猫の墓
「おはようございます」
康平が家の鍵をかけている時、隣の部屋に住む麻衣が声をかけてきた。
麻衣は白いセーラー服に紺のスカートを羽織っている。どうやら今から通学の様だ。
「おはよう」
康平も麻衣に挨拶をする。
「今日は朝から部活かな?」
康平が麻衣にそう訊くと、麻衣は笑顔で頷き、背負ったテニスラケットを康平の前に出した。
麻衣は高校二年生でテニス部に所属していた。
康平はというと、近くの会社でサラリーマンをやっていた。
康平が大学生になり、今のマンションに一人暮らしするようになってからずっと隣の部屋に住む隣人である為、二人は仲が良かった。
このように朝会うと、話をしながらマンションの出口まで一緒に行く事がよくあった。
二人が他愛も無い話をしながらマンションの前の道路まで来た。
その時、目の前の道路を横切る黒猫に二人は気が付いた。
「危ない!!」
隣で麻衣が叫んだ。その瞬間、二人の目の前を一台のバイクが通り過ぎた。
ブレーキ音が鳴り響き、バイクが止まった。ヘルメットのシールドを開け、運転手は振り向きながら辺りを見回した。
康平にはその運転手に見覚えがあった。近所のコンビニでアルバイトをしている20代前半の男だった。
暫く呆然と今来た道路を見た後、彼は何も言わずまた走り去っていった。
康平は暫く彼を見ていたが、隣に麻衣がいない事に気が付き、辺りを見渡した。
麻衣は道路の隅、電柱の下辺りでしゃがんでいる。
康平はゆっくり麻衣に近付いていった。麻衣は道路にある何かを見ている。
康平が上から覗き込むと、道路に猫が倒れていた。どうやらさっきのバイクに轢かれたようだ。
猫は既に息絶えているようで動かない。猫から流れる赤い血が生々しく道路を染めていた。
麻衣のすすり泣く声が康平の耳に届いた。ゆっくり腕を伸ばすと、麻衣は猫を抱きしめた。
麻衣のセーラー服は赤く染まっていった。
「麻衣ちゃん……」
康平は麻衣に声を掛けた。
「酷い……可哀相なこの子……」
麻衣は無残にも命を奪われてしまった猫に同情し泣いているようだった。
康平はこんなに純粋に涙を流す麻衣がとても健気に思えた。
「麻衣ちゃん……とにかく一度家に帰らないと。その状態じゃ学校行けないでしょ」
どんな言葉を掛けたらいいかわからない康平が唯一出した言葉がそれだった。
麻衣は頷くと、静かに立ち上がりマンションに向かった。猫を抱きかかえたまま。
康平は何も言えず、麻衣がマンションに入っていく姿を見守った。
その後康平は、職場に向かい仕事をしたが、その日は麻衣の事が心配で、仕事に集中が出来なかった。
仕事が終わると、普段よりも足早で家に向かった。
マンションの自分の家の前に着く。麻衣の部屋は電気が付いておらず、誰も家にいないのだと推測出来る。
暫く部屋の前で立っていると、何か音がする。康平は耳を澄ませ、音が鳴る方向を探った。
部屋の前の柵から下を見渡す。
マンションの横には雑木林が広がっており、その方角から音がする事に気が付いた康平は、エレベーターで下に向かい、雑木林に向かって行った。
夕暮れ時でもあり雑木林の中は暗かった。
音が少しずつ大きくなってくる。康平は雑木林に入り、音に向かって近付いていく。
暫く入っていくと、麻衣が立っていた。
「麻衣ちゃん?」
康平の声に驚いた麻衣は、持っていた物をその場に落とした。棒状の物が倒れて、地面を叩いた。
「こ……康平さん?」
麻衣は声で康平だと気が付いたようだ。
少しずつ目が慣れてきた康平は、地面に倒れているものがスコップだとわかる。
「こんなところでどうしたの?」
康平は麻衣に質問した。
「えっと……」
麻衣は下を見た。康平も同じく下を見ると、地面に窪みがある事に気が付いた。
どうやら何かを埋めているようだ。
そこで康平は朝の出来事を思い出した。
「もしかして……朝の猫を埋めてあげているのかな?」
康平が訊くと、麻衣は暫く黙った後、静かに頷いた。康平は麻衣の優しさに心を打たれた。
「俺も手伝うよ。一人じゃ大変でしょ?」
そう言って、康平は着ていた背広を木に引っ掛けて、ワイシャツの腕まくりをした。
スコップを手に持ち、窪みの横に積もった土を溝に落としていった。
麻衣は康平が作業を始めると、積もった土の横にしゃがみ、手で土を押し出して窪みを埋めていった。
二人で作業を始めてから十分程で穴は埋まった。康平は腕で汗を拭うと、スコップを麻衣に返した。
「よし! これで終了だね。さぁ帰ろう。お互い汚れちゃってるから風呂入って着替えたほうがいいな」
そう言って、康平は笑って見せた。麻衣は何度か康平にお辞儀をした。
康平が背広を取り、マンションに向かうと、麻衣も無言で着いて行った。
二人は並ぶように雑木林を出た。
その時、康平は振り返り、今は見えない自家製のお墓に目をやった。
康平は少し思った。あのお墓、猫のお墓にしては大きい窪みだったな……と。