3.お店番
ペースト状にした紫色の血止め草の詰まった瓶。
解熱効果のあるネネリ茶の入った大きな茶筒。
滋養のあるマニス液をカラフルに色づけして水あめと混ぜて作った飴は薄暗い店内でも窓からの日差しを受けてキラキラと赤、青、緑、黄色と輝いている。
メイリスの家の薬草屋はこの町一番の品揃えと品質で評判が良い。
他の町へ商いに向かう商人や町の巡回へ出る兵士、森に出かける猟師たちが薬草を求める忙しい午前中を何とか乗り切り、遅めの昼食をとった後、メイリスはお店のカウンターの真ん中に、野草が雑多に入った麻袋を置いた。
やれやれ、やっと一息つける。
午後は家庭用の風邪薬や捻挫の薬を求める主婦がちらほら来るくらいで夕方までは暇だ。
夕方には明日の朝早くに出立する旅人が薬草を求めに来るけれど、その頃にはパパかママのどちらかが帰っているはず。
メイリスに課せられた使命は店番と、あと一つ。パパが前に採取してきた野草の仕分けだ。
しかしこちらは「時間があればやっておいて」程度なのでメイリスはゆっくりとやることにした。
紐で緩く縛られた口を開け、カウンターの上に床に落ちないよう気をつけながら、ざざーっと野草を広げる。
これは魔物除けのフルクタ草。
白い毛みたいなのがもぞもぞ生えてるのは身体を温める効果のある白ヤナギの芽。
おっと、これは危ない。薬湯によく入れるアカゴノテに似てるけれどこれはテノヒラモドキの葉だ。
同じように赤ちゃんの手のような葉だけれど、裏を見るとチクチクとした小さな棘がついている。
この小さな棘一つ一つが毒を持つテノヒラモドキは毒草だ。うっかり口にすると三日はお腹が痛くなる。
メイリスは静かな店内で黙々と野草を仕分ける作業をした。
ゆっくりと時間が流れる。
友達はこういう作業を嫌がるが、メイリスは好きなほうだ。
何にも考えず、手だけ動かしていると日頃の嫌なことも全部忘れることができたし、何か楽しいことがあった時はずっとそのことだけを考えていられる。
時の中でメイリスだけの世界を作ることができる。
メイリスだけの世界はメイリスが主人だ。
良いことも悪いことも思いのまま。
世界を構築するのに必要なのは想像力だけ。
今日はこれから良いことが起きる。
近所に住み着いた白黒ブチの母猫が先日生まれたばかりの小さな子猫の兄弟を連れて来る。
町から町へと旅をする移動販売のアイス屋さんが私の家のハーブを買いにやってきて、ハーブと交換に新作アイスをお試しにくれる。
はちみつ掛けのブレッドスティックをたくさん持った近所のおばさんが来るかもしれない。
ほら、もうすぐそこまで来てるかも。
息を吸い込めばはちみつの甘い香りがするのではないかしら。
幸せの足音は軽やかなステップでこのお店にやってくるのだ。
しかし、メイリスだけの世界にやってきたのは幸せの足音ではなく、騒々しい足音だった。
がらんがらんっと、けたたましく呼び鈴のベルが鳴り、乱暴にお店のドアが開いた。
「メイリスー!ちょっと聞いてよぉーー!!」
入って来るなり、そう叫んだのはメイリスのクラスメイトのノチカだった。
明るい赤毛を二つに結んだ髪をぴょんぴょん跳ねさせ、小走りで駆け寄る姿がどこかウサギっぽい。
「もうね! ジョシュったらひどいの! 私の背が小さすぎて見えなかったぁ〜なんていうのよ? そりゃ私はジョシュみたいに背が高くないし教室の自分のロッカーも、うんと背伸びしないと届かないけど、豆粒と言われる筋合いはないわ!」
薬草を広げたカウンターにその小さな体を乗り上げて、精いっぱい訴えかけるノチカは豆粒とは言わないが誰が見ても小動物だ。なでなでしたくなる。
「ちょっ! メイリスも私をバカにしてるの?! なでなでしない!!」
欲望がおもてに出てたみたいだ。
ノチカの頭においた手を払われ、メイリスは「ごめんごめん」とあやまった。
さて、かしましいのが来たけれどこれは幸せの足音と呼べるのかしら。
可愛い親友に会えたのは良いけれど、おかげでたびたび野草を仕分ける手が止まってしまう。
ノチカはその後もさんざんジョシュのことを話した。
「自分の声が大きくて朝鳴く雄鶏も逃げ出す」と言われただとか。
「お前の靴は小さすぎて小人のものみたいだ」とか。
「ジョシュだって、ひょろひょろ上にばかり伸びた棒っきれみたいじゃないのよ!」
今日は学校に行ってないけれど、ノチカとジョシュのやりとりは見てきたことのように想像できた。
ぎゃんぎゃんと喚きたてる二人と、そしてその周りでうんざりした顔で行く末を見守るクラスメイトたちの姿が脳裏に浮かぶ。
「あんなやつ絶対! 今年の煌光祭になんか誘われたって踊ったりしないんだから!」
煌光祭とはメイリスたちの住む町の年に一度のお祭りのことだ。
「それはどうかしら。ジョシュ、がっかりするんじゃないかな」
「な、なんであいつががっかりするのよ!」
ノチカはこう言うが、二人を見ていれば誰だってそう思うに違いない。
ケンカをするのも息がぴったり。
意地悪をしてしまうのは、相手のことが気になるから、というのがクラスメイトたち全員一致の見解だった。
実際、ノチカが風邪を引けばジョシュのため息の数は多くなったし、ジョシュが牧場の手伝いで数日休むとノチカの機嫌は悪くなった。
お互い素直になれないのだ。
そんな関係はちょっと羨ましい。
友達はノチカやほかのクラスメイトたちがいるから寂しくはないけれど、男の子の中にノチカたちほど話す子はいない。
それが恋かどうかは置いといて、自分とは違う異性と親しく話すってなんだか特別なことみたいでドキドキする。
散々ジョシュの悪口を言ったノチカはやっと落ち着いたのか「私も手伝う」と言って仕分けした薬草をさらに瓶に詰めたり袋に入れたりしてくれた。
かしましい子だけれどこのあたりの機転は利くのだ。
仕分けされてない野草には絶対に手をつけない。
たまに溢れた草が散らばった床を箒で掃いてくれる。
メイリスが店を手伝いするのは日常茶飯事なのでノチカも慣れているのだ。
彼女の手際はメイリスから見ても良い。
絶対に良いお嫁さんになるだろうなぁ。
呑気にそんなことを考える。
午後も時間がだいぶ経ち、そろそろ家のあちこちにから夕飯の支度でいい匂いのする煙が煙突からしてくる頃、ノチカも「また明日ね」と手を振って帰っていった。
パパもママもまだ帰ってきてはいない。
そろそろ店もまた混み出す頃だけど、食糧庫にあるじゃがいもと塩漬けのお肉でスープくらいは作っておいた方が良いかしら。
メイリスが仕分けた薬草を棚に仕舞いながら思案していると、扉のベルが再び今度は控えめにカランカランと鳴った。
お客様だ。
「いらっしゃいませ」
条件反射でそう言った後、メイリスは扉の前の人物を見て目を丸くした。
「ああ、やっぱり君の家のことだったんだ。オブラーレンの薬草屋ってここで合ってるよね?」
「え?ええ、そう、ですけど……」
どこか面白そうな声音が店内に響く。
「こんばんは!っとあれ?今はまだこんにちは?……まぁいいや、薬草三つくださいな」
そこにはなんと、先日王城に連れて行った黒髪の少年、勇者様が立っていた。