合同研修その1
合同研修会の前日まで、偽サイトの内容は改善されなかった。相変わらずの暴言と、配慮のない詳細は読んでいてムカムカする。ただ、俺の気持ちに反して、肯定するというか、増長させるような書き込みも多く、何だか悲しくなってしまう。
俺が、自分のサイトを復活させたことは、どこでどう繋がっているのか、以前サイトを見てくれていた人は帰ってきてくれた。全員が偽サイトに対して激しい嫌悪感を持っているようで、激しい偽サイトへのバッシングが大量に書き込まれていた。ただ、俺はそれを公開することはしなかった。何故ならそれを公開すれば、やっていることは偽サイトと同じになってしまう。バッシングの内容では、殆どの人が偽サイトへの警告を書き込んでいるとのこと。当然、偽サイトはそれを公開せず、自サイトに肯定的な意見だけを公開しているのだが。
『墨江 郁夫』
今年の新入社員だ。支店が違うので一度も会ったことはないが、明日の合同研修会で必ず偽サイトに関しての情報を聞き出してやる。
翌日。俺は合同研修の会場へ向かった。会場につくと既に三〇名以上の社員がロビーで談笑していた。同じ社章をしているので、俺の会社の人たちだとわかった。
受付で支店名と部署名を告げると名札と番号札を一つもらった。この番号札は席番号のようで、会場の入口に大きな紙が貼っている。それを見ると、俺は結構後ろの席で、隣は青井さんだった。
自分の席に荷物を置いて、その上に上着を畳んで置いた。研修開始までにはまだ時間がある。ちょっとロビーでコーヒーでも飲むことにする。
ロビーに出ると、大勢の若い社員に囲まれた黒川さんがいた。恐らく黒川さんの新任者研修を受けた人たちだ。みんな慕ってはいるが、支店が違うとこうやって顔を合わす機会がこの機会と年末の忘年会だけになってしまう。そういう意味では、会おうと思えば毎日チャンスがある俺は、幸せなんだろうな。一緒に飲みに行ったりもしているし。
自販機でコーヒーを買うと、もう一つの人だかりが……。
「あ、おはようございます!」
その人だかりの中から天使のようなウィスパーボイスが。白石さんだ。
白石さんはその人だかりから飛び出してきて、俺の側に来た。
その瞬間、『誰だ? こいつ? ひょっとして斬られることを恐れない侍か?』くらいの厳しい視線の集中砲火を浴びている。
「知らない人が……いっぱい……」
白石さんはそう言って、必死で俺に助けを求める視線を送ってくる。人だかりはざわめき立ち、俺への殺意にも似た攻撃的なオーラを発している。どうする? 俺?
「こんなところにいたのか!」
黒川さんが声をかけてくれた。
「よう! 枝草! おはようさん!」
あ、青井さんだ。
「枝草! 早かったな……」
赤池さんも……。
「あ、青井! おはようさん」
緑川さんまで。
この数秒間で俺の周辺のパワーバランスは微妙に化学変化をして、完全なアウェイから、一大組織へと上り詰めた。
総務の『魅惑のリバーシ』黒川さんと白石さん。営業のエース二人の赤池さんと緑川さん。青井さんも結構有名人。俺は、鉄壁の守りに囲まれていた。
人だかりはスゴスゴと解散した。俺は改めて凄い人たちに囲まれていたのだと再確認。
「那由多、隙があるんじゃないのか?」
黒川さんは白石さんに『メッ!』ってしている。
ショボンとする白石さんがまた可愛いことと言ったら。
「まあ、そう言うな。お前たち二人は目立っているから仕方ないんだよ……」
青井さんはフォローしていた。
その瞬間、ロビーの片隅で気味の悪い笑顔を浮かべている小太りの男を俺は見逃さなかった……。
その後、みんなでコーヒーを飲んで歓談した後、いよいよ研修が始まった。
研修と言っても、各支店、各部署が今年一年の業績を発表し、今後の改善策と抱負を順番に言っていくだけだが、その数がそこそこあるので、時間がかかる。正直他の部署のことなんて俺にはどうでもいいことではあるが、真面目に聞いているフリをするのも仕事の一つだと青井さんに教えられた。
一方、黒川さんや白石さんは、各発表に対して、細かく資料にメモを取っている。さすがだなぁと感心。まあ、部署的に把握する必要があるのかもしれないけど……。
とりあえず午前の部が終わって、昼休み。一斉に弁当が配られる。ホテルなのに弁当って……と思ったが、これがまたやたら旨い。弁当の上の紙に店の名前が書いている……。『金龍菜館』……。げ、これ瑠音さんの弁当だ……。ホテルのレストランすっ飛ばして、受注取ったんだ……。スゲェ!
「赤池がさ……」
青井さんが話しかけてきた。
「赤池さんがどうしたんですか?」
「この間、濃厚麺道に連れていったんだよ。そしたらあいつ、滅茶苦茶感動してたんだけど、紫音さんが『お兄ちゃんには負けるけどね』って話をしたんだよな……」
「はぁ……」
「そしたら、今度は『明日は金龍菜館に行く』って言い出して……。俺も一緒に次の日行ったら、もうメロメロになっちゃって……。今回は赤池が無理矢理ねじ込んだみたいだぜ。金龍菜館。多分、実行委員の連中、いろんなデータをネタに揺さぶりかけられているんだと思うけど……」
マジで怖いな……赤池さん。絶対に敵には回したくないタイプだな……。
「ちなみに夕食は、万歳お晩材だと睨んでいるのだが……」
青井さんは言った。
「連れていったんですか?」
俺は返した。
「いや、元々あの店は、赤池と緑川にに教えてもらったし」
そうだったのか……。それにしても自分の思い通りにしちゃうんだな。赤池さん。
俺は早々に食事を終え、周りの人の名札を見て回った。とにかく『墨江』の名前を見つけないと……。さっきちらりと見た気味の悪い笑みを浮かべた男が会場の隅っこの方で一人で飯を食っている。さりげなく近づき、名札をチェック……。ビンゴ! 墨江だ!
さて、どうする? とりあえず、墨江が弁当を食べ終わったタイミングで、俺は隣に座って話しかけた。
「弁当うまかったね」
墨江はちらりと俺を見て、俺の名札をチェックした。
「あ、どうも……。僕、墨江って言います。えっと……」
明らかにキョドっている、少々ウザいタイプだ。
「あ、俺枝草です。墨江くんは、今年入社であまり知っている人がいないのかな? こんなところで一人で……」
俺は聞いた。
「いえ……、何て言うか……こうやって全体を見渡せるところにいるようにしているんです……」
墨江はボソボソと元気の無い声で言った。
「どうして?」
聞いてみた。
「入社してからいつも『気づき』が足りないって叱られているので……。こうやって見渡していれば何かが見つかるのかなって……」
墨江は全く俺の目を見ようとせず、空になった弁当の箱を見ながらそう言った。
「『気づき』か……。大切なことだものな……」
俺は墨江の出方を待つことにした。
「でも、どうして先輩は、僕のことを知っているんですか?」
くそっ! 嫌なことに気づきやがった。気づけない奴じゃなかったのかよ!
「それは……、ほら、社内誌に『本年度新規採用者一覧』ってあったから……」
とっさにそう言い訳した。多分載っていたんだろう。見たこと無いけど……。
「今年は18名の新規採用者がいましたが、先輩は全員覚えているんですか? 凄いなぁ」
それほど感動している様子もなく、そう言った。
「すまん、失礼な話だが、君の場合は名前にインパクトがあったというか……。さっきも、あんな隅っこで一人……って思ったときに、墨江 郁男って奴がいたなぁって思い出して……声をかけてみたら、正に君だったって話で……」
とっさの言い訳にしては申し分ないだろう。
「ああ、そういうことですか。でも、僕の名前がそうだって気づかない人の方が多いんですよ。僕、存在感ないし……」
相変わらずボソボソと陰気臭い喋り方をしやがる。会社も何でこんな奴採用したんだよ……。
「そんなことはないと思うけどなぁ……」
まあ、そういうしかない……。
「でも、こうやって見渡して人の観察をしていると、結構面白いものなんです。それをブログに書くと、また反応があって……」
キタ! 向こうから飛び込んできてくれた。
「へぇ、ブログつけているのか。何て検索したら見つかる?」
聞いてみた。
「ああ、多分『エースパイロット』で見つかると思います……」
このまま『十二時四五分、現行犯で逮捕』でも良いのだが、とりあえず、その目的を探りたい……。俺は、その場でスマホを出して検索した。
「二つあるけど?」
検索する前から知っていたけど……。
「ああ、一つは僕がブログをつけ始めたきっかけになったサイト。新任者研修のときに、白石さんに教えてもらったんです。『ここには気づきがたくさんありますよ』って」
「見た目はそっくりだね」
ちょっとわざとらしくなったかも……。
「ええ、一応参考にはさせてもらいました……」
参考って……完全なパクリじゃないか!
「サイト名も?」
これ、重要ポイント。
「同じ名前のサイトなんていくらでもあると思うのですが……。相手が登録商標に登録でもしていたら問題あるでしょうけど……。ほら、『気まぐれ日記』とかで検索したら、いっぱい出てくるじゃないですか……」
くやしいが、一理ある……。
「アクセスもそこそこあるし、コメント見てもらったら分かると思いますが、評判も悪くありませんから、僕はこれからも続けようと思っています」
全く悪びれる様子はない。ここは一旦退却だな……。
「あ、もうこんな時間だ。じゃあまた……」
「あ、どうもです……」
そして俺は一旦ロビーへ出た。ロビーには青井さんと赤池さんが話をしていたので、そこへ行った。
「お疲れさまです」
俺がそう言い終わるや否や、二人は言った。
「どうだった?」
いや、そこまで心配してくれていたんだと感激しましたさ。単なる好奇心なのかもしれないけど……。
「それが……」
俺が話そうとすると、場内から一人の職員が出てきて、言った。
「みなさん! そろそろ午後の部が始まります。各自自分の席にご着席下さい!」
青井さんが言った。
「仕方ないな、この話は後でな」
赤池さんも俺に言った。
「そうだな、途中休憩の時に」
そして俺は会場へ戻った。途中休憩もアプローチする予定だったんだけどな……。