龍ちゃんの事情
「京ちゃんゴメンッ!」
事情はわからないが、とりあえず龍ちゃんは謝っている。
「いや、全然怒ってないよ。ただ、あまりに話が読めなかったから……」
俺としては、本当に事情が知りたいだけだ。龍ちゃんのことだし、余程の事情だったことは間違いない。
「うん、京ちゃんには事情を話しておくべきだった。まさか、お父さんの店に行くとは思っていなかったから……」
龍ちゃんは恐縮しまくりだ。
「実は、俺も青井さんに当日誘われて、行くことになったんだけどね」
龍ちゃんは、カウンターで食材の野菜を包丁で切りながら話し始めた。
「何から話せばいいのかな……。ん~、実はさ……、私には紅音姉さんの上にお兄ちゃんがいるんだ。瑠音兄さん……」
「うん……」
知らなかった。そう言えば紅音さんのことも知らなかった。結構何にも知らないんだな……。親しくしているつもりだったけど……。
「私達兄弟で、お父さんの味を再現できるのはお兄ちゃんだけなの」
龍ちゃんは言った。
俺は、今日食べた龍ちゃんの料理、昨日食べた金龍菜館の味、それから紅音さんオリジナル料理の味を頭の中で、思い浮かべた。
「確かに、龍ちゃんとか紅音さんの料理とは全然違う感じだったな……」
そう言った途端、龍ちゃんの表情が一変した。
「ええええっ!? お姉ちゃんの料理食べたの? ってか、お姉ちゃん、料理出したの?」
「ああ、頂いたけど……。すごくおいしかった」
龍ちゃんは目を見開いて驚いている。
「京ちゃん! それって大事件だよ! お姉ちゃん、家族以外には絶対料理作らないのに……」
どうも俺は、恐ろしくレアな逸品を食したようだ……。
龍ちゃんはよほど驚いたのか、その後も包丁を止めてブツブツ言っている……。
「龍ちゃん?」
声をかけてみた。俺の声にようやくハッと気がついて、龍ちゃんが言った。
「ああ、ゴメン。あんまりビックリしたもんで……。話の続きだよね……」
龍ちゃんは、ちょっと間を置いて、小さく頷いてから話始めた。
「随分前に家を出たっきり一度も帰ってきていないんだ」
「そうなんだ……。何かあったの?」
ちょっと重そうな話だな……。
「お父さんは元々、瑠音兄さんに店を継がせたかったみたいなんだよね。ところが、お父さんとお兄ちゃんは結構いろんなことで意見がぶつかっちゃうことが多くて……。」
似ているのからかもしれないな……。
「ある日、その意見の食い違いが元で、大喧嘩に発展してしまって……。挙句、喧嘩別れしたみたいな形でお兄ちゃんが出て行ってしまったの」
「はぁ……。なるほど」
「ちょっと前に、お父さん健康診断で引っかかっちゃって……。中華料理って、結構体力使うんだよね。で、お父さん今まで頑張り過ぎていたところがあったから、ここ一年くらいで一気にその影響が出だしてね」
中華料理に体力が必要なことは、日頃の龍ちゃんを見ていれば十分にわかる。仕入れ、仕込み、調理、接客、洗い物……。龍ちゃんの場合は、それを全部一人でやっている。
結局、千も、今は学生と言うことで、貸し切りパーティーの時くらいしか手伝わせてもらえないって嘆いているのを、青井さんに聞いた。青井さん、その後も万歳お晩菜には、ちょこちょこ行っているみたいだし。
龍ちゃんは話を続けた。
「そのことがあってから、お父さん、ちょっと弱気になっているんだ。それで、ちょっと前に私に金龍菜館を継がないかって話を持ってきたのね」
何となく話が見えてきたな……。
「私は、この仕事を続けることは全然嫌じゃないのよ。お客さんの喜ぶ顔を見るのは大好きだし。でもね、個人的にはお父さんの味は大好きだし、あれが『金龍菜館』の味だとも思っているの。だから出来ることなら瑠音兄さんに継いでもらいたいって思っているのね……」
確かに、あの味はあの味でなくなってしまっては勿体無い……。めちゃくちゃうまかったし。
「ちょっと前にさ……、京ちゃん来た日、覚えているかなぁ……。ヘロヘロで来た日……。奥の座敷で寝ちゃったっけ」
随分前の話だが、覚えている。俺が脱ぎ捨てた上着をきちんとハンガーにかけてくれていたのが印象に残っているしな。
「うん、覚えているよ」
「あの日の朝、お父さんに呼び出されたのね。で、具体的に話を進めたいからって……。お父さんの前で、お兄ちゃんの話をすると、すごく怒るからお兄ちゃんの話は全然できなくって……。それで咄嗟に断る口実を作っちゃったの……」
そのついでに何だか怪しい漢方薬みたいのをかっぱらってきたんだな……。たしかに元気になったけど……。ってか、あの日、俺と結婚して一緒に店をやろうって……、何だかちょっと繋がってきたな……。
「そうか、事情は分かった。で、今は、一体俺と龍ちゃんはどういう体になっているの?」
「お父さんには、私は結婚を考えている人がいるって言っているの。京ちゃんの名前も言った。で、その人はサラリーマンだから、結婚して子供ができたらこの店だって続けるかどうかわからないって話している。だから、金龍菜館を継ぐなんて、絶対に無理だって……」
龍ちゃんはそう言いながら、今まで振っていた中華鍋から中の物を器に移して、大きめのお盆に乗った料理のセットを渡した。
「はい、お待ちどう様」
今日はフカヒレあんかけチャーハンと餃子、そしてセロリの中華風スープ。
あいかわらずうまい! 人と話をしながら、どうしてこんなにおいしい料理が作れるのか不思議でたまらないが、それがプロ、いや、龍ちゃんなんだろう。とりあえず胃袋にガンガン詰め込んで、一段落がついたところで改めて龍ちゃんに聞いた。
龍ちゃんは洗い物をしていた。
「お兄さんとは?」
聞いてみた。龍ちゃんは軽くタオルで手を拭いてから、言った。
「それがね、私にだけは時々メールくれるんだよ。たまに会うこともあるんだよ。今いるところはちょっと離れているけど、何日の用事でこっちに来る時は必ず連絡してくれるから。昔っから私のことはすごく可愛がってくれるんだ。多分、結構歳が離れているからだと思うけど」
そう言って、龍ちゃんはちょっと微笑んだ。
「龍ちゃんの跡継ぎの話があることは、話したの?」
「言えないよ……」
「じゃあ、俺のことは?」
ついでに聞いてみた。
「それも言っていない。お兄ちゃんには、何にも言っていないかも。心配させたくないし……」
「じゃあ、さっきの体は、実家だけでいいんだな?」
俺が言うと、龍ちゃんはちょっと悪い顔をして言った。
「私は、体じゃなくって、現実でも全然構わないんだけどね」
あら、ちょっと元気出て、悪い癖が出てきたか……?
「はいはい、お気遣いありがとうね。俺も龍ちゃんみたいな人の相手役になれて、本当に光栄だよ」
俺は返した。
「あら、私、振られたのね? こう見えても……、あ、いらっしゃい!」
その直後に急に客足が増えて、店は一気に忙しくなった。今日はこれ以上話も出来そうにない。飯も食ったし、事情も分かったし、帰るとするか……。
「ごちそうさん、俺、帰るわ……」
そう言って立ち上がった。
龍ちゃんは慌てて駆け寄ってきて、また謝った。
「本当にゴメンね。今度何かで必ず埋め合わせはするから……」
「別にいいよ。気にしないで。また事情が変わったらその時は教えてね」
「了解! 次は必ず話すから。また懲りずに来てね」
龍ちゃんがようやく笑顔になった。良かった。
「部外者がアレなんだけど、次に来た時、何でお父さんとお兄さんが喧嘩になったか聞かせてね」
俺も、もうちょっと情報を入れておいたほうが良いと思ったので言ってみた。すると、龍ちゃんは直ぐに答えてくれた。
「ああ、『肉まんに、酢醤油を付けるかからしを付けるか』ってことで……。私はポン酢とか、ウスターソースなんかもおいしいって思っているんだけど……」
そんな重要な問題だったのか? 侮るなかれ、肉まん。
店を出てから、いろんなことを考えた。人それぞれいろんな事情があって、そんな中で頑張って生きているんだなぁって。そう言う意味でいうと、俺自身は気楽なもんだな、と。
スーパーヤスヤスの前を通りがかった。今日は濃厚麺道で食事をしたので、パス……、と思ったら、中から見たことのある男が……。
「あ、枝草さん! 久しぶりッス」
千だ。いつも明るくて元気なやつだな。
「おう、夕飯の材料か?」
スーパーヤスヤスの袋を両手に持っている。一人分にしては多いような気がするが……。
「結果的には夕飯になると思いますけど、練習用なんスよ。 この間、紫音さんに教わった皮むきの方法、神業過ぎて習得出来ないッス。あの人、マジ神ッスね」
千は、そう言って笑った。
「相変わらず千は頑張るやつだなぁ……」
思わず思ったとおりに口から出た。千は、ちょっと驚いたような顔をしたが、その後いつもの笑顔に戻り、言った。
「自分の好きなことですから。その代わり自分の嫌いなことは何にもしませんから。いっつも姉ちゃんに叱られるけど……」
みんな頑張っているなぁ……。俺もなんか始めようかな。といっても何を始めればいいか考えるところから始めることになりそうだけど……。俺の好きなことって一体何だろう……。そう考えると、唯一の趣味が『撃墜ブログ』ってちょっとさみしい気がしてきた……。やめようかな。ブログ……。
「ちなみに千、お前、肉まんに何つけて食べる?」
聞いてみた。
「肉まんスか? 俺、一口食べてから考えるッス」
そう来ますか……。
そして、そこで千と別れ、家に向かった。
その時、俺のスマホがブルルと震えた。着信だ。相手を見ると、青井さん。何だろう……。
『肉まんの件だが、俺と黒川の間でひとつの結論が出た。二人の論争も終わった……』
何だ? このメール。結論が書かれていないから、続きが気になって仕方がない。とりあえず返信しておこう。『結論は?』
俺が送信した数秒後に。返信が来た。内容はこうだ。
『そもそもの論点が間違っていたようだ。肉まんにつける調味料には色んな意見がある。ところが、それについてのアンケート結果を調べまくってわかったことがある。どのアンケートでも一位は何と……』
青井さん、そんな引き方して楽しいですか? もう、面倒だな……。もう一度返信。『一位なのは?』
すぐさま返信が来た。
『ジャカジャカジャカジャカジャカジャジャジャジャジャジャアアアアン……』
もういいって! このまま返信しないでやろうかな……、でもそれしたら明日拗ねているだろうな……。仕方がないので返信。『ゴクリ……』俺っていい後輩だと自分でも思う。
今度は少し時間が開いて、返信が来た。青井さん的にためているつもりだろう……。メールを見た。
『一位は、何も付けない! なのだ! ほとんどのアンケートで三十%から多いときは五十%の人が、肉まんには何も付けないと答えている。俺も黒川もそういう食べ方をしたことがなかったから、二人でコンビニ行って試してみたんだ。そうしたら、見事に意見が一致。肉まんは何も付けないのがうまい!』
ああ、良かったですね……。何よりですよ。
俺は、そのご返信はしなかった。