脳内撃墜やってます
体をアルファベットの『f』の形にして、ずらりと並ぶ駅のプラットフォーム。
今日も暑いな……。
まだ五月というのに今年は暑い。
ホームに並ぶサラリーマンはみんな上着を腕にかけている。
クールビズまで、あと数週間ある。
この時期が一番厳しい。
貨物電車が通過した後の、生ぬるい風が最高に不愉快な気分になる。
俺の隣に一人の女性がいる。
結構な美人だ。清楚な感じの和風美人といったところか。
長い黒髪は、きちんとまとめられ、服装も清潔感が溢れている。
その女性が片手で汗ばんだ自分の顔をパタパタ仰いでいた。
涼しいのか? それで……。
彼女は、カバンの中からタオルに巻かれたペットボトルを取り出した。
しばらくしても飲む様子がない……。
様子を見てみると、どうもキャップが固く閉まっているようで、なかなか開かない様子。
何度もチャレンジしているが、彼女の力ではどうにもならないらしい。
すると、いきなりペットボトルを激しく振りだした。
……いや、振っても無駄だろう。
自分の感情をストレートにぶつけすぎ! 物理的な根拠が皆無であるがゆえ、問題は解決しないだろう。
再びキャップを回している……。
ま、無理だわな……。
俺の予想通り、キャップは開かない。
彼女は、さらにペットボトルを振った。
だぁ~かぁ~らぁ~……。
しびれを切らした俺は声をかけてみた。
「ちょっとかしてみ」
「え? あ、はい」
カチッ、ま、男の力なら開くわな。ちょっと固かったけど。
「ほれ」
キャップをゆるめた状態で、彼女に返した。
「ありがとうございます」
よほどのどが渇いていたのか、彼女はペットボトルの水を半分以上一気に流し込んでいた。
……彼女と付き合ったら、苦労しそうだな。
今回の一連の事例から、想像ができてしまう。
まず、暑さを凌ぐための手団扇。
風が起こるわけがない。
それどころか、その労力によって少なからず体温は上昇してしまう。
逆効果とも言える。
それからペットボトルを振る行為。
それでフタが緩むわけがない。
炭酸飲料であれば、危険が伴う。
温かいものであれば、さらに内圧が高まり逆効果。
さらに朝一番のボトル半分以上の一気飲み。
目的地に着くまでに確実にボトルは空になるだろう。
この物理概念の乏しさと計画性のなさ、しいては感情に任せた突発的な行動。
彼女はない……。撃墜だ。
また脳内撃墜してしまった。『ウクライナの黒い悪魔』とでも呼んでくれ。
間もなく、電車がホームに滑り込んできた。
電車のドアが開くと、皆一斉に一瞬顔を上げるが、また『f』になり、携帯電話を凝視しながら電車に乗り込んでいく。
なにをそんなに必死でスマホを睨んでいるのか。
降りてくる乗客がお互いにゴンゴンぶつかり合っているが、決して顔を上げることなく乗降している。
どんな大事なことがスマホに表示されているのかしら。 とりあえず乗降中くらいは、前見ないか?
朝からぼやいてばかりいるそんな俺は、社会人三年目の普通のサラリーマン。
大学出て、何となく今の会社に入った。仕事は毎日ほぼ変わらない。繁忙期以外は結構楽な仕事かもしれない。
しばらく電車に揺られ、ようやく駅に到着。
ここから会社は歩いて数分。
間もなく会社に到着。
アパートからの所要時間、約三十分。近くはないが、遠くもない。
今のアパートのある町並みが気に入っているので、引っ越す予定はない。家賃も安いし。
ビルのエレベーターに乗って四階へ。
「おはようございます」
いつものように挨拶して部署に入室。
さて、準備して作業にかかるとするか……。
「ああ、枝草、来て早速で悪いが総務に行って、伝票もらってきてくれ」
上司の青井さんが言った。
俺の名は枝草 京。絶対に親が面白がってつけたに違いない。名字が10の18乗で名前が10の7乗って……。
なかなかそのことに気がつく人はいないけど。
総務へ向かった。
『会えるかな?』
エレベーターに乗り込み、六階のボタンを押す。
総務の『白石 那由多』はこの会社で知らない人がいないくらいの有名人だ。
容姿端麗、頭脳明晰、しかも性格も控えめでいて気遣いができるそうで、社内で悪い噂を聞いたことがない。
去年入社してきたが、新任者挨拶で社の男どもからどよめきにも似た歓声が上がったほどだ。
タイプ的には絶世の美女というよりは可愛い感じ。
天使のようなオーラを纏っており、彼女を中心とした半径五メートル圏内にはマイナスイオンが充満しているとか。
特定の男がいないとの情報を聞きつけて、今までに数知れない男性社員が彼女にアプローチしたらしいが、全員撃墜されたとのこと。
よって、ついたあだ名が『Angel shot down』。(青井さん情報)
まあ、それに対して、俺はというと人生において人から注目を浴びた記憶がない。
かといって『キモい』と言われたことはない。『いたの?』と言われたこともない。
友達もそれなりにいるので、『ぼっち』というわけでもない。
年齢=彼女いない歴というほど縁遠いわけでもないが、一年以上続いた試しはない。
人数も一桁前半、片手で足りる。
『平均的』と『中途半端』のコラボが熱い!
そのことを十二分に自覚している俺にとって、白石さんの存在は、無縁の世界の住人。
よって、遠くからその姿を眺めるにとどめている。
お陰で、白石さんとは、まだ一度も話をしたことがない。
総務に到着。
中には女性ばかり三名が仕事をしていた。
白石さんはいないようだ……。
「青井さんに言われて、伝票取りに来ました」
「はい、これ」
渡してくれたのは黒川さん。
この人も容姿端麗、頭脳明晰で有名だ。
白石さんとは全く逆のタイプで、クールビューティといったところか。
強烈なカリスマオーラを纏っている。
このオーラに恐れをなして、そうそう気安くアプローチする男性社員はいないが、過去の勇気ある特攻戦士たちは全て撃墜されたとのこと。
総務の黒川さんと白石さん。
俺の会社で『魅惑のリバーシ』といえば、この二人のことを指す。(これも青井さん情報)
ちなみに黒川さんは俺の二年先輩で、俺が入社したときの新人教育係をしていた関係で結構親しくさせてもらっている。
この人の新人研修での挨拶は強烈だった。
「諸君、社会人一年目のやつらは、社会人として一番大切なことを格好悪いと思っているし、一番格好悪いことを格好いいと思っている場合が多い。私はこの研修を通して、その辺を徹底的に叩き込むつもりだ。入社前にはあれだけこの会社を好きだと面接官に言っていた諸君が、入社した途端会社の悪口しか言わなくなる前にな!」
もはや、すべてお見通しの様子で、その迫力に、新入社員全員がゴクリと唾を飲み込んだ覚えがある。
研修での他の話も説得力があり、非常に勉強になった。
一言で言えば「男前」な先輩だ。女性には失礼な表現ではあるけれど。
部署に戻って青井さんに伝票を渡した。
「白石さんには会えたか?」
ややにやけた表情の青井さん。
「いえ、黒川さんしかいませんでしたよ」
「それは残念だったな。朝一番であのエンジェルスマイルを拝んだら、一日テンションが上がるかと思ったが」
どうも、青井さんの配慮で、俺のために美味しいおかずを残してくれていたようである。
「そんなの、別にいいですよ。気を使っていただかなくても」
「まあ、そう言うな。枝草だって機会があればお近づきになりたいだろ? そしてあわよくば……」
「あ、俺、そこまで夢見ない方なんで。省エネなリアリストってとこですかね」
言い換えると、『やや負け犬』てか? そこまでやさぐれているつもりもないけど。
「なんだそりゃ、わけわかんねぇ。まだ若いのに何ジジイみたいなこと言ってんだよ」
青井さんは『最近の若いもんは~』的説教口調で返した。
「冷静が俺のウリですから」
そんな他愛のない話がこの青井さんとはできる。
黒川さんの一年先輩なので、俺とは三つ離れているが、あまり年齢差を感じさせない兄貴のような存在だ。
その明るい性格から、青井さんは顔が広い。
しかも、背が高くて、まあまあのイケメン。
仕事は社内で高く評価されているらしい。(本人から聞いたので、真偽の程は不明)
「あ、そうだ。今週飲み会するからな。金曜の夜だ。来いよ」
この飲み会ってのは、時々、顔の広い青井さんがセッティングする。
それほど頻度は高くないが、いつも俺のタイミングとピッタリの時期に設定される。
メンバーは毎回少しずつ違うが、なぜか青井さんは、必ず俺をメンバーに入れてくれる。
一度黒川さんとご一緒させてもらったこともある。
青井さんと黒川さんは、男同士の友情で繋がっているような感じで、仲が良い。美男美女だし、お似合いだと思うが、そういう関係ではないらしい。
「了解っす」
青井さんのセッティングする飲み会は楽しみだ。
メンバーはいろいろだが、気分の悪い人が来た試しがない。
しかも、どこから情報を得るのか、毎回場所は違うが、確実に雰囲気も料理も価格も満足できる店を探してくる。
俺は、仕事に戻った。
仕事はいつも通りのデスクワーク。三年も続けていると殆ど無意識のうちにこなせてしまう。
ルーティーンワークは性に合っているのか、特に不満を感じたことはない。
ある程度たまっていた仕事が一段取りつくと、そろそろ昼休み。
今日は、コンビニでパンを買ってきた。
昨日の夜、突如無性に焼きそばパンが食いたくなってしまって、朝、思わずコンビニで買ってしまった。
最近はそのバリエーションも豊富になっていたので、焼きそばパンばかり四種類も買ってしまった。
青井さんに見つかったら弄られ放題になるだろうし、今日はこっそり一人で屋上で食べることにした。
俺は屋上のベンチに腰掛けた。
昼休みは基本みんなが五階の奥にある社員食堂へ行くか、自分のデスクでお弁当を食べている。
よって、昼休み開始直後の屋上には、殆ど誰もいない。
誰もいない屋上。ここで、気兼ねなく焼きそばパンを楽しむことにする。
とりあえずひとつ目……。
こいつは最後の店で見つけたカレー焼きそばタイプだ。
今日、一番期待している逸品だ。
早速パクつこうと思ったとき、背後から声がした。
「あ、あの……」
振り向いたら白石さんが一人で立っていた。
両手でハンカチを握りしめて、モジモジしている。
間近で見ると、本気で可愛い。確かにマイナスイオンを発している感じがする。
「俺?」
一応聞き返した。このくそ暑い中、酔狂にも屋上で飯食っているのは俺だけだから、間違いないとは思うが・・・・・・。『あなたの後ろに立っているの兵隊さんです』とか怖いオチは勘弁してね。
「枝草先輩ですよね?」
「そうだけど……」
「あの……、私、総務課の白石と申します……」
「うん、知っている。去年入社したんだよね?」
「ええ、まだまだ新米ですが、よろしくお願いします」
きちんとお辞儀をする白石さん。セミロングの髪がふわりと揺れる。
「こちらこそ。あ、その『先輩』ってのいらないから。部署も違うし」
「あ、はい。すみません・・・・・・」
口に手を当てて、慌てる白石さん。
謝られることでもないんだが・・・・・・。
それにしてもどうしたんだ? 撃墜天使が俺に何の用だ?
「あの……、今週末の飲み会ですが……」
「ああ、青井さんの?」
「ええ、あの……来られますか?」
「え?」
「あの……枝草さんはその飲み会に出席されますか?」
「……そのつもりだけど」
「わかりました。それだけ聞きたかったんです」
「はぁ……」
「それでは……失礼します!」
それだけ言って、彼女は走り去っていった。
何だ? 俺の出欠確認してどうする? 何かいい感じの展開か?
いや、待て。何かのサイトに書いてあったな……、『話しかけられただけで好意を持っていると勘違いする男はウザい』って。
気をつけよう……。俺の長所は「冷静」だしな。
ただ、明らかに動揺していたんだろうな。その後の焼きそばパンは四つとも同じ味がした。ってかどれも味がわからなかった。
ただ、連続して四つも食べるものでないことはわかった。多少味が変わっても、絶対に飽きる。量も多すぎた。
食べる前からわかっていたことではあるけれど……。