4.薬草をくださいな
「もしもーし、聞いてる? 薬草三つ、くっださーいなっ!」
「え? ああ! は、はいー!」
これは夢?
つい先日王城にお連れして、もう会うこともないだろうと思っていた勇者様が目の前にいる!
メイリスは無意識に頬をつねった手を離し、慌てふためいた。
「あの丘で会った時もそうだったけど、君、驚きすぎだよ」
そんなこと言われても勇者様とか天の人だ。王族に会ったのと変わらない。
「俺も普通の人間なんだけどなぁ」
少し困り顔で笑う勇者様は出会った時とは違う、メイリスの世界の革鎧を着ていた。
赤茶の鞣された皮は多分一般的に用いられているワイルドボアの皮だ。
胸当てと腰当てのみの拵えは動きやすく軽量だが、防御には心もとない。
よくよく見れば胸元に小さな紋様が描かれていて特殊な呪が施されているようだけれど、 それ以外はメイリスのお店に来る旅人のものと大差ないように見える。
いや、ここに来るお客さんは勇者様よりはるかに体格が良く着ている鎧もフルアーマーの人もいるので、むしろ勇者様のほうが簡素な装備だ。
「装備が貧相に見える?」
「えっと……」
じろじろ見過ぎた。
慌てて目をそらす。が、かえってそれが肯定にもなりそうなことに気がつき、メイリスは内心で失敗したなぁ、と反省した。
「ああ、いいよ。実際そうだし。お城の人たちはもっとカッコいい銀色の鎧とか用意してくれたんだけど、俺、筋力なくてさー」
勇者様はそう言いながら、自身の首のあたりを撫でる。
それから腰に下げていたナイフを鞘ごと取り外した。
こちらも柄の先端に青い石がはめ込まれているだけのシンプルなデザインのものだ。
メイリスも似たようなものを護身用で持っている。
「俺のもらったチートって筋力増強とか一切なかったから、まず普通の武器も持てなくて」
ナイフを放って一回転、柄を受け止めてさらに放って一回転。
ちゃんと鞘が外れないようにロックはされているだろうけれど、メイリスはひやひやした。
小さい頃からナイフの扱いは習っている。
万が一にも魔物に襲われたときに、少しでも抵抗できるようにだ。
その時、最初に習うのがまず「刃物で遊ばない」である。
たとえ鞘に収まっていようと、もしもの場合があるからだ。
人を傷つける武器である自覚を持ち丁寧に扱うこと。
それが周りや自分を傷つけないことにつながると教わった。
ナイフがくるくると回り、ぽすんと勇者様の手に収まる度にビクッと身体を震わすメイリスだったが、勇者様が薬草を求めに来ていたことを思い出し、仕事に取りかかる事にした。
「えっと……薬草……でしたよね。どの薬草でしょうか?」
「え?だから薬草だよ。毒消し草とか麻痺直し草とかじゃなくて普通の薬草」
「えーと……」
勇者様の言っていることがよく分からない。
薬草と言っても種類は豊富にあるのだ。
塗るタイプのものだって火傷と切り傷では変わってくるし、腹痛の薬と喉が痛いときに飲む薬も草は草だが種類が全く異なる。
あと、マヒってなんだろう。
同じ体勢でずっと座っていると足が動かなくなるあれのこと?でもあれに効く薬は聞いたことがない。
神経毒にやられて動かなくなる麻痺のことだと、原因究明が第一なのでメイリスでは対応できない。
「薬草と一言で言ってもいろいろありまして……どんなことに使われるのでしょう?」
非常に言いにくい。
だって相手は勇者様。
勇者様の言うことに否と答えて機嫌でも損なわれてしまったら、平民の私なんてどうなってしまうんだろう。
おそるおそるメイリスが聞くと、勇者様はポカンとした顔になった。
「あー、そっかそっか。ここってファンタジーな世界だけど、ゲームの世界ではないんだっけ」
王城へ案内するときもそうだったけど、勇者様はメイリスが知らない言葉を口にする。
メイリスには馴染みのない言葉たちだけど、勇者様にとっては馴染みのある言葉なのだろう。
そのあたりは普通の男の子じゃなくて特別な勇者っぽい。
「そうだよな……漢方だって用途によって種類があるわけだし…………で、俺は何を買えばいいんだ?」
突然勇者様が、そうメイリスに話を振ってきた。
「そ、そんなこと言われましても……」
「だよねぇ……でも、パーティメンバーたちに薬草を買って来いって言われたからなぁ。それくらいのお使いはこなさないとカッコ悪いしなぁ」
誰が見ても分かるくらい肩を落とし、しょげている勇者様に、メイリスも困ってしまった。
しかし二人で困っているだけでは埒があかない。
勇者様がうんうん唸っている横でメイリスも考える。
「薬草をください」だけでは情報が不充分だ。
自分が勇者様とそのパーティが欲しがっている薬草を選べるか自信はないけれど、できることはやろう。
「パーティのメンバーのどなたかが怪我をなされたとか病気になったのでしょうか」
「いや、みんな元気〜」
「じゃあ、これからどこかへお出かけするとか」
「明日、ネルサの泉に俺の訓練がてらモンスター討伐に行くって言ってた」
ネルサの泉。
この季節はブルースライムが大量発生する場所だ。
ブルースライムはぷるぷる震えるだけで他のモンスターより危険度は低いが、増えすぎると水質を汚染するので駆除が推奨されている。
駆除は町の冒険者ギルドでも頻繁に出されていて冒険者にとってはモンスター討伐の入門のような依頼だ。
メイリスのお店のお客さんでも、まだ駆け出しの若い冒険者がよく受けている。
しかしだからといってまるっきり怪我をしないわけではない。
温厚なスライムとはいえ、駆除されそうになったら歯向いもする。
ブルースライムの攻撃は主にぷるぷるとした体での体当たり。
それから、自分の体液を吐き出しての威嚇。
体液は触ると皮膚が焼け爛れる毒だったはず。
それと……
「パーティのお仲間さんに魔術士の方はいらっしゃいますか?」
「唐突な質問だね」
「すみません」
「いやいや、謝んないでよ。そうだね、いる」
となると、アレもあると役に立つかもしれない。
メイリスは「ちょっと待ってください」と言うと薬草を集め出した。
「パーティメンバーは何人ですか?」
「俺も含めて4人」
「剣を扱うのは?」
「全員使えるみたいだけど……二人はメインで魔術を使うかな」
「日帰りです?」
「だね。朝から、日が暮れる前にこの町に帰ってくるって」
ふむふむ。だとすると一応、昼食にも使える抗菌作用のある香草もあると良いかしら。食中毒が防げる。
手は休めず、質問しながら。
薬草はどんどん机に並べられた。
あらかた集めると今度は防水加工の施された紙に包んで、ペンで薬草の名前と用途を簡単に書き込んでいく。
ふと、メイリスはあることに思い当たり手を止めた。
「あの、大変失礼なんですが」
「なに?」
メイリスは手元の紙を勇者様に差し出した。
勇者様は異世界の人である。
勇者様の話す単語にメイリスが分からないものがあるように、こちらの言葉で勇者様が分からないものがあるかもしれないのだ。
それどころか、メイリスの書いている文字が読めない場合もある。
「あの……この文字、読めますか?」
「うん?」
紙を手にしたまま、しばらく眉をひそめる勇者様だったが、パッと明るい表情になってメイリスに笑いかけた。
「すごい!ぐにゃぐにゃしたよく分からない線にしか見えないのに、頭の中に意味が浮かんでくる!」
ぐにゃぐにゃしたよく分からない線……かぁ。
クラスの中でも文字は上手い方だと思っていたのでちょっとショックだ。ちょっとだけ。
しかし、文字を読むことは問題はなさそうだ。
どんな奇跡なのか分からないが、何か訳する機能が働いているようである。
嬉しそうに紙に書かれた文字をなぞりながら「これは打ち身に効く薬」「これは腹痛薬」と呟く勇者様に、メイリスも笑みがこぼれた。
メイリスが仕事を終え、勇者様を送り出したのは日が暮れる前の鐘が鳴る頃だった。
ものすごく疲れた。
でも……。
嬉しそうな勇者様の顔を思い出す。
大変だったけど、楽しかったな。
暗くなった室内で、ランプの明かりを灯して回る。
再びお店の扉のベルが鳴る。
「いらっしゃいま……あ!」
「ただいま」
「おかえりなさい!」
扉を開けて入ってきたのはお父さんだった。
メイリスは静かにホッと息を吐いた。