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価値のある人

作者: 白波さめち

初投稿です。


人生の価値は、誰に決められるのか。


最後に明かされる真実が、世界の不条理を突きつける、ディストピアサスペンス。

 血のようなどろりとした液体が、点滴バックから管を通って俺の腕へと流れていく。



 無機質で真っ白な部屋に響くのは、壁一面を取り巻く多くの機器から出る機械的な音。


 ベッドに寝かされ、手足を拘束された俺は、隣でバインダーを持ち経過を記録する白衣の男に声をかけた。



「家に帰してくれ」


「それはできません」



 手元のバインダーに視線を固定したまま、感情のない声で彼は返事をした。

 そんな彼を睨むようにしながら俺は口を開く。



「俺がなんで選ばれたんだ」


「貴方が国の定めた、“人類に必要な人間”の基準を下回った結果です。貴方は替えのきく人間なんです」



 俺は腕に流れる赤い液体に視線を向けた。



「これはなんの薬だ」


「この薬は人類に価値のある成果を残した、ある男性の脳を、特殊な方法で液状化したものです。これが入るたび、少しずつ貴方の脳はその男性の脳に上書きされます。これは新しい脳移植の形です」



 俺はなんとか、液体が流れてくる管を抜こうと腕を動かすが、固定された手足はほとんど動かない。





 白衣の男は液体が順調に私に流れているか、挿入部、管、バックを丁寧に確認しながら口を開く。



「貴方の脳に上書きされる男性は、過去に脳出血の既往があり右手足に麻痺があります。そちらの症状も移植されますので、右の手足に痺れが出てきたら教えてください」



 俺は淡々と話すそいつの言葉を無視して問いかけた。



「なぜ俺が替えのきく人間だと言えるんだ」



「貴方は知能も高くなく極々一般的です。仕事の成果に関しても、価値のある結果は出せていません」



「それでも…俺は犯罪を犯した事もない。仕事も真面目にやってきた」



「それは、当然のことでしょう」



 白衣の男はそう言いながら、流れる薬液の速度を少し早めた。


 俺の頭に娘の綾と、妻の遥香の顔が浮かぶ。

 


「家族はどうなるんだ。」


「貴方の家族には国から支援金が出ます。彼女達の生活は今より良いものになるでしょう。」


「そういう事じゃない!娘の父親は俺しかいないんだ!」


「貴方が、家族と過ごす時間は年に100日、家族で出かける日はそこから20日程度。娘さんの運動会には3回ほど出席されていますが、参観日に出席したことは今まで一度もありません」


「仕事だったんだ!」


「貴方がいなくても、国の支援と奥様だけで娘さんの養育は可能と国は判断しました」


「そんな訳ないだろう!」



 ゆっくりと家で過ごす家族との時間はかけがえのないものだった。


 学校で起こった話を娘から聞くのは好きだった。


 妻と夜2人で語り合う時間を大切にしていた。


 一切の感情を見せずに淡々と作業をこなす白衣の男に向かって俺は怒鳴る。


「貴方には、愛する人はいないのか?何故こんな非情なことができるんだ!」



 そこで初めて白衣の男は私の目を見た。

 彼の目には私に対する侮蔑の色が浮かんでいる。



「もちろん、私にも愛する人間はいます。

貴方のように娘も妻もいる。

だから、こんな仕事についているんです。

自分も、家族も替えのきく人間にならないため、必死で国のために働いています。

私は貴方とは違う」




 部屋に響き渡る機械音。それが酷く耳に障る。

 それから気を逸らすために、私は白衣の男に投げかけた。



「私の脳を乗っ取るその男は、それほど価値がある人間なのか?」


「その男性は貴方より遥かに価値のある人間ですよ。人類の発展に大きな貢献をし、多くの人に慕われた男性です。だからこそ国は彼を失う訳にはいきません」


「だからと言って、1人の人間の人生を犠牲にしてもいいというのか!」


「貴方の人生は、彼よりも価値があると?」


「人生の価値は、他人に決められることではないだろう!」



 眉を上げて疑問をぶつける彼に、俺は怒鳴った。

 そう言っている間も、薬は点滴の管を伝って俺の腕へと流れていく。

 恐ろしくて右腕を動かそうとすると、今までにない違和感があった。まるで感覚に靄がかかったように上手く動かす事ができない。



「嫌だ。俺は死にたくない。」


「貴方の身体は死ぬわけではありません。ただ、貴方の身体を動かす脳が価値のある脳に入れ替わるだけです」


「そんなのは俺じゃない。

家族のもとに…家族のもとに帰してくれ!」



 その時浮かんだのは、年老いた女性と沢山の子供達。


 美しい調度品の並ぶ、整えられた室内で、女性は私に向かって微笑んでいる。

 仕事が終わり、子供達の部屋に続く階段を下る時はいつも胸が踊る気分だった。


 記憶と共に、私の好きなトロイメライのピアノが頭の中へと流れてきた。




……いや違う。


 こんな女性は知らない。


 俺はクラシックなんて聞かないじゃないか。

 俺の家族は綾と遥香だ。

 溢れた涙が俺のこめかみを伝っていく。


「家族の名前は分かりますか?」


「俺の家族は…綾と遥香だ」


 白衣の男は俺の返答を聞いて、バインダーに何かを記入したあと顔を上げた。



 彼はまるで俺を諭すように静かに口を開いた。



「貴方が彼の脳を受け入れることで、娘さんは支援金で今よりもずっといい教育を受けることができ、人間としての価値が上がるでしょう。

奥様は娘さんの養育者として、今後は必要な人間だと国に認められます。

それでも貴方は家族の元へ帰ることを望むのですか?」



 頭には美しいトロイメライが流れ続ける。


 ゆっくりと流れる赤い薬に視線を落とすと、俺は力を抜いた。




 時間がただ流れていく。

 天井にある無機質な白い蛍光灯から視線を移すと、点滴バックに入った赤い液体はかなり減っていた。



 この薬が全てなくなれば

 俺はこの世界からいなくなる



 それを意識すると「何故」「どうして」という疑問符が再び頭の中を埋め尽くした。


 まだやりたいことが沢山あるのに。


 やり残したことが沢山あるのに。


 隣にいる、自分より若いであろう白衣を着たこの男は相変わらず淡々と確認作業を行なっている。


 人の命を奪う仕事を、こうも淡々と行える人間が、本当に私よりも価値があるのか?


 こんな理不尽を許すべきなのだろうか。


 最後に見た綾の顔が頭をよぎる。



「お父さん、早く帰ってきてね」



 そう言って、私に抱きついてきた彼女の温かい体温を思い出した。



 私は白衣の男に語りかけた。

 涙を流し静かな声で訴える。



「頼みがある」


「何でしょう」


「脳が入れ替わるなら、家族の顔も、家族への想いも全て忘れてしまうんだろう?

だから、最後に家族の顔が見たい。

娘の顔が…もうよく分からないんだ。

愛してることは分かるのに、もう顔も思い出せない。

俺の荷物はまだあるんだろう?鞄の中の定期入れに、家族の写真があるから、最後に見せてくれないか。起き上がってゆっくり家族の顔を見ながら最後を過ごしたい」



 白衣の男は静かに私を見据えた。


 男の目には先程と違い同情の色が浮かんでいるように見える。

 しかし、彼は緩く首を振りながら口を開いた。



「それはできません」


「君にも娘がいるんだろう?さっき…そう言っていたじゃないか。」



 白衣の男は目を細め小さく舌打ちをした。

 彼の感情をさらに揺さぶるように、私はさらに言葉を重ねる。



「君がこのベッドに寝かされる立場なら、最後に愛する

人間の顔を望むんじゃないか?」


「しかし、施行中の対象者の拘束を外すことは禁止されています」


「君は拘束を外されたとして、逃げるのか?」



 そう言うと彼は声を詰まらせた。


 ベッドに寝る私の顔を見下ろしながら眉間に皺を寄せる。

 白衣の男はもう一度ゆっくりと首を振り、何かを諦めるようにため息を吐きながら私に背を向けた。


 そのまま、彼は入り口の方へと歩いて行き、部屋に一つしかない扉から外に出る。

 戻ってきた時には、革でできた茶色の定期入れを手に持っていた。

 彼はゆっくりと私へ近づき、手足に嵌められた拘束具の鍵穴に鍵を刺す。

 拘束から抜け出した私は、起き上がり少し不自由な右腕の手首をさすった。



「ゆっくりと家族にお別れをしてください」



 そう言って白衣の男は私に向かって茶色の定期入れを差し出した。


 その定期入れを受け取るようにゆっくりと左手を伸ばした私は、そのまま彼に殴りかかった。


 殴った白衣の男が床に倒れた瞬間、私はベッドから飛び降りた。

 腕についた管を思い切り引き抜き、白いドアを押して外へ出る。


 ドアの先にあったのは、窓のない真っ白な廊下。


 家に帰るために。


 愛する人に会うために。


 頭の中でトロイメライが流れる。



「今、帰るからね」



 私は不自由な右足を精一杯動かし、その廊下を走った。







♦ ♦ ♦


 殴られた私は、床に倒れた。

 チカチカと点滅する視界の端で、ベッドから飛び降りた男が右足を引き摺りながら扉から出ていくのが見える。

 自分の犯した失態に背筋が凍りつくのを感じた。

 

 頭の中で妻とまだ幼い娘の顔が浮かぶ。


 すぐに彼を捕まえ、この失態をなかったことにしなければと身体を起こした瞬間、白衣のポケットに入れた電話に着信が入る。

 私はそれを取り出し、表示された相手の名前を見て電話に出た。


「はい」


「今すぐ処置を中止してくれ」


「何かありましたか?」


「薬液の元となった男性の家の地下室から死体が出た」


「…死体?」


「身元不明の子供の死体が何十体だ。どうやらとんだ異常者だったらしい。薬は破棄しろと上から命令が出ている」


「畏まりました。ドナーの男性はどうすれば?」


「薬は全て投与していないんだろう?」


 私は抜かれた点滴針の先から、まだ流れ続けている赤い液体に目を向けた。


「はい、まだ投与は終わっていません」


「ならそのまま解放しろ」


 そう言うと相手は電話を切った。


 私はゆっくりと息を吐いた。

 ペンを胸ポケットに差し込み、バインダーから書類を外す。

 白衣に汚れがないかざっと確認し、ゆっくりと部屋から外に出た。






end















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