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灯火と人魚  作者: 月城こと葉
第壱集 獣と青年
3/43

二首 妖怪が暮らす街・二

 やがて、男が風呂敷包みを手に戻って来た。


「泳げないのに荷物を追って飛び込むなんて、馬鹿な女」


 呆れた様子で水から顔を出しているのは、青みがかった長い髪を持つ青年だった。濡れた髪の間から赤い瞳が覗いている。一目見て、燈華は彼のことを美しいと思った。思ったが、馬鹿と言われたのでちょっぴりムッとした。


「違うわ。荷物ごと落ちたのよ」


 青年は桟橋に手を伸ばし、風呂敷包みを燈華の横に下ろす。その手には鱗が光り、指の間には水かきが広げられていた。外見の特徴からして、この青年は人間ではないようだった。


 丸い目をさらに丸くして、燈華は桟橋に上がる青年の姿を見上げた。びしょ濡れだが、質の良さそうな着物を纏っているのが分かる。


「貴方は……河童(かっぱ)……?」


 泳ぎが得意で、水辺に住んでいるという河童。燈華は実物を見たことはないが、もしかしたら彼がそうなのかもしれないと思って訊ねてみた。青年は答えない。


 牛鬼を退治したぞ! という声が聞こえて二人は揃って通りの方を見た。帰り道は大丈夫そうだと安心した燈華が青年に視線を戻すと、彼は丁度桟橋に立ち上がったところだった。そこに立っているのは先程よりも短い黒髪を持つ青年で、びしょ濡れの着物の袖から見えているのはつるりとした人間の手である。


「えっ」

「カナヅチなら水は危険だから気を付けた方がいい。それじゃあ」

「あっ、ま待って! 貴方、貴方は私の命の恩人だわ! ありがとう!」

「……どうも」

「お礼がしたいの。貴方は雫浜の人? それとも観光客? また会えるかしら」


 青年は答えるか答えまいか少し悩む。茶色い瞳が燈華をちらりと見る。そして結局、何も言わずに走り去ってしまった。


「なんか……ちょっぴり変わった感じの人だったなぁ……。へんてこな人……」


 けれど。


 けれど、青年のことが気になった。


 水から抱き上げてくれた異形の手が、自分を見下ろした人間の目が、頭にこびりついているようだった。


「なんか、変だなぁ」


 燈華は濡れている風呂敷包みを咥えると、階段を昇って通りに出た。


 出動した怪異課と武闘派の妖怪によって討伐された牛鬼の周りは布で覆われ、警察官が野次馬を追い払っていた。負傷者はいたが、死者はいなかったそうである。よかったねと言葉を交わす人間と人間に化けた狸の声を聞きながら、燈華は家を目指して歩く。


 清原家は街の中心部からほんの少し離れた小さな通りに妖怪相手の店を構える呉服商である。近付くにつれて、道を行き交う人々の中から人間が減り妖怪が増えて行く。清原家が暮らしているのは、妖怪の方が少し多い地域である。


 大通りで起こった騒動のことはここまでは届いていないらしく、近隣の住人は人間も妖怪もいつも通りに過ごしていた。鞠を転がして遊んでいた二股の尾の子猫が、ほんのり湿っている燈華のことを不思議そうに見つめる。


 『清原呉服店』という看板が掲げられた店の前で、人間の少女が箒を手にして立っていた。帰って来た燈華を見て小走りで駆け出す彼女の見た目は人間だが、その正体は人間ではない。


「ただいま。精が出るね、燎里(かがり)

「お姉ちゃん、おかえり。どうしたの、びしょびしょ」

「色々あって」

「お母さん待ってるよ」


 妹の燎里は箒を適当なところに立てかけて、燈華のことをひょいと持ち上げた。


 鼬は変化に長けていると言われており、その能力は狐や狸すらも凌ぐとされている。燈華の家族や従業員達も仕事中は手作業が可能な人間に変化していることが多い。


「お母さん、お姉ちゃん帰って来た」

「遅かったわね。えっ、びしょびしょじゃない! どうしたの」

「色々あって」


 畳に下ろされた燈華は咥えていた風呂敷包みを母に差し出した。母に頼まれていたのは、金継ぎ師に依頼していた湯呑の受け取りである。


「風呂敷も箱も濡れちゃったんだけど、お母さんの湯呑はなんともないよ。たぶん」


 母は濡れた風呂敷を解いて、湿っている木箱を開ける。中から出て来たのは小花柄のかわいらしい湯呑である。


「ありがとう燈華。ふふ、おかえりなさい」


 母は愛おしそうに湯呑を撫でる。若い頃に父から貰ったものであり、母の宝物である。大切なものを無事に届けることができて、燈華は満足げに笑みを浮かべた。


「お姉ちゃん、体拭いてあげるよ」

「大丈夫、自分でできるから」


 伸ばされる燎里の手からするりと抜け、自室へ向かう。半開きの箪笥から手拭いを数枚引っ張り出すと、燈華はその上でごろごろと転がった。人間の腕があれば自分の体を自在に拭うことができるのに。手拭いに埋もれながら、ぼんやりと天井を見上げる。


 燈華は変化(へんげ)が不得手であった。完全な人間の姿になることなどできるはずがなく、耳や尻尾が飛び出す中途半端な姿にすらなれない。全身は不可能でも手や足だけを人間のものに変えられる者もいるというが、それもできた試しがない。変化の仕方を教えてやろうと思っていた小さな妹にはいつの間にか追い抜かれ、人間の姿の彼女に家の中をぬいぐるみのように持って歩かれる始末である。


「あの河童は、上手に人間に化けていたな……。河童ではないのかもしれないけれど……」


 運河で助けてくれた青年の姿を思い浮かべる。彼のことを考えると、口角が勝手に上がってしまう。


「へんてこだったけれど、綺麗な人だったな」


 そして、燈華は手拭いに包まれながら大きなくしゃみをした。

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