昼休みはいつも騒がしい
百獣学園。
鵺県獅子市の中心地に位置するそこは全国から獣人たちが集まる国内最大の多種族学園である。
とはいえ、授業に、休み時間に、放課後。
どこにでもある学園生活がそこにある。
それはここ、高等部三年の教室でも変わりない。
時刻は正午を中ほど回ったところ。つまり昼休みだ。
学園生は思い思いに、つかの間の日常を謳歌している。
弁当を食べながら、音楽を聴きながら、勉強をしながら、漫画を読みながら、話しながら。
そうした内の一つ、窓際の一角では談笑に花を咲かせているグループがいた。
その話題はというと――
「だから二年の鷹原ちゃんはもっと笑ったほうが可愛いんだって!」
なかなかにどうしようもないことだった。
そこでは男子生徒の一団が運動部の次期エースと噂の二年生の女子生徒についての話で盛り上がっていた。拳を握り締めて力説する快活そうな人狼の少年に応えるのは、気障な白馬のケンタウロス。
「キミのような野蛮な男と一緒というのは気に喰わないが、その意見には全面的に同意せざるをえないな。女性というものは笑ったときこそ、その美しさが最大限に輝くのだから」
言い終えると同時に白金色の髪をファサー。「良いこと言った……」みたいな顔になっていたが、当然誰も見ていない。
ムムム、と首を傾げながら言葉を選ぶのは隼の鳥人。猛禽らしい鋭い顔つきだがその性格は意外と穏やかだ。
「言うほど笑ってないかなあ、彼女。結構笑ってると思うんだけど……」
「そりゃオメーの前だからだろ隼人」
ニヤニヤとツッコミを入れたのは皮肉屋という感じの飄々とした黒猫。悪友であるこの男にとある場面を見られている彼としては苦笑いを浮かべるしかない。
「まあ、確かにあの女はもうちょっと余裕を持ったほうがいいだろうな。あの調子じゃいつ折れてもおかしくない」
「オメーはもうちょっと言葉を選んでから物言えよ」
淡々と語る武人のようないかめしい虎の獣人にため息交じりで応えたのはこちらも屈強なミノタウロスだ。
「事実を言ったまでだろう。あの女は強い。だが、脆い。柔軟さのない鋼が砕けるように、いつかプレッシャーに潰されるぞ」
「だからテメーはっ!」
「何だ? やるのか?」
ガタッと鼻息荒く立ち上がるミノタウロスに対し、虎のほうは余裕の表情を崩さない。
一触即発の二人の間に「あーあーあー!」と割って入ったのは小柄な赤毛の犬の獣人だ。
「邪魔すんな犬井! 今日こそコイツの自信満々のツラ、ボコボコにしてやる!」
「笑えんジョークだな。その筋だらけのまずそうな肉を食いちぎられたいか?」
「あーもう、二人とも落ち着けって! ケンカするぐらいならもちっと楽しいことしようぜ!」
胸倉をつかみ合う大男二人に、どうにか引き離そうと足元でもがく小型犬。よくある光景なので、周りの連中も「お、またか」「今日はどっちが勝つかねえ」「つか、犬井もよくやるわ」と冷静そのものだ。
徐々にヒートアップしていく二人につられるように、周りのボルテージも上がっていく。ついには「俺は景虎に一本!」「じゃあ俺は牛若に二本だ!」と賭け事まで始まる始末だ(ちなみに、一本=紙パックジュース一つ)。
抜け目のない人狼が胴元をしようと立ち上がりかけたそのとき、もみくちゃにされていた犬井が、はっと顔を上げた。
「そうだよ! 楽しいことやってりゃ自然と笑顔になるじゃん!」
「「?」」
いきなりの言葉に二人の動きが止まる。そして続けて高らかに言い放ったのだった。
「だから彼女誘ってサッカーしようぜ!」
「「このサッカー馬鹿が!!」」
見事なハモリのツッコミであった。コンマ2秒だった。
「ひどい!?」
「この駄犬!せっかく儲かりそうだったのに!」
「こっちからも!?」
人狼にトドメを刺され、涙目で犬井は崩れ落ちた。
しかし、先ほどまで漂っていた一触即発の空気はもはやない。二人は静かに互いの胸倉から手を離し、元いた席に腰を下ろした。
結果的に犬井は二人のケンカを止めてみせたのだ。だから、その流れる涙は無駄ではないのだ駄犬。強く生きろ駄犬。
「まあ、犬井の言うちょることもあながち間違いじゃないて。楽しいことやっとりゃあ誰かて笑顔にはなるもんじゃ」
グループから一歩引いた所から応えたのは派手な色をしたカエルの少年だ。ヤドクガエルという猛毒種である。別に仲間はずれというわけではなく、単に不意に出す毒のために「こっち寄んなバカ」と言われているだけだ。
「ちうても、その『楽しいこと』っちうのが何なのかが問題じゃがのう」
「バスケが駄目なら水泳なんかどうだい!? 青空の下で力いっぱいに泳ぐ楽しさは言葉に出来ないものがあ――」
「この水泳馬鹿が!」
さっきまでアイスを食べながら暑さに伸びていたシャチの少年が嬉々として立ち上がったが、どこからか上がったツッコミに再び崩れ落ちた。本日二人目の犠牲者であった。
「んー、楽しいことかあ」
「何ということだ……この僕が女性のことで言葉に詰まるなんて!」
「隼人は何か思い当たることないのか?」
「んー……いや、ちょっと思いつかないなあ、ゴメン」
「別に貴様が謝ることでもないだろう」
「つか、アイツに楽しいことなんてあるのか?」
「そりゃあ一つや二つぐらい……あるかのう?」
うーん、と全員揃って腕組みで長考の姿勢。
「なあ、ちょっといいか?」
沈黙を破ったのは、今まで沈黙を続けていた目つきの悪いしかし苦労人っぽい疲れた雰囲気のリザードマンだった。
「お、佐渡。何か思い当たることでもあったか?」
「いや、そうじゃなくて、前々から訊きたかったことなんだが……」
? と不思議そうな顔をする面々に、佐渡はかねてよりの疑問を告げた。
「何でお前らはいっつも俺の所でだべるんだ?」
そう、窓際後部のこの席はリザードマン、佐渡の席である。
毎回、バカ話に置いてきぼりにされている彼としては、何故こうも自分の元に集まって来るのか理解できない。
「え? 何でって言われても……」
キョトンと顔を見合わせる一同。
んー、と彼らは首を傾げ、まるでそうするのが当然かのように、一人づつ順番に答えていった。
「何でだ?」
「なんとなく?」
「窓際だからかな?」
「知らん」
「ツッコミだからじゃね?」
「それじゃあっ!」
見事正解を言い当てたミノタウロスに賞賛のハイタッチの嵐が送られた。イェーイとみんなで手を叩き合うが、カエルだけは「触んなバカ」と拒否られ、ちょっと沈んでいる。
「ツ、ツッコミ……」
佐渡の顔がひきつる。
「いや、ほら、あれだよ、えっと、そのー……じょ、常識人ってことだよ、うん!」
バカに引きずられてハイタッチに加わっていた隼人が慌ててフォローに入った。
「確かにツッコミいうんは常識かなかと出来んこつじゃからのう。隼人、ワレェなかなかうまいフォローしよるのう」
百獣学園の生徒は見た目も千差万別だが、中身も奇人変人が多い。全然常識を持たない者はまれだが、常識的な者もまたまれだ。打てば響くノリの良さを持っていればなおさらである。
「待ちたまえ! 高貴なる生まれの私を差し置いて何故、佐渡ごときが常識人扱いされているのだ!?」
「テメーにだけは言われたくねえよ!」
「おおっ! ついに佐渡のツッコミが炸裂したあっ!」
「相変わらずスルドイなあオイ」
「いや、あの……みんな?」
「佐渡……恐ろしい男だ」
「確かにツッコミって言ったら佐渡だよなー」
「誇るがええぞ、佐渡。お前さんのツッコミはこの学園の宝じゃ!」
ィヤッホウ! と優勝のビール掛けをする野球チームばりのテンションで騒ぎ立てるバカども。唯一の良心、隼人の制止もこうなっては焼け石に水だ。
「お、ま、え、ら、なあ……」
もちろん、当人はとても我慢できないわけで、
「俺をイジって遊ぶんじゃねえよ!」
だから、いつも通り佐渡はキレたわけだが――
「……………………」
予想していた騒ぎが起こらない。いつもなら、これでまた5分は騒ぎが続くのだが。
不思議に思い、そして気付く。静まっているのは彼らだけではない。教室中の喧騒が消えているのだ。
クラスメイトは一様に無言。ボケッと口を開け、ただある一点を見つめている。
それは立ち上がっている佐渡――ではなく、その背後。
つまり、窓。
彼はその視線を追って振り向き――
「だっしゃああああああああああああああっ!!」
窓ガラスをぶち破って突入してきたハーピィの少女のドロップキックをくらった。
「ぐはあっ!?」
顔面にクリーンヒット。そのまま壁際まで吹っ飛ばされる。
その射線上にいた生徒たちはすでに退避済みだ。見事な状況判断である。
「うっしゃあ! 奇襲成功!」
そう言って少女は高笑い。白い翼がわさわさと揺れる。一応言っておくが、これでも女性である。花が恥じらうかは疑問ではあるが。
「つうっ……鳳ぃ…テ、テメエ……」
顔を押さえながら佐渡は壁から身を離した。
憎憎しげなしかめっ面をしているが、派手に吹っ飛んだにもかかわらずその身体に目立った怪我はない。リザードマン、特にヨロイトカゲ種である佐渡の鱗は極めて頑丈である。もっとも、それが分かっているからこそ鳳は思いっきり攻撃を加えるのだが。
「さあ佐渡! あの時の勝負の続きをしようぜ!今日こそ決着させてもらうかんな!」
「うっせえよボケ! 挑戦状がドロップキックって、テメーは一体どんな神経してやが――」
佐渡の言葉が止まる。そして、その目が大きく見開かれていった。
さて。ここで彼女、ハーピィの鳳について説明しておこう。学園最強などというトンマな目標を掲げるこの熱血少女は、ある事件をきっかけに佐渡を勝手にライバルと認めて勝負を挑み続けている。佐渡のほうは呆れながらその挑戦をかわし続けているが、たまにこのように無理やり勝負になることがあるのである。
そして、最後に、彼女は鳥頭である。つまり、猛烈に忘れっぽい。午前中最後の体育の授業が終わると、この襲撃のためにあわてて着替えてきたのだが、どうやらまた大事なものを忘れてきたようだ。
まあ、つまりだ。何が言いたいかというと――
「服を着ろおおぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!!」
上着を忘れて下着姿で飛んできたのだった。
「ありゃ? まあ、別にいいじゃん、動きやすいし」
声を限りに叫ぶ佐渡に、あっけらかんと鳳は答えた。もう一度言っておこう。鳳は女性だ。
よっしゃ来い! と言わんばかりに彼女はファイティングポーズを取っているので、彼女のなかなかに立派な双丘がよっしゃ来い! と言わんばかりに揺れているのがまる見えである。
それにいち早く反応したのはやはりバカどもである。
「良い乳だ……欲しい」
「俺としては、もう少し恥じらいを持って欲しいものだがなあ」
「恥じらってようがいまいが、乳は乳だろうが! 相変わらずデケェな、ヒャハハァ!」
色々と駄目な雄たけびをきっかけに、教室内が割れんばかりの喧騒に包まれた。「うおおおお! 生乳ぃ!」「デケェ! つか、スゲェ!」「揉みてえぇっ!」その全てが男子だった。青春である。
「え? あれ? ええ?」
当の本人は何事かを理解しておらず、ただうろたえるばかりだ。
それをいいことに、教室内はさらに騒ぎを増していく。さすが男子高校生。
そんな彼らに、ついに裁きのときが来た。
「ア、ン、タ、ら、ねぇ……」
ワナワナと肩と耳を震わせているのはウサギの少女。彼女は鳳と似たような元気娘なので、ウマが合うのか二人の仲は良い。今、その親友が狂った野獣どもの見せ物になっているのだ。食事中だったのだろう、その手に握り締めていた箸が、怒りの圧力に耐え切れず、バキリと折れた。
「いいから全員目ェつぶれえぇぇぇええええええっ!!」
椅子を蹴倒しウサギ少女は立ち上がる。その手にあるのは折れた箸ではなく、
「ふぇ?」
と呆けた声を上げるゴーゴン種ラミアの少女の眼鏡。ゴーゴン種ラミアは魔眼の持ち主である。魔眼の力を制御できるまで未成年の者は特殊な眼鏡の着用を義務付けられている(つまり全員眼鏡娘だ、ヤッホウ)。
そして、
「瞳巳! ビームよぉっ!!」と眼鏡没収。
「だから私、魔眼使いたくないんですけどおぉぉぉおおお!?」
あらわになったラミアの目からほとばしる破壊光線。その破壊力は凄まじく、色めき立った男子生徒どもを問答無用で打ちのめしていく。
たちまちのうちに、教室内は阿鼻叫喚の地獄絵図となった(男子限定)。
「うぎゃああっ!」
「どわあああああっ!!」
「あべしっ!」
「えっ? 何? 何が起きぎゃあっ!?」
「落ち着くんだハニィいぃぃぃいいっ!?」
「ぬうっ!? 防ぎきれん!俺もまだ修行不足かっ!」
「馬鹿なっ! 我が煩悩が負けるというのかあっ!?」
「僕、見ないようにしてたんですけどぉ!?」
「つか、被害者は俺のほうだろうがああぁぁぁあああっ!!」
かくして裁きは完了した。冤罪者もいたような気がしないでもないが、気にしてはならない。正義に犠牲はつきものなのだ。
「見たかアホども! 正義は……勝つのよ!!」
地獄を前に、ウサギ少女は拳を高く掲げて勝利のポーズ。そのジャンヌ・ダルクばりのまばゆい姿に、他の女子生徒たちは割れんばかりの拍手を送った(ラミア除く)。
そしてただ一人、状況に取り残された鳥頭のハーピィは、
「……ありゃ?」
と首を傾げてつぶやいた。