非道なる者たち
結局俺は学校に登校することはなかった。ベッドの前に腰を下ろしたまま、ただ徒に時を過ごした。俺の眼は何も映さなかった。別に眼が見えなくなったわけじゃない。焦点が合わず、どこを見ているのか自分でもわからない状態だ。
時刻は午後四時といったところだろうか。壁にかかっている時計を見たわけではない。視界の端に映る外の景色から判断した。もう、授業も終わりに近づいているだろう。今日はサボりになってしまった。でも、それでもいい。というか、どうでもいい。
自分を変えることなんて、出来なかったんだ。俺はそれを思い知った。何も変わらなかった。Fランクだと知られた時点で俺は何も見えなくなった。こんな脆い心で何が変わるのだろう。何一つ変わりはしない。俺はまた、一人になってしまったんだ……。
〝なぎさ――〟
この声が今日は頻繁に聞こえる。ずっと俺を呼んでいた。俺を呼んでいるだけ。そんなに俺に反応してほしいんなら正体を現せばいいのに。結局、これは俺の幻聴という事で無視し続けている。たぶん、一人が寂しいという俺の心が作ったただのまやかしなのだろう。
俺が一人で悶々と物思いにふけていると、軽い調子のインターフォンの音が鳴った。それが俺の部屋のインターフォンだと気付くまでに数十秒はかかった。もう一度インターフォンの音が鳴る。俺はとりあえず立ち上がって覗き穴から外を窺う。
そこにはクラスメイトの宮内健吾が立っていた。手には何やらプリントを持っている。もしかして、今日学校でもらったプリントだろうか。わからないが、俺は何も考えずに鍵を開けて玄関の扉を開けた。
〝なぎさ――ダメ……〟
また、女の子の声がした。しかし、ちょっと遅かった。俺はすでに扉を開けてしまっていたからだ。
「よう、桐原。元気そうじゃねえか」
宮内は悪のない笑顔でそんなことを言う。なんだ、ただのお見舞いなのか。
「まあ、な」
実際風邪で休んだわけじゃないのだから元気そうに見えても不思議ではない。さっきまで俺は抜け殻のようだった。でも、こうして誰か友達が来てくれるっていうのはうれしかった。だから、元気そうにも見えたのだろう。まったく、現金な奴だ。
「あ、そうそう。これが今日のプリントな。授業ノートは……悪い、俺はノートを取る人間じゃないんだ。許せ」
まったく悪びれることも無く言う。宮内は真面目に授業を受けてないらしい。大丈夫なのだろうか、こいつはこいつで。
「ああ、いいよ。ありがとう」
俺も出来るだけ笑顔で答える。かなりぎこちないものだったかもしれないが、これが今の俺に出来る精一杯の笑顔だ。
「まあノートは水橋とか冴木に見せてもらえよ。あいつらノート綺麗そうだし」
宮内はなかなかぐさりと来るようなことをついてくる。どっちにもそんなことが出来ないような関係になったから休んでいるんですけどね。けれど、それは知られてはいけないので、俺は適当に頷いておく。
「いやあ。それにしてもいいところに住んでるよなあ……。第二男子寮って寮監がテキトーでルール緩いんだろ?」
「ああ。他のところよりかは」
「俺の第三男子寮なんて寮監がスッゲー厳しくてなあ。美人の寮監ならどんなに罵倒されてもどんなに厳しくルールをしかれても許せるのに……。あんなゴリラみたいな男とは関わりたくもないね」
「そりゃあ、大変だな」
「それに比べて第二男子寮の寮監ときたら美人だろ? しかもテキトーなんだろ? もう至れり尽くせりじゃねえか」
確かに俺のクラス寮の寮監は美人だ。黒髪の短髪。ショートカットというべきか。流れ出てくるオーラみたいなのもそういう美人系のオーラがある。しかし、あの人は煙草を吸っていた。別に煙草を吸うのがいけないわけではないが、なんか残念だった。
「ホント、俺はこっちが良かったよ」
「ははは」
俺は相槌を打ちながら適当なところで笑う。
「あ、そうそう。今日はお前に紹介したい奴がいるんだ。といっても、お前とは知り合いらしいけど」
「……え?」
その瞬間、空気が凍りついた。俺に合わせたい、知り合い。この二つのワードで俺は三人思いつく。水橋雪乃、冴木瑠璃、そして――。
「高崎、修也――!」
横合いから不敵な笑みを浮かべて現れたのは、中学校時代の知り合いの高崎修也だった。俺を散々痛めつけてきたグループのリーダー格。
俺は思い切り玄関の扉を閉めようとする。しかし、扉は閉まらなかった。宮内の手によって止められていたからだ。宮内は俺よりもさらに強い力で扉を強引に開かせる。
「まあ逃げんなよ。仲良くしようじゃねえか」
宮内は、俺が驚愕の表情をしているのがわかっている。わかっている状態で、それを楽しんでいる。どうしたというのだろう。宮内がどうして高崎と知り合いなのか。それがわからなかったが、宮内は俺にとって最後の言葉を発した。
「無能力者」
俺は驚愕に目を見開いた。何故、宮内がそんなことを知っているんだ。まさか、高崎と知り合ってからあいつにいろいろ言われたのだろうか。
「いいや。それは違うぜ、なぎさ」
高崎が声を発する。
「どうせお前は俺が健吾にFランクの無能力者だって言いふらしたと思ってんだろう? だけどそいつは違う。こいつは最初から知っていたよ。お前が無能力者だってことくらいな」
「最初、から……?」
「そう。健吾が初めてなぎさと会った時からな」
俺は宮内の方に視線をやる。それに気づいたのか、宮内は淡々と説明し始めた。
「桐原、こんな話を知っているか? 俺たち魔術師には時として特殊な力が宿ることがある。それは先天性のもので、後天的には絶対に手に入らない。この世界でもその力を持っている人間は圧倒的に少ない。Fランク誕生の確率ほどではないがな。まあ、だからこそお前が無能力者であることはすぐに見抜けたんだ。その能力ってのはなあ」
宮内は一拍おいて、衝撃的な事実を言葉にする。
「受容体を視る力だよ」
俺はもはや言葉も出なかった。そんな力があったら、無能力者かどうかなんてすぐにわかってしまう。そんなの、反則にもほどがあるだろう。俺が何も言わないのを無視して、宮内は続ける。
「受容体っていうのは魔術師にとって必須の細胞だ。体内にある受容体という細胞に、空気中に漂う目に見えない魔力を溜める。そうやって蓄えられた魔力を燃料として使って魔術師は魔術を発動できる。受容体のない者は魔術を使えない。故に魔術師ではなく、Fランクの無能力者と呼ばれるんだ。受容体を視ることは戦闘において有利に働く。相手の受容体の魔力補充のキャパシティも分かるし、魔力残量も確認できる。まあ、お前に受容体がないってわかったのはほんの偶然だ。ちょっと確認してみたらなかったんだから、俺の方もびっくりしたね」
すると、俺は自分の胸あたりに激しい痛みを感じた。高崎に胸ぐらをつかまれていたのだ。高崎は笑っている。そうだ、こんな顔をする奴だった。こんなにも非道な表情を浮かべられる奴だった。
「まあいいよ、そんなことは。久しぶりに遊ぼうぜ、なぎさ!」
高崎は俺の胸ぐらをつかんだまま、塀を乗り越えて寮の外に飛び出した。俺の部屋は七階にある。そんなところから落ちたら、どうなることか。
「そら、よ!」
高崎は俺を空中で真上に掲げ、思い切り下へ突き落した。俺は空を切って背中から地面に叩きつけられた。内蔵のすべてが破裂しそうな衝撃が俺の体を襲う。空気は全て外に出され、呼吸困難に陥る。しかし、七階から叩き落されたというのに、俺は生きていた。
「そんなんで死んでもらっても困るんだけどなあ!」
頭上から高崎の声がする。そう思った瞬間、高崎の足が俺の腹部にめり込んだ。俺は言葉にならない悲鳴を上げる。激痛でのた打ち回りたくなる。俺が落下した時とは比べ物にならない速度で降りてきた高崎。彗星のように光の尾を引いている。地面も多少陥没していた。
「まあ今はそれくらいにしておけよ」
とことこと歩いてきた宮内は高崎を制止する。高崎は素直に俺から身を引き、ついでに黒縁眼鏡の位置も修正した。俺は痛みで立ち上がることはおろか、動く事も出来ない。第一、生きていること自体が不思議でたまらない。
「俺たちが桐原に手を下さなくても代わりにやってくれる人がいるんだ。その方に任せよう。俺たちはちょっとした時間稼ぎなんだから」
「ちっ」
「まあそう怒るなよ。ところで桐原、時間稼ぎのついでに、魔術師狩りの真相を教えてやろうか。もう隠す必要もないし」
俺が黙っているのを肯定ととらえたのか、宮内は話し始めた。
「そもそも、お前に魔術師狩りの話をしたのはあるはずもない記憶なんだよ。なぜなら、お前と初めて魔術師狩りの話をしたとき、俺はそこにいなかったんだから」
「……?」
「確かに途中までは一緒にいたがな。そこから、俺はお前をぶっ叩き、その記憶を消した。さらに、お前がのびている間に俺は新しい記憶を植え付けた。それが、俺との魔術師狩りの会話だったんだ。お前の目が覚めるのは立ち上がってからっていう『幻惑』もかけてな。じゃないと、寝たまま目が覚めるってのは不自然だろう? で、魔術師狩りが本当は存在しないってのはそういうことだ。で、その間に俺はその証拠となるように人を選んできた。苦労したが、ちょうどおあつらえ向きの女がいたよ。お前と同じように、自分を変えようとしている女がな」
「……そいつ、は」
「そう、冴木瑠璃だ。これならうまく事が運べるかも、と思ったんだ。しかしながら、冴木がまたしぶとくてな。見つけるまでに一時間かかったっていうのに、黙らせるのにも相当時間がかかった。んで、冴木の記憶も改ざんし、あたかも魔術師狩りにやられたかのようにした。そして、多少の心得の合った治癒術で冴木の傷をある程度回復し、血が垂れない様に注意を払って、お前の寮の前に落とした。まあ、お前たちを見てもなんとも思わないという『幻惑』をかけてはあったから、誰もお前たちを気にしなかったんだよ。あと、高崎にも菅原先生にも演技をお願いしてもらったよ」
宮内の話を聞いていると、だんだんと矛盾が晴れてくる。つまり、俺が第二女子寮で見た氷の欠片はやっぱり瑠璃のだったんだ。そして、瑠璃は記憶を改ざんされて、瑠璃が後ろから突然攻撃されたのだと思い込んでいた。俺は俺で宮内に攻撃され、記憶を改ざんされて魔術師狩りなんてのを信じる羽目になった。なるほど、だから俺と宮内の会話が終了したところで突然夜になったんだ。俺の眼が覚めたから。俺の背中が砂まみれだったのも、鞄がいつの間にか落ちていたのも、そういうことがあったからか。それに、誰かが俺が倒れているところや瑠璃が倒れているところをみたら皆不自然に思うだろう。けれど、そう思わなかったのはその『幻惑』とやらがかかっていたせいだろう。
いろいろと合点がいった。つまり、最初から仕組まれていたことだったんだ。俺を殺すという事が。瑠璃が選ばれたのも、俺と同じように、自分を変えようとしてこの学校に入学したからだ。利害の一致で俺たちが動き始めたことも、こいつらにとっては計画通りだったんだ。そして、その事件に巻き込まれて、まるで魔術師狩りなんていう架空の存在に俺が殺されたかのように仕立てあげる。だけど、どうしてそんなに面倒臭いことをしなければならなかったのか。中学校の時は何度も殺されかけたがそんなに面倒臭いことは誰もしなかった。
「どうして、こんな……ことを」
「ははは。どうして、か。わかってないなあ。なんにもわかっちゃいない。それが、また俺たちを苛立たせるんだ。今はもうお前をこうやって殺さなきゃあ駄目なんだよ」
俺は、ここで殺されるのだろうか。魔術師狩りという架空の事件なんかの犠牲者になるのだろうか。そうすれば、こいつらは何かを誤魔化せるのだからそうするのだろう。最初で最後の本当の犠牲者になるのか、俺は。
「お前はここで死ぬ。当たり前のことが今起こるだけだ」
すると、こっちの寮に近づいてくる誰かの声が聞こえた。俺が後ろを振り返ると、そこにはいつか見た人の姿があった。入学式の頃に雪乃と一緒に見た魔術師の喧嘩の光景。その中で、圧倒的な力を持った新入生。確か、その名前は――岸田悠誠。
「ここが、お前の死に場所だ」
冷ややかな目で俺を見下ろす岸田。その冷徹な瞳を、俺は何度も見てきた。そして、ここには雪乃もだれもいない。敵は三人。どうすることも出来そうにない。もう、諦めるしかないのだろうか。もう――。
〝なぎさ――〟
俺は、覚悟を決めた。いや、これは覚悟を決めたとは言わないのだろう。ただ単純に、諦めただけなのだ。どうしようもないことだ。無能力者にとって、これは当たり前の光景なのだから。
謎解きでした。
すごく読みにくくてすみません(泣)
さて、宮内の魔術はいったいなんなのかな?