどによどみない動作で、戦斧を構え直していた。
「ガキどもがァ……図に乗るんじゃねぇっつったろうがァ!!」
構え直された戦斧に、緑色の燐光が絡みつく。先ほど見かけた少女の弓矢と言い、どうやら色とりどりの燐光は戦技を発動するための予備動作らしい。
「「ストームブレイク」!!」
男が叫ぶと同時に、緑色の燐光が斧の周囲で渦を巻く風へと変化する。そのまま男が横薙ぎに斧を振るった直後、爆音をとどろかせながら周囲へと烈風が吹き荒れた。
「うわああぁぁッ!?」
「きゃあああぁぁ!?」
その威力たるや、周囲の細木を纏めて薙ぎ倒し、幹の太い木々にさえも悲鳴を上げさせるほど。如何なる戦技が飛んでくるのか全く予測できなかった俺たちは、成すすべなく烈風に身体を掬い上げられ、木っ端のごとく吹き飛ばされてしまった。
「げふっ?!」
考える間もなく、俺の身体が近場の木の幹へと叩き付けられる。背中を襲った鋭い衝撃に、肺に含んだ空気をすべて吐き出してしまった。
生じる致命的な隙。それを逃してくれるほど、相手は手ぬるい存在ではない。真っ先にダウンした俺をめがけて、再び戦技を発動しようと構えていた。
「コイツでぇ――」
「させま、せんッ!!」
しかし、戦技の構えに入った男が戦斧を振るおうとしたその寸前で、別方向から高らかな宣告が響く。直後、風切り音を鳴らして、男めがけた弓の一射が飛来した。
「ぬぐっ!?」
再び命中。燐光を伴わない、純粋な矢の一撃が、男の身体を再び揺るがせた。――――チャンスだ!
「ッ――!」
歯を食いしばり、衝撃にあえぐ自らの身体を無理やり服従させる。コントロールを取り戻した五感を、四肢を最大限に駆使して、俺はただひたすら、がむしゃらに剣を握りしめた。
――直後、剣の刀身を取り巻くようにして、白みがかった金色の燐光が生まれる。まるでこの場に――森の只中に降り注ぐ木漏れ日のように、暖かで煌びやかな燐光は、見る間にその量を増していき、ついには黒金色の刀身全てを隙間なく覆い尽くした。
剣そのものが光の塊になったかのような、そんな幻想的な光景を見て、俺は確信する。――間違いなく、これは「戦技の発動」だ。
同時に、ふと心の中で思い当たる。そう、この技を、この技によく似た技を、俺は知っている!
「おおおおああああああぁぁぁぁッ!!」
言葉にすらならない、裂帛の雄叫びを上げながら、俺は光の刃を携えた愛剣を振りかぶる。人の限界すら超えたような速度を叩き出しながら、俺は体勢を立て直し切れていない男の懐へと、一息に肉薄して。
「スターリー・スラァァァァァッシュ!!!」
良く知った技を――かつて俺が、ゲームの中でよく使っていた戦技「スターリー・スラッシュ」の一閃を、男めがけて叩き込んだ。