宣戦布告
俺が学校につくと、急いで自分の教室に向かった。朝のホームルームが始まる前に瑠璃に聞いておきたいことがあった。
が、午前八時。教室にいる生徒は少なく、その中に瑠璃の姿はなかった。真面目な瑠璃の事だからこの時間帯ならいると思ったのだが。
しかし、教室の中央あたりの瑠璃の机に目をやると、机のサイドのフックには鞄が引っ掛かっていた。ということは、瑠璃は来ている。俺の席は出席番号的には前の方で、自分の席に鞄を置き、瑠璃を探しに行くことにする。
実際、トイレに行っただけなのだろうとは思う。教室で待っていれば会える話なのだ。でも、俺はすぐにでも瑠璃と話したかった。
と、俺の通りかかったクラスから話し声が聞こえた。男子生徒三人くらいの声だ。別に知り合いがいるわけじゃない。ただ、会話の内容が気になっただけだ。
「――そういうこと。だからそいつはやられちまうわけ」
「ふーん。でも、本当にいるのかよFランクの無能力者なんて」
「それは確かに思った。俺今までの人生で見たことないし」
「バカ。お前の人生なんてたった十五年だろ。いるらしいんだよ、そいつ。俺の父さんが小学生だった時なんだと」
「そんな時のこと覚えてんのかよ」
「なかなか衝撃的だったらいいぞ。なんでも、Fランクだってばれた時からはヤバかったらしいぞ。ほら、Fランクの無能力者に対しては害ある存在って習ってるだろ?」
「確かにな。相当ひどいやつらしいけど」
「百害あって一利なしだっけ? まあ俺もそう思う。この魔術の社会で魔術使えないって、何もできないじゃん」
「そう。存在意義がないってやつ。それが小学生にもわかるんだ。で、父さんのクラスにそいつがいたらしい。根暗な奴だったんだと。体育の授業でFランクってばれて、そこからは最悪のいじめが起きていたらしい。父さんは面倒だったから参加していなかったらしいけど」
「どんないじめだったんだよ」
「火属性の魔術師だったら爆弾作って足を吹っ飛ばしたり、風属性の魔術師だったら突風で屋上から突き落したりしたらしい。当たり所が良かったのか、それじゃあ死ななかったんだけど。最期がなあ……」
「どうなったんだよ」
「じらすなよお」
「そのいじめっこがな、教室の中央の天井に紐を括り付けたらしいんだよ。小学生でも魔術師の端くれだから天井に穴開けるくらい造作もないだろう。で、その無能力者を、自殺させたらしいんだよ。自殺っていってもほとんど他殺に近いんだけど。クラス中のヤレヤレコールでな。追い詰められたそいつも、ついにやったらしい。そいつが苦しんでいるのを見て教室中が爆笑の渦。教師もだれも止めない。みんな平然としているんだ。最後は日の魔術で焼却処理。やっといなくなったって、みんなほっとしていたそうだ」
「やっべえな、それ。でも、どうだろう。無能力者って生きててもしょうがないわけだしなあ」
「そうそう、まあしょうがないわな」
それから男子生徒三人は笑った。
どうしてそんなことで笑えるのだろうか。その無能力者はいったいそのクラスメイトたちになにをしたのだろうか。そんなことをされなければならないほどの事をしたのだろうか。ただ、無能力者がおかしいからって、どうして……。
たしかに、この世界で無能力者は当たり前の事が出来ない欠陥人間として知られている。だけど、だけど……。
「あの……なぎさ君?」
後ろから不意に声をかけられて、俺は我に返った。振り返ると、そこにはプリントの束を両手に抱えている瑠璃の姿があった。今日は肩甲骨まで伸びた黒髪を後ろで結っている。俗にいうポニーテールだ。一瞬俺はくらっと来た。
「どうしたんですか? 恐い顔、してます」
瑠璃にそう指摘されて、俺は自分の顔がこわばっていることに気が付いた。俺は表情を緩めて瑠璃の方に行く。
「何でもないよ。あ、それ持とうか?」
俺は瑠璃の返事を待たずにプリントの束を持つ。
「あ、ありがとうございます」
瑠璃は顔を赤らめて礼を言う。別に、礼を言われるようなことはしていない。
どうやら瑠璃は教室で先生に呼ばれてホームルームで配るプリントを教室に持って行く最中だったらしい。
「あ、そういえばさあ、瑠璃に聞いておきたいことがあるんだけど」
俺は昨日の調査の事を思い出した。そして、女子寮の前で見つけたあるものについて瑠璃に聞いてみると、
「確かに、わたしの魔術は氷の属性ですけど。……女子寮の前で使った覚えはありません。すみません」
「いや、別に謝らなくてもいいんだけど。そっか、ありがとな」
瑠璃は氷属性の魔術師。そして、女子寮の前では使った覚えがない。ということは、あの氷は関係がなかったのだろうか。
「じゃあ、この学校で他に氷を使うやつっているか?」
「……えっと~。……すみません、わかりません」
「なるほどなあ。あの氷はいったいなんだったんだろうなあ」
結局、ふりだしに戻るしかないという事か。
「えっと、その辺も、調べてみましょうか?」
「そうだな。出来るなら、よろしく頼むよ」
「はい。お安いご用ですよ」
そう言って、瑠璃は俺を見て小さく笑った。瑠璃のこんな表情を見たのは初めてだ。俺に少しでも心を開いてくれたのだろうか。それなら俺もうれしい。だけど、そうなると俺は嫌なことを思う。俺は、彼女をだましているのだと。
*
昼休み、昼食を終えた雪乃は校内放送で生徒指導室に呼ばれた。なぎさには色々とバカにされ、瑠璃には色々と心配された。この差はいったい何なのだろうか。釈然としないながらも雪乃は足早に生徒指導室に向かう。
明かりのついた生徒指導室のドアをノックする。くるまでにいろいろと考えた雪乃だが、呼び出しをくらう理由が全く分からなかった。
私が呼ばれるよりも魔導の授業を全部寝ているなぎさの方が問題ではないか。雪乃はそう思わなくもない。
「入ってくれ」
中からは体育講師の菅原の声がする。以前体育の授業でなぎさをぼこぼこにした先生だ。残念ながら、その事で雪乃は菅原に対していい感情を持っていない。
「失礼します」
生徒指導室は少し小さな部屋で、中央にはガラスの長机が縦に置かれてある。革椅子がその左右に二つずつ。前後に一つずつ置かれている。向こう側に白のスポーツウェアを着た菅原の姿がある。雪乃は手前の革椅子の横に立つ。
「座ってくれ」
菅原の声を聞き、失礼しますといって雪乃は椅子に座った。意外と座り心地のいい椅子だった。
数秒の沈黙。その沈黙を破るように、菅原が口を開いた。
「どうして呼ばれたか、わかるかい?」
「いえ」
雪乃はきっぱりと否定した。思い当たる節がないのだ。それとも、なぎさとつるんでいるという事について何か文句があるのだろうか。
「そうか。では私から言わせてもらおう。君たち、水橋・冴木・桐原は何かしていないかな?」
魔術師道場破りの事か。雪乃は理解した。どうやらそのことについての文句らしい。しかし、雪乃はここで確信したことがある。
(菅原は、知っている)
案の定、菅原は魔術師道場破りについて話し始めた。
「我々は魔術師狩りと呼んでいるがね。君たちは魔術師道場破りと呼んでいるそうじゃないか。まあ、君たちでは芳しい情報は得られていないだろうな。さて、私から忠告しておきたいことがあるんだ」
「……なんでしょうか」
「魔術師狩りについて調べるのはもうやめてもらおう。君たちが踏み込んでいい領域ではない。もう普通の生活に戻ったらどうかね」
「残念ですが、友達が被害にあったんです。ですから、やめるわけにはいきません。学校側が調査をしているのならまだしもそんな素振りも見せない学校側には任せていられません。これ以上被害者が出ないためにも私たちが動くしかないんじゃないですか?」
菅原が小さくため息をついた。そして、
「君はもっと利口だと思っていたんだけどね」
空気が変わった。ピリピリという突き刺さるような空気。なぎさならこの時点で気が動転して冷や汗なんか流していただろう。しかし、雪乃は全く違った。それどころか、彼女は菅原を冷めた目で見ていた。その程度? とでも言うかのように。
しかし、菅原は全く気にも留めず雪乃を睨む。
「これ以上の調査はやめたまえ。でないと、君たちはとんでもなく最悪の事態に陥るかもしれない。これは教師として生徒にする忠告だ。子供は、大人の言うことを訊くべきだと思うんだけど、違うか?」
「納得できない言葉に耳を傾ける必要はありません」
「君も頑固だなあ」
菅原はポケットからさいころを二つ取り出した。コップがないので、菅原はさいころを二つとも真上に投げた。
雪乃は気が付いた。これは、なぎさがやられたものだ。確か、ゲームのルールは偶数の丁と奇数の半のどちらかを選ぶもの。
「丁」
雪乃はルールにならって合計が偶数の丁を選んだ。当たれば強い攻撃が来る。外れれば大した攻撃は来ない。
さいころがガラステーブルに当たって甲高い音を出す。くるくると回り、さいころが止まる。
「二と六。合計八。正解だ」
やはり、雪乃の耳にキンという風切り音が聞こえた。
聞こえた時にはもう遅い。何かしらの攻撃が雪乃を襲う。轟音と主に、生徒指導室の椅子や机をいとも簡単に吹き飛ばしながら何かが雪乃を襲った。
しかし、雪乃は無傷だった。雪乃の眼前には水色に光る魔方陣があった。
「簡易防御結界〈悪魔級〉か。だが、そんなもので防げるのは今だけだと思いなさい。これは、忠告なのだよ」
「はい。肝に銘じておきます」
そう言って、菅原や椅子や机の残骸には目もやらないで、雪乃は静かに生徒指導室を出て行った。
*
雪乃が生徒指導室から戻ってきた。
「何言われたんだよ?」
俺が雪乃にそう訊くと、雪乃はとんでもないことを言い出した。
「え~っと、まあ、宣戦布告?」
「は?」
俺と瑠璃は顔を見合わせて首をかしげた。