それから……
「那由多おばちゃん! 大変だよ!」
若葉ちゃんがキッチンに飛び込んできた。
「どうしたの?」
優しく訪ねる那由多。
「正くんと載ちゃんがくしゃみしたら、一緒に鼻から……」
必死で説明する若葉ちゃん。いや、俺その状況知っているぞ……。
「パスタが出てきたのか?」
俺は聞いた。
「どうしてわかるの? それよりどうしたらいいの?」
若葉ちゃんは慌てふためいている。
「泣いてる?」
俺は聞いた。
「ううん、二人でお互いの顔を見て笑っている」
若葉ちゃんは答えた。
「じゃ、その内全部出るよ……」
那由多は一足先にリビングに戻っている。俺もリビングへ。そこには何かをモグモグしている黒川さんが。
「だから大丈夫だと言ったのに……」
黒川さんは言った。
「だってぇ~。びっくりしたんだもん!」
若葉ちゃんはふくれている。
「若葉も同じことをしたんだろ? 見たかったな……」
笑いながら隣にいる蛍谷さんが言った。
「あの時は二時間ばかり遅かったからな……」
黒川さんは言った。
その時、外から車のエンジン音が……。
「着いたようだな……」
黒川さんは言った。
「おまたせ~」
玄関から声がした。
「なっちゃ~~ん! おかえりぃ~!」
そう言って、龍ちゃんは那由多に飛びついた。那由多もキャッキャ言って喜んでいる。その後ろから大量の荷物を持った青井さんが。
「紫音、少しくらい手伝ってくれ……」
青井さん、まともに前も見れない状況だ。
「あ、俺持ちますよ」
俺は言った。
「すまん、挙式の段取りに手間取って、ちょっと遅れた……。紫音に任せると全部『何でもいい!』だからな……」
「あはは、龍ちゃんらしいや……」
この二人の挙式は来月だ。もう一ヶ月もないというのに、龍ちゃんは相変わらず仕事一筋で、段取りは全部青井さんがしているらしい。今から完全に尻に敷かれているな……。青井さん、今じゃ、支社長なのに……。
「千なんだけど、新規オープン前なんで、今日はちょっと無理っぽい。でも、どうにか時間見つけて抜け出してくるって言ってた」
龍ちゃんが言った。大したものだ、千。
瑠音さんに認められた千は、金龍菜館からの出資で、和食&中華の創作料理屋の店を出すことになった。
青井さん達の結婚式の二次会も『創作料理 千』で行われるらしい……。龍ちゃん曰く、『どうせなら、お金は身内に落としておかなくっちゃ』とのこと。
でも、青井さんに聞いたけど、本当は万歳お晩菜を候補に挙げていたらしい。でも、大将が『是非餞別代わりに千の店を使ってやって欲しい』と頼んだとか。相変わらずの親ばか大将だ。
ちなみに式も披露宴も金龍菜館貸し切りでやるらしい。他に挙式で必要なものは、全てケータリングサービスを使うとか。
会場費がかからない分、料理に力が入れることができると喜んでいた。根っからの料理人だな……。
そう言えば、もう一つ目玉があって、特別に紅音さんも料理を作ってくれるとのこと。あの人の料理は料理でまたうまいんだよなぁ。
龍ちゃんは、若葉ちゃんと遊び始めた。子供の扱いがめちゃくちゃうまい。末っ子なのに。きっといいお母さんになるんだろうな……。
「赤池と緑川は、出張で今日は来れないって言ってた。『くれぐれもよろしく』って言ってた」
青井さんはネクタイを緩めながらそう言うと……、はい、あのポーズ。支社長!ウザいっす。
赤池さんは、今やシステム管理部部長。赤池さんに変わってから我が社にIT革命が起こったらしい。ちなみに緑川さんは営業部部長。みんな凄くエライさんになった。
ようやく正と載は、ナポリタンを食べ終わったようだ。いつも不思議なのは、皿に乗っているパスタから、二人の口までの距離は十センチにも満たない。なのに、いつも食べ終わったら、頭から足までケチャップまみれになっている。 その方が難しい気がするんだが……。しかも、さすが双子というべきか、汚れている場所がほとんど同じだ……。
那由多が二人の顔をタオルで拭いて、着替えをさせている……。俺もちょっと手伝うか……。
「あ、大丈夫です。ありがとうございます……」
いつまで経っても那由多の敬語は直らない。結婚して三年になるのに……。
「それにしても、こうやって久しぶりに会うと、那由多とのあの日を思い出すな……」
黒川さんが感慨深げに言った。すると、那由多が黒川さんに深くお辞儀をして言った。
「本当にあの時はありがとうございました。黒川先輩の『後のことは何とかしてやる! さっさと行かないと私みたいに後悔するぞ!』って……」
那由多は言った。
「那由多! 全部言わなくても……!」
慌てて黒川さんが遮る。それを聞いた蛍谷さん、満面の笑みを浮かべて黒川さんの顔を見ている。小さな声で『後悔?』って囁きながら……。
「バカッ! 私を見るのは禁止だ!」
真っ赤になった黒川さん。もはやその言葉も思ったより威力を発揮せず、蛍谷さんに大人しく頭を撫でられている。勿論、蛍谷さんは天井を見ながらだけど……。その辺は律儀に禁止令を守っているのね。
黒川さんは『ううぅ~』と唸っている。力ない声だけど……。
蛍谷さんの撫で撫での途中、黒川さんは何かを思い出したようで、蛍谷さんの手を振り払って言った。
「でも、私が言った瞬間に、『わかりました!』ってカバンの中から用意していた辞表を出したのは、那由多じゃないか!」
一同から、『おおおおおお……』という声が。いや、俺もその辺の経緯、全然知らなかったんだよな。蛍谷さんと空港へ行ったら、那由多が立っていて、有無を言わせない感じで『私も行きます。一緒に生きましょう』って……。あれが、『行きましょう』ではないことは、その後の蛍谷さんが言った言葉でわかったんだよな。『君たちのことは、葵から聞いている、これから一緒に生きていくんだな!』って言われて……あ、そうか! って。
「でも、最後まで迷っていたんです……。私の気持ちだけで突っ走っていいのかって……」
那由多は言った。
「葵は初めから那由多さんの気持ちを知っていたものな」
口を挟んだのは蛍谷さんだった。
「俺が、『向こうで彼に嫁でも探してやろうかな……』って言ったら、『それは絶対にダメだ!』って凄い剣幕だったし……。それが那由多さんだとわかったのは、空港だったんだけどね」
「那由多の初恋はエースパイロットの管理人だったからな……。私が教えたんだから、内容なんて全部知っているのに、毎日あのサイトの話題ばかりだったからな……」
黒川さんは言った。
「俺もあのサイト大好きですよ。途中偽サイトが出てきたりいろいろありましたね。今じゃ墨絵も営業に移って元気に明るくやっているみたいですよ……」
青井さんが話に入ってきた。
「そうそう……、でもあの頃はまだ本物が枝草くんのサイトだって誰も知らなかった時だな……」
黒川さんは言った。
「実は、あの時点で俺と赤池は知っていたんだよ……」
青井さんは言った。
「ええっ! そうだったんですか? あなたが教えたのですか?」
那由多が俺を見た。
「いや、昔、三人が俺んちで飲んだことあったじゃない、その時に青井さんにはバレた。自動ログインしていて。赤池さんは自分で調べたらしい。怖いからそれ以上何も聞いていないけど……」
俺は言った。
「その後、スーパー銭湯の食堂で私に教えてくれたんだったな……」
黒川さんは言った。
「もう、知りません!」
いきなり那由多が大声を出した。何だか凄い剣幕だ……一体、何があった?
「どうした? 那由多?」
俺は聞いた。
「あのサイトの管理人さんって、あなただったんですか!?」
「なぜ、那由多が知らない?」
黒川さんが驚いた様子で俺を見た。そこにいた全員がお互いを指さして『知ってた?』『うん、知ってた』『言った?』『いや、そう言えば言ってない』をゼスチャーだけでの繰り返し。あ、龍ちゃんは若葉ちゃんを振り回して遊んでいたけど……。
「すまん! 那由多! 隠すつもりはなかった。当然みんな知っていると思っていて……。サイトは日本を発つときに閉鎖したし、完全に記憶から飛んでいた……」
那由多の雰囲気から、正解が見つからない……。あまりのことに一同黙ってしまった。
「なっちゃん? 何怒っているの~?」
今まで若葉ちゃんと遊んでいた龍ちゃんが言った。
「別に怒ってはいませんが、何だか凄くショックで……。私だけ知らなかったみたいで……」
那由多はそう言った。
「あはは、京ちゃん、そういうところあるよね。私だって、店にフラッと現れて、『しばらく食べれないから今日は奮発して二千円!』とか言うのね。で、『しばらく? どうして?』って私が聞いて、その時に初めて京ちゃんの海外出張のことがわかったんだから……。しかも、日本を発つ前日だよ? 人をなんだと思っているのかって本気で頭に来たわよ!」
思い出しても腹立たしいことだったようで、眉間にしわを寄せ多表情で龍ちゃんは言った。
「で、なぜか俺が悪いことになって、散々八つ当たりされたんだよな……」
青井さんは言った。
「うん、あの時はゴメン。私もショックだったし……。でも、この人、私がどんなに理不尽な八つ当たりしても、ずっと『そうだね、ごめんね……』って……。その時にこの人には勝てないなぁって思って……で、今回の流れになったんだけどね」
龍ちゃんが少し照れくさそうにそう言うと、青井さんはいつものポーズ。以下省略……。
「いや、本当にすまなかった……」
俺はとにかく謝った。
「でも、良かったです。私はほんの一パーセントも他の人には惹かれていなかったってことが証明されましたから……」
そう言って、那由多はちょっと赤くなった。機嫌は直ったようだ……。良かった。
「はいはい、ごちそうさん! あ、青さん、荷物開けようよ! おいしいものをたっぷり作ってきたからみんなで食べて!」
青井さんは、慌てて荷物を取りに行った。
「おお! 紫音さんの料理か! これは楽しみだな……」
黒川さんは言った。蛍谷さんが黒川さんに視線を向ける。
「間違いのないうまさだ。驚くぞ。初めてだったな……」
黒川さんは蛍谷さんに言った。
その時、玄関のチャイムがなった。
「チーッス! 飯持ってきましたぁ~」
千だな……。那由多が玄関に向かう。そして、山盛りの荷物を持って、入ってきた。
「枝草さん! 久しぶりッス!」
相変わらずの人なつっこさだ。
「久しぶりだな、千。今度店出すんだって?」
俺は聞いた。
「あ、そうなんスよ。また姉ちゃんと来て下さいね~。あ、これ店のメニューから自信作を持ってきました。みなさんで食って下さい」
そう言って、テーブルに並べ始めた。さっきの龍ちゃんの料理も結構な量だったが、こちらも負けていない……。テーブルに乗り切らない……。
「あ、乗り切らないですね。車にキャンプ用の簡易テーブルがあるので、取ってきますね……、ってこっちの料理、本当に全部紫音さん? 特にこれとか……」
そう言って、一つの料理を指さした。
「やるな! 千! それは特別に紅音姉さんが作ってくれたの。一発で見破れるのか……」
龍ちゃんはさすがに驚いた様子だった。
「何年瑠音さんにいじめられていたと思ってんですか? ちなみに姉ちゃん、さっきまで怒っていたんだろ?」
那由多に向かってそう言った。周りはちょっと驚いた。
「何でわかるんだ?」
俺は聞いた。
「だって、何年姉ちゃんの弟やっていると思ってんですか?」
千は愉快そうに笑う。年数とかではなく、一度見たものを確実に覚える才能があるんだろうな……千は。だから教えた料理を再現できるのか……。実は一番すごいやつかもしれないな……。
まもなく、千がテーブルを持ち込み、三年ぶりの再会パーティーは始まった。残念ながら、千は紅音さんの料理だけ食べて、店に戻ったが……。
龍ちゃんの料理も千の料理も初めてだった蛍谷さんはえらい大騒ぎをしていたが、黒川さんがニコニコしながら聞いていたのが印象的だった。
龍ちゃんは食事もそこそこに、若葉ちゃんや正や載と楽しく遊んでいた。
「本当に幸せだな……」
俺は呟いた。俺の横で那由多が深くしっかりと頷いた……。
一人あぶれた青井さんが、寂しそうに俺に親指を立てていた。