第一話 四国立ユートピア学園
崩壊暦729年、ノーザンハザード。
人類史上最悪の兵器ルーインウェポンは、たった1日で北の国ノクターンノースの半分以上の人々を殺戮した。その威力について様々な噂が飛び交っていたルーインウェポンは、初めての実戦で、国一つ滅ぼす程の絶大な破壊力を歴史に刻み込んだ。
この恐るべき事実は、生き残った北の国の人だけでなく、ヒューム大陸全土に衝撃を与えた。
次に狙われるのは自分の国かもしれない。どこの国がノーザンハザードを起こしたのかすらわからないまま、ヒューム大陸の人々は人類史上最悪の兵器に怯える日々を送った。
そしてノーザンハザードから3年。人々が恐怖に順応し始めた頃、次の事件は起こった。
崩壊暦732年、『イースタンハザード』。
人類史上2度目となるルーインウェポンの使用によって、東の国エレメントイーストの首都が陥落した。被害面積でいえばノーザンハザードの10分の1程だったが、エレメントイーストの首都はヒューム大陸最大の都市で、100万人を超える人々が死亡した。
そして、その半年後。同じ年の秋に、南の国サプライズサウスでもう一つの事件が起こる。
崩壊暦732年、『サザンハザード』。
ヒューム大陸最南端の田舎町で、3度目の〝ルーインウェポン〟が使用された。規模はイースタンハザードと同程度。不幸中の幸い、狙われた場所が田舎町だったため、死亡した人々の数は1万人程であった。
忘れかけた頃に起きた2つの事件は、ヒューム大陸の人々にルーインウェポンの恐ろしさを思い出させた。ヒューム大陸には、残りいくつのルーインウェポンが配備されているのか。いずれにせよ、ルーインウェポンを用いた全面戦争が起これば、ヒューム大陸そのものが滅んでしまうことはほぼ間違いなかった。誰もが世界の終わりを予感し、恐怖に震えた。
しかし、翌年、事態は思わぬ方向に転がる。
崩壊暦733年、『四国共同ユートピア宣言』。
それは、あまりに突然の和平宣言だった。東西南北の四国は全てのルーインウェポンを廃棄することを決定し、平和な世界の実現に向けて手を取り合ったのである。
四国共同ユートピア宣言の中には、その他にも、様々な条項が含まれていた。
その一つが、『四国立ユートピア学園』の設立である。
長らく平和な時代を築いた古代国家ユートピアでは、自然を司る精霊ガイアテルを信仰していたと言われる。自然を操る力を持ったリオルたちが平和をもたらす精霊の子と呼ばれるのはこのためだ。
そこで、古代国家ユートピアの精霊信仰になぞらえ、精霊の子を集めて平和を築くための学校の設立を決定した。これが四国立ユートピア学園である。
招待状を受け取ったリオルとアイリスもこの学園への入学が決まった。そして、その年の春。
崩壊暦733年、『四国共同ユートピア宣言記念式典』。
四国立ユートピア学園の入学式も兼ねたこの祭りから、リオルたちの宿命の物語は再び紡がれることとなる。
Δ Υ Σ Τ Ó Π Ο Σ
祭りで賑わう通りを、真新しい学生服に身を包んだ2人がゆっくりと歩く。
「ああ、もう! 暑い!」
ノーザンハザードから4年。14歳になりすっかり声も変わったリオルだが、すぐに文句を言うのは変わっていない。
「仕方ないわ、リオル。ここは、南の国サプライズサウスなのだもの」
14歳になったアイリスが、銀色の髪をかき上げながら言った。この4年間で、アイリスはリオルよりも一層大人びたように見える。
「らっしゃい! チップスはいかが?」
「射的、1回10ギルドだよ」
茹だるような暑さの中、熱気溢れる声が左右から飛び交う。出店を構える人の多くは地元のサプライズサウスの人で、その瞳は黄色。だが、道行く人の瞳の色は緑、赤、黄、銀と様々。東西南北4つの国の人々が集まって祭りが開かれるなど、ルイーンウェポンによって一触即発だった去年までは考えられなかった。
「あぢぃ……」
「だた暑いだけじゃなくて、じめじめするのよね」
北の国で生まれ育った2人にとってこの暑さはまるで地獄だった。90%を超える湿度でなかなか汗が蒸発せず、さらに体力を奪う。これこそが、南の国サプライズサウスの気候の特徴。
「ひゃっ!」
首筋を走る突然の冷たい感覚に、アイリスは思わず声を上げた。首筋に手を当てると冷たい雪の感触があり、顔を上げると昔と変わらないイタズラっ子の顔があった。
「どうだ、ひんやりするだろ。これで暑さも和らぐってもんだ」
天術を使ってアイリスを驚かせたリオルは得意気に笑った。突然、首を冷やされたアイリスは、体温と言うより、肝が冷えた気分だった。
「もう……」
不満げに呟くアイリスだが、その胸の内にあるのは正反対の温かい感情だった。
こんなリオルでも……。いや、こんなリオルだからこそ。
変わらないリオルに、アイリスはいつも救われる。
リオルはノーザンハザードで誰よりも深い傷を心に負った。氷漬けになったまま砕けた両親を目の当たりにし……。下半身を失って死にゆく最愛の姉を目の当たりにし……。
それでも、リオルはアイリスの前で決して弱みを見せない。あの頃のように強がり続け、心の闇を隠していつもやんちゃに振舞う。
「南の国はあちぃけど、でも、チップスはうめぇな」
リオルは口を大きく開け、カップを傾けて残りのチップスを一気に流し込んだ。
背が伸びても、声変わりをしても、リオルは変わらない。まるで、心だけ4年前のあの日に取り残されてしまったように。リオルの時間は永遠に止まったまま動かない。
リオルと対照的に、アイリスは変わった。それは、4年という時間と言うより、あの日の悲劇がもたらした変化である。
「アイリス、何か食べるか? それか、射的とかやってみる? 当てたら景品あるらしいぜ」
「いらないわ、何も。リオルがいれば、それでいい」
欲張りアイリスは、何も欲しがらなくなった。何も求めなくなった。
リオルが傍にいてくれればそれでいい。
家族、友人、故郷……。アイリスは、ルーインウェポンによって全てを根こそぎ奪われた。幸せだった暮らしを無理矢理捻じ曲げられた。
それでも、リオルは変わらない。リオルはリオルのままで、いつまでも傍にいてくれる。
心の廃墟に残った最後の希望。知らない景色の中で生きる唯一の意味。
「あっそ。じゃぁ、オレはチップスをもう一つ食うよ」
照れくさそうに目を逸らし、リオルは屋台へと歩き出した。声変わりしても決して消えることのない面影を、アイリスは追いかけ続ける。
「どけぇ! どけぃ!」
ハチマキの男が大声とともに荷車を引き、リオルたちの前の通りを疾走して行く。お祭り騒ぎの人だかりが、慌てて左右に分かれて道を開けた、その時である。
「おいっ! どどどどどどけよっ!」
キーッ! 耳をつんざくブレーキ音が耳を襲った。荷車は止まることができずに転倒した。どこかの屋台の景品だろうか? たくさんの荷物が通りに散らばった。
「いってててて……」
荷車と一緒になって転倒したハチマキの男は、腰を押さえながらゆっくりと顔を上げた。
目の前には、背の高い赤い瞳の男が悠然と立っていた。その男は、リオルと同じ学生服を着ている。
「てんめぇ。危ねぇじゃねぇか! どこの田舎もんか知らねぇが、この国の祭りの通りは業者が優先だ。死にてぇのか! あぁん? この荷物どうしてくれるんだよ?」
ハチマキの男は激しい剣幕で立ち上がると、学生より頭一つ低いところから両目をギラつかせてまくし立てた。それでも、赤い瞳の学生は男の目を見ようとしない。
「あぁん、聞いてんのか? この田舎もんが」
ハチマキの男が腕を伸ばして学生服の襟に掴みかかろうとした、その時である。
学生の瞳が赤い光を放った。直径2メートルの地面が、一瞬にして、低い炎に包まれる。
「ああああああ! あちぃ! あちぃ!」
あっという間に靴に火がつき、男は踊り狂うように足を上げ、叫び声を上げた。炎の円の中に倒れていた荷車も、あっという間に火の車となる。
群集から悲鳴が上がると、赤い瞳の男は辺りを見回し、ようやくその口を開いた。
「いい機会だ、貴様らにも教えてやろう。ここがどこの国だろうと、オレが歩く場所はいつも、オレが優先だ。そんなことすらわからない低能は、目障りだからオレの前から消えろ!」
言われずとも、ハチマキの男は慌てて炎の円の外へと逃げ出した。赤い瞳の学生から離れ、燃える靴を脱ぎ捨てようと必死にもがくが、あまりに熱くてなかなか上手くいかない。
それが絵本の中の出来事であるかのように、アイリスはその光景を遠い目で眺めていた。リオルに関わりのないことには、あまり興味がないのである。しかし、いつまでも無関心を貫けないことを、アイリスはよくわかっていた。
リオルの目がすぐに銀色の光を放つ。アイリスの隣、群集の最前線にいたリオルは拳大の雪玉を勢い良く飛ばした。雪玉はみるみる大きくなり、一直線に飛んで行く。赤い瞳の学生は咄嗟に炎の壁を作ったが、気づくのがわずかに遅かった。体を包み込む程の大きさに膨れ上がった雪玉を防ぎ切れず、吹き飛ばされて背後の屋台に突っ込んだ。
唖然とする群衆の目が、雪と屋台の瓦礫に埋もれる赤い瞳の男から、リオルへと移る。リオルはもう一度瞳を銀色に光らせると、依然として燃え続ける炎の円に雪を積もらせた。ジューッという音を立てて、スキンヘッドの男の靴と、倒れた荷車の火が消された。
「あんまり調子に乗るなよ、アカメ」
リオルの差別的発言に、群集の空気が一気に凍りついた。そして、ゆっくりと立ち上がった赤い瞳の学生の怒りに火がつく。
「なめるなよ、このギンメが!」
瞳を赤く光らせると、学生は体の回りに太陽のように燃え滾る火炎の渦を纏った。
「手出しするなよ、アイリス」
リオルはそう忠告し、周囲にブリザードを纏った。
「わかってるわ、リオル」
一歩下がって頷きながらも、アイリスは集中して、いつでもリオルを守れる準備をした。
『どんなことがあっても、リオルは必ず私が守るから』
4年前の廃墟での誓いは、時とともに強くなってアイリスの胸に生き続けている。
「「はあっ!」」
掛け声とともに、リオルがブリザードを、赤い瞳の男が火炎を放った。直後に、アイリスの全身を凍えるような恐怖が駆け巡る。リオルは勝てない。やはり、氷と炎では属性相性が悪い。ブリザードと火炎が、道の真ん中を目がけて突き進む。アイリスが両目を銀色に光らせ、リオルを氷の防御で守ろうとした、まさにその瞬間だった。
衝突寸前のブリザードと火炎は、横からの風に巻き上げられると、2色の美しい竜巻となって天高く上っていた。ぶつかり合うハズだった攻撃が空へと流され、通りに静けさが訪れる。
群集の視線は、道の真ん中を歩く一人の少女に釘付けになっていた。翠の瞳を持った彼女こそ、今の竜巻を発生させた少女だ。
「もう……。天術を使ってケンカなんかしちゃダメよ。私達の力は人を守るためのものなんだから」
リオルより少し年上だろうか。アイリスと全く同じ学生服を身に纏ったその少女は、ケンカの当事者である2人を交互に見ながら、ちょっと呆れ顔で言った。
「ちっ……。早速、生徒会長気取りか」
「別にそういうわけじゃないわ。でも、誰かがそういう役回りをしなきゃいけないんだから、仕方ないじゃない。今回はたまたま、それが私だったのよ」
自分の言動を鼻にかけることもなく、翠の瞳の少女は自然な笑顔で言った。
「もし良かったら、今日の式典での挨拶はあなたに譲るわよ」
「けっ……、それだけはゴメンだ。あばよ」
赤い瞳の男は平静を装って背を向けると、軽く右手を挙げて、人ごみの中へと歩いていった。一連の騒動を見ていた聴衆は、自然と彼に道を開ける。遠ざかるその背中を、リオルとアイリスは茫然と眺めていた。
「ほらね、誰もやりたがらない。結局、私がそういう役回りになるのよ」
その言葉とは裏腹に、翠の瞳の少女は爽やかな笑顔で近づき、リオルに手を差し出した。
「エリザベール・E・バラスティンブルムよ。エリザって呼んでね」
「エリザ……だな。オレは、リオルバート・N・ユクリアだ。リオルでいい」
リオルは少し照れながらも、エリザの手を握った。
「アイリセアラ・N・オウェアよ。アイリスでいいわ」
続いて、あまり興味がなさそうにアイリスが握手をかわす。
「リオルにアイリスね。同じユートピア学園の生徒同士、仲良くしましょうね」
エリザの優しい笑顔に、リオルは小さく頷き、アイリスは小さく嫉妬した。
「私は東の国のエレメントイーストの出身なの。……って、そんなことは私のミドルネームと瞳の色でわかるわよね」
優しく微笑むエリザの言うように、彼女の翠の瞳とEというミドルネームは、東の国の人々の証である。
「あっ!」
エリザはふと何かを思い出したような顔をすると、突然怒ってリオルを睨んだ。
ぺち! そして、リオルの額にデコピンを一発お見舞いする。
「アカメとか言っちゃダメよ、リオル」
細い人差し指をかざし、エリザは先程の差別用語を叱った。
「いや……。それはアイツが生意気言って天術で人を攻撃したから……」
「それで、天術使って彼を攻撃したら、あなたも同じじゃない。ダメよ! 差別用語を使うのも、天術で人を傷つけるのも、絶対にダメ!」
リオルは、目の前に突きつけられた指に寄り目になる。すると、エリザは優しく微笑んだ。
「でもね、やり方はともかくとして、黙って見てるだけじゃなかったのは偉いと思うわ」
今会ったばかりのヤツに、何でそんなこと言われなきゃいけないんだ。心の中で反発するリオルだが、遠まわしに褒められて悪い気はしなかった。
「あれ、照れてるの? リオルって、結構可愛い所あるのね」
エリザはクスクスと笑いながら、リオルの頭を優しく撫でた。
「ちげーよ! お節介女!」
リオルは悪態をついて、エリザの腕を払った。自分の頭を撫でていたエリザの手が離れると、リオルは不思議と寂しい気持ちになった。
「ふふっ。リオルは意地っ張りの照れ屋さんなのね」
2人のやりとりを嫉妬まじりに見ていたアイリスだが、ふとエリザと目が合った。
「アイリスはリオルには勿体ないくらいキレイね」
エリザはあまりに唐突に、真正面からそんなことを言った。そして、アイリスの手をとる。
「ねぇ、アイリス、お願いがあるの。入学式の時にちょっとだけ協力してくれない?」
何のことかわからず、アイリスは静かに首を傾げた。
「うん、最後の1人はあなたが適任だわ。だって、可愛いもの。せっかくの式典だし、華があるに越したことはないじゃない?」
「古代国家ユートピアの崩壊から700年以上、私たちの歴史は争いの連続でした」
つい数時間前に出会ったばかりのエリザの演説を、リオルは列の2番目から眺めていた。リオルの1つ前、先頭にはアイリスがいる。78人のユートピア学園一期生は、会場の中心で出身国ごとに4列に並んでいた。それを10万人を超える観衆が囲んでいる。
「ヒューム大陸を囲む海は、千年以上生物が住めない毒の海と化しました。国境付近を中心に大小様々な戦争が絶え間なく起こり、数え切れない程の尊い命が亡くなりました」
大勢の観衆を前にしても堂々としているエリザの姿に、リオルはとても感心した。2歳年上の16歳らしいが、リオルにはとても真似できない。演説などを聞くのはあまり得意でないリオルだったが、それでも自然とその姿に見入った。
「なかでも、ルーインウェポンによって多くの犠牲者を出してしまった4年前のノーザンハザード、そして、1年前のイースタンハザードとサザンハザードは皆さんの記憶にまだ新しいと思います」
リオルは震えながら下を俯いた。同じ列に並ぶ北の国の精霊の子は11人と少ない。それはノーザンハザードで多くの精霊の子が命を落としたからである。
「私は……」
すると、堂々と喋っていたエリザも、突然下を俯いた。何かに怯えるように、細身の体は小刻みに震えている。それでも、エリザは必死に歯を食いしばって、演説を続けた。
「東の国の首都で生まれ育った私は、〝イースタンハザード〟で全てを失いました」
エリザの哀しい言葉に、観衆は息を呑んだ。入学式を、重苦しい雰囲気が支配した。
エリザもリオルと同じ、ルーインウェポンに全てを奪われた戦争孤児だったのだ。
「父も、母も、弟も……。友だちも、先生も、町の人も……。みんないなくなってしまいました。生き残ったのは、精霊の子である私一人だけです。私は天術という力を持ちながら、誰一人救うことができませんでした」
涙をこらえ、拳を握り、歯を食いしばり。エリザは必死に言葉を紡いだ。彼女の悲惨な過去が、割れたガラスの破片のようにリオルの胸に突き刺さった。
「大丈夫よ。リオルには私がいるわ」
前に並んでいたアイリスが振り返り、リオルの右手をそっと握って囁いた。
「悲惨な3つの事件を経て、四国間の緊張は更に高まりました。ルーインウェポンによる全面戦争で、私たちの住むヒューム大陸は一気に滅びてしまうかに思えました」
神妙な面持ちで語るエリザに、誰もが自然と頷いた。
「でも、私たちはそこで踏みとどまりました。全てのルーインウェポンを廃棄し、平和な世界の実現に向けて手を取り合うことを約束しました。四国共同ユートピア宣言です。そして、その平和の象徴として、リピー島に四国立ユートピア学園が設立されることとなりました。今日、こうして無事に入学式を迎えられたことを、皆さんに感謝致します」
今日の天気と同様、会場が明るさと熱気に包まれる。
激しい歓声の中、聖杯を手にした3人の少女が、エリザの待つ壇上へと登っていく。その内の1人はアイリスだ。これが、つい数時間前に、エリザがアイリスにしたお願いである。
エリザを含めた4人はそれぞれ聖杯を手にして、ステージ中央に一列に並ぶ。会場のボルテージは最高潮に達した。今、まさに平和への歴史的一歩が踏み出される。
「東の国の風の力」
エリザの瞳が翠色に光り、持っていた聖杯に風が宿る。
「西の国の炎の力」
ポニーテールの小さな少女の瞳が赤く光り、抱えていた聖杯に炎が灯る。
「南の国の雷の力」
ショートカットの明るい少女の瞳が黄色く光り、聖杯が電気を宿す。
「北の国の氷の力」
アイリスの静かな瞳が銀色の光を放ち、その聖杯に美しい氷が浮かぶ。
「私たちは、平和の実現に向けて力を合わせ、手を取り合って学ぶことをここに誓います」
エリザが締めくくると、会場の3万人は温かい歓声と盛大な拍手で湧いた。
風、炎、雷、氷。精霊の力を宿す4つの聖杯は、制服の胸の校章と同じだった。それは、ヒューム大陸の平和のシンボルマークとして、今、人々の記憶に刻まれた。
「よっ、精霊の子! 平和の使者!」
「ガンバレよ、お前ら。世界の平和はお前らにかかってるぞ」
緑、赤、黄、銀。様々な色の瞳をしたたくさんの人々に見送られながら、入学式を終えたユートピア学園の生徒の列は船着場へと向かう。リオルは、エリザやアイリスを含む、聖杯を抱えて壇上に上がった各国代表の少女4人とともに最後尾を歩いていた。
「よっ、お嬢ちゃん! 立派な演説だったぜ」
「ありがとうございます」
笑顔とお辞儀を振りまきながら、エリザは手を振って丁寧に観衆の声援に答える。
「すげぇ、歓声。早くも人気者。有名人も大変だねぇ……」
「もう! からかわないでよ、リオル……。私だって好きで挨拶したわけじゃないんだから」
エリザは少し困った様子で心の内を吐露した。そんなエリザとは違って、南の国代表を務めた、ショートカットの少女はひどく浮かれた様子だった。
「どう、ボク良かった? 南の国の代表っぽかった? キリリンってしてた?」
黄色の瞳の少女は、ハイテンションで地元の人々に話しかける。
「えっ、ペッケペケに輝いてた? えっ、4人の中で一番カワイかった? も~、お兄さんもお姉さんも、褒め殺しスナイパーなんだから。知ってる? ボク、照れ屋さんなんだよ。1キログラム100ギルドで売ってるの。でも、今日は在庫処分セールだから、持ってけ泥棒! みんな今までありがとうキャンペーンだよ」
ヒューム大陸の言語は1つのハズだが、リオルには南の国の彼女が何を言っているのかよく理解できなかった。いや、それは黄色い瞳をした地元の人々も同じのようである。少女の勢いに負けて頷いてこそいるが、その表情は皆キョトンとしていた。
精一杯歓声に答えながら歩く東の国のエリザと南の国のしゃべくり少女。
その2人とは対照的に、北の国のアイリスと西の国の代表の少女は静かに淡々と歩いていた。
「ほ~ら~、メルフィも。みんなに手をフリフリ~」
と思ったら、やたら騒がしい南の国の例の少女が背後から迫り、メルフィと呼ばれた西の国の子の手を無理矢理振り始めた。
「みんなに手をフリフリ~。腰もフリフリ~。尻尾もフリフリ……。あれ、尻尾が無い! あれ、おっぱいも無い! 夢も希望も無い! でも、笑顔さえあれば世界は、イタッ!」
「うるさい……。ベックス」
胸がないと言われたことを怒っているのだろうか? 赤い瞳のメルフィは恥ずかしそうに左手で小さな胸を抱え、右手でしゃべくり少女の額にチョップをお見舞いした。
「ちょっと、メルフィ殴らないでよ。今、良いとこ日和だったんだから」
額を押さえながらも、ベックスと呼ばれた南の国の少女は相変わらず明るく振舞う。
そんなおかしな光景にも、アイリスはほとんど興味を示さない。
「おっ、お前。さっきトラブル起こしてたクソガキじゃねぇか」
どこからか、リオルに向けたそんな歓声も聞こえてきた。
「えっ、どこどこ? あっ本当だ。おーい、クソガキ! 元気でやれよ!」
リオルはそっぽを向いて無視を決め込む。しかし、その声はなかなか止まない。
「おい! 聞いてんのか。 ク! ソ! ガ! キ! ガンバレよ!」
「あぁ、もう! うっせーな! 聞こえてるよ、バーカ!」
我慢の限界に達したリオルが反発すると、ゲラゲラと男たちの笑い声が聞こえてきた。
「あら、リオルもなかなか人気者じゃない」
「うるせーよ。お節介女」
「ふふっ、1キログラム3000ギルドって所ね。一級品を扱う本家照れ屋は、大安売りなんてしないのね。値は張るけど、それでも常連さんになっちゃいそうだわ」
エリザは冗談交じりにクスクスと笑っていた。
「うわ~お! 豪華絢爛客船号だ~。もしかして、ボクたちってお偉いさんご一行なの?」
ベックスが指差す先には、たった70人の学生を送るためとは思えない超豪華客船。それぞれに個室が用意されているとは聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
「いやぁ、本当にすごい船だな」
リオルがアイリスにそう言った時、2人とも同時に固まった。リオルは首筋に、アイリスは右手の甲に生ぬるい感触を覚えたのだ。そして、一緒になって空を見上げる。
太陽が燦燦と輝いていた空は、一瞬にして黒ずんだ雲に覆われた。
「スコールが来るぞ!」
誰かが叫ぶのと同時に、ぬるま湯のような大粒の雨が一気に降り出した。
そして、次の瞬間、閃光が視界を奪う。轟音とともに少し離れた所に雷が落ちた。
雷なんて体験したことなかったリオルは、一瞬、空襲が起きたのかと思った。アイリスなんて驚きのあまり、リオルと自分に氷の防御を張ってしまったくらいである。少しして、それが噂に聞く雷という現象だと理解したアイリスは、ようやく氷の防御を解いた。
南の国の精霊の子は、こんな恐ろしい自然現象を操ることができるのだろうか?
そんな2人の驚きを目の前で証明するように、ベックスの瞳が黄色い光を放つ。空が光るその瞬間、ベックスは雷の軌道を180度捻じ曲げて天へと返した。他の南の国の精霊の子の活躍もあって、降り注ぐ無数の雷は、1つとして祭りの会場に落ちることはなかった。
「すごいわ、ベックス」
激しい雨に髪を濡らしながら、エリザが言った。
「でしょでしょ。ボクって意外に頼りがいのある女子ランキング三連覇中なの。でもね~、この雨だけはどうにもできない男心。二人の恋はズブ濡れ模様」
リオルたちはブリザードの氷と雪は操れても、その風は操れない。同じように、ベックスたちもスコールの雨までは操れないということだろう。
「だから僕ら、未来へ向かってランナウェイ!」
船を指差すベックスの掛け声とともに、リオルたちは勢い良く走り出した。観衆の多くは、慌てた様子でユートピア学園の生徒と反対方向へ駆けて行く。
斜めに降り注ぐ強烈な雨がリオルたちの顔を打つ。腕を額に当て、水しぶきを散らせながら、リオルたちは一気に船を目指した。その間も、ベックスたち南の国の精霊の子は雷の気配を敏感に感じ取って被害を防いでいる。
架け渡した橋を駆け、最後尾のリオルたちも船に乗り込んだ。途端に、激しく降り注ぐ雨は船体を打つただの音へと変わる。
全員が船に乗り込むと、すぐに低く長い汽笛が響いた。船の出発を告げる合図である。
雨に濡れる船の窓に、つい先程まで自分たちがいた祭りの景色が映る。必死にスコールから逃げようと背を向ける者。海沿いで旅立つ学生に手を振り続ける者。急いで屋台の撤収作業にとりかかる者。突然のスコールによって、てんでバラバラのお見送りである。
そして、紫色の海が視界に広がり、見送る人たちもどんどん小さくなる。濡れた髪から雨を滴らせながら、エリザは悲しい瞳で遠ざかるヒューム大陸を見ていた。
「どうした? 早くもホームシックか?」
配られたタオルを差し出しながら、リオルはエリザの顔を覗きこんだ。リオルのからかったような視線に気づくと、エリザは慌てて首を振った。リオルから受け取ったタオルで顔と髪を手早く拭いて、晴れ晴れとした笑顔を見せる。
「私たちはユートピア学園の生徒なんだから! 希望を胸に、平和な世界を目指しましょう!」
出発してから10分もしないうちに、何事もなかったかのように嵐は収まった。空は再び晴れ渡り、波は穏やかさを取り戻す。リオルたちを乗せた豪華客船はユートピア学園のあるリピー島を目指して静かに進む。
コンコン! シャワーを浴びてさっぱりしたリオルは、隣の部屋をノックした。ゆっくりと扉が開く。
「リオル」
湯上がりでまだ髪が湿ったアイリスが、ホッとした表情でリオルを出迎えた。
「いやぁ、すっかり晴れたな」
「そうね。でも、午後6時を過ぎたのにまだ明るいのは、ちょっと変な感じがするわ」
アイリスは落ち着かない様子で呟いた。故郷の港町アイスバーンでは午後4時には日が沈む。
この部屋は船の4階で、景色を眺めるにはとても良い場所だった。とはいっても、窓の外に広がるのは毒の海。腐食されないよう特殊な加工が施された船は、あまり気持ちの良いとは言えない紫の景色の中を突き進む。
だからこそ、リオルとアイリスは窓をめいいっぱいに開けた。そして、腹の底から叫ぶ。
「「クーリアーー!」」
故郷を失っても、2人はこの習慣を忘れない。海の色は本来、空よりも濃い青だと聞く。何百年も先の未来に、その願いをかける。
「いやぁ、しかし、雷には驚いたな」
椅子に座りながらリオルが切り出すと、アイリスは大きく頷いた。今日一日色々あったが、北の国出身の2人にとって一番驚いたことは、間違いなくこれだった。
「まぁ、別にオレは全然怖くはなかったけどな。アイリスは相当ビビってたな」
「そんなことないわ。ただ、未知に対してはそれなりの用心がいるのよ。万が一があっては困るから。私が怖いのは、その万が一だけよ」
それは、つまりリオルを失うこと。アイリスが恐れるのは、ただそれだけだった。
コンコンコン! その時、部屋の扉を誰かがノックした。
コンコンコンコン! アイリスが立ち上がった時、もう一度さっきより激しいノックが響く。
いったい、誰だろうか? 相当慌てた様子である。アイリスがゆっくりとドアを開く。
「大丈夫、アイリス? 何かあったの?」
そこにいたのは、ひどく慌てた様子のエリザだった。
「こっちが聞きたいわ。何かあったの、エリザ?」
「えっ!? 何って……。2人の叫び声が聞こえたから、飛んできたんだけど……」
エリザの答えに、リオルとアイリスは顔を見合わせて笑った。
エリザを部屋に招き入れた2人は、故郷の町に伝わるその習慣について話した。
「なるほど……。それで海に向かって叫んでいたのね」
椅子に座ったエリザは、安心感と疲労感でため息混じりにホッと一息ついた。2人の叫び声を聞いたエリザは、2つ下の階から階段を駆け上ってこの部屋まで来たらしい。
「でも、とても素敵な習慣ね」
エリザは優しい笑顔で立ち上がった。窓際へと歩み寄り、大きく空気を吸い込む。
「クーリアーー!」
エリザは身を乗り出しながら声を張り上げ、子どものように叫んだ。そして、振り向いて無邪気な笑顔を浮かべる。リオルも自然と嬉しくなって、笑顔を返した。
「アイスバーンの広場には、凍てついた泉っていうのがあるんだ。それで、その近くには5つのベンチがあって……」
リオルは意気揚々と、故郷のもう一つの習慣をエリザに語り出した。いつになく楽しそうに話すリオルの姿を、アイリスはただ眺めていた。
リオルとアイリスの故郷北の国から、エリザの故郷の東の国を経て、話題はやがてこの船が目指すリピー島へと向かう。
「リピー島か……」
リオルが神妙に呟いたのも無理は無い。エリザとアイリスもしばらく黙り込んだ。
〝不可侵の島 リピー島〟
ヒューム大陸の南西に位置するその島は長らく無人島である。
地下資源が豊富なリピー島は、古代国家ユートピアの崩壊以降、常にヒューム大陸の争いの火種だった。この島を巡って、幾度となく戦争が起こり、数え切れない程の人々が犠牲になった。150年前のエネルギー革命によって、地下資源の需要が急落してもなお、リピー島は血塗られた歴史の象徴としての意味を持ち続けている。
現在は、東西南北の四国政府全ての合意が無ければ、住むことどころか立ち入ることさえできない。一歩間違えば大きな戦争に発展しかねない神経質なその場所に、許可なんて永遠に下りることはないだろう、と誰もが思っていた。
ところが、今年の初め。突然の四国共同ユートピア宣言。四国立ユートピア学園の設立にも驚かされたが、その場所がリピー島ということにも皆ひどく驚いたものだった。
「リピー島ってどんな所なんだろうな? 無人島だったから、やっぱ自然豊かな島なのかな?」
「どうだろうね。戦争や地下資源以外のことに関する文献はあまりないそうよ。ただ、気候に関する文献だけは読んだことがあるわ」
エリザの言葉に大きく頷き、リオルは好奇心旺盛に耳を傾けた。
「リピー島は、季節によって気候が大きく変わるそうよ。春は東の国とそっくりの気候で、だいたいは穏やかな風が吹いている。夏は西の国そっくりで、暑くて乾燥した気候。秋は南の国そっくりで、じめじめして雷雨が多い。冬は北の国そっくりで、一面雪と氷に覆われる」
「四国の気候が、一年に詰まってるのか!?」
暑さ、湿気、さらにはスコール。今日一日、南の国にいただけでタジタジだったリオルはちょっと嫌気がさしてきた。ただでさえ、気候が厳しいと言われるヒューム大陸なのに、それが季節ごとに目まぐるしく変化したら、体がついていかない。
ため息をつくリオルを尻目に、エリザはあまり喋っていないアイリスを見た。アイリスは話を聞いていなかったわけではない。リピー島の歴史にはまるで興味がなかったが、リオルの安全に関わるかもしれない島の気候についてはむしろ注意深く聞いていた。そんなアイリスの心の内を知ってか知らずか、エリザは笑顔で微笑みかける。
「今日はありがとね、アイリス。聖杯の儀式は助かったわ。突然頼まれて嫌じゃなかった?」
「別に嫌ではなかったわ」
嫌ではなかったというのはアイリスの本心だった。もっと言えばどうでも良かった。
「そう。アイリスを北の国の代表に選んで良かったわ。ちなみに、南の国の子、ベックスも私が選んだのよ。元気いっぱいの笑顔が可愛いでしょ? リオルもそう思わない?」
「あぁ、あの騒がしい宇宙人か……。あいつ、何喋ってるかわかんねぇよ」
「いいじゃない、個性的で。私的には、自分のことをボクって言うのもポイントが高いわ」
エリザが笑顔で言っても、リオルは怪訝な表情を崩さなかった。
それは、決して照れ隠しではない。リオルは南の国の人々にあまりいい印象を持っていない。
南の国の人々はとても陽気で元気だが、ふとした時に人を裏切る。それが、リオルたち北の国の人々が抱くイメージだった。
古代国家ユートピア崩壊後の歴史の中で、北の国と南の国は、表面上それなりに良好な関係を築いてきたと言える。しかし、突然の手の平返しで、同盟を裏切られて侵略されたことが、歴史上5回もあった。その5回とも、数ヵ月後には「ごめんごめん」とばかりに手を差し伸べて、同盟の再締結を提案してくるのだから恐ろしい。
晴天、雷雨、晴天。今日の空模様のようにコロっと変わるその国民性が、北の国の人々には理解できず、信用ならない。実はノーザンハザードを起こしたのも、南の国の気まぐれだったのではないだろうか? そんな噂も無いわけではない。
「西の国の代表選びはベックスに任せたのよ。そしたら、西の国の代表メルフィも、すごく可愛いでしょ。ちっちゃくて、マスコットみたい。ベックスとメルフィはもともと…」
「ふざけんな! あんなアカメ。ちっちゃくて、マスコットみたい? それでも、あいつは立派な悪魔なんだ。西の国の奴らは、みんな傲慢で、凶暴で、残忍で、血も涙もない奴らなんだ!」
リオルが紡ぎ出すあまりの憎悪に、エリザは言葉を失った。
北の国と西の国の血塗られた歴史については、エリザも知っていた。北の国と西の国の絶え間ない戦争は、いつの時代もヒューム大陸の抱える最大の問題だった。学校でちゃんと勉強して、そのことは知っていた。いや、知っていた気になっていた。それがここまで根深いものだとは、エリザは思いもしなかった。
「ノーザンハザードだって、西の国が起こしたに決まってる。アカメの奴らがルーインウェポンを使ったんだ。アカメの奴らが、オレの家族を、故郷を奪ったんだ!」
リオルは我を忘れて立ち上がり、全身でその怒りをあらわにした。
こうなってしまったら、もう、どうすることもできない。アイリスはそのことをよく知っていた。心の傷を何度もエグって、ボロボロになるまで怒りと哀しみで自分を傷つけ続けるのだ。
「オレはノーザンハザードを起こした奴らを絶対に許さない。関わった奴らは皆殺しにしてやる」
憎しみに染まった銀色の瞳に、エリザは恐怖した。背筋が凍りつくような思いがした。
本当に平和な世界など実現できるのだろうか?
この世界は憎しみに満ちている。エリザは自分が戦うべき怪物の大きさに足がすくんだ。
こんな自分に理想の世界を夢見る資格などあるのだろうか?
誰よりも強い想いを胸にユートピア学園に入学したエリザだったが、その覚悟が揺らいだ。
それでも、溢れ出す不安や焦燥を必死に押し殺し、エリザはゆっくりと立ち上がる。
「町の人たちの仇、父さんの仇、母さんの仇。そして、テレサの仇は、絶対にオレが……」
エリザは耐え切れなくなって、リオルをそっと抱きしめた。歯を食いしばりながら怒りを紡ぐリオルの目には、涙が溢れていたからだ。
「わかったから、リオル……。もう、わかったから……。お願いだから、やり場のない憎しみで、これ以上自分を傷つけないで」
エリザはリオルの頭をそっと撫でながら、優しく抱きしめてリオルを宥めた。
リオルの憎しみは底知れない。抱きしめられたくらいで、怒りを収めるつもりなんてかった。リオルは必死に口を開いた。でも、何かがつっかえてそれ以上言葉が出てこなかった。
何だろう、この違和感は? でも、不思議と心地よい。
エリザに抱きしめられて落ち着きを取り戻すリオルの様子を、アイリスは静かに眺めていた。
今日あったばかりのエリザに、どうしてリオルがここまで心を許すのか?
北の国と友好的な東の国の出身の、とてもキレイな少女とはいえ……。
ルーインウェポンによる戦争孤児という辛い境遇をともに抱えているとはいえ……。
心に深い傷を負ったリオルが、自分以外の誰かに心を許すなんて考えられなかった。
でも、アイリスはようやく理解した。そして、深く嫉妬した。
「そういうことね……」
2人に聞こえないように小さく、寂しい声でアイリスは呟いた。
ずっと傍で支えてきたのに……。他に何も欲しがらず愛してきたのに……。
結局、リオルが求めるのは、幼馴染の自分ではなく、心の中に生き続ける姉の幻影だった。
そして、ようやく見つけた。それがエリザだ。
でも、きっとリオルはそのことを自覚していない。それでも、リオルの止まった時間は動き出す。アイリスは時空の果てに1人取り残されるような、虚無感にも等しい寂しさに襲われた。
Δ Υ Σ Τ Ó Π Ο Σ
翌日の午後3時。リオルたちを乗せた豪華客船は無事にリピー島へと到着した。
その歴史的第1歩に、もっと感慨深いものがあるかと思ったリオルたちだったが、実際はとてもあっさりしていた。出発時のような出迎えがあるわけでもなく、そこは写真で何度も見たような普通の砂浜。バックの海が紫色なので、美しさの欠片もない。
「確かに、意外にあっけない一歩だったわね。でも、この白い砂浜は、リオル達の故郷では見ることができないでしょ?」
リオルとアイリスは手を差し出し、エリザから一握りの白い砂を受け取った。エリザにそう言われたリオルは急に楽しくなってきて、無邪気な表情で砂を爽やかな風に乗せた。
「おおぉぉ!」
テンションの上がったリオルをアイリスは冷ややかな目で見た。
「どうしたんだよ、アイリス。昨日から、あんまり元気ないじゃんねぇか?」
「別に」
小さく呟きながら、アイリスはリオルの背中に思いっきり砂をぶつけた。
「もしかして、何か怒ってる?」
仕返しされるかと身構えていたアイリスだが、リオルが返したのは心配そうな視線だった。
「別に怒ってないわ」
爽やかな春の風に包まれ、アイリスは少し反省した。もう少し大人にならなければいけない。リオルに合わせて自分も子どものままだったら、いつまで経ってもリオルは振り向いてくれない。大人しいのと、大人なのは微妙に違う。リオルが好きなのは、きちんと叱って、優しく抱きしめてくれる大人な女性。もっと、エリザを見習わなきゃいけない。
「砂ってサラサラなんだな。見た目は似てても、雪とは全然違うんだな」
「私は雪に触ったことないわ。昨日、誰かさんの困った天術で見るには見たっ…。ひゃっ!」
リオルは銀色の目を光らせ、エリザの首筋に雪を乗せた。ひんやりする首筋に恐る恐る手を伸ばすと、エリザはまじまじと雪を見つめる。
「これが雪……。ひんやりして気持ちいいわね。今年の冬には、これが当たり一面に広がるのかぁ。楽しみだなぁ。そしたら、みんなで雪合戦しようね」
「雪合戦したって、氷属性のオレらに勝ち目はないぜ」
「天術使うのは反則よ。正々堂々勝負しましょう。ねっ、約束よ。みんなで雪合戦。アイリスも一緒にやるのよ」
エリザが楽しそうに微笑むと、アイリスは少し間を空けてから笑顔で頷いた。
「うん。私もやるわ。絶対に負けない」
それはアイリスなりの宣戦布告だった。エリザもにっこりと微笑み返す。
「そういえば、これってただの腕時計なのかな?」
リオルがリピー島に降りる前に渡された左手首の機械に視線を落とした、その時である。
ウーーウーーー! ウーーウーーー! ウーーウーーー!
突然の空襲警報が鳴り響いた。砂浜に集まったユートピア学園の生徒に動揺と緊張が走る。
空を見上げるが、空襲の気配はない。皆が状況を飲み込めずに顔を見合わせた。
その時、攻撃は予想外に下からやって来た。足元の砂浜が轟音を立てて爆発したのである。
緑、赤、黄、銀。ユートピア学園の生徒たちは咄嗟に目を光らせた。
風、炎、雷、氷。四色のバリアがそれぞれに生徒たちを包む。
不意をつかれて驚いたが、足元の爆発は大した威力ではなかった。
砂埃の舞う視界がゆっくりと晴れていく。すると、紫の海の向こうから、3隻の黒い小船が迫るのが見えた。小さい船だが、こちらに向かって銃弾を放ってくる。
緑、赤、黄、銀。ユートピア学園の生徒たちは再び目を光らせた。
風、炎、雷、氷。四色の攻撃が、飛んでくる銃弾を弾き飛ばし、小さな船を襲った。
天術による集中攻撃を浴びた3隻の黒い小船は、あっという間に毒の海に沈んだ。
さらなる敵襲がないか、皆が辺りを見回した。警戒しきった重苦しい緊張感が、まだ砂埃の舞う砂浜を包む。
「皆サン、ゴ入学オメデトウゴザイマス」
砂浜の真ん中に浮かぶ直径30cm程の球型ロボットが、機械の声で沈黙を切り裂いた。
「ヨウコソ、リピー島ヘ。ヨウコソ、四国立ユートピア学園ヘ。私ハ、皆サンノ学園生活ヲ案内スル、学園長ロボット、N2Yです」
淡々と喋るそのロボットに、皆、唖然とした。
「おい、何でロボットが学園長なんだよ! それに、さっきの攻撃は何なんだ!」
「オ答エシマショウ、リオルバート君。マズ、先程ノ攻撃ハ、アナタ達ノ能力ヲ図ルテストデシタ。ソノ結果ガ腕時計ニ表示サレテイマス」
リオルは慌てて左手首をチェックした。
『HU:2090 LU:2950』
「「「HU? LU?」」」
生徒たちからそんな疑問の声が聞こえてきた。
「今回計測サセテ頂イタノハ、皆サンノHU値トLU値。ドチラモ皆サンノ天術ノ力デス。HU値ハ攻撃力、LU値ハ防御力ト思ッテ頂ケレバトテモ理解シヤスイカト思イマス」
N2Yの言葉に、リオルはもう一度、自分の左手首の機械を見た。
『HU:2090 LU:2900』
「何だよ……。オレの攻撃力こんなに低いのかよ」
リオルは、防御力よりだいぶ低い自分の攻撃力に心底ガッカリした。
「イイエ、リオルバート君。アナタノHU値ハトテモ高イデス。全生徒中、二番目デス」
リオルはアイリスとエリザの数値を覗き込む。アイリスのHU値は1700、エリザのHU値は1600。確かに、2000を越えるリオルのHU値は高いのかもしれない。一番じゃないのはちょっと癪だが、それでもリオルはかなり嬉しくなった。
「天術ハ元々、防御特化ノ能力デス。LU値ガ、HU値の2倍前後アルノガ普通デス」
「つまり、私たち精霊の子の力は本来、誰かを守るための力、ということね」
「ソノ通リデス、エリザベール君。ナオ、HU値、LU値ハ常ニ一定デハアリマセン。時トトモニ変化シ、成長シマス。マタ、ソノ時ノ精神状態ノ影響モ強ク受ケマス」
生徒達は小さく頷いた。皆、それは経験でよく知っている。
「で、何で学園長がロボットなんだよ」
「ソレハ、皆サンニ思ウ存分、天術ヲ発揮シテ頂クタメデス。防御特化ノ天術デスカラ、精霊ノ子同士ガ本気デ戦ッテモ、何ラ問題ハアリマセン。デスガ、アナタ方ノ本気ニ、一般人ガ巻キ込マレルト、死ニ至ル危険ガ十分ニアリマス。モシ、アノ黒イ船ニ人ガ乗ッテイタラ、間違イナク死ンデイタデショウ」
確かに、足元からの咄嗟の爆撃も、一般人なら決して無事ではいられない。天術を使いこなす精霊の子だからこそ、無傷だったのだ。
「ソノ点、コノロボットN2Yハ、イクラ壊シテモ、替エガアリマス。四国立ユートピア学園ニハ、莫大ナ予算ガ確保サレテイルノデ、十機ヤ百機壊レタ所デ痛クモ痒クモアリマセン」
そう言った所で、リオルの両目が銀色に光った。
「リオルバート君! ダカラトイッテ、イタズラデ壊スノハ、ヤメテ下サイネ。一応、タダデハナイノデ」
天術を使うのをやめたリオルに、周囲から小さな笑いが起きた。
「ソレデハ皆サンニ納得シテ頂イタ所デ、早速チーム分ケニ移リタイト思イマス」
「「「チーム分け?」」」
砂浜でN2Yの話に聞き入っていた生徒たちがざわついた。
「春学期ハ、3人1組ノチームデ課題ニ取リ組ンデ頂キマス。AカラZノ全26チームデ、先ノテスト結果ヲモトニ決定致シマシタ。皆サンノ所属チームハ、今、腕時計ニ表示サレテイマス」
リオルが自分の左腕を確認すると、アルファベットが一文字だけ表示されていた。
『F』
「オレは、チームFだ」
「えっ、本当に? 私もFよ、リオル」
エリザがとても嬉しそうな声を上げた。リオルも嬉しかったが、恥ずかしいので小さく頷いてそっぽを向いた。
「アイリスは?」
「G……」
エリザの問いに、アイリスはしょんぼりした声で答えた。
「残念ね。アイリスも一緒のチームなら良かったのに」
ガッカリするアイリスの頭を、エリザは優しく撫でた。
「別のチームでも、私たちは仲間だからね。困ったことがあったらいつでも言ってね」
その言葉にアイリスはとても温かい気持ちになった。それと同時に、エリザには敵わないと痛感させられてしまう。
その後、自然と生徒達はチームメイトを探す流れになった。リオルたちは、3人で砂浜を歩き、チームFとGのメンバーを探す。ちょっとしたゲーム感覚で楽しいイベントだ。
「チームFのお人~。チームFのお人好し~」
その時、リオルは聞き覚えのある声に嫌な予感がした。そんな明るい声で、変な言語を喋るのは1人しかいない。
「ベックス~。私たちチームFよ~」
気づいたエリザが手を振ると、黄色い瞳の少女は電光石火で駆け寄ってきた。
「F? Fなの? 君たちFなの?」
ベックスはエリザの大きな胸を指差して、凝視した。
「そうよ。私も、リオルもチームFよ」
「おったまげーしょん! 君はクソガキ君だね。今、おじさん達に大人気のクソガキ君だね」
「うるせー。お前にクソガキって言われたくねぇよ。このクソ宇宙人!」
リオルはすぐに悪態をついて反発した。しかし、ベックスは笑顔でケロっとしている。
「まさか、最後の1人がベックスだったとはねぇ」
「へ? ボクはチームFじゃないよ。惜しい、ニアミスだよ」
「えっ、じゃぁ、誰がチームFなの?」
「発表します! チームF最後の1人は……。ダダダダダダダダダダダダ、ジャガポンタン! 西の国のメルフィだよ」
訳のわからない効果音とともに、ベックスは背中に隠れていた赤い瞳の少女を紹介した。メルフィは、昨日の聖杯の儀式で、西の国の代表をしていたポニーテールの小柄な少女である。
「わ~、メルフィ! 昨日はありがとうね。急に頼んでごめんね。メルフィで良かったよ」
ぬいぐるみでも抱きしめるように、エリザはメルフィに抱きついた。どうやら、相当なお気に入りらしい。もっとも、抱きつかれたメルフィはそれなりに鬱陶しそうだったが……。
「良かったね、メルフィ。チームメイトは優しいお姉さんと、クソガキ君だよ。スカートめくるめく明るい未来が待ちぼうけだよ」
「待ちぼうけじゃダメじゃない、ベックス」
笑顔で言うエリザは、最後のチームメイトにとても満足げだった。しかし、リオルは違う。
「ふざけんじゃねぇ! 何でオレが西の国のヤツと組まなきゃなんねぇんだよ!」
リオルの怒声が砂浜に響いた。全生徒の視線がリオルに集まる。特に、赤い瞳をした西の国出身の生徒の視線は、ハートの強いリオルですら思わず足がすくむほどだった。メルフィも、可愛らしい赤い瞳でリオルを睨みつけた。しかし、それで素直に謝るリオルではない。
「何だよ、アカメ! 言いたいことがあるなら……」
「いい加減にしなさい! リオル! リオルがそれ以上言うのなら、私だってリオルなんかと組まないわよ!」
ここまで怒られるとは思わなかった。リオルは口を尖らせたまましゅんとして黙った。
エリザも、リオルがここまでヘコむとは思っておらず、言い過ぎだったかと少し反省する。
リオル、エリザ、メルフィ。チームFは早くも怪しい雲行きである。
「あれれのれ! お嬢ちゃん、チームGじゃん! ボクとご一緒さんじゃん!」
重苦しい空気など気にも留めず、アイリスの左手首を覗き込んだベックスが陽気に叫んだ。
「あっ、もう1人はゼレクだよ。西の国からお越しにつけた、ゼレクだよ」
ベックスの指差す先を見たリオルとアイリスはドキリとした。
岩場に寄りかかる背の高いその男は、昨日の祭りで業者やリオルとトラブルを起こしたあの男だった。赤い瞳でアイリスの方を一瞥するなり、こちらに歩み寄る素振りすら見せない。
アイリス、ベックス、ゼレク。チームGも、一筋縄では行かない曲者揃いのようだ。
「ソレデハ、皆サン、無事ニ顔合ワセモ済ンダ所デ、春学期ノ課題ヲ発表致シマス」
紫の波、白い砂浜。リピー島の浜辺に響くN2Yの次の声を、皆が静かに待った。
「春学期ノ課題ハ、コノ島デノ、サバイバルゲームデス」
「「「サバイバルゲーム?」」」
物騒な響きのその言葉に、皆、顔をしかめた。
「天術ノ基礎能力ヲ底上ゲスルタメノ課題デス。ソレゾレノチームノ持チ点ハ1万点。他ノチームニ、天術ニヨル攻撃ヲ当テレバ、ダメージニ応ジタポイントガ加算サレマス。反対ニ、ダメージヲ受ケルト減点サレマス。詳シイ案内ハ今晩、チームゴトニ致シマス。10週後ニ、最モ高イ得点ヲ持ッテイタチームガ優勝デス。皆サン、優勝目指シテ、精一杯頑張ッテクダサイ」
こうして、それぞれの想いを胸に、ユートピア学園での学園生活が始まる。
「もう、一度言っておくけど、ケンカは絶対にダメよ」
穏やかな風が吹く森の中。チームごとの宿舎へ歩く途中、エリザは後ろを振り返った。
「チームFのFは、FriendのF。古代ユートピア語で、仲間っていう意味なんだから」
エリザは優しく微笑みながら、先頭を歩く。リオルとメルフィは、不機嫌に口を尖らせ、そっぽを向きながらもその後に続く。
東の国のエリザ、北の国のリオル、西の国のメルフィ。
春の優しい風に包まれ、チームFが歩き始めた。