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「……とりあえず」
沈黙を破るように切り出した志郎を、弥彦と久美子がうろんな目で見る。志郎は眼鏡を上げ直して言葉を続けた。
「今分かることを集めよう」
「今分かること?」
久美子が聞き返す。
「そう。何でもいいから分かること」
「例えば、制服を着ている私達はたぶん学生……とか?」
「学生なら、こんな真っ暗になるまで家に帰らなければ、誰かが探していてくれているはずだな」
弥彦も思い付いたことを言ってみる。
「あなた達は同じデザインの制服だから、きっと同じ学校の生徒だよね。もし私もそうなら同じ学校から三人も失踪していて、きっとかなりの騒ぎになってる」
「真面目そうなお前ら二人なら家族もすぐに探してくれそうだな」
話しているうちに落ち着いたのか、三人の目は輝きを取り戻していた。
「あとは……。そういえば、今は何時だろう?」
全員が教室の時計を見る。時計は教室前方の壁、黒板の右上の方にあった。
「一時……二十五分? にしては短針の位置がおかしくない?」
短針はぴったり一時を差していた。長針は二十五分を示しているのだから、久美子の言う通り短針は一時と二時の間あたりを差していなければおかしい。
「あの時計、壊れているみたいだ」
「俺のもダメだな。変な位置で針が止まっている」
右腕に付けている腕時計の表面を、弥彦が指で叩いている。
「僕は時計を持ってないみたいだ」
「私もない。ポケットもからっぽみたい」
久美子が制服のポケットを探っている。志郎もポケットに手を突っ込み、すぐに首を横に振った。
「ん? 何だこれ?」
腕時計を見ていた弥彦が、急に腕まくりをした。
「1?」
腕時計よりも内側に、数字の1が直接腕に書かれていた。擦っても消えない。
それを見て、志郎と久美子も腕をまくる。志郎には2.久美子には3と書かれていた。
「何これ?」
「何かのナンバリングかな?」
他にも何かないか、各々自分の身体を調べたが、何も出てこなかった。
「数字じゃ何も分からないし、身元に繋がりそうな物は何もないか……」
志郎が肩を落とす。もしかしたら何かあるかもと期待していたようだ。
「あとは……」
弥彦が教室をぐるっと見回した。
「この教室の中を探してみるか」
「そうね。何か手がかりがあるかもしれないし」
三人は教室の中を探索し始めた。弥彦は教室前方、黒板周りや教卓の上の箱を調べ、志郎は全ての机の中を覗き込み、久美子は後方の黒板周りや掃除用具入れを調べた。
「何も入ってない」
掃除用具入れを開けて、久美子はため息を吐く。
「そっちは何か見つかった?」
調べ終えた久美子が弥彦の方へ行く。弥彦は教卓の上の箱の前で、久美子達に背中を向けて何かをしていた。それを、久美子がうしろから覗き込む。
「この箱に鍵が付いている」
弥彦の言う通り、箱には数字を回して合わせるタイプの錠前が付いていた。ダイヤルは三桁だ。
「適当に合わせてみたけどやっぱダメだな。開かねえや」
「どっかに数字が書いてあればいいんだけど、あるわけないよね」
久美子が箱の側面をキョロキョロと見て回るが、やはり数字は書いていない。
「あとは黒板の」
「うわっ」
志郎の上げた声に、二人は何ごとかと振り返る。志郎は教室の真ん中で、机から後退り、引きつった顔をしていた。志郎の視線の先には、本がある。机の上に広げて置いてあった。
「どうした?」
弥彦と久美子が志郎にゆっくりと近付く。志郎のおかしな態度を二人は訝しげに見た。
「そ、その本に……」
志郎は机の上の本を震えながら指差す。
「その本がどうかしたのか?」
「その本に僕達のことが書かれている」
「は?」
とんでもない手がかりだった。だが、それにしては志郎の態度がおかしい。志郎は手がかりになるその本を、嫌悪の表情で見ている。
「凄い! やっと自分が誰だか分かるのね!」
志郎のおかしさよりも、自分のことが分かる嬉しさの方が上回ったようで、久美子は本に飛び付いた。
「ちょっと待てよ。何で記憶がないのにそれが自分のことだと分かるんだ?」
弥彦は久美子と違い、すぐには本に近付かない。本よりもまず志郎に確認を取る。
「読めば分かるよ」
志郎はそれ以上、答えなかった。
「何これ……」
先に本を読んだ久美子は、口に手をやり絶句していた。本を久美子から受け取り、続けて弥彦も読む。そこには、確かに三人のことが書かれていた。
「何で書けんだよ……」
弥彦は思わず本から顔を引く。
三人の教室での行動。それがこの本に書かれている内容だった。
『三人は教室の中を探索し始めた。弥彦は教室前方、黒板周りや教卓の上の箱を調べ、志郎は全ての机の中を覗き込み、久美子は後方の黒板周りや掃除用具入れを調べた。』
本の文章はここで止まっている。それより後のページは全て真っ白だった。
「俺らが教室を調べ始めたところか……。弥彦に志郎に久美子。これが俺らの名前か……」
弥彦は持っていた本を机の上に放った。開き癖が付いているのか、机の上に載った途端、書かれている最後のページが勝手に開く。
三人とも本から目を逸らした。本に付いて話すでもなく、しばらく黙っていたが最初に志郎が動いた。まだ調べていなかった残りの机を調べ始める。弥彦と久美子も無言のまま本から離れ、教卓の箱のもとに戻った。




