第1話 出会い①
はじめまして、草凪葉月と申します。
この度購読いただきありがとうとざいます。
末筆ながら皆さまが次回エピソードも読んでみたい、続きが気になると思っていただけるような作品にできればと思います。
ぜひ、末永くよろしくお願いいたします。
ぬるい風が春の匂いを連れて鼻先をくすぐり、公園からは子供たちの楽しげな歓声が響く。街全体が和やかな空気に満ちていた。 しかし、視界のどこを切り取っても、白く飛びそうなほどに光が強すぎる。街路樹の若葉は瑞々しく光を跳ね返し、陽光に縁取られた緑がチカチカと網膜を刺した。アスファルトには淡い桜の残骸がこびりついている。春という季節が持つ独特の浮ついた熱気が、ゆらゆらと足元で揺れていた。
川神泉翔は、頼まれた買い物の袋をだらりとぶら下げ、歩道をうつむき加減で歩いていた。世界はこれほど柔らかい日差しに満ちているというのに、彼の心はどこか重く、体を支配しているのはやり場のない面倒くささだけだった。
「眩しぃ……」
歩くたびに肩をすくめ、風になびく前髪をうっとうしげにかき上げる。指先が、そのまま耳たぶのピアスに触れた。まだ馴染むまでの多少の痛みもあり、慣れない金属の重みが気になってしかたない。親に反対されながら無理やり開けた穴と、茶色に染めた髪。それらは、今の彼の行き場のない反抗期が生んだ、衝動的な傷跡のようなものだった。
とぼとぼ歩いている中、ふとお使いを頼まれたときの面倒なやり取りが頭をよぎる。反抗心はあるのに、親の頼みを断れない自分に、少しいら立ちを覚える。馴れた帰り道だったが自然と足取りが重たくなった。思わず眉間に力を入れ、「はぁ…」と重たい溜息を吐く。反抗期の名残が、こうして些細な日常の中にも顔を出すのだった。
大きなあくびをしながら、いつもの帰路を歩く。そのとき、遠くから規則正しいリズム音が聞こえてきた。
「ドンドン、タン、ドン……」
革のはじく音、バウンドするたびに地面を叩く小さな振動。バスケットボールのドリブルの音だ。
この公園で、こんな音を聞くのは随分と久々だった。昔はよくバスケの練習に明け暮れたが、この公園に来ることもなくなっていた。
自然と耳がそちらに向く。手にしたお使いの袋を握りしめる。ドリブルの音に誘われるかのように足取りが、公園の入り口へと向かう。途中何度も引き返し帰ろうと思ったが、気になって仕方ない。
何となく興味が湧き、普段なら通り過ぎるだけになった公園へ、ふらりと足を運んでしまった。
幼い頃遊んでいた公園は、あのころと変わらない風景のままだった。少し錆びれた遊具があったが、手入れは行き届いている。しかし、自分が遊んでいた頃よりも利用する子どもが減ったのか、この時間帯でも遊んでいる子どもは少なかった。その影響もあってか、バスケットコートからは先程よりも激しく音が伝わってくる。
胸の奥がざわつくのは、音のリズムに引き寄せられたせいか、それとも昔、自分もコートに立っていた記憶が顔を出したせいか。泉翔は気づくと、コートの縁に立っていた。
泉翔の目に飛び込んできたのは、ドリブルのたびに跳ねるボールと、しなやかに動く腕。まさにバスケットボールの練習風景そのものだった。
「ここでは見慣れない子だな…」と心の中で呟きながらも、リズム良く刻まれるドリブルの人物を目で追う。
そこには一人、見慣れない少女がボールを扱っていた。
風に揺れる長めのダークブラウンの髪は、内側の青みがかったグレーが顔周りを彩るようにちらりと見えた。サイドの細いハイライトも、動くたびに柔らかく光を受け、髪全体に艶めきと軽やかさを添えており、片耳を隠すように結んだサイドテールは、集中力と力強さを同時に感じさせた。
少女の腕がしなやかに動き、ボールは美しい弧を描いてリングへ吸い込まれる。後ろへ飛びながら放つフェイダウェイシュート。無駄のないフォームは、まるで舞うようで、息を呑む美しさだった。綺麗なフォームで打つシュートに思わず、泉翔は見惚れる。放たれるシュートはことごとくリングを通過していた。
泉翔は、幾度か放つシュートを目にしているとボールはリングに当たり、跳ね返ったボールは泉翔の足元へ転がってきた。
少女は少し苛立たしげに言った。
「ねぇ…さっきからさ、ずっと見られていると手元が狂うんだけど…」
額の汗を拭いながら肩で息をする少女。頬を伝う一筋の汗が、日差しに反射してきらりと光った。陶器のように滑らかな白い肌にはわずかな赤みが差し、すっと通った鼻筋の下、潤んで柔らかそうな唇は、言葉を発する前からどこか張り詰めた空気をまとわせていた。泉翔を見つめる長い睫毛の奥にある茶色の瞳に、彼は吸い込まれそうになった。
「…なに?」
「あっ…ごめん…邪魔するつもりなかった」
泉翔は戸惑いながら、思わず「あまりにも綺麗なシュートだったから」と返す。
その言葉が静かな公園に溶け、二人の間に束の間の沈黙が降りる。 少女はふいっと視線を逸らすと、照れ隠しをするように泉翔の足元にあるボールを指さした。 「そ、そう……。そこのボール拾ってよ」 少し赤くなった耳を隠すように、彼女はぶっきらぼうに促した。
泉翔は言われるがまま、足元のボールを拾い上げた。 手のひらに伝わる、ザラついたゴムの感触。バスケを辞めてからまだ日は浅いというのに、その重みは記憶にあるよりもずっと大きく、重く感じられた。
無意識に、指先に力がこもる。 夢中でコートを駆け回っていた自分。そして、逃げるようにバスケを捨てたあの日――。 抑え込んでいたはずの記憶が、濁流のように頭の中を駆け巡る。苦しさのあまり奥歯を噛み締め、その表情は自然と険しく歪んでいった。
「……どうしたの?」
怪訝そうな少女の声に、泉翔はハッと我に返った。
「あ、いや……なんでもない」
彼は小さく首を振り、逃げるように視線を逸らした。
腕に力を込め、少女の手元へ向けて無造作にボールを放った。指先が記憶していた通りのスピンがかかり、ボールは吸い込まれるように彼女の胸元へと届く。
「……あ、ありがとう」
完璧なパスに驚いたのか、少女は一瞬だけ目を丸くして受け取った。 現役時代を彷彿とさせる、鋭く正確な軌道。辞めてなお失われないその感覚が、泉翔の胸をざわつかせた。
投げ終えた手のひらには、久々に触れたボールの余韻がじんわりと残っている。 「もうバスケは終わった」と自分に言い聞かせてきたはずなのに、その熱を帯びた感触が、心の奥底にある未練を容赦なく暴き立てる。
泉翔は言いようのないもどかしさを感じ、申し訳なさそうに視線を下げた。 「練習の邪魔したな……」 それだけ短く言い残すと、彼は逃げるようにその場を後にした。
少女は「あっ…ちょっと!」と言い、泉翔を呼び止めようとするが、泉翔の耳には届かなかった。
少女は、泉翔が放ったパスに何かを感じながら去っていく背中を見つめていた。背中が見えなくなるとゴールを狙い、その場で飛び、ボールを高く構えシュートを放つ。綺麗な放物線の軌道を描きながら、リングネットを揺らすことなくボールが通過した。辺りには空しくボールの跳ねる音が反響していった。
家に着いた泉翔は、買い物の袋をリビングにだらりと置いたまま、自室へと向かった。母親が何かを言っているようだったが無視をし、部屋へ行く。外から聞こえていた喧騒が遠ざかり、部屋は静寂に包まれている。
ベッドに荷物を放り投げ、いつものようにスマホを手に取ろうとしたそのとき、ふと視線が部屋の隅に向けられた。そこには、埃をうっすらとかぶったバスケットボールが転がっている。
それは、彼がバスケを辞めてからずっと触っていない、自身の相棒だった。
「……あぁ、そういや、ここに置いてたな」
口から出た言葉とは裏腹に、泉翔の足は自然とボールへと向かっていた。冷たい床に転がるボールを拾い上げ、埃を軽く手のひらで払う。すると、かつての感触が、指先からゆっくりと蘇ってくる。
彼はそのままベッドに横たわると、バスケットボールを顔の真上へと掲げた。表面の凹凸を指先でなぞるたび、脳裏にはあの少女の姿が鮮明に浮かび上がる。なぜこれほどまでに彼女が焼き付いて離れないのか。それは、がむしゃらにボールを追いかけていた頃の自分の面影を、彼女の中に見てしまったからだ。
やがて、指先でボールをゆっくりと回し始めた。バランスを取るために意識を集中させる。だが、離れていた時間は残酷だった。すぐに軸を乱したボールは、指先を滑ってあっけなく床へ落ち、暗いベッドの底へと吸い込まれていった。
「……っ」
ボールが床を叩く乾いた音が、静まり返った部屋で、あの日と同じように反響した。
――お前のせいだ。お前があんなパスを出したから、俺たちは負けたんだ。
脳裏に突き刺さる、チームメイトたちの歪んだ顔と、逃げ場のない罵倒。あの日、体育館の床に転がったボールは、今の自分と同じように絶望を孕んで止まっていた。
泉翔はそれを拾おうともせず、天井を見つめたまま深く息を吐いた。拾いに行く気力もなく、ただ静かに目を閉じる。少女の美しいフォームと、手に残るパスの感触。それらがかつての忌まわしい記憶と重なり、消したはずの未練を、痛みとともに激しく揺さぶっていた。
どれだけ虚勢を張っても、身体が覚えている熱量までは誤魔化せない。暗闇に沈んだ指先が、今もなお、あのボールの重みを求めて痺れるように熱を持っていた。その熱に追い詰められるように、彼は逃げるように、さらに深く奥歯を噛み締めた。
第1話 出会い①をここまで読んでくださりありがとうございました。
ぜひご感想などお待ちしておりますので、引き続き次回エピソード更新までお待ちいただけますと幸いです。
それでは次回エピソードでお会いしましょう。




