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一時限目終了より

  2 / 14 / 09:19 / Akira Natsume


『奴の席は教室のど真ん中だ。すぐに囲め』

『もし教室から逃げられたならば、奴は絶対に階段を下りる。二年生は西階段で待機し、奴が来次第、壁に追い詰めろ』

『一年生はすぐに上に来て二年生と合流しろ。そこで奴を討つ』

 アキラは机の陰でケータイを操り、部下に指示を出す。祐司とはクラスが違い、教室も三階の端同士と離れている。そのため、祐司攻略には部下との連携が不可欠だった。

 この時期、三年生は既に授業は無く、黒板には大きく自習と書かれている。教師も出席を取りに来るだけでいなくなり、いつもなら生徒達も一緒にどこかへサボりに出てしまう。

 しかし、今日は特別。

 バレンタインデーにおいては、やむ終えない理由が無い限り、イケメンでもゲイでも、本命チョコを貰ったわけでもない男子は授業中、教室で待機しなくてはならない。それを破った者には全女子による無視という報復が待っているからだ。

 こうして集った生徒達は、けして騒ぐことなく、戦いの起こる休み時間に備える。

 アキラは顔を上げ、黒板の上にかけられた時計を見る。

 一時間目の授業終了まで残り十秒を切った。携帯を閉じて、気を引き締めた。アキラだけではない、教室中の人間が空気を変えた。張り詰める緊張の糸。

 残り三秒、二秒、一秒……。

 チャイムが鳴るのと、皆が立ち上がるのは同時だった。

 頭を上げすらせず、アキラは駆け出す。しなやかな動きで机の間をすり抜け、風に乗るツバメのように身を翻して廊下に出た。

 アキラから遅れること僅か一秒で、全教室から廊下に人が溢れ始める。それらが進行方向を塞ぐ前に駆け抜け、目指すは祐司のクラス。

 アキラが到着する前にその教室の戸が開き、姿を現したのは、左手に鞄を提げた祐司一人だ。

「ちっ、教室では押さえられなかったか。だけど、奴は西階段を下りるはず。そうすれば」

 下の階に下りる階段は、廊下の両端に存在する。アキラのクラスの教室脇にある東階段と、祐司のクラスの教室脇にある西階段だ。既に東階段へ続く廊下にはアキラも含め、乙女隊が塞いでいるから、祐司に残された道は西階段のみ。そしてその先には、先程アキラが指示を出した下級生達が待ち構えている。朝の集団登校とは違い、敵が一人になった今、囲んでしまえばこちらの勝ちは揺るがない。

 アキラも包囲網に加わろうと、さらに身を低くして加速する。

「今年こそは、我々乙女隊の完全勝利だ」

 目前に迫る勝利に、アキラの頬が緩む。

 しかし次の瞬間、アキラの表情は驚愕へと変わる。

「どけえ!」

 なんと、祐司は自らアキラへと向かってきたのだ。

 不可解な行動にアキラは一瞬呆然とするが、すぐさま首を振って我に返る。

 どけと言われて、素直にどく者はいない。祐司が何を考えているのかわからないが、こっちへ来るなら丁度いい。アキラは祐司に立ち塞がるよう、両腕をいっぱいに広げた。

「ここは通さない!」

 アキラのその姿見た祐司は、恐れるどころか口の端を上げる。

「俺はどけって言ってやったんだからな」

 祐司は床を這うように体を沈め、右手を突き出した。

 同時に発生する風。

「え!? きゃあ!」

 風は下方からアキラを吹き上げ、


 スカートを捲った。


 顕になったのは桜色の三角地帯。

 廊下に出ていた男子達の目が、アキラに集中する。

 慌ててスカートを押さえ、床に座り込むアキラ。

 その横を祐司が頬を緩ませてすれ違う。

「男女のくせに、ずいぶんかわいい反応するじゃねえか」

 一拍遅れて男子達の野太い歓声が沸き起こった。

 アキラは恥ずかしさのあまり、腰が抜けて動けなくなった。その間にも祐司は三年の乙女隊員達のスカートを捲り、下級生達が待つのとは逆の東階段を下りていった。

 顔を真っ赤にしたアキラはケータイを出して電話をかける。

「奴は東階段に逃げた! 急いで追いかけろ! ただ……」

 アキラは一瞬言いよどむ。スカートを力いっぱい握り締めた。

「スカートには、気を付けて……」



  2 / 14 / 09:19 / Yuji Toyota


 時計の秒針はゆっくりと、しかし確実に進んでいく。授業終了のチャイムまでは後一分を切っている。祐司は机の上に広げた作戦ノートを片付けて、腰を浮かせた。

 空気椅子のまま鈍重な動きの秒針を睨み、しばし耐える。

 最後の十秒を心の内で数え、ゼロカウントきっかりにチャイムが鳴った。

 教室に風が巻き起こる。

 風は四方八方から中心を、今まさに駆け出そうとしていた祐司を目指した。

「ちっ、やっぱり場所が悪いか!」

 祐司の席は教室のど真ん中。逃げるには最も適さない位置だった。

 迫り来る乙女隊。

 その中で、祐司の顔は言葉ほどに危機を感じているようではなかった。むしろ、これから起こることが楽しみで仕方ないといった具合に、笑みを浮かべてさえいた。

 祐司はポケットに右手を入れ、乙女隊が近づくのを待つ。

「なんだ、もうあきらめたか?」

 乙女隊の一人が祐司を嘲笑った。勝利の確信。

 しかし、

「それを慢心と言うんだ」

 祐司はポケットから右手を抜き出す。その手には清涼感を感じさせる、クリアブルーの物が握られていた。スライド式のスイッチをオンに切り替えると、薄い羽が回り出す。

 祐司の握っている物。それは小型の扇風機だった。

「そんな物で、どうにかなると?」

「そんな物? これ以上の武器がどこにある」

 祐司は乙女隊が突き出したチョコの包みを、首を傾けることでかわし、低い体勢で懐に入る。そして、扇風機を乙女隊に向けた。

「この時期に扇風機は肌寒いだけだろう。その程度で私を止められるわけが」

 扇風機の風は、乙女隊のむき出しにされている膝から腿を撫でる。ここまでは確かに寒いだけ。祐司にだってそれはわかっている。祐司が狙っているのは、乙女隊の体ではない。腿より上を目指す風が行き着くのはどこか。

「みんな、これを見ろ!」

 風の終着点はスカート。扇風機に送られた空気は、気球のようにスカートを膨らませる。気球とは違い、空気を溜めておける形をしていないスカートはやがて、風に押し負けて捲れ上がった。

 男は冒険をやめない。

 人生の全てをかけて、まだ見ぬ秘境を目指し続ける。

 時それは、愚かな行為だと嘲られ、罵られ、憐れまれる。

 それでもやめないのは、そもそも他人の理解など求めてはいないからだ。

 自分でさえも、なぜ危険を冒すのかはわかっていない。

 スリル?

 感動?

 達成感?

 それは冒険の果てに得られる副次的なものに過ぎず、目的にはなりえない。

 或いは、目的など元々無いのではなかろうか。

 そこに山があるから登るのだ。

 ある登山家の言葉だ。

 山があれば登りたくなる。

 その結果、我々に姿を見せる秘境。

 冒険とはそういうものだろう。

 だから、祐司は自分の行動をこう語る。


 そこにスカートがあるから捲るのだ、と。


『純白だあああああ!』

 男達は叫んだ。これこそが、思春期真っ只中を生きる男子高校生の求める秘境。前人未踏の山奥に降り積もった、パウダースノーのごとき白。

 スカートを捲られた乙女隊は、チョコのことなど忘れて両手でスカートを押さえる。羞恥で顔がみるみる赤く染まっていき、それに比例するように男達の鼻の下も伸びていった。手の平を合わせて拝むものまでいた。秘境というものは、人々に神の姿を思わせるものだ。

 突如として発生した危機に、祐司を囲む乙女隊達の動きが止まる。

「ふはは、隙だらけだ!」

 祐司は低い体勢のままその場で一回転する。一拍遅れて捲れ上がるスカートスカートスカート。次々と秘境が男達の前に現れた。

 その光景はまさにパンツ無双。

 崩れ落ちる乙女隊。

 祐司はその隙間を悠々と抜けていく。教室を出る際、祐司は男達からの賞賛の声を背中に受けた。

 乙女隊を無力化するのに時間を取られた分、祐司は出遅れていた。廊下には既に人が溢れている。至るところで乙女隊と男達の戦いが見られた。そして、その中にはアキラの姿があった。獅子の目をして、まっすぐに祐司に向かってくる。

 迫力に押されて、祐司は一瞬逃げ出そうとした。しかしその瞬間、祐司の背に寒気が走る。野生の勘とでもいうのだろうか、アキラに背を向けて逃げ出すことを体が拒んだ。気付けば逃げるどころか、アキラに向けて走り出していた。

 驚いたアキラの表情。

「どけえ!」

 祐司の声に当然アキラは従わず、大きく広げた両腕で行く手を阻む。こうなっては、やるしかない。

「俺はどけって言ってやったんだからな」

 教室の乙女隊同様、祐司は無防備なアキラのスカートを捲った。

「え! きゃあ!」

 廊下に女の子座りするアキラ。強気な女子が垣間見せる女の子なしぐさは、核弾頭級の威力を誇る。

(もしかして、これがギャップ萌えというやつなのか!?)

 祐司はあまりの破壊力に、新境地を切り開きそうになった。にやける顔を自制できない。

「男女のくせに、ずいぶんかわいい反応するじゃねえか」

 小学生みたいな捨て台詞を残すくらいに動揺していた。よく知らないグラビアアイドルの水着を見るよりも、女友達の水着を見た方がドキドキする。それと同じで、ただのクラスメートのパンツよりも、好敵手であるアキラのパンツの方が、ずっと本能をくすぐった。今なら、義理チョコだろうと、アキラからなら受け取ってしまいそうだ。

 悪い考えを吹き飛ばそうと、自分のクラスからは一番離れた階段を目指して全力疾走。立ちはだかる乙女隊員達向けて次々とパンツ無双を発動した。

「きゃあっ!」

「いやっ!」

「変態!」

 沸き起こる悲鳴、そして

「青!」

「ナイス縞パン!」

「オウ、イエッス黒ぉぉぉぉっレーーーーーーーーーーッッッス!」

 野太い歓声。

 嵐のような騒がしさを生み出しながら、祐司は一階まで駆け下りた。目指すは特別教室棟。宝條高校は、大きく三つの建物によって構成されている。全クラスの教室、職員室、校長室、保健室をまとめた教室棟と、理科室や音楽室などの特別教室や文化部の部室をまとめた特別教室棟。それに体育館だ。

 教室棟と特別教室棟は一階の渡り廊下でのみ繋がっていて、生徒からは不便だと非常に評判が悪い。祐司は、特別教室棟の理科準備室の前に立った。周囲を見回し、誰もいないことを確認する。上手く撒けたようだ。

 安堵の息をつき、それから手を伸ばして戸の上の小窓を開ける。昨日、予めカギを開けておいたのだ。

「よっと」

 よじ登って、頭から小窓に体をねじ込む。左ひざを鴨居にかけて体を捻り、足から着地。すると埃が舞って、光をきらきらと反射した。この理科準備室はほとんど人が訪れないため、身を潜めるにはもってこいの場所だ。

 祐司は腰を下ろして戸に背を預けた。

「後、七時間……」



  2 / 14 / 09:20 / Hayato Saeki


 授業終了と共に、多くの男子と女子が教室から駆け出て行った。残っているのは机に伏せった死人のような男子と、自信無さ気に俯きながらも、どこかそわそわしている数人の女子。隼人は席を立ち、未だため息を吐き続ける沙世の前に回る。

「香住さん、ちょっといいか?」

 すると沙世は背中にばねでも入っているように、下げていた頭を跳ね上げた。勢い余って椅子ごと後ろに倒れそうになる。

「あ、わわ!」

「危ない!」

 隼人は泳ぐように宙を掻く沙世の手を取り、引っ張る。浮いていた椅子の前脚が床に着き、隼人は一安心した。まさかここまで驚くとは思っていなかった。隼人が手を離すと、沙世はその手を胸に当てて、今までとは違う息を一つ吐いた。

「あ、ありが、とう……」

「いや、こっちこそ、悪かった」

「ううん。……えっと、私に何か、用?」

「あー、用というか、香住さんが朝から元気無さそうだから話しかけてみた」

 隼人がそう言うと、沙世は両手を振る。

「元気無くなんて、な、ないよ! 私は大丈夫」

「大丈夫な人間は、五分に一度ため息をついたりしないだろう」

「……私、そんなにため息、ついてた?」

「ああ。このまま送風機にでもなるんじゃないかと思うくらい」

「うぅ……」

 もしかしたら、将来の夢が送風機になることなのではないかとも一瞬考えたが、イメージが浮かぶ前に振り払った。

 沙世は小柄な体をさらに小さくする。このまま消えてしまいそうだ。

「なあ、よかったら何が原因でそうなってるのか、俺に聞かせてくれないか? 役に立てることもあるかもしれない」

「え!」

「いや、本当に香住さんが話してもいいと思ったらでいいんだ」

 沙世は小さくなったまま考え込む。隼人自身、それほど期待はしていない。沙世とは席が近いだけのクラスメート。この一年間、ほとんど話したことも無かった。それでいきなり悩み事を打ち明けろと言われても、抵抗があるに違いない。

 隼人は沙世の前の席に腰を下ろして返事を待つ。

 廊下からは、絶えず誰かの叫び声が聞こえてくる。それは悲鳴であったり、或いは歓声であったりした。普段とは異なる学校の様子に、ただ黙っているのが落ち着かない。チョコに関わるものでさえなければ、隼人も尾賀達と一緒に駆け回っていたかもしれない。

 しばらくして、いつの間にか廊下に目を向けていた隼人の袖を、沙世が引っ張った。

「決まったか?」

「う、うん。えっとね……、笑わない、よ、ね……」

「俺から聞いたんだ、絶対に笑わない」

 まさか、本当に話してくれるとは。隼人は驚いていた。

 沙世は伏し目がちに話し始める。

「きょ、今日って、バレンタイン、でしょ?」

「ああ」

「だから、チョコを渡そうと思ってるの……」

「あれ、それじゃあもしかして、香住さんも乙女隊?」

「乙女隊?」

 沙世は首を傾げる。

「違うのか? さっき尾賀から、バレンタインに義理チョコをばら撒く女子の集団があるって聞いたんだが」

 隼人の問いに、沙世は首を振った。

「それじゃあ、チョコを渡すって言うのは?」

 そう聞いた途端、沙世の顔が真っ赤になった。

 隼人はその様子で、やっと沙世の言わんとしていることに思い至った。バレンタインで渡すチョコは、なにも義理チョコだけではない。むしろ、そんなのは月日を重ねる内に派生したものに過ぎない。

 沙世の渡したいチョコは、バレンタインの本質。

「本命チョコか」

「あうぅ……」

 あまりの赤さに、沙世の頭から湯気が出ている幻覚さえ見えてくる。忘年会で無理やり酒を飲まされる新入社員でもここまではならないだろう。

 それにしても――。

 隼人は親指と曲げた人差し指を顎に当てる。沙世の悩みはどうやらチョコ関係らしい。聞いておいてなんだが、正直、関わりたくは無かった。

「私ね、男子バスケ部のマネージャーをしてるんだけど……」

 こちらの思いが沙世に伝わるはずも無く、沙世はたどたどしく話し始める。

「引退しちゃった三年生の先輩に、すごく、気になる人が、いる、の」

「へえ。それじゃあ、早速渡した方がいいな。善は急げって言うし」

 隼人は早くチョコの話題から離れたくて、使い方を微妙に間違えた言葉を返す。しかし沙世は、隼人の言葉を聞いた途端に顔をくしゃくしゃにした。鼻水を啜る音。いきなり泣き出しそうになった沙世に、まさか適当に返事をしたのがばれたのかと隼人は焦った。

「ど、どうしたんだ?」

「私もね、早く、渡したくって、ぐすっ……、朝、正門で待って、たの……」

「えっと、それで?」

「そしたら、急に……ずっ、男子がいっぱい、一気に、走ってきて……、ん、ぐす……、先輩もその中に、いて、……一生懸命、待ってって、言った、のに……、走って行っちゃって……」

 嗚咽混じりに加えて、沙世自身が状況をよく理解していないのか、内容がまとまっておらず非常に聞き取りづらい。

 朝、男子がいっぱい。

「そういえば」

 今朝はチャイムギリギリに生徒が教室に流れ込んできたことを隼人は思い出した。沙世の言う先輩もたぶん、異常な集団登校をしてきた内の一人なのだろう。集団登校がこのクラスだけでなかったのなら、相当な人数だったはずだ。おそらく沙世が待ってと叫ぶ声は、足音にかき消されて聞こえなかったに違いない。それを沙世は、先輩に無視されたのだと勘違いしているようだった。

「せんぱ、い……、待って、って、言ったのに……」

 今にも涙腺を決壊させそうな沙世に、隼人は会ったことも無い先輩の代わりに弁明をする。

「香住さん、その先輩だって悪気があったわけじゃないはずだ。たぶん、そう、聞こえなかっただけ。沢山の男子が一気に走ってきたのなら、足音だってすごかっただろう?」

「……うん」

「だから、改めて渡しに行けば、絶対に受け取ってくれる」

「そ、そうかな……」

「ああ」

 隼人はポケットティッシュを渡して、沙世に背中を向ける。一拍置いて、小さく鼻をかむ音がする。どうでもいいことだが、女子というのは鼻をかむ時も、くしゃみをする時も控えめにするのはどうしてだろう。あんなのですっきりするとは思えない。隼人がそんなことを考えていると、肩にポケットティッシュが置かれる。それをポケットにしまってから沙世に向き直ると、少し落ち着いたようだった。

「ありがとう、冴木君」

「いや、いいんだ」

「チョコ……」

「ん?」

「本当に受け取ってくれるかな?」

「もちろんだ」

「でも……」

 沙世は朝、先輩にスルーされたのが相当ショックだったようだ。もしまた無視されたらどうしよう。たぶんそう考えているのだ。隼人としては少しでも早くこの件から離れ、なおかつ授業に集中するために沙世には元気になってほしい。うーん、と唸りながら数学の証明問題を解くよりも頭を捻って考える。

 話しかけて無視されるのが怖い。

 しかしチョコは渡したい。

 そんなことできるのか。

 考える時の癖で、隼人の目が横に流れた。ふと、隣の席で机に伏す男子が目に入った。

 そこで隼人は一つの案を思いつく。

「要は、先輩にチョコを渡せればいいんだよな」

「えっ、うん……」

「なら、机の中に入れておいたらどうだ? これなら話しかけなくてもいいし、必ず先輩の手に渡るだろう」

 沙世は伏せていた顔を上げて、花を咲かせる。

「そっか、机の中、だね」

「ああ」

「机の中……机の中……」

 沙世は何度か繰り返す。

「それじゃあ、がんばれ」

「うん、ありがとう」

 隼人は席に戻り、机から読みかけの本を出して広げた。ようやく読書に集中できそうだと、安堵の息をつく。



  2 / 14 / 09:42 / Akira Natsume


 先の休み時間、乙女隊が受けた被害は甚大だった。スカート捲り被害者は五十人を超え、戦闘不能に陥った者二〇余人。彼女達は、頬を染めて俯き、立ち上がることさえも敵わなくなった。肩を貸して椅子に座らせても、手の平で顔を覆い、校庭の桜の硬い新芽のごとく縮こまってしまっている。

 これはバレンタイン史上、前代未聞の出来事だった。

 これまで男子が選択できた行動は二つ。逃げるか、隠れるかだけだったのだ。まさかあんな凶悪兵器を所持しているなど、予想だにしなかった。

 アキラは本部に祐司の兵器を報告し、対抗策の考案を依頼する。

 ケータイを操る手は震えている。アキラ自身、戦闘不能寸前なのだ。スカートを捲られただけでなく、去り際にかわいいなどと言われ、男勝りと言われ続けてきたアキラには耐え難い辱めだった。自分でも一生言われることは無いと思っていた言葉だけに、少なからず嬉しさを感じてしまったことも、恥ずかしさを助長している。

「……っ!」

 思い出しかけ、慌てて首を振りかき消す。

 ここで負けるわけにはいかない。アキラは一年生からずっと対豊田祐司特殊部隊に所属している。過去二年の戦績は〇勝二敗。このまま一度も勝てずに引退なんて、悔しすぎる。

「それに……」

 アキラはポケットの中に手を入れ、チョコの包みに触れる。

 アキラは心の底から湧き上がる野心によって、羞恥で挫けそうな理性を支えていた。

 手の平の中でケータイが震える。本部からの連絡だった。

 開くと、早くも対抗策が送られていた。アキラは目を丸くする。対抗策は至極簡単、それどころか、誰しもが経験のあるものだったからだ。笑みを浮かべてアキラは拳を握る。

 絶対、祐司にチョコを渡す。

 アキラは部下達に対抗策を転送した。

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