Ⅰ.妖精の森と野いちごジャム
冬の童話祭参加作品。
童話のIFなら何でもいいと思って「ヘンゼルとグレーテル」のオリジナルIF設定で書いてしまいました。
もしも、このせかいに、かなしいことが、ひとつもなかったら。
*
森の中の小さなお家からは、いつもいい匂いがしています。
大きなかまどからは、バターたっぷりのパンの焼ける香ばしい匂いがしています。窓際の小さな壺には、色とりどりの砂糖菓子が入っています。ドアの前には籠が置いてあって、まあるいクッキーが並べてあります。
そんなお菓子のお家の中で、ゆっくりと編み物をしていたメリーは、ふと、外が騒がしいことに気がつきました。
「あら、どうしたの?」
『メリー! メリー! 大変だよ!』
窓を開けると、妖精がきゃあきゃあ言いながらメリーを呼びます。
風の妖精は、幼い子供に薄い蝶の羽が生えたような姿をしています。妖精は、メリーの裾を掴んで引きました。
風の妖精がこんなに慌てるなんて、森に何かあったのでしょうか。
メリーは、パン焼き窯の番を火の妖精に頼むと、風の妖精についていきました。
「まあ、大変」
メリーは驚きました。
人間の子供が二人、男の子と女の子が倒れていたのです。
「早く手当てをしなくっちゃ。みんな、手伝ってちょうだい」
メリーは妖精たちに声をかけ、二人をお家まで運びます。子供たちは泥でひどく汚れ、そして痩せていました。
ぐったりとしていましたが、二人の子供は、お互いの手をしっかりと握っていました。
子供たちが目を覚ますと、そばで見ていた妖精たちが一斉にぱっと飛び立ちました。
メリーは目を覚ました二人に、はちみつ入りのホットミルクを渡しました。
「もう大丈夫よ。さあ、飲んで。体が温まるわ」
「……。」
知らない家に知らないおばあさん。二人の子供は何が何だかわからない様子でした。
それでも、甘い湯気の立つミルクにおそるおそる口をつけ、そして、その優しい甘さに、夢中になって飲み干します。
その様子を見て、大丈夫そうだと思ったメリーは、妖精たちと作ったご飯を運んできました。
焼きたてのパンに木苺のジャム。野菜たっぷりのほかほかのスープ。ハーブとレモンを添えた魚のムニエル。
どれもこれも、二人の子供たちは我を忘れたように食べていきます。あまりに急いで食べるので、メリーは、時々むせた子供たちの背中をさすってやらなくてはいけませんでした。
二人の子供は、食べながら涙をぽろぽろ溢していました。
落ち着いたところで、メリーは二人に話を聞きました。
「私の名前はメリーというの。二人は、名前は何ていうのかしら?」
「僕はヘンゼル」
「私はグレーテルです。……あの、助けてくれて、ありがとうございました」
深々と頭を下げるグレーテルを見て、ヘンゼルも、もたもたと頭を下げました。
メリーは二人の顔を見ました。きょうだいなのでしょうか、そっくりの顔をしています。
「そう。二人とも森で迷子になったのかしら?」
ヘンゼルとグレーテルは、ゆっくり頷きます。メリーはため息をつきました。
ここから人間達の村まではだいぶ離れています。子供の足で、人気のない暗い森の中をどれだけ歩いたのでしょう。
偶然、妖精の小路に迷いこみ、見つけてもらえたのは幸運というよりありません。
「つらかったわね。お家まではちゃんと送ってあげるから、心配しなくていいわよ」
森の妖精に頼んで、道を繋いでもらえば、人間の村の近くまで行くのは簡単です。
しかし、メリーの優しい言葉に、二人の子供は顔を見合わせ、俯きました。
メリーがどうしたのかと二人を見ると、ヘンゼルとグレーテルは、小さな声で、おうちにはかえれない、と言いました。
ひどく痩せた手を握り、震えています。
そこでメリーは、事の次第がわかりました。
人間の村では、たびたび飢饉が起こります。
風の妖精が以前、今年の人間界の秋はいつもより寒く、作物がよく育たなかったのだと言っていたことをメリーは思い出します。
おそらくこの子供達は、口減らしのために森の奥深くに捨てられたのです。
この二人の子供が痩せていたのは、森の中をさまよっていたからだけではなかったのでした。
「ヘンゼル、グレーテル。あなたたちさえよかったら、ここに住む?」
メリーは優しく二人を抱きしめました。ヘンゼルとグレーテルは目を丸くします。
メリーのエプロンからは、あったかくて、甘いお菓子の匂いがしました。
次の日から、ヘンゼルとグレーテルは、メリーと一緒に暮らすことになりました。
綿菓子みたいなふんわりしたベッドで目を覚ますと、メリーが朝ご飯の支度をする音が聞こえます。
きょうだいがベッドから出てくると、メリーは優しく二人の頭を撫でました。
「おはよう、よく眠れたかしら?」
「……うん、おはよう……」
「おはよう、おばあちゃん!」
メリーが微笑みかけると、ヘンゼルははにかみながら、グレーテルははきはきと元気な声で返します。
メリーが指を振ると、かまどの中の火の妖精は、いっそう明るく燃えて、スープを温めました。湯気の立つスープをたっぷりよそい、香ばしい木の実入りのパンと一緒に並べます。
ヘンゼルとグレーテルは、元気よく朝ご飯を食べ始めました。
メリーはその様子にほっとします。この分なら、痩せて顔色の悪い二人の子供が、つやつやしたリンゴみたいな頬をしたふっくらした子供になるのは、すぐでしょう。
朝ご飯の後は、メリーは二人を野いちご摘みに誘いました。
「苺でジャムを煮て、お菓子を作るの。二人も手伝ってくれる?」
「うん!」
野いちごのなっている茂みまで、手を繋いで、木漏れ日の光る森を歩いていきます。
いたずら好きの風の妖精たちは、ヘンゼルやグレーテルの回りを飛び回っています。妖精の見えない子供たちでしたが、気配を感じるのか、時々不思議そうに周りをきょろきょろ見回しました。
「さあ、いちごを摘みましょう。潰さないように、優しく、そっとね」
メリーにならって、ヘンゼルとグレーテルは苺を摘んでいきます。赤く光る宝石みたいな果実を、ヘンゼルは一つだけ口に放ってみました。
「すっぱい」
「うふふ。このままだと、酸っぱいわね」
「つまみぐいしたら、いけないのよ、ヘンゼル。これでジャムを作ろうって言ったでしょう」
ヘンゼルは、まだ酸っぱいのか口を尖らせていました。そんな様子を、メリーは微笑ましく見ていました。
野苺を摘んだあとは、洗ってヘタを取り、たっぷりの砂糖と一緒に鍋に入れて、火にかけます。メリーが目くばせをすれば、火の妖精はこころえたとばかりに、火を弱めてくれました。
焦がさないように、じっくりと。メリーは鍋の番を、ヘンゼルとグレーテルにも交代してもらいました。役割を任せられた子供達は、はりきって、顔を輝かせながら鍋をかき回します。
その横で、メリーは小麦粉をこねて、パイ生地を作り始めました。
「ジャムできたよ!」
「ええ、美味しそうにできたわね」
嬉しそうな子供達。ヘンゼルが物欲しそうな顔をしていたので、今日のパンの残りに、できたばかりの熱々の野いちごのジャムをのせて、おやつにしました。
「あまくておいしい!」
「よかった。じゃあ、妖精達も喜ぶわね」
「妖精?」
「そうよ。妖精は、お菓子が大好きなの」
メリーは、いちごのジャムをフィリングにして、苺パイを焼き上げました。香ばしいバターの香りと、甘いいちごの香りがいっぱいに広がります。
できたばかりのパイを切り分け、バスケットに入れます。それを家の前の扉にかけました。
妖精は、メリーに魔法の力を貸してあげます。その代わりにメリーは妖精たちにお菓子を作ってあげます。
この家からいつも甘い匂いがしているのは、メリーが妖精たちのためにせっせとお菓子を作って、妖精たちが食べられるように、玄関の前や、窓の外に置いているからなのでした。
妖精たちが、待ちきれないというように、集まってきます。メリーは光の粒を散らしながら飛んでいる妖精たちに、心の中でお礼を言うと、家の中で待っているヘンゼルとグレーテルに声をかけました。
「さあ、私達もお茶にしましょうか」