水の中のセカイ読み切り版
廻栖野兎
小動物系女の子。
日向網戸
メガネ男子。
街の明かりが消えた。
時刻は一時を少し過ぎたところだ。
俺はコンビニの袋から買ったばかりの肉まんを取り出して頬張った。
「ふぉっふ、ほぉいひい」
平和だ。
夜風の冷たさに吐いた息が白く染まるのを見てそう実感した。
『勇気出して〜 泣いたっていいさ〜』
軽快な音楽がポケットから流れ出してきた。
携帯電話を取り出し、通話ボタンを押す。
『もしもーし。廻栖野です』
「今どこ?」
『駅前通りです。日向くんは?』
「公園。今からそっち行くよ」
『途中で何か温かい食べ物を買ってきてください。寒いです』
「りょーかい」
携帯をポケットに戻し、食べかけの肉まんを一気に口に押し込むと公園に止めてある自転車に乗る。
「ここから駅前通りまで約10キロ……」
コンビニの袋を自転車に載せ、足をペダルに静かに乗せる。
「……三分だ」
その瞬間をもし見ている人がいたならこう証言したのかもしれない。
自転車が自動車顔負けの速度で車道を爆走していったと。
「速くッ! もっと速くッ! 誰よりも、光よりも速く────行ッけぇええぇ!」
自転車のゴムとアスファルトが擦れ、溶けたような匂いが漂ってくる。油を刺したばかりのチェーンは火花を散らしてでもいるのだろうか、そんなパチッバチッという音が断続的に炸裂した。
「ッ?!」
目の前には赤信号。
交差点でトラックが通過中だ。
止まれば確実に時間をロスするだろうし、コンビニで買ってきたコーヒーや肉まん、その他の温度が下がってしまう。
「こんなところで下がれるかぁああァ!」
身体を前に倒し重心を前に移動させる。
そのまま交差点に突っ込む。
「はぁ!?」
俺のことを見た他の運転手から変な声が漏れる。
ガギッ!
自転車の先端がトラックの側面に触れた瞬間、全力で身体を後ろに反らせる。
重心が移動した反動で自転車が跳ね上がり、前輪がトラックの側面に触れたのを確認し、一気に駆け上がる。
姿勢を元に戻し、次々と車を追い越していく。
『そこのバイク! 止まりなさい。繰り返す、止まりなさい!』
後ろからそんな声と、パトカーのサイレンのような甲高い音が鳴り響いた。
まさか、警察か!?
しかも自転車とバイクを間違えている。
いずれにしても捕まるのはマズイ。時間を大幅にロスする。
「いけるか?」
自問自答する。
アレを使えば警察を振り払い、早く駅前通りに着くことができる。
けれど、代償に自転車はスクラップになるだろう。
「…………行くか」
フーッと息を吸い、吐く。
『止まり……な…………さい……?』
ペダルを漕ぐ速さを十倍、二十倍に、三十倍と速くしていく。
周りの景色が引き伸ばされ、カラフルな線になる。音は無意味になり、俺と自転車は一心同体となって無限の一瞬を走り抜ける。
車があったらその上を乗り越え、曲がり角は黒っぽい煙を出して直角に曲がる。
「やはり?! 負荷が……!?」
自転車のネジや溶接部分がきしみ音を上げている。
もう二度と自転車として動くことは出来ないであろうほどの負荷、そしてところどころに刻まれる聖痕にも似た亀裂、破損。
駅前通りまであと二百メートル。
廻栖野兎の白いモコモコしたコートが見える。
「ッ?!」
彼女と俺を突然遮ったのはまたしてもトラックだった。
しかも大型の。
この速度なら止まることは出来ないし、側面を走り抜けることも出来ない。
「こんなところで終われるかァああぁァ!!」
レバーを思いっきり握り、前輪のブレーキを止める。
きィイイィィ!!
ゴムが完全に溶け、むき出しの金属がアスファルトと不協和音を奏でる。
しかし、加速は止まらない。
無論、止まるつもりもない。
前輪を軸にして自転車を強引に九十度に動かす。
トラックに並行になった一瞬の後、自転車を倒した。
キィギィイギィイイイ!!
鼓膜を破るような金属音と線香花火のような火花が視界を支配した。
トラックの真下、その隙間を針に糸を通すような正確さですり抜ける。
移動するトラックと移動する自転車の一瞬の交差。なにかひとつでもズレていたら死亡していたであろう瞬間に、勝った。
「ひ、日向くん?!」
黒焦げになった自転車から這い出すと、コンビニの袋から肉まんを取り出した。
そのとき自転車のことを聞きたそうな廻栖野対策に自転車を木陰に隠すのも忘れない。
「はい。注文の品」
「えっ? あ、ありがとう。けどね……」
「ん?」
「冷めちゃってる、かな」
「あ……」
「なあんて、冗談です。あったかいよ」
廻栖野が湯気のたつ肉まんにかぶりつく。
今日も平和だ。




