拒絶
あれから一週間が経った。魔術師道場破り(または魔術師狩り)の調査は結あまり進んでいない。土曜日や日曜日には雪乃と瑠璃と三人で学園島を調べまわった。しかし、学園島はなかなかの広さを持っているため半分くらいしか調べることはできなかった。
そして、一週間が経っても俺は瑠璃以外の被害者をこの目で見ていない。水面下では被害者が出続けているらしいのだが。やはり、宮内はそれが誰なのかは教えてくれなかった。
「もうお手上げだなあ、これは。全然見つからねえ」
水曜日の昼休み。朝食を食べ終えた俺と雪乃と瑠璃はため息をついていた。今は宮内も加わっている。宮内の方は調査などしていないからヘラヘラと笑っている。
「まあまあ。全然進展していないってわけでもないんだろ? 少しずつでも前に進んでいれば、いつかゴールにたどり着くもんさ」
「なんでお前は笑っていられるんだよ、まったく。今度はお前だって狙われるかもしれねえんだぞ?」
「ご安心を。俺はこれでもCランクだからな。ちっとは対抗できると思うぜ」
「アホ。Bランクの瑠璃がやられてるんだよ。緊張感を持て」
「冴木は不意打ちされただけなんだろう? もしも真正面からの勝負だったら、いくら緊張しいの冴木でも戦えただろ。それよりも、桐原。お前だって狙われるかもしれないんだぞ? 人の心配よりも自分の心配をしろよ」
「あ、ああ。そうだな」
危ない危ない。こんなところでランクの話をしては駄目だった。自分で墓穴を掘ってどうするんだ。
と、雪乃がずっと宮内を見ている瑠璃にこんなことを訊いた。
「ていうか瑠璃。なんでポニーテールなの? この前は似合わないって言って自分で作って自分で崩したじゃない」
「え?」
自分が呼ばれたことに気が付いて、パッと宮内から視線をそらし雪乃の方を向く。
「ああ、えっとお。気分、ですか? あはは」
言い終わってから瑠璃は俺に目を合わせる。そしてすぐに顔を赤くして視線を自分の膝に落とした。どうしたというのだろう。確かに俺は似合っているといったが。
すると、雪乃の尖った視線が俺に突き刺さった。俺と瑠璃の間に何かがあったと、当たらずとも遠くない考察をしているのだろう。俺が愛想笑いを浮かべると、雪乃は怒りマークが似合う表情でそっぽを向いた。
「はいはい、三人とも仲がよろしいようで」
呆れたような声で宮内が言った。宮内は椅子から立ち上がってさっき食べ終えた菓子パンの包装ビニールを丸めてゴミ箱に向かって投げる。丸まったビニールは綺麗にゴミ凹に飲み込まれる。
「俺は独自の方法で情報を集めてくるわ。話せるような情報だったらまた何か教えてやるよ。じゃあ頑張れよ」
宮内はすぐに教室から出て行ってしまった。誰から情報をもらってくるつもりなのだろう。
「なあ、尾行したら色々わかるんじゃねえ?」
俺がそう提案する。我ながら秀逸な提案だ。
「それは駄目よ」
しかし、雪乃にきっぱりと断られてしまった。雪乃は意外にも真面目な顔をしていた。
「駄目って、どうして」
「……どうしてもよ」
雪乃が悲しげな顔をする。こんな雪乃を見るのは久しぶりだ。ここまで愁嘆な表情はあまり見たことがない。
「どうしたんだよ」
俺が雪乃にそう訊くと、雪乃は顔を上げて瑠璃のほうを見た。
「瑠璃、ちょっとなぎさと外出てくる。すぐに戻ってくるから」
言うが早いか、雪乃は俺の右手首をつかんで廊下に出る。そして近くの階段を上がって人気のない階段の踊り場に俺を引っ張った。
俺が突然走り出したことで息を整えていると、雪乃は息切れなど全くないようで、すぐに俺に話しかけてきた。
「なぎさ、気を悪くしないで聞いてほしいの」
「……?」
雪乃は少しの逡巡の後、意を決して言う。
「この魔術師道場破りの調査。なぎさは、降りてほしいの」
「な……っ」
なんで。という単語が出てこなかった。雪乃の言葉に俺はただ驚愕を隠せないでいる。どうして、雪乃がそんなことを。
「嫌だっていうのはわかってる。でも、なぎさのためには降りてもらうしかない。それでも降りないのなら、この調査は全部打ち切り。全部なかったことにする」
「……全部なかったことって……」
「そう。全部なかったことにする」
「……そんなのって……そんなのってありかよ! 友達がやられたってのに放っておけってのか!? これからまた被害者が出るかもしれないのに、それを――!」
「もしも、それが全部嘘だったら?」
「……は?」
「実際、なぎさは瑠璃が倒れていたのを見ただけ。なぎさはその前に宮内君から魔術師道場破りの話を聞いた。だから犯人がそれなんだと思い込んでいた。この調査はなぎさのその思い込みから発展しただけなのよ。それからも、私たちは瑠璃以外の被害者をまったく見ていない」
「思い込み? ……じゃあ犯人は」
「そう。魔術師道場破り、または魔術師狩り。そんなの、存在しないのよ」
「そんな……」
それを信じろというのか。いや、まて。そういえばこの一週間、いやその前も。ちょくちょく雪乃がいなくなることがあった。もしかして、あれは雪乃が自分で調査を進めていたのか。だったら、
「雪乃。もしかして、宮内に情報を与えている奴の事を」
「だからなぎさ。もう、この調査から降りて。あとは私と瑠璃でやるわ」
「どうして! 俺も、何か!」
何かできるはずだ。やっと回ってきたチャンスなんだ。俺が、自分自身を変えてやるためのチャンスなんだ。
「何もないわ! なぎさに出来ることなんて、何もない……」
雪乃はついに柳眉を逆立てて怒りをあらわにした。
俺は……。
「そっか」
自分でも驚くほどに冷静だった。雪乃の拒絶に対して、こんなにも冷静でいられるなんて。俺は、結局雪乃にも役立たずと思われていたらしい。
「わかった、降りるよ。俺はもう、その調査には関わらない」
俺はすぐに踵を返し、階段の踊り場を後にした。雪乃がその時、どんな顔をしていたのかなんて、俺には知る由もなかった。
*
なぎさの背中が見えなくなった。雪乃は壁に背中を預けて、ずるずると背中を滑らせる。床に雪乃のお尻がつき、それも止まった。掌が踊り場の硬くて冷たい感触をとらえる。お尻にも、スカートの布越しからその感触が伝わる。
紺色の短いスカートに水滴が落ち、少しだけ広がった。それからも、ポタポタと水滴が落ちてくる。
雪乃は涙を流していた。一粒落ちたらもう止められなかった。そこからを堰を切ったように大粒の涙が雪乃の大きな瞳からから溢れ出した。
雪乃は声を押し殺す。ひっく、と泣きしゃっくりが何度も喉からこぼれる。雪乃は子供のように両手を使って溢れる涙を拭く。
(なぎさ、悲しそうな顔、してた)
当然だ。裏切られたと思われても仕方がない。でも、なぎさには傷ついてほしくなかったから。もう、なぎさがあんな思いをするのはごめんだから。
(私しかいないのに、なぎさには私しかいないのに)
そう思うたびに、雪乃の瞳からは涙が溢れてくる。
思い出されるある人の言葉。
“雪乃ちゃん。なぎさの事、よろしくお願いね。なぎさには、あなたしかいないから”
(ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい!)
約束したのに、今、私はなぎさを傷つけてしまった。雪乃の心には後悔が残る。
しかし、雪乃にはこうするしかなかった。なぎさをこれ以上傷つけないためには、こうするしかなかった。
だからもし、なぎさがこれで雪乃と離ればなれになったとしても、雪乃はなぎさを守っていくつもりだ。陰ながら、なぎさを。
(でも、これが、なぎさを傷つけない最善の策なんだ)
本当に最悪の結末になぎさを連れて行かないための。
雪乃は意を決する。目の前をにらみ、右手でもう一度涙を拭う。そして、右拳を踊り場に叩きつけた。
「めそめそしている場合じゃない。なぎさを地獄に連れて行かないためにも、頑張らなきゃ!」
雪乃には、もう迷いはなかった。
*
俺は教室に戻らずに近くのトイレの個室に閉じこもっていた。別に一人で泣いているわけではない。
どうして雪乃はあんなことを言ったのだろう。考えられる要素としては、やはり俺が足手まといになるからか。もしそうならこの事件の裏にはものすごい強敵が潜んでいるという事になる。それか、俺に危機が迫っているとか。これなら中学時代にもよく経験していることだ。
とはいえ、もう調査には関わらないといってしまったのである。雪乃にも間接的に邪魔と言われてしまった。これではもうどうしようもない。
「これから、どうすっかなあ」
雪乃に言われたのが相当ショックだったのだろうか。予鈴が鳴っても、俺はそこから一歩も動けずにいた。