表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

第4話 練習①

あの日以来、泉翔と凛の距離はゆっくりと、しかし確実に縮まっていた。クラスでも席が隣同士ということもあり、何気ない会話を交わすことが日常になる。


泉翔は、凛という人間を少しずつ理解し始めていた。彼女は見た目以上に物事をはっきりと言うタイプで、感情も豊かだ。悔しいときやむきになったとき、言葉遣いが少し男の子っぽくなる。特にバスケのことになるとついムキになってしまい、「今のナシ!もう一回!」と、それまでの大人しい印象とは違うぶっちゃけた口調になる。


「……蓮見、もしかして最初、相当猫被ってたろ」


泉翔が呆れたようにそう漏らすと、凛はボールを持ったまま「え、なにが……」と、とぼけたように瞬きをした。


「転校してきた初日と、今の性格、全然違う」


指摘された凛は、いたずらが成功した子供のような笑顔を浮かべた。


「それは、転校初日だったから。私も緊張してたの。……今のが、普段通りの私」


屈託なく笑う彼女を見て、泉翔は毒気を抜かれた。 転校してきたばかりの頃の、どこか他人を寄せ付けない静かなイメージはどこへ行ったのだろうか。目の前にいる彼女は、驚くほど表情が豊かだった。冷静でミステリアスな性格だと思い込んでいたが、実際は思っていた以上に明るい。そんな嬉しい誤算とも言えるギャップが、泉翔には面白かった。


だがバスケットになると彼女はまた別人になる。ボールを拾い上げ、再びゴールを見据える横顔には、瞬時にしてあの凛とした静寂が戻っていた。自分の状況を冷静に分析し、必要な練習を淡々とこなすそのストイックな眼差しは、出会った頃のままだ。


練習の時は、真剣で普段のお茶目な笑顔とは対照的な、現実を見据えた冷静な熱が宿っている。そんな彼女の多面的な魅力が、泉翔には何とも言えず愛らしく、そして目が離せなかった。


凛の右耳が聞こえないことも、今では当たり前のこととして受け入れられるようになっていた。左側から話しかければ聞き取れるし、反応が遅いときは口元をはっきり見せて話すと、意味を読み取ってくれる。 泉翔は自然とそのことを意識し、声をかけるときには少しだけ気を遣うようになった。


「……ごめん。急に肩とか叩かれると、びっくりしちゃうから。できれば、前の方から呼んでくれる?」


そう申し訳なさそうに言った彼女の言葉を、泉翔は片時も忘れない。死角から突然触れられる恐怖を想像し、泉翔は必ず凛の視界に入ってから声をかけるようになった。そんな小さな配慮が、二人の間に確かな信頼を築いていく。バスケットボールを通じて生まれた特別な絆は、いつしか日常の小さな瞬間にも満ちていた。


昼休みになると、二人は決まって一緒に過ごすようになった。大勢でわいわい騒ぐのが苦手な泉翔と、複数人での会話に気を張ってしまう凛。二人は昼ごはんを終えると、自然と体育館へと向かう。


もう二度と触れないと決めていたはずの、オレンジ色のボール。 しかし、凛の隣にいると、不思議と拒絶感は消えていた。ボールを追う視線、パスを放つ瞬間の指先の緊張、そしてシュートが放たれた瞬間の高揚感――。 凛の真っ直ぐな瞳に導かれるように、忘れていた「あの頃の自分」が、少しずつ輪郭を取り戻していくのを感じた。


体育館で過ごす時間は、実際にはほんのわずかなものだ。 それなのに、凛とパスを交わしていると、まるでその一分一秒が魔法で引き延ばされたかのような錯覚に陥る。


窓から差し込む昼下がりの光が、埃をキラキラと反射させていた。 ボールを握る手のひらの重みが、今はただ心地よい。 泉翔の口元には、自分でも気づかないほど柔らかな笑みが浮かんでいた。 あれほど自分を縛りつけていた「バスケを辞めた」という呪縛さえ、今は霧が晴れるように意識の端へと消えていた。


今日もまた、メインコートの喧騒から少し離れたゴールの下で、二人は軽いパスを回したり、シュート練習をしたりして過ごす。


「蓮見、走れ!」


凛が素早くゴール下へ走り込み、泉翔がその指先へと完璧なタイミングでパスを送り届ける。 凛はそれを吸い付くようにキャッチしたが、放ったレイアップシュートは惜しくもリングの縁に弾かれた。


「あー、もう! 今のは入ったと思ったのに!」


凛が悔しそうに声を上げ、地団駄を踏む。その様子に、泉翔は思わず小さく吹き出した。悔しそうにムキになる凛。そのぶっちゃけた口調に、泉翔は思わず吹き出した。


「口、悪くなってるぞ」


「だって、本当に悔しい!」 頬を膨らませて睨んでくる凛。その表情があまりに真っ直ぐで、泉翔の頬はさらに緩んだ。


失敗しても、成功しても。こうして二人でボールを追いかける時間そのものが、今の泉翔には何よりも心地よかった。心の奥底に眠っていた情熱が、少しずつ、けれど確実に熱を帯び始めている。 それでもまだ、「もう一度、部活に戻る」と断言できるほどの勇気は、今の泉翔には持てずにいた。


「ねぇ、もう一回! 今のやり直し!」 凛が意気込んで声をあげるが、タイミング悪く予鈴が体育館に鳴り響いた。


「……時間だぞそろそろ」 泉翔が小さく呟くと、凛は「えーっ!」と露骨に不貞腐れ、手元にあったボールを泉翔に投げた。


放られたボールを左手で軽く受け取った泉翔は、それをそのまま、ノールックでリングへと放り投げた。ボールは一度バックボードに当たって弾かれる。 だが、泉翔はすでに動き出していた。


弾かれたボールの軌道を読み、バネが弾けるように高々と跳び上がる。 空中で再びボールを捉えると、そのまま重力に従ってリングへと押し込んだ。


「……やばっ」 凛が思わず息を呑むような声を漏らす。 着地した泉翔自身も、自分の体がこれほど自然に動いたことに少し驚いたような顔をしていた。


「……ほら、行くぞ」 照れ隠しに先を歩き出した泉翔に、凛が「今の何!? すごいんだけど!」と駆け寄る。 二人は笑い合いながら、昼下がりの静かな体育館を後にした。


廊下を歩きながら、泉翔は少し迷ってから尋ねた。


「なぁ。最近、部活の方はどうなんだ?」


凛はふと足を止め、視線を斜め下に落としてから答えた。


「うーん……ぼちぼち。やっぱり…思った通りパスタイミングが微妙にズレるから。苦戦中」


「そっか。…でも、なんでだろうな。どのタイミングでミスが出るんだ? キャッチの瞬間か、それとも走り出す時か?」


泉翔も首を傾げ、司令塔ポイントガードとしての視点で問い返す。


凛は小さく口を噤んだ。何かを言いかけて、結局は「……どこかな。全体的に、かな」と、ぼそりと呟く。


凛は試合中、補聴器を外していると以前言っていた。つまり、コート上ではほとんど「半無音」に近い状態で、味方の目線や肩の動きだけを頼りに動いているはずだ。それは、常人の数倍の集中力を要する、極めて過酷なプレイだ。 それを感じさせないほど自然に振る舞っている彼女だが、その裏にあるストイックな練習量は、泉翔の想像を遥かに超えているのかもしれない。


凛はさらに、独り言のように小さく付け加えた。


「……タイミングの問題だけなら、いいんだけど」


泉翔はその言葉の真意にまでは踏み込まなかった。ただ、彼女の横顔にうっすらと差した陰が気になり、短く言葉をかける。


「……あんまり、無理はするなよ」


「無理? 無理なんてしてない。楽しいことを、ただ一生懸命やってるだけ」


凛は顔を上げ、にこっと微笑んだ。その笑顔に少しだけ安心しつつも、泉翔の心の奥では、正体の分からないざわつきが消えなかった。無理をしているわけではないだろうが、どこか危うさが透けて見える。


「……いや。蓮見は、ストイックすぎる」


「そう?」


凛は少し照れくさそうに笑い、逃げるように視線を逸らした。泉翔は、彼女の細い肩が背負っているものの重さを、改めて噛みしめていた。自分に厳しくあろうとする彼女だからこそ、一人で抱え込みすぎてしまうのではないか。そんな不安を払拭するように、泉翔は気になっていた話題を切り出した。


「そういえば、いつも俺からのパスでシュートを決めたりしてるけど、蓮見がパスを出す練習しなくていいのか?」


「…うーん、まぁしなきゃいけないとおもっている…」


「…ん?」


歯切れの悪い返答に泉翔が首を傾げると、凛は困ったように眉を下げた。


「私…苦手なんだよね、人にパスするの。今までパス出されると自分から決めに行くからあんまり練習してない」


そう言って、凛はごまかすように小さく笑った。


泉翔は、彼女がこれまで見せてきた鋭いドライブや、迷いのないシュートフォームを思い返した。凛のいたチームでは、常に凛が中心となって得点を稼ぎ出すスタイルだったのだろう。凛が動けば道が開け、最後は彼女が決め切る。そんなエースとしての在り方が当たり前だったのだと、その圧倒的な存在感に改めて感心させられた。


「……これから、その練習もしていこうな」


「…はい」


素直に頷きはしたものの、凛の返事はどこか重たかった。


眉間にうっすらとしわを寄せ、あからさまに「嫌だ」というオーラを隠そうともしない。一人で突破してシュートを叩き込む快感を知っている凛にとって、他人の動きに合わせてボールを手放す練習など、面倒以外の何物でもないのだろう。克服しなければいけないと頭では分かっていても、心のどこかでは「だるいな」という本音が透けて見えていた。


「……顔に出すぎだろ、蓮見」


「だって……苦手なものは苦手だから嫌だよ」


凛は唇を少し尖らせて、そっぽを向いた。その拗ねたような子供っぽい表情に、泉翔は思わず苦笑してしまった。彼女の圧倒的なカリスマ性の裏にある、年相応の頑固さが少しだけ可笑しかった。


教室に戻り、席に着くと、後ろから遠慮がちな声が掛かった。


「ねぇ、蓮見さん」


女子バスケ部の部員たちだった。しかし、ノートをめくっていた凛はその声に気づかない。泉翔は、凛が音を拾いやすい左側から、そっと声をかけた。


「蓮見。……呼ばれてるぞ」


「え?……あ、ごめん! もう一度いい?」


凛が慌てて顔を上げると、部員の一人が少し大きな声で言い直した。


「あ、ごめんね。あのね、先生が今度の練習試合のことで伝えておきたいことがあるって。後で職員室に来てほしいみたい」


「わかった、ありがとう」 凛はいつものように、にこっと笑って返す。


そのとき。すぐ側にいた別の女子――風見莉子が、吐き捨てるようにぼそりと呟いた。


「……本当は、聞こえてるんじゃないの?」


刺すような言葉が、教室内を冷えさせた。


「ちょっと、莉子! やめなって」 制止したのは、一緒にいた篝千佳だった。


莉子は「フン」と鼻を鳴らして凛を睨みつけると、そのまま踵を返して離れていった。その視線に混じっていたのは、隠そうともしない明確な「拒絶」だった。 右側から放たれたその言葉は、凛の耳には届かなかったかもしれない。けれど、彼女の口元の笑みが、一瞬だけ微かに強張ったのを、泉翔は見逃さなかった。


「ごめんね、蓮見さん。気にしないで」


「ううん、大丈夫。篝さん、教えてくれてありがとう」


凛は変わらず微笑んでいた。けれど、その微笑みが、無理に張り付けた仮面のように泉翔には見えた。 「気にしないで」という言葉が、かえって彼女の孤独を際立たせているようで、泉翔は胸の奥がチクリと焼けるような感覚を覚えた。


愛想の悪いあの少女は、風見莉子。女子バスケ部の2年で、ポジションはポイントガード。少し釣り目がちの瞳が印象的な、いかにも気が強そうなタイプ。練習や試合で見せる高い位置のポニーテールが彼女の象徴だが、今のその背中には、味方に向けるべき体温がこれっぽっちも感じられなかった。


対照的にフォローを入れた篝千佳は、レギュラーではないものの、持ち前の面倒見の良さと分析力で部を支えるマネージャーだ。データ収集や戦略立案で先生からも一目置かれる彼女の存在は、今の凛にとって唯一の救いなのかもしれない。


泉翔は去っていく二人の背中を見比べながら、苦いものを飲み込んだような表情で考えた。


ポイントガードは、コート上の指揮官だ。受け手である凛との間にこれほどの断絶があるのなら、凛が「パスタイミングが合わない」と漏らすのは当然だった。技術の問題以前に、パスの供給源である莉子が、凛という戦力を拒絶しているのかもしれない。


同じポジションを経験してきた泉翔だからこそ、莉子の振る舞いがどれほど不誠実で、凛を追い詰めているかが手に取るように分かってしまう。


昼休みに彼女がぼそりと呟いた、「タイミングだけなのかな」という言葉。その裏に隠された、コート上の孤独。


横目でノートを見つめる凛の強張った横顔を見る。 泉翔は無意識に、ペンを握る手に力を込めた。


「……今度、部活を覗きに行ってみるか」


凛がどんな逆風の中でプレイしているのか。そして、あのパス連携に生じている「ズレ」の真実を、この目で確かめたい。泉翔は放課後の体育館へ向かうことを、静かに心に決めた。

第4話 練習①をここまで読んでくださりありがとうございました。

今回は凛が抱えている悩みについて触れる場面がありましたね。ここから少しシリアスな場面が続くかもしれません。

今回もまた作品のご感想などお待ちしておりますので、引き続き次回エピソード更新までお待ちいただけますと幸いです。


それでは次回エピソードでお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ