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枝草の決断

 暖簾を下ろした万歳お晩菜は、逞しい。

 残されたお客さんは、誰一人帰る様子もなくお構いなしにカウンターから惣菜を取ってくるし、冷蔵庫からビールを出してくる。しかも、こまめにその都度自分達の伝票に正の字を付けて、楽しく飲んでる。

 大将と青井さんは、何だか昔話に花を咲かせて飲んでいる。俺の立ち入る隙間がすっかりなくなり、一人で考えごとをして飲んでいた。すると、暖簾を下ろしたはずの玄関がガラリと開いた。そして入ってきたのは、フワフワの栗色髪、透き通るような白い肌、パッチリとしていて、まん丸の少し茶色い瞳……。白石さんだった。

 少し走ってきたのか、息を切らしている……。店内をキョロキョロ見回して、俺に気が付いたようだ……。

「枝草さん……」

 そう言うと、白石さんは俺の座っている前に立った。

 白いファーの付いたコートの中から、チラリとのぞくピンクのセーター。足下はバックスキンのロングブーツ。店内なのに、まだ白い息を吐いている。

「あの……、私、来ました……。それから……、付いていっていいですか!」

 最後は目をつぶって叫んでいたけど……、なんのこと?

 ってかなんで今日、こんな大騒ぎになるの?

「白石さん、どうしたの?」

 思わす声をかけた。


「枝草さんが遠くに行っちゃうって……、私、よく分からないのですが……ものすごく不安な気持ちになってしまって……」

 白石さんが泣いている……。俺は慌てまくった。どうすりゃいい? 何て言えばいい? ってか行くかどうか、まだ決めていないんだけど……。


「そういうことなんだよ! 枝草のことはみんなが心から思っているんだってことだ!」

 今まで大将と飲んでいた青井さんが後ろから叫んだ! ってか青井さん、今日車……。


「さっさと決めてくれなきゃ、こっちは覚悟ってモンがいるんだよ!」

 青井さんはもう一度叫んだ。白石さんはまだ泣いている……。収集付くのか? これ。他の客は引いている……いや、みんな興味津々……、それはそれでなぜ?


「枝草の海外転勤の話は、俺も白石さんも知っているんだよ……」

 ちょっと冷静になって青井さんは言った。

「え? 何? 枝草くん、海外に行っちゃうの?」

 今度は大将が食いついた。その大将の顔を見て、さっきの青井さんの気持ちを一気に悟ってしまった。そう言えば、最初ちゃんと挨拶もできなかった俺を今まで育ててくれたのは、青井さんだ。


 基本、俺の部署の正式な社員は俺と青井さんの二人。配属当初は、『美しい女性に生まれ変わる魔法をどこかで覚えてこい!』とか無茶苦茶言われたけど、基本、ずっと変わらず優しく接してくれてきた。


 俺の部署は、商品の配送手配をするのが主な仕事。だから、回ってきた書類を確認して、業者と電話やメールでやりとりして、次の部署にまわすといったデスクワークが殆ど。

 基本、伝票やら発注書やらは、他の部署から持ってきてもらえるため、二人で十分回すことができる。

 仕事の内容が内容なので、出張することも、会議に出ることもない。時々、青井さんが会議に出て、俺に内容を落としてくれる流れだ。

 人付き合いが殆どないのは、個人的には気楽なのだが、下手をすると一日で、青井さん以外と話をしていない日があったりする。


 しかし、それは多少の差はあるものの、青井さんだって同じだ。だから、時々飲み会をセッティングして、俺をいつも必ず誘ってコミュニケーションの場を作ってくれていた。


 大将で言うところの千みたいな感じだな……確かに。本当にお世話になっているものな……、そう考えたら俺もなんか泣けて……、とその前に解決しなければいけない問題が……。横で立って泣いている白石さん……。


「白石さん?」

 俺は声をかけた。

「枝草さん……」

 白石さんはじっと俺の目を見ている。

 

「ちょっと一緒に出ようか……」

「はい……」

 そう言って、二人で店を出た。いやね、店中の人間が全員俺たち二人に身を乗り出して注目しているのね。話できる状態じゃない……。



「どっちがいい?」

 俺は、二つの缶を白石さんの目の前に並べた。白石さんはその二つの缶をチラリと見て、『クスッ』と笑った。


「どうして、そのチョイスなんですか……」

 一気にパァッって満面の笑顔になる白石さん。そんなおかしいか? コーンスープとおしるこのチョイス……。俺的には、自販機の『あったか~い』の中で、最も温かそうなものを選んだだけなんだが……。


「あ、泣きやんだのであれば、寒いしどこか店に入ろうか?」

 俺は聞いた。今、万歳お晩菜の近所の公園にいるが、なかなかの冷え込みようだ。

「いえ、ここでいいです。それで、枝草さんはどうされるのですか?」

 白石さんは言った。

「どうする、と言われても今日言われた話で、何から考えればいいのかもわからないよ……」

 俺は返した。


「そうですよね……」

 白石さんは呟いた。

「でも、仕事内容的には興味があるかな。青井さんに迷惑かけるのは心苦しいけど、さっきの大将の話が引き金になりかけているかも」

 俺は言った。

「店主さんのお話ですか?」

 白石は言った。

「そう、あの大将の千に対する気持ち、感動したな……」

 俺は言った。

「千? 千が何かしたのですか?」

 少し慌てる白石さん。

「あはは、何も悪いことはしていないよ。大将が千の為を思って、断腸の思いで金龍菜館へ修行に出したんだよ」

 俺は言った。

「そうなんですか……。私、全然知りませんでした……。だったら、あの店主さんに一度きちんとご挨拶とお礼をしなくては……」

 全く白石さんらしい発想だ。完全に保護者だな、千の。

「大将は、そう言うことは望まないと思うよ。千にとっていつでも帰ってくることができる場所としてあまり区切りを明確に付けたくないと思うんだ……。中学でも高校でも『卒業式』が終わったら、妙に中へ入りにくくなるあの感じかな……。ちょっと例は違うかもしれないけど……」

 俺の実感だ。

「そう言うものですか……」

 白石さんは呟いた。

「ま、『男同士の……』ってやつかもね」

 俺は言った。そうなのかどうかもわからないけど……。

「では、女の私には難しいですね……。でも、枝草さんの忠告を参考にして、今は何もしないことにします」

 白石さんはそう言って笑った。


「さて、店に戻りましょうか……」

 俺は言った。

「ええ、そうですね……。でも……」

 白石さんは呟いた。

「言わなくてもわかっていますよ……。俺だって今同じ状況で同じことを考えていると思いますから……」

 俺は言った。

「本当ですか……、さっきから本当にもう……」

 白石さんは少しの苛立ちを見せた。

「「最後の一粒、出てきませんね~!」」


 全くもって頑固なコーンと小豆だ……。しばらく二人でコンコンやった……。


 店に戻ると、他のお客さんは帰っていた。恐らくお客さんたちがやったのだと思うが、食器は全て洗い場に運ばれ、テーブルは綺麗に拭かれていた。予想通り、大将はウトウトしていたが、店に戻った俺に軽く手を挙げて挨拶してくれた。が、その直後、寝た。青井さんはすっかり酔いつぶれた感じで寝ていた。周りには大量の徳利が……。この短時間がこれだけ飲んだのか……。そりゃ寝るわ……。しかし困ったな。俺もちょっと飲んでいるし、どうやって連れて帰ろうか……。

「困ったな……、俺もちょっと飲んでいるんだよな……」

 俺は呟いた。

「実は、私もこちらに向かうタクシーの中で生まれて初めて『わんかっぷ』というお酒を一気に……」

 白石さんは言った。なるほど、だからさっきのテンションだったのか……。どうしたものかと考えていると、店の玄関が開いた。

「どうも~! 赤緑代走サービスで~す!」

 やってきたのは赤池さんと緑川さんだった。

「青井からメールもらってさ……。今日ここに来るって……。こうなることは大体予想ついていたから迎えにだけ行こうって話になってさ……。さっきメールしたら、返信来ないから、そろそろかなって」

 赤池さんは笑っている。


「どうして……?」

 思わず聞いた。

「枝草、転勤の話が来ているんだろ?」

 そうだった……。赤池さんにはどんな情報も筒抜けだったんだ……。でも、それとこれとは……。

「ま、ちょっとブラコン気味だったしね」

 緑川さんがそう言った。そう言えば、前に千が言っていたな。青井さん、ここに来ると赤池さん達に俺の話ばっかりするって……。


「そろそろ青井も『子離れ』の時期なんだよ。気にせず行ってこいよ! 待っていてやるから……」

 赤池さんが言った。横で緑川さんも頷いている。白石さんは……、うわっ! 机に伏して寝ている……。今頃『わんかっぷ』の一気飲みが効いてきたのね……。


 白石さんから赤池さんと緑川さんに視線を戻すと、予定通り二人とも親指を立てていた……。だぁ~かぁ~らぁ~。


 そして、緑川さんは、躊躇なく寝ている青井さんのズボンの左ポケットに手を突っ込み、車のキーを取り出した。

「車は、『COMECOMEパーキング』か?」

 緑川さんは聞いた。そんな名前だったのか、あの駐車場……。日本語に直すとヤバいな……。クルクル……。

「あ、多分……そうです。そこの角の……」

 俺は答えた。

「じゃ、お先……」

 そう言って、赤池さんと緑川さんは青井さんを回収して帰っていった。


 店には俺と寝ている大将と白石さんの三人。もう一度じっくり考えるのには好都合な静けさだ。二人が起きるまで、本気で考えてみよう……。まだ、十一時だし……。

 隣では、白石さんが寝息を立てている。栗色のフワフワの髪が長いまつげにかかって、時々目をぎゅっとつむっている……。俺は、前髪を人差し指でなぞって目に当たらないようにした。

「この店に来たとき、頑張って告ってくれたんだよな? 俺の奢りだったらゴメン。でもありがとう。お酒で勢いまで付けて……。みんながどれだけ俺を大切に思ってくれているのか、本当に身に染みてわかった気がする。でも、だからこそ俺もまだまだ成長しなくちゃいけないってことにも気付いた。正直、今の楽しい生活から環境を変えることには勇気がいるけど、俺ももっとみんなの役に立ちたい。その為には、三年くらいのお別れで迷っていてはいられない。頑張ってくるよ。どこまでできるかわからないけど。みんな、本当にありがとう……」

 俺は千に連絡した。白石さんの回収を頼んだ。その頃には大将も目を覚ましていたので、事情を話して店を出た。

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