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聖戦前夜

 義理チョコ。

 それは母親からチョコを貰うという苦行から逃れるための免罪符。

 モテない男達の救済措置。

 チョコを貰うために男達は何時間も鏡に向かい、普段は近寄ることさえできない女子の集団に特攻し、床に額を擦り付けた。

 戦後GHQの軍人に群がる子供のように、男達はチョコに群がった。

 板チョコ一枚、いや、ポッキー一本で構わなかった。

 男達は自尊心を守るために、死に物狂いでチョコを求めた。

 しかし、今となってはそれも昔の話。

 現在、モテない男達はこう語る。


『義理チョコを受け取るべからず』


 義理チョコとはそもそも、女子からの情けでも、厚意でもない。

 義理チョコ、それは「欲」そのものだ。

 デパートのバレンタイン特売で手に入れたチョコをばら撒き、一ヶ月後、三倍という暴利でもって回収する。

 悪徳金融のごとき所業。

 そして、人間は一を手にしたら、次は二を欲する。

 「欲」に果てはない。



   2 / 13 / 18:00 / Yuji Toyota


 豊田祐司は、自室の机に向かっていた。広げたノートに描かれているのは見取り図。祐司が通う県立宝條高校のものだ。

「もしここで遭遇した場合は、Cルートを抜けて……、いや、正面から突破の方が安全か? しかし、できれば小隊をさらに分割できるような……」

 見取り図の至るところに細かい文字がびっしりと並び、祐司はそれをなぞりながらぶつぶつと呟く。

「そうか! 中庭に面した窓だ!」

 何かに納得してノートに文字を書き足し、不敵に笑ってペンを回した。

「いける、これなら絶対にいける」

 祐司はノートを閉じた。その表紙には、『聖戦虎の巻』と大きく、マジックの太字で書かれている。

 凝り固まった体を動かすと、あちこちで骨が鳴った。

 窓の外に目を向ければ、既に真っ暗だ。窓にはにやけた自分の顔が映っている。明日のこの時間も、こんな気持ち悪い顔が見られることを願った。

 なぜなら、明日はバレンタイン。

 果たして、自分は生きて帰ってこられるだろうか。

「いや、絶対に生還するんだ!」

 沈みかけた気持ちを払拭すべく、頬を叩いて自らを鼓舞する。メンタルは体調を大きく左右するもの。戦う前から負けを想像していては、勝てる戦も勝てなくなる。

 僅か一日の聖戦。

 祐司がすることはただ一つだ。

「必ず、必ず逃げ切ってやる」

 両の手の平を握り締める。

「義理チョコの十倍返しなんて、絶対にしてたまるか」


 現代において、義理チョコのお返しは「十倍」にまで膨れ上がっていた。



   2 / 13 / 18:00 / Akira Natsume


「乙女よ、武器を取れ!」

 スピーカーを通して響き渡る声。それに応じて、喚声が沸き起こった。

 体育館は異様な雰囲気に包まれていた。

 大勢の生徒が集まっているが、それらは全て女子。

「明日は何の日であるか。そう、バレンタインデーだ! 年に一度の聖なる日」

 女子高生によって作られた九つの列には寸分の狂いも無く、訓練の行き届いた兵隊を彷彿とさせる。そして、それは間違いではない。

「我々、宝條高校乙女隊の戦いの日だ!」

 ステージでは背が高く、瑞々しい黒髪を腰まで垂らした女子が演説を熱弁をふるっている。腕には真紅の腕章。彼女の話を、棗アキラは右端の列の先頭で聞いていた。

 宝條高校乙女隊――通称乙女隊は、宝條高校の女子生徒だけで構成された組織である。九つの小隊により編成されていて、今、列の先頭に立っている者が各小隊の隊長である。その九つの小隊を統べる大隊長が、マイクに向けて口を開く。

「明日に向けて、既に補給部隊は武器の調達を終えている」

 大隊長がそう言って指し示した体育館の隅には、レジ袋が山と積まれていた。開いたレジ袋の口から覗く文字は『徳用チョコレート』。

「より多くの男子にチョコをばら撒け! それが我々の勝利に繋がる!」

 再び喚声が体育館を満たす。

 隊員の声に大隊長は満足気に頷き、それから体をアキラに向けた。

「なお、第一戦闘部隊には、去年に引き続き特別任務を与える。いいな、アキラ」

「はい!」

 アキラは大隊長に向けて敬礼を決める。後ろに続く第一戦闘部隊の隊員もアキラに続いた。

「今年こそ、必ずやこの特別任務を成功させて見せます」

「うむ。それでは全ての乙女よ、健闘を祈る!」



   2 / 13 / 18:00 / Sayo Kasumi


「チョコでしょ……、生クリーム……、ココアパウダー……、それと……」

 香住沙世は、キッチンで何度も食材を確認していた。既にこれで五回目である。

「うん、大丈夫。やっぱり全部ある」

 今度はコンロにかけている鍋の温度計を確認する。だいたい四十度弱。

「もう少しかな……」

 それから三回目の調理器具の確認。この様子だけを見たら、初めてのお菓子作りに挑戦しているようだが、けしてそんなことはない。沙世の趣味はお菓子作りで、クッキーやホットケーキのような簡単なものから、ロールケーキやフルーツタルトまで作れる。

 ならばどうして今は、こんなにおどおどしているのか。

 それは、今回は趣味で作っているのではないからだ。

 自分のためではなく、誰かのため。

 その人のことを考えると絶対に失敗するわけにはいかなくて、心配性な沙世は何度も確認を繰り返しているのだった。

「先輩、喜んでくれるかな……?」

 沙世はポケットからケータイを出して開く。待ち受け画面に表示された写真を見ただけでも緊張して、ドキドキして、顔が熱くなってしまう。

 ケータイを優しく抱きしめてから、沙世は六回目の食材確認を始めた。

「チョコでしょ……、生クリーム……、ココアパウダー……、それと……」

 明日はバレンタインデー。

 失敗するわけにはいかないのだ。



   2 / 13 / 18:00 / Hayato Saeki


 明日のことを思うと、冴木隼人は気が重くなった。

 二月十四日はバレンタインデー。女子が、好きな男子に思いを伝える日だ。

 クリスマスや、七夕と並ぶ大恋愛イベント。それはいい。

 初々しい学生カップルが誕生して恥ずかしそうに手を繋いで歩こうが、バカップルがさらに燃え上がって地球温暖化を助長しようが、一方で想いが成就しなかった女子の涙で海水面が上昇しようが、そんなことはどうだって構わない。好きにやっていればいい。

 しかし、バレンタインデーはそれだけでは終わらない。

 想いと一緒に、チョコを渡すのだ。

 そのチョコが、隼人は嫌いだった。

 単なる好き嫌いではなく、幼い頃のトラウマ。

 隼人の父親は、彼がものごころつく前に死んでしまった。そのため、パティシエだった母親一人の手で育てられた。甘えん坊だった隼人は母親が好きで好きでたまらなかった。しかし、その母親も隼人が十歳の時に亡くなった。

 原因は飛行機事故。

 彼女は隼人を残して、フランスにチョコ菓子の専門家である、ショコラティエになるための修行をしに行く途中だった。

 チョコのせいで母親は死んでしまった。

 以来、隼人はチョコを見るのも嫌になった。

 だからチョコのイベントであるバレンタインデーも嫌いだ。

 いっそそんなもの、無くなってしまえばいい。

「せめて学校を休めればいいのだが」

 両親を失った隼人は、祖父母の世話になっている。学校を休んで二人に不要な心配をさせたくはなかった。

 結局のところ、我慢するしかないのだ。

 たった一日。

 それだけだとわかっていても、気持ちは鬱々として肩に重くのしかかった。

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