大切なもの3
人との接し方が上手な雪乃はすでに女子グループの王となっていた。
授業が終わり、きれいな夕日が映え始めた放課後。午後五時、薄っぺらい黒の学生鞄を片手に、俺は宮内健吾と一緒に下校していた。こうして雪乃以外の人と下校するのは久しぶりだ。最後に雪乃以外の人と一緒に下校したのは中学校一年の入学式の一か月後だったか。たいていそのあたりで俺が無能力者だとばれる。小学校も同じで。
「菅原のあれはちょっとないよなあ」
宮内が笑いながら言う。
「絶対桐原の事嫌いだぜ、あれ」
ゴールポストがぐにゃぐにゃにねじ曲がっても笑い話になるのが魔術世界の恐ろしいところである。
「俺はものすんごく痛かったんだからな? あれ。何が博打だよ。当てても外れてもやられるんじゃさいころの意味がないだろ」
「あれは博打風な魔術に見せかけた何の意味もないものだろ? おそらくどこかで魔術を発動してたんだ。それがわからなかったからうまく防げなかった。そうだろ?」
「……まあ。まあ、次は何とかしてみせるさ」
俺はあいまいな返事しか返せない。友達を作る、なんて一筋縄ではいかない。けれど、これは俺にとってとても大切なことだ。夢、願望。そういった単語でも表現できる。俺には雪乃という友達がいる。けれど、彼女以外に友達と呼べる人はいない。だから、友達を作るということも、自分を変えることにつながると思う。
雪乃とは幼馴染の関係だ。しかし、もし幼馴染でなかったら、たぶん……。
「ああ! やめやめ!!」
「?」
俺の突然の叫び声は明らかに奇行だっただろう。宮内が明らかに引いている。
「で? 宮内の寮ってこっちなのか?」
「いや。俺はもうちょっと歩かなきゃならん」
「そっか。俺はもう少し向こうの方に行かなきゃならん」
「ふーん。案外遠いんだな。どういう基準なんだろうな」
「俺にはわかんねえ。それよりも桐原、ちょっといいか?」
そう言って、宮内は俺の顔を見る。というより、俺の目を見た。つられて、俺も宮内と目を合わせる。なんか不思議な感じだ。男同士で目を見つめあうなんて。
「最近、ここいらで魔術師がばんばん倒れているんだ。いや、倒されているって表現が正しいのかもしれない」
宮内が突然しゃべりだした内容は、魔術師版道場破りについての事だった。
「入学式からこっち、あんまり日は立ってないけど、一日に一人なんていうレベルじゃなくて一日に四、五人のペース魔術師が倒されている。注意した方がいいぞ、お前も。それに、今日の体育のガイダンスでお前は狙いやすいと思われたかもしれない。俺から見てもお前は奇襲に弱い気がするんだ。そんで、奇襲が成功すれば勝手にお前が自爆する。気を付けておけよ」
「怪我してるやつとか、いたっけ?」
今までの学校での風景を思い浮かべてみるが、けが人はあまり見なかったような気がする。と言うと、宮内はさらりと言った。
「当たり前だ。この学校の医療班は優秀なんだ。パンフレットにも宣伝してあったろ? 骨折とか多少の傷なら治せちまうよ」
骨折って、多少の傷なのか。魔術の世界がいかに恐ろしいものかを再確認させられる。それにしても、魔術師が倒されているのか。きっと、俺には縁のない話だ。とはいえ、俺はいつも魔術師に警戒しなければならないのであまり意味はない話だ。
「だから、桐原も気をつけろよ。俺の新情報によると、そいつは本当に魔術師しか狙わないんだそうだ。う~ん、まあたとえばFランクの無能力者がいたとしても、狙われることはないそうだ。道場破りなんだからな。ま、そんなやつうちの学校にはいねえだろうが」
俺は、Fランクという単語を訊いた瞬間に体がこわばるのを感じた。さっきまで普通に宮内の目を見ていたのに、今はまともに目を合わせられない。冷や汗が背中を流れていくのを感じる。
「? どした? ああ、気持ちはわかるけどそんなに気味悪がんなって。そんなやつそうそういねえって。今まで散々Fランクについて言われてきたけど、俺あったことねえもん。産まれる確率が相当低いとはいってもニュースにもなんねえじゃん。俺はもう都市伝説だと思ってるね。黒の断罪者と同じで」
その時、聞いたことのある言葉を耳にした。それは、確か雪乃との入学式の帰り、ある少年が発していた言葉だった。
「……黒の断罪者? 都市伝説?」
「そう。でも気にする必要もないぜ? あんなん本当に都市伝説だろう。大方、魔術協帝がデマでも流したんだろ。言うこと聞かないと問答無用で……って感じで」
何か引っかかるものを感じるが、都市伝説というなら、まああまり気にしなくてもいいだろう。
「さて、ちょっと長話になったな。桐原って用事があったのか?」
「いや、なにも」
「そっか。じゃあ良かった。それじゃあ、道中気を付けてな」
「ああ」
俺は宮内の後姿を見る。瞬きをすると、なぜか宮内の姿がなかった。もう真っ暗だからすぐに見えなくなったのだろうか。でも、街灯があるのでそんなにすぐに見えなくなるはずもない。もしかすると、宮内の方が実は急いでいて魔術でも使って高速で移動でもしたのだろう。
俺はポケットから携帯電話を取り出して時間を確認する。時刻は午後七時。真っ暗なはずだ。というより、けっこう話し込んでいたらしい。そんなに話した覚えはないが。
俺は落ちていた自分の鞄を拾い上げて、夜も遅いし寄り道せずに帰ろうと思った。
宮内と別れて、俺は自分の寮への道につく。帰ってどうしようか、そんなことを考える。宿題は特にないし、買い物も今は必要ない。買いだめがあるからだ。
なら、早々にご飯でも作って早々に寝るのがいい。それでいこう。
そう考えていたら。自分の視界の真正面に何かが映った。動かない小さな物体。いったいなんだろうかと目を凝らしてみると、それは……。
「人?」
どうやら人が倒れているらしい。しかも、あれは俺の通っている学校の女子の制服だ。女の子がこんな土ばっかりの地面にうつ伏せで倒れているものだろうか。いったい何をしているのだろう。
俺はその女生徒に近づく。つんつんとつついてみたが、反応がない。寝ているのだろうか。いまどき行き倒れ?
「あの~。大丈夫ですか?」
ちょっとゆすってみたが、それでも反応がない。
これは、何かがおかしい。
俺はあたりを見渡して、誰もいないことを確認する。もしも誰かに見られたりしたら、なにかややこしいことになりそうだったからだ。それは、別にいやらしい方向の事ではなくて。
俺は、うつ伏せになった少女の肩をつかんで仰向けにさせる。意外になんの抵抗もなく動き、難なく体を動かせた。
「な――! こ、これって!?」
少女の額からは、真っ赤な液体が流れだしていた。血だ。血があふれ出している。まだ固まっていないところを見ると、つい最近に傷つけられたものだろう。
まさか、まさかあの、宮内が言っていたことは本当だったのか。
「って、冴木、瑠璃さん……?」
血が流れていることで、気が動転して全く気が付かなかったが、この人はクラスメイトの冴木瑠璃だ。自己紹介の時もぼそぼそとしゃべっていて何を言っているのかあまり聞こえなかったし、目立つような人ではなかったが、覚えていた。こんな人まで攻撃を受けるのか。どんな根性をしてやがる、道場破りって奴は。
「どうして、この子が……」
人からこんなにも嫌われるような人ではないはずだ。そういえば雪乃と一緒にいたのを見たこともある。
「とにかく、救急車でも……」
俺は携帯電話をポケットから取り出し、ボタンを押そうとしたが……。
「いや、」
救急車ではなく、雪乃を呼ぶことにした。救急車を呼んで隊員がわざわざランクを訊くようなことはしないだろうが、俺は何故か気後れしてしまった。変なところでヘタレなのか、俺は。
意外にも雪乃は早く電話に出てくれた。そこで俺は今の状況を説明し、できるだけ早く来てくれるように頼んだ。
「死ぬなよ。マジで」
冴木の体はまだ温かいが、血を流していて苦しそうな顔をしている。
俺は冴木の体を持ち上げた。だらりと力なく倒れていたのだが、冴木の体は驚くほど軽かった。冴木の紺色のブレザーは土に汚れて白くなっている箇所が多くある。この制服についても綺麗にしなければならない。
俺は冴木に衝撃を与えないように気を配りながらも、急いで自分の部屋を目指した。