1.花と星の降る丘
晴れて良かった。
橙色に紫が混ざり合った空の中、一番星がキラリと光る。
メイリスは屋根裏の木戸から見える空を確認するとにっこりと微笑んだ。
棚に置いてあった星見道具一式が入ったリュックサックとカンテラを手に取り、階段を抜き足差し足、ゆっくり降りる。
音を立てないよう、気配を殺して。
ママに見つかってしまったら今日の計画は失敗に終わってしまう。
階下のキッチンをこっそり覗くと弟は捕まってしまったようだ。ぎゃんぎゃんと言い合う声が聞こえてきた。
「俺一人が祈ったところで変わるわけねぇじゃん!」
「みんなで一緒に願うことが大事なのよ? あんただって勇者様が来なくて世界がなくなっちゃったら困るでしょ?!」
「でもー!」
「でももだってもないの!」
メイリスとしては弟に同意である。
願ったところで届くのか定かではないし、実際、魔力を使って呼び出すのは王女様と世界屈指の魔術師たちだ。
もちろんメイリスも世界が滅びるのは嫌だが、実感がない。
魔物が増えたとはいうが、メイリスの住む町はベルシア王国の王都に近いこともあり、いつも変わらず平和で、町を出ても魔物が嫌うハーブの詰まった匂い袋さえ持っていれば襲われることはなかった。
リュックサックを背負い、カンテラの油を確認。
意を決して首にかけてある匂い袋をぎゅっと握り、廊下を小走りで駆け抜ける。
玄関を開けて、全力疾走。
家を出ればあとはもう逃げるが勝ち。
宿屋や商店が立ち並ぶ目抜き通りを脇目も振らず駆ける。
勇者様を召喚することも大事なことだが、メイリスにとっても今日は大事な日だった。
今日は七年に一度の流星雨が見られる日。
しかも今回は星灯花が満開の時期と重なった。
星灯花とは秋の夜に、自らの花弁を光らせて咲く星型の小さな花だ。
町外れの丘が群生地になっていて、咲くとまるで地上の星群のようで夜空の中を浮かんでいるみたいになる。
こんな奇跡、今日を逃したらもう二度とない。
たぶん世界が滅亡しても死ぬに死にきれない。
お祈りならどこでもできるのだし、丘の上、地上の星と天空の星に挟まれて一人ですれば良い。
あ、ほら、家の中でお祈りをするよりも神聖な感じがして効き目がありそうだ。
町の正門を、門番がよそ見をしている隙に抜け、数本生えた木の影に隠れてやっとメイリスはひと息ついた。
持ってきたカンテラに火をともす。
丘の上までは一本道だ。
わくわくと心浮き立つ気持ちが先に走り、叫びだしそうになるのを抑えて慎重に歩を進める。
暗くなりつつある野原の道は迷いこそしないが、馬車の車輪で出来た轍や石が多く、用心しないと躓いて転びそうになる。
辺りには誰もいなかった。
普段ならまだ旅人が重そうな鞄を背に町へと入っていく姿や、行商人がロバを引いている姿がみられるのだが、勇者召喚のためか今日は誰一人としていない。
風だけがメイリスの栗色の髪を優しく撫でて、挨拶をしてゆく。
目的の場所は緩やかな傾斜の丘で、メイリスはあっという間に到着した。
一面に広がるのは星屑の花畑。
流星雨はともかく、星灯花の咲く丘に来るのは毎年のことなのに、気がつくとため息をついていた。
しばし花々に見惚れる。
存分に美しさを堪能した後、リュックサックから敷物を取り出し広げて腰をおろした。
流星が見られるのはまだまだ先。
それまで秋の星座がメイリスのもてなし係だ。
星座盤を片手に空を見上げる。
西の空に一際輝く一位星イオス。その黄金の輝きの近くを仄暗く赤く光るのは同じく一位星のバルバだ。
バルバとその近辺の二位星三つをつなげた台形は大蜘蛛座。それを追いかける隻腕の英雄ケウロニス座。
ケイロニス座は大剣を振りかぶっている図と言われているのだけれど、いまだにそう見えてこないのはメイリスの修業が足りないからか。
いつも首を傾げてしまう。どうやっても丸々とした樽に見えるのだ。
と、そこでメイリスは何かがおかしいことに気がついた。
南西に見える長椅子座の二位星の近くに白く光る星が見えたのだ。
長椅子座は一般的に知られていない星座で、それを構成する星も明るさの低い二位星や三位星だ。
あんなに明るい星は、あそこにはなかったはずだ。
急に現れたのだろうか。
もしかしたら新発見?
慌てて星見筒を構え覗き込む。
色は白色。一位星の明るさ…………いや、だんだん大きくさらに明るくなってきた。
「あれ? 流れ星?」
思わず口に出る。
でも、流れ星は流れた瞬間消えるものだ。
ならばほうき星かとも思ったけれど、それも違う。
急に現れた謎の星はこちらに近づいて来ているようだった。
ということは落下星だろうか。
流れ星のように空の間を流れるのではなく、地上に落ちてくる星があるという。
燃えながら落ちてくるその星は、現れると辺りが明るくなり、まれに大地に衝突するとも聞いた。
今、メイリスの目にしている星も次第に明るく大きくなっていた。その大きさは月よりもはるかに明るく大きくなり、目の前の世界が光で満ちる。
眩しくて目を開けていられないほどになった時、光の中に今度は影が現れた。
それは人型の影で…………
「うわっ! ちょっと待っっっ!! こんなの聞いてないっ! 落ちる落ちる落ちる落ちる落ちるっっっ!!! って、ぶつかるぅぅぅぅ!!!!」
何やら叫びながらメイリスの方に落ちてきた。
「うわーーーそこの少女!! どーーーーいーーーーーてーーーーーーーっっっ!!!!!」
「えええ、こっち来ないでぇぇぇーーー!!!!!」
叫ぶ正体不明の落下星に、メイリスも叫ぶ。
どけ、と言われても足がすくんで動かない。
落下星は燃えながら落ちてきて、森や町を焼くこともあるという。
落下点は土が抉れ、周囲もその反動で衝撃波が起こりすべてをなぎ倒すことも……。
本に書かれていた一説だ。
ぶつかればメイリスなんて一溜りもない。
「ぎゃあああああっ!! しぬーーーーー!!!」
メイリスは恐怖で目をギュッと瞑った。
これは罰だろうか。
皆が勇者召喚で祈りを捧げているときにさぼったから。
しかし、メイリスと星はぶつかることはなかった。
落下星は叫びながら腰をひねり、メイリスと衝突するギリギリのところで軌道を逸らした。
メイリスの隣りで、星が地面に衝突する。ぽすっという音を立てて。
「きゃああああ、あ、あ、あ……あれ?」
身構えていたメイリス。
ぶつかればきっと来るだろうと思っていた痛みだったが、しかし全然痛くない。
恐る恐る目を開けてみると、空を覆い尽さんばかりだった白い光は消えていた。
そのかわり、星の欠片のようにキラキラ光る花弁が空を舞っていた。白く淡く、メイリスを包むように。
茫然とするメイリス。
いったい何が起きたのか分からない。
振るような星灯花はまるで流星雨のようだった。
光り輝きながら周りを照らし、落ちる。
仲間の星灯花の上、メイリスの敷布の上、そして落ちてきた星、いや人の上に……。
そう、落ちてきたのは人だった。
「ううう……いてぇ、腰捻った」
メイリスのすぐ横に落ちてきた人が、呻きながら体を起こした。
落下人と目が合う。
「飛び降り自殺で、下に人がいて相手を誤って殺しちゃうことがあるって聞いたことあるけど、なんとかそれは免れた、かな?」
にへらっと、力なく笑いかけられてメイリスもつられて、にへらっと返した。
「大丈夫だった? 俺が落ちてきて、怪我してない?」
胡坐をかいて、こちらを心配そうに伺う落下人は少年の形をしていた。
メイリスと同じ年くらい、15、6歳のまだ幼さの残る顔立ち。
黒い瞳に黒い髪、着ているものは上等なしっかりした厚手の布地で仕立てが良い。
詰襟の軍服に似たデザインだが、もっとシンプルで見たことない様相だ。
その表情からは穏和が滲み出ていて、本人も軍人には見えない。
「あ、どこか痛い?」
「え? あ、大丈夫です」
つい相手をじっと見つめ無言になってしまったメイリスに、少年はどこか怪我をして痛がっていると勘違いしたらしい。
「よかったー! 俺が落ちてきたせいで人が死ぬとか、やっぱ気分悪いからなぁ」
他人からも分かるくらい大きく胸を撫で下ろし、少年が倒れた。大の字に寝そべる。
星灯花が再び舞い上がり、花の雨が降る。
「うおお? これ、全部星? すっげー沢山! 天の川が見えるじゃん!」
何を当たり前のことを。空で光っているのだから星に決まっているのに……アマノガワ? ってなんだろう?
「さすが異世界だな」
「え? イセカイ?」
「おう。俺、他の世界から来たんだ。で、君が俺を召喚した王女様?」
「ええ?!」
とんでもないことを聞かれた。
「ま、まさか! 私はただの薬草屋の娘です!」
「あれ? そう?」
おかしいな、と少年は首を傾げた。
「ここに来る前、白い謎空間で白髭の神様っぽい人に『王女様に召喚されるからその世界を救え』とか言われたんだけど」
一瞬何を言われたのか、分からなかった。
王女様? 召喚? 世界を救え?
一つ一つ言葉を噛みしめるように確認する。
その意味するところに気がつき、その瞬間メイリスは青ざめた。
王女様に召喚される異世界の人間といったら一人しかいない。
「え? あなた、まさか勇者様?」
「あー、まあ、自分で勇者とか名乗っちゃうのも恥ずかしいんだけど、神様っぽいひとにチートも貰ったし、たぶん、そう」
開いた口がふさがらなかった。
全世界の人々が願い祈った勇者が、祈りをさぼった自分の目の前に現れるなんて!
「あー、君が王女様じゃないとすると、どうしたらいいんだろう。全部王女に聞けとか言われて俺、ここに来たんだけど」
「え、あ、その、どうひたらいいのひゃ」
あまりに驚きすぎて力が入らず、まともに受け答えができない。
「あはは、何それ。緊張しなくていいよ。俺と君、年もたぶん近いし俺も化け物ってわけじゃないから」
少年は笑いながら、メイリスの方に手を伸ばした。
急なことでメイリスは首をすくめたが、少年の手はメイリスの栗色の髪を撫でただけだった。
「ごめん、花びらが頭についてたから、とっただけ……ってこの花びら光ってんの?! すげぇ! さすが異世界!」
その様子がおかしくてメイリスはなんだか笑い出してしまった。
光る花なんて、お尻の下に一面に咲いているのに、今頃メイリスの頭の上の花びらで気がつくなんて。
案の定、周りの様子を教えると、少年は目を丸くして驚いた。
その顔には救世主の威厳も、英雄の勇敢さもまったく見えない。
ただのどこにでもいる少年の顔だった。
◇◆◇
メイリスが異世界から来た少年に出会った次の日、王城に勇者が現れた。
その吉報は瞬く間にベルシアだけでなく世界中に知れ渡った。
勇者の名は宮杵颯太。
彼を連れてきたのは栗色の髪の少女だった。