6.名前を呼んでよ
「この前のお礼?」
「ほら、俺が薬草を買いにきたとき、色々と聞いて用途に合った薬草を処方してくれたでしょ?」
「え?あのときのお礼?」
メイリス自身、勇者様がお店にやってきたことは忘れられない事件ではあったが、まさかお礼を言われるとは思っていなかった。
「そ、そんなお礼を言われるほどのことはしてないです。薬草屋にとって当然のことをしただけですし」
むしろ、野外で食事をしてお腹が痛くなったとき用に腹痛の薬や、皮膚が被れやすい草に触ってしまったとき用に塗り薬を追加したりと余計なものまで処方してしまった気さえしていたのだ。
「特にあの飲み薬がなかったら、俺らのパーティは全滅してたよ」
「飲み薬……」
飲み薬とはどれのことだったかな?
川の水を飲んで下してしまったときの解毒薬かしら?
移動でバテてしまったとき飲むための特製栄養剤?
「ほら、あの青い小瓶の」
勇者様が両手で、このくらいのサイズの〜と瓶の大きさを示して、メイリスも思い出した。
「ああ!魔力切れのときに飲む魔力回復薬ね!」
「そうそう!あれがあって助かった」
勇者様たち一行が討伐に向かったネルサの泉のブルースライムは、一匹一匹の攻撃は大したものではなく、どこの家にもある果物ナイフひと刺しで、ぷちゅっと潰れる脆さだ。
しかし群を成しているとそうは簡単に一掃できない。
目の前のスライムをぷちゅっとしている横から体当たりや威嚇の毒吐きが来る。
なお、討伐依頼が出されるということは、周囲の住人に手に負えないくらい増えていることが多い。
弱くても大量に発生するモンスターは初心者でも中級冒険者でも引き際が難しい。
パーティに戦士などの接近戦を得意とするメンバーが多いときはそこで後退と前進を繰り返し、長期戦で戦うことになるが、意外にも問題になるのは全体魔術を操る魔術師がいる場合だ。
大量のモンスターと対峙した時の魔術師の戦い方は一般的に範囲魔術で辺り一帯をなぎ払うのが定石である。
わらわらと泉から湧き出し一帯を埋め尽くそうとするブルースライム。
定石通り範囲魔術で対応する魔術師。
しかし、ネルサの泉のブルースライムは倒せど倒せど湧いて来る。
そのうち魔力の枯渇でパーティが壊滅の危機に陥るのだ。
「…………壊滅、しかけたんですね…………」
「お恥ずかしいことですが、そりゃあ〜見事に」
大地を埋め尽くす青いスライムを綺麗さっぱり爆発させるのは、効果が目に見えて分かりやすいので連発しがちだ。
そのうちいくらでも湧くスライムに意地になって一掃することに躍起になる。
魔術師の多くはプライドが高いのだ。
一度お客さんにも聞いたことがある。
彼らはみな、「だってスライムごときに負けたくなかったから」と宣った。
パーティの面々も火力の高い魔術師がいると頼りがちだ。あと、たぶん、大量のスライムを一匹ずつ倒すのは非常に面倒くさい。
「……面倒、臭がっちゃったんですね……」
「ちょーーーう、面倒臭がっちゃっいましたねぇ、はっはっはっ」
「で、気づいた時には囲まれていて身動きもとれない状態にまでなった、と」
「よく分かったね!」
何回も店に来るお客さんに聞いた顛末そのものだ。
たとえ勇者一行でもネルサの泉のスライムは手強いようだ。
「でも、君の薬のおかげで助かった」
目が合い、にかっと笑う勇者様にメイリスは赤くなって俯いた。
「私のおかげなんて……それこそどこの薬草屋でもやってることですから」
「謙遜することないよ」
勇者様たち一行は魔術師が魔力切れを起こした後、メイリスの薬で魔力を回復させ、慌てて退路を開き壊滅を免れたという。
「それにその薬があったからスカッともしたからね」
「どういうことです?」
「魔力切れを起こした魔術師なんだけど、なーんかいじわるなやつでさ。何かと突っかかってくるっていうか」
勇者様はうんざりとした様子で肩を落とした。
「君のとこの薬草屋にお使いに行かされたのもそいつのせい。この世界のことなんてなんも知らないの分かってるはずなのに『勇者なんですからそれくらい当然できますわよね』とか上から目線で言ってきやがって」
口調からして女性なんだろうか。
勇者様にお使いを頼むなんて、そんな大それたことができる人がいるとはびっくりだ。
「だからそいつが魔力切れになって泣きついてきたときは胸がすいたよ。君のお店で買って良かった」
晴れやかに笑う勇者様にメイリスもつられて笑顔になった。
会話が途切れて夕方の暗さと空気の冷たさを思い出す。
しかし腰から下はあまり寒くないなぁ、と目を落としてメイリスは飛び上がった。
メイリスの体には茶色い厚手のマントが掛けられていた。
「これ、勇者様の!」
「ああ、うん、そう。寒くなってきたからこんなところで寝てると風邪引くなぁって思って」
「す、すすすみません!勇者様も寒いのに」
慌ててマントを折りたたんで返そうとする。が、慌てすぎてなかなか綺麗に畳めない。
「気にすることないよ。でも寒いから早く建物の中には入りたいかな」
勇者様が立ち上がり、手を差し出してきた。
なんだろう、と思いながら触れてみるとびっくりするくらい冷たかった。
気がつかなかったけれどかなりの時間、メイリスの隣りにいたのかもしれない。
その間ずっと、ぐーすか寝てたなんて恥ずかしい。
「ずっと起きるの待たせてしまったみたいですみません」
「可愛い寝顔が見れたから許す!」
「えええ!」
よだれとか大丈夫だっただろうか。目が半開きで寝てたらどうしよう。
「大丈夫、よだれとか出てなかったよ」
「ゆ、勇者様のいじわる!すぐ起こして欲しかったぁー」
お腹を抱えて笑う勇者様に文句を言う。
「気にすることないのになぁー。さ、行こう。君のお母さんが美味しいもの作ってくれるって」
不機嫌なメイリスをなだめるように言って勇者様は歩き出した。
繋いだ手をそのままにして。
これはこのままでいいのだろうか。
嬉しいような恥ずかしいような。
頭の中が混乱でぐるぐるする。
夜が近づく冷たい夕闇の中、繋いだ手だけが発熱でもしたかように熱い。そこからどんどん熱はが伝わってメイリスの顔まで熱くなる。
「あ、あの!」
この熱に耐えられない。
そう思って声をかけようとした時、勇者様に遮られた。
「あの、さ」
「え?」
立ち止まって言葉の先を待つ。
「その、名前……呼んでくれないかな」
「名前?」
なんの名前だろう。
勇者様の世界にはなくてこっちの世界にはあるもので、名前が分からないものがあるのかな。
「さっきから、勇者様って……俺にも一応、宮杵颯太って名前があるからさ」
「みやぎね、さん……」
「できれば颯太で。宮杵はファミリーネームだから」
「そうたさん……」
「さん、もいらないよ、颯太で!」
「そうた……」
こんなどこにでもいるような町娘が勇者様の名前を気軽に呼んでしまっていいのだろうか。
繋いだ手の熱さも相まってメイリスの頭は爆発しそうだ。
「俺も、メイリスって呼んでいいかな」
いや、もう爆発した。
そんな親しげに名前を呼ばれたら、呼ばれる毎にポンポン爆発してしまう。
メイリスの思考は単純で名前一つでいろんな想像は膨らみ火がつくのだ。火気厳禁だ。
「そうた……メイリス……そうた……メイリス……」
何が起きたのか脳の許容範囲を超えてしまったメイリスはただ名前を呟くだけの人形になってしまう。
「おーい、大丈夫かー?」
それから勇者様、いや颯太に引っ張られてメイリスは家に入った。
その日の夕食は豪華だった。
けれど何を食べたのか覚えていない。味もよく分からない。
弟のコルトが何度も不審な顔でメイリスを見ていたが、メイリスは全く気がつかなかった。
勇者様の名前「そうた」と自分の名前「メイリス」が頭の中をぐるぐる回る。
そのぐるぐるは日が変わって空が白み始めてメイリスが眠りにつくまで回っていた。