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灯火と人魚  作者: 月城こと葉
第弐集 水面越しの君
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一首 お嬢さんのお仕事・一

 雪ノ宮帝国には、周辺諸国とは雰囲気の違う文化が受け継がれている。例えば着物と呼ばれる衣服だったり、下駄や草履といった履物だったり、花札という遊びだったり。髷という古い髪型は日常では用いられなくなったが、特別な時には髷にしたり、髷を基本の髪型とする職業があったりする。


 長らく他国との交流を拒んでいた雪ノ宮も、今では元々の景色と外来の景色が混ざり合っている。つい先ほど清原呉服店の前を通り過ぎた若者二人組は、下駄を履いた者とブーツを履いた者だった。


「最近燈華は随分と張り切っているようだな」


 開店準備中、店頭で板敷にせっせと雑巾がけをしている燈華に父が笑いかける。


 深水家を訪れた翌日から、燈華は店の手伝いにいつもより気合を入れて取り組んでいた。とにかくお金が欲しい。その一心で。


 まず、坂の上のお屋敷まで行くのに交通費がかかる。次に、雪成が所望したお菓子を購入するための費用が必要だった。それも、しばらく自分の買い物を我慢しなければならないくらい。


 雪ノ宮国内にいくつかの店を構える菓子店、八百美堂。その本店が雫浜にある。雪ノ宮で古くから食べられている菓子に加え、異国から伝わったハイカラな菓子も取り扱う器用な店である。店に並ぶ菓子はどれも芸術品のように美しく、その見た目相応の値段を付けられていた。清原呉服店でも特別なお客様にお出しするために購入することはあるが、普段のおやつとして食べられるようなものではなかった。


「もう! お煎餅とかお饅頭かと思ったのに!」

「どうした燈華」


 煎餅などであれば、近所の庶民でも買える店で買えたのに。燈華が貯金箱代わりにしている大福の空箱の中には団子を買えるくらいの金額はあるが、異国より伝わりしふわふわのシュークリームを買う分にはまだまだ足りなかった。


 無茶なことを言う男だ。こんな頼みを聞いてやれるものか。一瞬そんな思いが過るが、やはり命の恩人への礼は己の出来る限りのことを尽くして行うべきなのではという思考に上塗りされる。そして何より、お礼の菓子を持って行くことは彼に合う口実にできた。


 助けてくれた人。綺麗な人。お金持ちの人。不思議な人。少し寂しそうな人。燈華は雪成のことを考えない日がなかった。なぜこれほどまでに彼に夢中になってしまうのか、自分では分からなかった。この気持ちは、何なのだろう。尻尾の先がちりちりと火の粉を散らして、細い煙を昇らせた。


 洗って絞った雑巾を干して、燈華は店頭へ戻る。


「今日は何をすればいい?」

「燦悟の相手をしてくれればいいよ」

「駄目。駄目よ、お父さん。私もっと何かちゃんとした仕事をしたいの」

「そうだなぁ……」


 それじゃあ、と父は帳場机に着いている一匹の鼬を指し示した。隠居している祖父が現役の頃に丁稚として働き始め、今は店になくてはならない存在となっている番頭だ。


 清原呉服店は大店とは言えない大きさの店のため、昔から奉公人や女中の数は少なかった。時が流れて住み込みの者がほとんどいなくなり、彼らは通いの従業員となる。社会の仕組みや文化というものは人間の時間に合わせて変化するものが多く、妖怪はその速さにしがみつきながら生きている。今の清原呉服店には若い従業員が多いため、番頭は住み込み時代を経験している数少ない者の一人である。


高階(たかしな)さんの仕事を手伝ってやってくれるか」

「高階のおじさんの……? 分かったわ」


 燈華は帳簿机に向かう。尋常ではないくらい長く鋭い爪を持った鼬が、その爪で算盤を弾いていた。頼れる番頭は鎌鼬(かまいたち)で、相棒の算盤は百戦錬磨の百年物である。


「おはようございます、お嬢さん」

「おはよう、高階のおじさん。父に、おじさんの手伝いをするように言われたんです。何か私でもできることはありますか」

「最近張り切っていますね。何か買いたいものでもあるんですか」

「まあ……ちょっと……。へへ、賞与(ボーナス)が出るといいなぁ……」


 ぽん、と番頭の姿が鎌鼬から人間へ変わる。鎌鼬は他の鼬の妖怪と比べると全身の風貌がきつい印象だが、人間に変化した番頭は穏やかそうな中年男性の装いである。


「ではお嬢さん、物品の確認をお願いしてもいいですか?」


 そう言って番頭が差し出して来たのは、紙束と万年筆だった。


「舟で荷物が届くんです。運河まで行ってこの一覧と照らし合わせて来てもらえますかね」

「分かりました」

「荷物は店まで運んでもらえることになっているので、確認が終わったらお嬢さんはそれと一緒に戻って来てくれれば」

「はい、了解です!」


 番頭は荷物の一覧が載った小さな冊子に紐を潜らせて、燈華に背負わせる。


「行ってきます!」

「お気を付けて」


 万年筆を咥えて、燈華は店を出た。


 運河が張り巡らされている雫浜市。清原呉服店のすぐ近くにも、小さいながらも立派な運河が走っていた。元々商家が立ち並んでいる地域のためかなり早い段階で運河が通され、中心部や田園地帯側から物を運ぶ他、店同士のやり取りなどにも使われて来た。


 燈華が運河に着くと、ちょうど小型の舟がやって来たところだった。人間の男と似たような姿形の妖怪達が積み荷を降ろしている。小豆洗(あずきあら)いである。元は小石の転がるような河原で小豆を洗う習性のある妖怪だが、雫浜においては整備された運河での荷運びに精を出している者が多い。


「おはようございます。お疲れ様です」

「おはよーう。何屋さんだい?」

「清原呉服店です」

「あぁ、清原さんね」


 それならあっちの舟だよ、と指示された別の舟も荷降ろしをしているところである。燈華は答えてくれた小豆洗いに礼を言って、そちらへ向かう。


「おはようございます。清原呉服店です」

「はいはい、これだよ。あとまだいくつかあるよ」


 燈華は降ろされている木箱の荷札を見る。『清原呉服店様 駒下駄・婦人用 十足』と書かれていた。履物は履物専門店で買うに限るが、着物と合わせて選びたいという客もいるため常にいくつか店に置いている。今日届く荷物には、反物だけではなく履物や鞄なども含まれていた。


「清原さん、これもだよ」


 燈華は返事をしながら一覧表を開き、万年筆の蓋を外す。獣の手ではペンを握って文字を書くことはできないが、ペンを抱えて簡単な印を記入することくらいはできる。荷札をどんどん確認して、ミミズが這いまわったような形の丸印が一覧表に次々と並んで行った。


 自分にできる店の仕事。鼬の姿のままでもできること。それを見付けて、増やして、こなしていきたかった。現時点ではシュークリームを買うためだが、もちろん今後のことも踏まえての望みである。いつまでもころころと転がっている毛玉のままではいられない。自分には何ができるのか。できることによって何をすべきなのか。燈華は自分というものを模索中の悩み多き年頃であった。

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