Ⅱ.白い空とふんわりマフィン
妖精の森に夜が来ます。金色や赤だけでなく、青や緑、今まで見たこともないような色の星が夜空に瞬いています。
ベッドの中で、ヘンゼルは小さく身じろぎしまして、ふう、と息をつきました。ガラス窓の向こうの、不思議な空を見上げます。ヘンゼルが起きているのに気付いたグレーテルが、静かに声をかけました。
「……ねむれないの?」
「……うん」
眠れないのは、グレーテルも一緒でした。
メリーは、森の中で拾ったヘンゼルとグレーテルに、とても優しくしてくれます。
今も暖炉のある部屋からはランプの明かりが漏れています。メリーが妖精たちと話しながら、二人のために編み物をしてくれているのです。
ここでの生活は、何も不自由がなくて、とても幸せです。温かくておいしいご飯に、甘いお菓子をお腹いっぱい食べられます。ふかふかのお布団で眠ることもできます。
森の奥でこんなに豊かな生活ができるのは、メリーが魔女だからです。ヘンゼルとグレーテルには妖精は見えませんが、メリーは妖精たちと心を通わせ、魔法を使うことができるのです。
魔女のメリーにとって、子供二人の面倒をみるくらい、造作もないことなのです。
ヘンゼルとグレーテルは、ずっとここにいれば幸せなのでしょう。何もかもが、それでうまくいくのです。
ですが、ヘンゼルはこらえるように唇を噛んでいました。
「おとうさんとおかあさん、どうしてるかな……」
「ヘンゼル、そんなことを言ったら駄目よ。メリーはとてもよくしてくれるのに……。おとうさんとおかあさんだって、その方が……」
「うん……」
二人は、お互いに手を伸ばします。
メリーが様子を見に来た時には、二人の子供は、手を繋いで眠っていました。メリーは子供たちを起こさないようにそっと近付き、あどけない頬に残る涙のあとを、優しく拭ってあげました。
「……ひとつ、頼まれてくれるかしら」
『うん! 金色の飴細工と、リンゴたっぷりのタルトがいいな!』
「ありがとう」
メリーにお菓子の注文をした妖精は、光る粉を撒き散らせながら、星明かりが照らす森を飛んでいきました。
次の日の朝、ヘンゼルとグレーテルは、いつもと同じように元気よく起きてきました。
「おはよう」
「おはよう、おばあちゃん」
そんな子供達を、メリーは優しく抱きしめました。
「今日はいいお天気だから、お出掛けしましょうか」
「おでかけ? どこに?」
この家の周りは森ばかりです。森の中で木の実や果物を取りに行くことはたびたびありましたが、特別、出掛けるような場所はないように、ヘンゼルには思えました。
そう思って首を傾げたヘンゼルに、メリーは、にっこりと微笑みました。
「そう。向こうの丘までピクニックに行きましょう」
メリーはふわふわの卵を挟んだサンドイッチと、香ばしいマフィン、昨日、みんなで作ったジャムをバスケットに入れました。
お出掛け前に、メリーはたっぷりのお菓子を、家の周りに置いていきました。きらきら光る飴細工や、リンゴを甘く煮詰めたフィリングを乗せたタルト、砂糖衣で飾りつけしたクッキー。
お菓子がいっぱいで、家の周りはとっても甘い匂いがします。
「お菓子がたくさんだわ」
グレーテルは思わずうっとりと呟きました。
甘い匂いにつられて、たくさんの妖精が森の中から飛び出してきます。
『素敵! 素敵! とっても美味しいわ、メリー!』
「あの丘に行きたいの。頼めるかしら?」
妖精はきゃらきゃらと鈴が鳴るような笑い声で答えました。
妖精に囲まれたメリーは、ヘンゼルとグレーテルの手をしっかりと握りました。お弁当のバスケットは、ヘンゼルに抱えてもらいます。
妖精がきらきらと輝きながら、三人の周りを飛び交います。青い粉が散るのが、妖精の見えないヘンゼルとグレーテルにもわかりました。
「さあ、ひとっとびよ。二人とも、怖かったら目をとじていらっしゃい」
「わあっ!」
ふっと浮き上がる感覚がありました。思わず子供達は目をぎゅっとつぶり、メリーと繋いでいる手を強く握りました。
青い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には、三人は見晴らしのいい丘の上に立っていました。地面を踏む足裏の感覚と、気持ちのいいそよ風に、ヘンゼルとグレーテルはおそるおそる目を開けました。
「わあ……」
そこは不思議な場所でした。柔らかく、青々とした草がそよいでいます。穂のついた草が揺れ、時々白い綿毛を風に飛ばしていました。下には森が広がっているのが見えます。森の向こうは霧が霞んでいて、不思議なことに地平線は見えません。
そして、ヘンゼルとグレーテルは空を見上げ、あまりの美しさに息をつきました。
どこまでも広い空は、端から端まで様々な色を見せています。東の方から見渡していくと、地平線近くは夜明けの藍色、さらに上っていくと真昼の薄青、そして西に行くと白く溶けていき、夕暮れの赤、紫紺、そして金の星を散りばめた夜の黒と、一日中の全ての空が一度に見渡せます。
なんて美しい場所なのでしょう。
メリーは柔らかい草の上に座りました。ヘンゼルとグレーテルも並んで座ります。
「ここは私のお気に入りの場所なのよ。とっても遠くまで見渡せて気持ちがいいでしょう」
「ここは遠いの?」
「そうね、お家はあのあたりよ」
メリーが指を差した方向を、ヘンゼルとグレーテルはじっと見つめます。目をこらせば、森の一点から、ぽっぽっと、煙があがっているのが見えました。家の暖炉には火の妖精が休んでいて、いつも家の中を温かくしてくれているのです。
ですが、ヘンゼルとグレーテルはその先をずっと見ていました。
メリーは二人にマフィンを渡すと、優しく話しかけました。
「ねえ、ヘンゼル。もしも、ヘンゼルがお弁当を持っていたとして――、グレーテルがお腹がすいてとっても困っていたら、あなたはどうするかしら?」
「……グレーテルに、全部あげる」
ヘンゼルは戸惑いながら、メリーの問いに答えました。
「じゃあ、グレーテルは? グレーテルがお弁当を持っているときに、とってもお腹が空いたヘンゼルがいたら――」
「ヘンゼルにあげるわ!」
グレーテルはすぐに答えました。
「そうね。でも、ヘンゼルもグレーテルも――とっても自分もお腹がすいていたらどうする?」
「……それでも、あげる」
「……だったら、もらわない」
きょうだいは、それぞれ同じ思いでした。
ヘンゼルは困ったように、手の中のマフィンを見つめて、グレーテルは俯いていました。
「あなたたちはとっても優しくていい子ね。大切な人を、幸せにしたかったのね」
でもそれは、あなたたちを大切に思う人にとっても同じことなのよ。
朝と昼と夜の全てが溶け合う空の下で、小さな子供達が、涙をぽろぽろこぼしながら、マフィンを食べています。
甘くてやわらかくて、少しだけしょっぱい味がしました。