もしも、職場で面倒をみられる事になったら(1)
「おはようございます。オクトちゃん、よく来ましたね」
アスタの仕事場にやって来た私は、10代ぐらいの若そうな青年に声をかけられた。
えっと、この人は――リストかと、IFの世界の私の記憶を探り名前と顔を確認する。私の時間でも話した事がないわけではないが、あまり関わりがない人だった。とりあえずこの時間軸では、常識人で私にとっては優しいお兄さん的な立場にいるようだ。
どうやらアスタの職場で私は邪険に扱われる事なく、片隅で勉強したり、1人遊んだり、皆のお茶を入れたりしていたらしい。混ぜモノが嫌われる原因である暴走を食い止められるだけの人材ばかりが集まっているからの対応だろう。
「おはようございます」
「おはよう」
そう挨拶をしてぺこりと頭を下げておく。
いつもお世話になっているのだし、礼儀正しくしておいた方が良いだろう。すると、アスタが偉いぞというかのように頭を撫ぜた。
子ども扱いされてるなとは思うが、まあいいかとされるがままになっておく。
「じゃあ、オクトちゃんは奥に行きましょうか」
こくりと頷き、私は手を繋いでいるアスタを見上げる。
「えっと」
いつもはアスタに何といっているのだろう。
アスタとの関係図が私の知っている世界と少し違って、何がこの世界に違和感がない返答なのかが分からない。
その為少しIF世界の私の記憶に触れて――固まった。えっ。マジで?
「オクト、どうかしたのか?」
アスタの心配そうな声に私は首を振る。ふりながら、とりあえず覚悟を決める。ここは私の世界ではないのだから、郷に入れば郷に従えだ。
「いい子にしてるから、アスタも頑張って」
そう言って笑顔を向ける。
「聞いたか、リスト。なんてうちの子は可愛い事を言うんだ。オクトは十分いい子だぞ」
「はいはい。分かりましたから、手を放して下さい」
わしわしと髪の毛を撫ぜられながら、満面の笑みを向けるアスタに、内心ビクリトする。しかしこの世界の人でない私とは違い職場の人は慣れたものらしく、軽くあしらっていた。
Ifの世界の私の記憶と、今朝からの行動を考えると、アスタはもしかしたら【頼られる】というのが好きなのかもしれない。幼いころの私はアスタにあまり頼るとかができなかったので、こんな風に喜ばせる事ができなかった。対等になりたい、頼りっぱなしになりたくないが強くて、我ながらなんて可愛げのない子供だろうと思う。
「オクト、大丈夫か?」
それほど顔に出したつもりはなかったが、少しだけ落ち込んでいるのに気が付かれたようだ。
「お前が何か無理をさせたのではないか?」
「……どこから湧いて出た。このロリコンッ!」
「私の名前はエンドでロリコンではない。そもそも、私は小さい子に動向するような性癖は持ち合わせていないが? お義父さん」
「お前にお義父さんと呼ばれる筋合いはないっ!!」
私達の後に部屋へ入ってきた、緑髪をした場違いなほどきれいな顔のエルフは無表情で淡々とアスタに語った。
「オクトちゃん、奥に行きましょうか」
バチバチと火花散る2人から引き離すように、リストは私の手を繋ぎ移動し始める。
「あのままあそこにいても、話は平行線のままですから」
「えっと……はい」
状況が分からずもう一度記憶をざっと確認すると、どうやらエンドとアスタは犬猿の仲というか、ライバルというか、悪友とというか――まあ、喧嘩するほど仲がいいような関係らしい。そしてアスタをからかう為か、エンドは将来大きくなった私と結婚したいと言っていて、あえてアスタを義父と呼び怒らせてるらしい。
エルフはかなりゆっくりな老化速度なので、確かに私が大人になったころでも、エンドはまだ今と大して変わらない姿をしているので結婚対象にはなりそうだ。
でも私は混ぜモノで、さらに性格的にも結婚に向いているとはとても思えないので、あのやり取りはとてつもなく無意味なものである。やっぱり、ただ単にアスタをじゃれ合いたいのだろう。
どうやらここでの私は奥に用意された会議室を勉強部屋にしているらしく、そこへ案内された。
案内途中に周りを見渡せば、各自に用意された机には、魔法陣を書いた紙などが山積みされていた。さらに実際に大きく描かれた魔法陣が床に描かれ、ロープが張ってある場所もある。
研究室と実験室は一応別れているみたいだけれど、結構やりたい放題になっているようだ。
剣などの武器も並んでいるので、軍事的な意味の研究が多いのだろう。
「この間言っていた本は机の上に置いておきましたよ。何かあったら声をかけて下さいね」
「すみません。ありがとうございます」
リストが出て行ったところで、私は会議室の椅子によじ登るように座り本を確認する。
本はどうやら絵本ではなく、魔術に関する書物のようだ。……あれ? 私って今何歳だ?
ふと置かれた本の内容が子供が読むものよりも難しい気がして確認をすると、現在7歳で、海賊に攫われた時から2年の歳月が流れているようだった。
しかし目の前に置かれている本は、少なくとも魔法学校に通って4年目ぐらいの内容に感じる。
……あれか。アスタに魔法を教えてもらっていた時も、スパルタ教育というか、学校で飛び級が出来るレベルの勉強をいつの間にかしていた。そんなアスタ並みの天才魔術師がこの職場にはうじゃうじゃいる。彼らを先生として教えてもらっていたら、そりゃ格段に勉強も進むだろう。というかそんな人達の手を煩わせるのが申し訳なくて、私もいつも以上に真面目に勉強しそうだ。
IFの私はもしかすると凄い英才教育を受けているのではと少し遠い目になる。このままいけば、この世界の私は薬剤師として山奥に引きこもるのではなく、この職場に就職するのではないかと思った。それぐらい、魔法に対しての勉強に熱が入っている。
もしかしたら、もう魔法が使えるのだろうかと記憶を確認すると、既に簡易的な魔法は実験室で練習をしてマスターしているようだ。本人が望んでというよりは、周りに流されるように、一流魔術師への道を歩んでいるらしい。
一応私7歳なんだけど。魔法馬鹿というのは、加減を知らないようだ。
そして、このIFの私も普通が分からないので、この勉強が普通、もしくは自分が遅れているかもしれないと焦っている。魔法学校の話が一切でない為に。
「うわー……」
どこへ向かうんだろう、この世界。なんとなく、私が歩んだ世界とは全く違う場所へたどり着きそうだ。
とはいえ、短い期間しか滞在しない私にはある意味無関係な事である。周りとの関係も良好ではあるようなので、気にする必要もないだろう。きっとなるようになるはずだ。
そう考えて私はリストが用意してくれた本を読み始める。
魔法の理論に関するこの本を読んだのは昔の事で、もうだいぶんと内容を忘れてしまっていた。学校を卒業してからは、異世界に関係する本や精霊魔法に関するもの、もしくは薬に関するものに偏っていた為にこの手の本はあまり読んでいない。たまにはちゃんと勉強をし直さないとなと反省しながら読み進める。
魔法と金属の関係性とか面白いなと新しい本を読み始めようとしたところで。ドアが開いた。
「……少し休憩しないか?」
「あ、はい」
顔を上げれば、エンドが立っていた。
エルフ族というと前世の記憶から耳が長く、綺麗で繊細なイメージが強いのだけど、彼は耳が長いという部分と冗談みたいに綺麗という所しか当てはまらないなと思う。アスタよりも少し長身で、ギリシャ彫刻の様にしっかりとした筋肉が付いた細マッチョのような気がする。
「あまり本ばかり読むと目が悪くなる」
「すみません」
確かに本ばかり読むと目が悪くなるとこの世界でも言われている。その割にアスタの目がいいのが不思議ではあるのだけど。
活字中毒度は私と変わらないと思う。
「いや。頑張るのは悪い事ではないんだが」
部屋の中に入って来て私の近くまで来たエンドは、少しだけ困ったかのように眉をひそめる。
子供なれしていないのだろうか? 周りに子供が居ないとか?
冗談で結婚話をするぐらいなので、結婚はしていないのだろう。
そもそもエルフ族はあまり町中に居ないので、エンドの存在は珍しい。エルフ族は魔力が高い種族だが、魔力が高い人が通う魔法学校ですら、とても少なかった。数が少ないというよりは、エルフ同士で固まって暮らすのが普通な為、学校にはあまり通わないと聞いた事がある。
エルフ族といえば、私の父親がそれに当たる。少し詳しく話を聞いてみたいなと思いエンドを見上げていると、突然ドンと壁を叩く音が聞こえた。
その音にビクッとして扉の方を見る。
「抜け駆けはなしと言っただろうが」
そこにはにっこりと笑っているが明らかに怒気を含んだ声を出すアスタがいた。