もしも、王子と恋愛するならば(2)
結婚。
それは男女が配偶関係になるということであり、夫と妻という関係にするものである。時折結婚は、人生の墓場と揶揄される事もあり、幸せいっぱい夢いっぱいだけでは終わらないものだ。
ただそんな人生の墓場とまで言われるものは恋愛関係の延長線上にあったりするわけで――。
「……誰と?」
反射的にそうたずねてしまったのは、良くないとは分かっていても仕方がないと思う。だって、結婚なのだ。結婚なんて、私の人生には絶対ない単語だと思っていた。
というか、混ぜモノと結婚して、誰得なのかと聞きたい。
「……本当に寝ぼけられているだけですよね?」
「あっ。えっと」
不安げに言われて、私はどうしようか悩む。
トキワさんからは、移動先の時間に合わせろと言われている。私が精神だけ移動してしまっている事を伝えるのは、やはりよくない事だろうか
もっとも良くない以前に、理解してもらうのも苦労しそうだけれど。
「ああ。まだ往生際悪く、結婚しないとか言いたいんですか?」
「えっと。うん」
「混ぜモノが結婚してはいけない法律はないですし、公爵様なら誰からも文句を言わせませんから。私たちだって、何か言われたらオクト様をお守りしますよ」
勝手に私が不安がっていると解釈をしたラーナは、私を励ましながらモーニングティーを手渡してきた。そのお茶を飲みながら、私の結婚相手は公爵だという事を初めて知る。……って公爵って誰だ。
私の時間より未来の時間ならば、知り合いの誰かがその地位になった可能性はあるし、もしくは私がまったく知らない相手の可能性もある。
公爵といえば、貴族の中では一番偉い地位だ。
どういった人物がなる事が多いと授業で先生が言っていたかを必死に思い出そうと試みる。社会は苦手教科なのであまり覚えてはいないが――。
「オクト様はもっと堂々となさっていいと思います」
私が無言で考え事をしていたのを、どうやら思い悩んでいると勘違いしたようだ。再びラーナに励まされる。
どうやらこの世界の私は、結婚することに対して、不安を感じていると周りには思われているらしい。自分の性格を考えれば例え未来でもそうだろうなぁとは思う。
むしろ良く結婚に踏み込んだというものだ。
公爵という人物は、一体何を考えているのだろう。私と利害が一致したというのが、妥当な理由になりそうだけれど。
どうやってラーナから公爵についての情報を聞き出そうかと思っている時だった。
扉が再びノックされた。
「公爵様がお見えになりました」
ドアの向こうから男性の声が聞こえる。相手が公爵だとしたら、この声の持ち主はたぶん執事か何かだろう。
「オクト様」
ラーナに名前を呼ばれた。あ、そうか。この部屋の主人はラーナではなく私か。だから、私が答えなくてはいけない。
「どうぞ」
服が寝間着のままだったが、私は通すことにする。これから結婚する相手だというのだから、構わないだろう。
もしも私がだらしないせいで婚約破棄という事になっても、何となくこの世界の私も仕方ないで済ませる気がした。
開いた扉の先にいた人物を見て、私は目を大きく見開いた。
キャベツ色の長い髪と瞳。私が知っている彼より成長し、成人のような姿だが、それでも綺麗な顔立ちだ。
手にはステッキを持ち、貴族――いや、王族のような雰囲気がある。そもそも彼は王族なのだから、それは間違いないのだけれど、何となく私が知っている彼よりも威圧感というか色んなものが増した気がする。
「おはよう、オクトさん」
「……おはよう」
声も私の呼び方も、私が知っているカミュだ。
だから彼は私が知っているカミュよりも未来のカミュという事でいいだろう。……でもさっき、カミュの隣にいる男が、公爵がお見えになったと言っていなかっただろうか。
しかし扉の向こうには、カミュと執事しかいない。
「顔色が良くないね。あまり眠れなかったかい?」
「……いや。大丈夫」
顔色が悪いのは、たぶん私が凄く動揺しているからだ。
この流れだと、カミュが公爵様で、更に私の結婚相手という事になる。でもなんでそんな事になってしまったのだろう。
「無理はしなくていいよ。ラーナ、お茶のセットはそのままにして、2人きりにさせてくれないかな?」
「かしこまりました」
「えっ」
ラーナ、行ってしまうの?
流石に結婚相手となったカミュといきなり2人きりになるのは怖く、すがるようにラーナを見たが、ラーナは笑顔を返すだけだ。
くっ。違うんだって。
演技じゃなくて、本当に心の底から2人きりになるのが怖いんだって。
しかしそれを口に出すのは、この世界の私に迷惑をかけてしまう。
なので私はラーナが部屋の外へ出て行き、扉が閉まるのを見つめるしかできなかった。
ど、ど、ど、ど、どうする私。
結婚相手という事は、恋人同士という可能性もある。願うなら、ただの利害関係の一致による仮面夫婦というオチだけれど、こればかりは分からない。
「オクトさん」
「あ、はい」
ベッド脇までやって来たカミュが私の頬を顎に手をやりぐいっと自分の方へ顔を向けさせた。何をされるのか分からず、私は体を固くする。
……大丈夫だよね。うん。カミュだし。今は昼間だし。
大人の階段は上らないはずだと思うが……分からないことだらけで、不安で押しつぶされそうだ。
「今度は、何に巻き込まれたんだい?」
「……へ?」
カミュは深くため息をつき私の顔から手を放すと、椅子を持ってきて座った。足が悪いのか少し引きずっている。
えっと、巻き込まれた?
「君はオクトさんに間違いないけれど、僕が知っているオクトさんではないよね」
「なんで――」
まだ何も話していないのに、どうしてカミュがそれを知っているのだろう。
「何年オクトさんに片思いをして見てきたと思っているんだい? それぐらい分かるよ」
いや。知らないけれど。
カミュがどのタイミングで私を好きになったかなんて――えっ? 好きなの? 本当に?
利害の一致の方かなとわずかな希望をもって思っていた為、その発言にぎょっとする。しかも、片思いと来た。カミュには似合わないような気がする。
カミュは王子なのだから、大抵のものは簡単に手に入るはずだ。あれ? でも今は公爵なんだっけ?
「言わないと、僕のオクトさんだとみなして、いつも通りに振る舞うけれど」
「違う。私は、カミュの知っているオクトじゃない」
いつも通りってどんな風なのだろう。
何をされるのか分からないというのは恐怖だ。なので、私は慌ててカミュの質問に答えた。これにより時間にさざ波が起こって移動に手間がかかってしまう事になっても、自分自身を守るがまずは先決である。
「そこまで怖がらなくていいよ。君が【オクト】である事には間違いないのだから。怖い事はしないさ。それで、今度は何に巻き込まれたんだい?」
今度はという事は、この世界の私は色んな事に巻き込まれやすいのだろう。いや、それは私も同じかと、自分の人生を振り返って思う。
「実は私も良く分からない。ただトキワさんと一緒に元の時間に戻る為に、精神だけ移動していて、たぶんここは私の知っている世界より未来の時間ではあると思う」
この時間が未来であることは分かるが、それが私が過ごしていた時間の延長上にあるのか、既にどこかで分岐してしまった時間の延長上にあるのかまでは分からない。
「移動するタイミングと場所はトキワさんが決めているのかな?」
「そう」
「何か移動した先でしてはいけない事とかあるのかい? 例えば、移動している事を話してはいけないとか」
「話していけないとは言われていないけれど、今いる時間に合わせる様には言われている。過去に行ってしまった時は魔法を使えなかったから少し苦労した」
流石カミュと言おうか。
私が喋らなくても、お見通しのような質問をしてくる。元々カミュは神様と喋る機会が私よりも多いのだし、【時】の属性に関して何らかの知識が私よりあるのかもしれない。
「じゃあ、あまり君の話は聞かない方がいいのかな? でも、最後にこれだけは教えて欲しいんだけど。僕のオクトさんは今どうなっているんだい?」
「たぶん眠っている状態だと思う。私がいなくなれば目を覚まし、眠っていた間の時間は補正されるはず」
だから記憶喪失という状況にもなっていないと思う。もしも記憶喪失になってしまうなら、一番最初に移動した場所の私にはとても悪い事をしてしまった。かなり長い期間私が滞在してしまったのだから。
「そう。それならいいんだ」
カミュがホッとしたような笑みを浮かべて、私はその表情が凄く珍しいものの様に思う。カミュは基本笑顔でいるのだから、それほど珍しい表情ではないはずなのだけど……。
「えっと、カミュは私というか、この時間の私の事が好きなの?」
カミュが私と、この世界の私を切り離して考えてくれているみたいなので、私も質問がしやすい。
この質問にカミュは再び笑った。カミュの事を何とも思っていない私ですらドキリとするような、笑顔だ。
「好きというよりは、愛かな? この世界の誰よりも愛しているよ」
その言葉は、私の知らない男のものに聞こえた。