表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/31

居酒屋

 そして、近くの居酒屋へ。


「よく来るんですか? ここ」

「いや、初めてだ。枝草くんの行きつけではなかったのか?」

「俺も初めてです。何でごく自然にこの店に二人で入ったんでしょうね」

「本当だな……」

 しばしの沈黙の後、二人とも吹き出した。


 何だか、当たり前のように二人でこの店に入ったのだ。

 二人とも初めての店だったのに。


「きっと何かいいことがあるんですよ。この店に」

「おお! 気の利いたことを言うね」


 そこへ店員がやってきた。

「いらっしゃい! あ、姉ちゃんの先輩さん?」

 白石さんのイケメン&シスコン弟くんだ。


「ああ、こんばんは」

 黒川さんが目で俺に『誰?』と。


「あ、彼、白石さんの弟さんです。この前駅前で白石さんと一緒にいる時出会ったんです」


「弟くん、この方は、姉ちゃんの直属上司の方だよ」

 そう言うと、弟くんが言った。

「黒川さんっすね? 姉ちゃんから聞いています。いやぁ、話には聞いていたけど、予想以上の超美人っスね! これじゃ、姉ちゃん負けちゃうかもなぁ!」


「弟くん? 何の話かな?」

「その『弟くん』ってのやめて下さいよ。俺、白石しらいし ゆきって言います。字が単位の千なんで、まともに名前読んでもらえたことないっスけど」


「じゃ、千くん、何の話かな?」

「またまたぁ~、枝草さんの彼女って黒川さんだったんだ。すげぇっスね」


「一緒に居酒屋に行ったら、カップルってか? ありえんだろ」


「違うんすか? 結構お似合いだと思ったんだけどな……」


「那由多の弟か。いい姉を持ったな。いかにも私が黒川だ。褒めて頂いて光栄だが、千くんは今、就業中だろ? そろそろオーダーさせてもらっていいかな」

 黒川さんはピシャリと言った。


「あ、すんません これメニューっス!」

 頭をかきながら千くんはメニューを出した。


 この社交性、何でも思ったことを口にするあたり、白石さんとは正反対だな……。


「私はとりあえずビール。枝草くんは?」

「俺も、それで」


 黒川さんが適当に料理を選んでくれて、オーダー完了。

 まもなくビールも運ばれ、乾杯した。


「あ……、そう言えば……」

 黒川さんが頭を抱えた。

 ものすごく面倒な用事を思い出したようだ。


「どうしました?」

「このパソコン、インターネットの設定とか、いろいろしなくちゃいけないことを思い出した……」


 苦手な人にとっては相当面倒な作業らしい。

「よかったら、俺、手伝いましょうか?」


 黒川さんの顔がパァッと明るくなった。

「頼めるか?」

「いいですよ」


「実は、カバンに前のパソコンが入っているんだ」

 そう言ってゴソゴソカバンの中を探し始めた。

 中から、真っ黒な小型ノートパソコンが出てきた。


「色気ないだろう?」

「あはは、確かに。ガチ完全なビジネスモデルですね」

居酒屋で電源を入れてみる。


 すると、千くんが延長コードを持ってやってきた。

「これ、使いますか? ノートパソコンのバッテリーってあんまり期待できないでしょ?」


 気が利くな、千くん。


 座敷端のコンセントに挿して、AC電源を繋いだ。

 何とか立ち上がる。

 しかし、恐ろしく重い。

 良くあるCドライブがパンパンで、Dドライブはほぼ空っぽ状態。


 ギガ単位の不要ファイルを発見。

 先にちょっとメンテナンス……。

 何度かフリーズしそうになりながらも何とかメンテ完了。

 少しまともに使える感じになった。


 各種プログラムのプロパティや設定を見て、必要事項を書き出す。


 この居酒屋にはWi-Fiが飛んでいるので、共有設定をしてデータ転送の準備。


 次に新しいパソコンに電源を入れ、さっき書き出した設定を移植。

 各種設定を完了させた。


「前のパソコンのデータは全部新しい方に移しますか?」

 黒川さんに聞いていた。

「そんなことができるか? 是非そうしてくれると助かる」

 本気でパソコン苦手なんだな……。道理でさっきの憂鬱な表情になるわけだ。


 とりあえず、何でもかんでもマイドキュメントに入れている感じだったので、それを丸ごと新しいパソコンに移す。

 メールもギガ単位で残っていたが、すべてエクスポート&インポートで移動。


 ついでにネットのブックマークやら、何やらとにかく移せそうなものは全部移した。


「大体できましたよ」

「おお! 素晴らしい! 本当に助かったよ。今日は好きなだけ食べて飲んでくれて構わないからな!」


 黒川さんが本当に嬉しそうにニコニコ笑っていた。

 その表情は、仕事中の凛としたものとは違って、とても可愛らしい女の子の笑顔だった。


 黒川さんにパソコンを渡すと、天板を閉じ、描かれている蝶と花をモチーフにした模様を手でなでて「これにしてよかった……」とつぶやいていた。


「黒川さんとそのパソコン、似合いますね」

 声をかけた。

「私に足りない可愛らしさと女らしさを補ってくれているだろう?」

 黒川さんは自虐的に笑った。

「いえ、そっくりですよ。上品な可愛らしさと、さりげない女らしさが」


 黒川さんの顔が一気に真っ赤に染まる。

「バカ! いきなり何を言っている? 本当に枝草くんは上手だな」

パソコンのディスプレイを開けて、潜り込んでしまった。


 あれ? 思ったとおりに言っただけなんだけどな。


 古いパソコンを閉じるために開いているアプリケーションを閉じていく。


「あと、移すデータはありますか?」

 と尋ねる。

「恐らく大丈夫だと思う。メールも、ブラウザのブックマークも、仕事のファイルも全部入っているようだし」


「家では無線で繋いでいたのですか?」

「いや、ケーブルで繋いでいた。そうそう、次はそのケーブルをどこにさせばいいのか教えておいてくれ」


 俺が接続箇所を説明すると、筆箱から付箋を取り出して貼っていた。ダックスフンドの可愛い付箋だ。

 職場のでイメージからは想像できなかったが、さっきの笑顔を見たからか、それほど驚きもしなかった。


「初めてこの付箋を使う日が来たよ」

 黒川さんは恥ずかしそうに笑った。


「可愛いじゃないですか」

「そう思って買ったんだけどな、職場ではガラでもないかなって使うのを控えていたんだよ」


「使わないと、付箋がかわいそうですよ」

「そうだな……、私もずっとそう思っていた。だから今日使えて本当によかった」


 ふと、気が付いたが、この店に来てパソコンばかりしていたので、飲み物しか飲んでいない。


 ここに来て、めちゃくちゃお腹が空いていることに気が付いた。


「黒川さん、俺腹減ってきたんで、がっつり食っていいですか?」

「勿論OKだ。私も食べるとするか」


 二人でメニューを眺める。

 どうも和食が中心の店のようだ。


 どれにしようか迷っていると、背後から声がした。


「いいッスか?」

 千が来た。

「これ、食ってもらっていいッスか?」

 何やら鶏肉の料理だが、小鉢にきれいに盛りつけられている。


「何? これ?」

 俺が聞くと、千は、最高の笑顔を見せた。

「俺が作ったッス、さっきの失礼のお詫びです」


「別にいいよ、そんなこと気にしなくても……」


「いや、大将に姉ちゃんの会社の上司二人が来ているって話したら、『何かお前の自慢料理を振る舞え』って」


「千くん、料理できるんだ?」

 と黒川さん。

「ちょっと本気で修行してるッス」

 自分の胸をどんと叩いて千が返す。


「それは楽しみだな、じゃあ遠慮なく頂くとしよう」


 そして料理を一口……。


「これは……」

「ほう……」


 本人の軽いノリとは裏腹に、めちゃくちゃレベルが高い。

 かなり本格的な日本料理だと思うが……。


「ここの大将、前は有名料亭の板長してたんですよ。俺、初めてこの店に来たとき、ここの味に惚れ込んで、その場でアルバイトに雇ってくれって頼み込んで……」


 ……どうりで。


「他、何が得意なの? 千くんだっけ? 自信のある料理を三つ四つ持ってきてくれる? 何でもいいから」

 黒川さんは千に言った。


「了解ッス! 白石 千、今までの修行の成果を全てぶつけた料理作ってきます!」


 そう言って、厨房へ戻った。

 しばらくして出てきた料理は、どれもレベルが高く、大学生が作ったものとは思えないものだった。


「本当においしいな、千くんの料理」

「はい、正直俺もびっくりしています」


 奥から大将がやってきた。

 結構年輩の人だと勝手に思いこんでいたが、五〇代前半だろうか、背筋がピンと伸びていて、実に若々しい。


「すみませんねぇ、実験台になって頂いて……」


「いえ、とてもおいしいですよ」

「ええ、私もそう思います」


 大将は近くに千がいないことを確認して言った。

「そうなんですよ、あいつ、あんなノリなんですが、腕は確かなんですよ。味の記憶も確かだし、何より素直に人の言うことを聞くから、どんどんうまくなっていくんです。人が伸びるために一番大切なものを持っていやがる、まだ若いのに」


「一番大切なもの?」

 思わず聞き返してしまった。


「そうです。この世界で四〇年も仕事してますとね、伸びるやつとそうでない奴がわかるようになってきましてね。元々の素質なんてそれほど大きくねぇ、大切なのは『素直さ』なんだって思いますよ。あいつは絶対に俺の言ったことに逆らわねぇ。それでいていつも明るく前向きに取り組みやがる。なかなかいねぇんですよ、実際は」


 俺は黒川さんと顔を見合わせて頷いた。

 大将さんの話も十分納得できたが、料理の味がその説得力をさらに強いものにした。


「この店に来た理由がわかった気がするな」

「そうですね、いいことありましたね」


 店を出て、駅前。

「今日は本当に助かったし、楽しかったよ。ありがとう。枝草くん」

 にっこり微笑む黒川さん。


「こちらこそ、買い物付き合っただけで、食事までご馳走になっちゃって。でも、おいしいもの食べれたし、言い話聞けたし、千の意外な一面も見れて、本当に充実した一日でした」


「じゃ、また明日!」

 手を振る黒川さん。

「失礼します!」

 その場でお辞儀した。


 俺は、黒川さんと違う路線に乗るので、ここから少し歩かなくてはいけない。


 急に雨が降り出した。

 まあ、こんな時期だしとカバンから折りたたみ傘を取り出した。

 駅の売店で購入したものだが、折り畳むと非常にコンパクトで軽い。

 半年も使うと、壊れてくるが歴代この傘を愛用していて、こいつはもう何代目かわからないくらい。


 駅に向かう途中、頭にハンカチを乗せて小走りの女性が追い抜いて行った。

 不運なことに、信号に引っかかってしまい、結局俺が追いつく形に。

「入るか?」

 横から傘に入れてやる。

「あ、すみません、ありがとうございます」

「急に降り出しましたね……」


「天気予報では、一時雨って言ってたので、夕方は大丈夫だと思ったのですが……」


 マジか? この女……。

 ……撃墜!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ