もしも、混融湖に落ちたならば(1)
「うわぁぁぁっ」
「えっ?」
叫び声と共に私は押し倒された。そしてのまま転がり、落ちる――。
何事?!
理解できないまま私はざぶんと言う音と共に沈んだ。たぶん水の中だと思う。
仰向けのまま落ちたので、キラキラと光る水面が見える。
ただすごく綺麗な水ではないのか、周りに何があるのか分からない。とても静かなのは水の中だからだろう。何だか光だけが入るそこが、神秘的な場所にも感じた。
……そういえば私は泳げただろうか?
ぼんやりと漂いながら、重大な事実に気が付く。これは別の世界に移動して早々に絶対絶命のピンチではないだろうか?
えっと、この世界の私が死んでしまった場合、私はどうなるのだろう。
……不味くない?
私は慌てて腕を動かしてみるが、浮上する気がしない。
おっと。この世界の水は浮かばないのだろうか。ここが海水だったら、何もしなくてもとりあえずは浮かぶはずなのに。淡水でも沈み続けるって、私は鉄か何かか。
どうする私。浮き輪も救命胴衣も、何もないんだけど。というか服を着て泳ぐとか、水泳ビギナーには難易度が高すぎだ。
刻々と死が近づいて気がして、軽いパニックを起こしかける。
とりあえず、落ちつけ、私。まだ何か方法があるはずだ。そう。魔法。
魔法で空気を自分の周りに集めよう。シャボン玉の様に私を覆ってしまえば、すぐには死なないはず。
ぐいっ。
生き残る為の方法を考えていると、体が引っ張られた。
何に引っ張られているか分からないまま、私は水流に流される。流されて、流されて――。
「かはっ。はぁはぁはぁ……」
気が付けば陸へ押し流され、水の外へ出る。足りない酸素を必死に求めながら、ぐったりと仰向けに倒れた。
空は凄く晴れ渡っていて、水難事故にあった事なんて無視した天気だ。
まあ天候だって、私が生きようが死のうが気にしないだろうけれど。なんとなく、忌々しい。
「何、一体」
何で溺れたのか。何で助かったのかわからないまま、私はただ呼吸を繰り返した。
しばらくの間動けないままぐったりしていたのだが、徐々に濡れた服や顔についた砂が気持ち悪くなってきてゆっくりと体を起こす。
ぽたぽたと髪から水が滴り落ちるのを感じながら、再び座ったまま動けずにじっとする。
それほど長い事溺れていたわけではないと思うけれど、体のけだるさは異常だ。まるで、精霊と一度に契約した直後のようだと思う。
しかし腕には精霊との契約はないので、混融湖の時間より前のようだ。その間に溺れた経験はなかったと思うが、何かのはずみで川か、海か、どこかに行って落ちたという世界なのだろう。
そういう事もあるだろうとは思うが、なんという絶妙なタイミングに移動するんだと文句を言いたい。
とりあえず、現状を把握しようと顔をあげて……私は固まった。
目の前に広がっているのは、海かと思うぐらい広い湖だ。ただし、湖のくせに波がある。
この世界に、そんなおかしな場所は一か所しかない。
「……混融湖?」
何故、混融湖の前に私はいるのだろう。いや、居るのは問題ない。問題なのは、私が混融湖の前でずぶぬれでいる事だ。これではまるで――。
「うっ……」
隣で声がして、私以外にもヒトがここにいたのだと気が付く。
はじかれたようにそちらを見て、私は茫然とする。
「エスト? ……コンユウ?」
私と同じようにびしょ濡れになって倒れている2人を見て、だんだん嫌な予感がしてくる。混融湖へこの2人と一緒にやって来たのは、私の時間軸ではあの事件の1回のみだ。
「オクト?」
先に目を開いたのは、エストだった。
しかしその瞳の色は、いつもの優しい森の色ではない。不思議な力を秘めたような紫色の瞳が、私に現実を突きつける。
「大丈夫?!」
意識がしっかりしたらしいエストが私の肩を強く掴んだ。
その様子から、エストは間違いなく、何が起こったのかを理解しているのだろう。
「うん。私は大丈夫だけど……」
色々大混乱はしているが、多分怪我などはないと思う。それよりも、今もまだ目を覚まさないコンユウの方が気になって私はそちらを見た。
私の視線に気が付いたエストが、いまだに倒れているコンユウに近づいた。
「コンユウ起きろ」
パシッ。
「え、エスト?!」
襟を掴んで乱暴に起こし、頬を叩いたエストを見て私は慌てた。いつも穏やかなエストが、怒っている。これはエスト大好きなコンユウにとって、かなり衝撃的な状況ではないだろうか?
というか、ショックで寝込むかもしれない。コンユウの友人は私と同様かなり少ないのだ。
「これぐらいして当然だよ。というか、何でオクトは怒っていないの?」
「いや。えっと……ちょっと混乱しているというか……。何があった?」
とりあえず私が状況が分かっていないのを、混融湖に落ちた所為という事にして、エストに尋ねた。するとエストはコンユウの襟をはなし、私の肩を掴む。
どさっと地面にコンユウが落とされたのを見て、いくら下が砂でも痛そうだなと思う。
「オクト。大丈夫? 頭とか打ってない?」
「えっと、頭を打つような事をしたの? 服も濡れてしまっているけれど」
首を傾けてエストの返事を待つが、エストは一向に喋らない。そして、突然頭を掻き毟った。
「何で話せないんだよっ!!」
……あっ。混融湖の呪い。
どうやら、どうしてこのような事態になったかは、過去の記憶の部分になる為、話す事ができないらしい。というか、なんてややこしいんだろう。共通の記憶を持っている同士なのだから、少し位融通を効かせればいいのに。
……あれ? だとしたら、コンユウも何もしゃべれないから、エストにちゃんと説明した上で謝罪ができないわけで。
うわぁ。なんて、面倒。
時の女神様。もう少し考慮して下さい。
そんな事を思うが、時の女神は既に鬼籍のヒト。文句を言う事はできないし、そもそも下手に混融湖で時間移動出来るなんて事が知れ渡れば悪用されかねない。この呪いがそれを防ぐ為の予防策だと考えれば、仕方がないとは思う。
でも混融湖の呪いというのは、解除不能なものなのだろうか?
私は地面に時属性の魔法陣を書きながら、何か方法はないだろうかと考える。これではにっちもさっきもいかない。軽く自分の記憶に触れれば、やはり直前にコンユウに混融湖へ連れ出された記憶があったので、私達が混融湖に落ちたのは、あの事件があった時間であることは間違いがない。
ただしアスタが刺されたという記憶が見当たらないので、どうやら私はコンユウに剣を向けられたところで、エストが突入し、もみくちゃになって3人仲良くドボンと落ちたのではないだろうか。
……何やってるんだろ。
「……ここは」
何かいい方法はないかなと、若干の現実逃避をしていると、エストではない声が聞こえて、ため息をついた。くっ。話がややこしくなりそうだからしばらく寝てくれていればいいのに。
そう思うが、もう一度気を失わせるわけにもいかない。
「コンユウっ!! 何で、あの時、あんな場所で、あんな事をしたんだっ!」
エストは目を覚ましたコンユウの胸倉をつかみ怒鳴る。
エストから一度も聞いた事もないような怒声が聞こえて、私はビクリとして魔法陣を書いていた手を止めた。
「仕方ないだろ。あの時はああしないと、あれがああなって――どうしようもなかったんだ」
「あれがああって何だよ?! あの時、コンユウがあんな事するなんて思うわけないだろ?! なんであんな事をしたんだよっ……馬鹿野郎」
エストがコンユウを殴りつける。
「……ああするしかなかったんだよ。あの人をああしたかったら――」
ああ、ああ、ああ、煩い。
凄くシリアスな話をしているはずなのに、混融湖の呪いの所為で、まるで言葉が出ない人同士の会話にしか聞こえない。
オイ、アレをとってくれ。
アレって何だい。
アレだよアレ。アレがないと、アレできないだろう――。
「認知症か」
「にんち?」
「しょう?」
どうして、そういう所だけ私の話を聞くんだ。
仲良く喧嘩を止めて私を見る2人を前にため息をついた。とにかく、この認知症会話状況を打開するには、混融湖の呪いを解くところから始めるしかなさそうだ。