序 昔話
古より、この国には人ならざる者達が存在している。時には動物の姿をして、時には器物の姿をして、時には人間の姿をして、時にはどれでもないような形をして。彼らは人々の中に混ざったり、暗闇に隠れたりしながら暮らしていた。
妖怪やあやかし、物の怪と呼ばれる彼らが人の前に姿を現すことは吉兆であり、そして同じくらい凶兆であった。良き隣人である者もいたし、人間を襲い食らう者もいた。人々は異形の友人に手を差し伸べ、奇怪な化け物に武器を向けた。
今は昔。海辺の街に人魚が打ち上げられたことがあった。弱り果てているというのに、この世のものではないくらい美しい人魚だったという。
遭遇した少女はそれを甲斐甲斐しく介抱し、二人の間には信頼関係が生まれた。人魚は、かつて己の仲間が物好きな人間によって酷い仕打ちを受けたと言う。その復讐のためにこの街を目指して泳いで来たのだと。しかし、良い人間もいるのだと知った。己は異形の化け物であるが、半分は人と同じ形である。こうして手を取り合うことは全身が獣の化け物よりも容易なのではないか。嬉しそうに笑う人魚の様子を、少女は日記に書き留めた。
共に歌を歌ったり、本を読んだり、手遊びをしたり、絵を描いたりしながら少女と人魚は仲良く過ごした。
ところが、二人の平和な時間は長くは続かなかった。
少女が人魚と交流しているという噂を物好きな人間達が耳にしたのだ。ある日、少女が留守の間に人魚は攫われてしまった。少女が帰宅すると、家はもぬけの殻だった。きっと海へ帰ってしまったのだ。挨拶くらいしてくれてもよかったのにと、少女は寂しく思って泣いた。
あの娘は己を騙していたのだ。少女の涙など知らない人魚は怒りに震え、嵐を呼んだ。海岸沿いを走っていた人魚を載せた荷車は波に飲まれてどこかへ消えた。そして、近くにあったものは何から何まで海に飲み込まれてしまったという。
人々は逃げ惑い、動けるものは高台へと避難した。波の向こうで暴れる半人半魚の怪物の姿を見て、人々は悲鳴を上げた。荒れる波に蹂躙される街を見下ろしながら、少女は恐怖した。あの人魚はやはり復讐のためにこの街へやって来たのだ。少女は楽しい日々を綴った日記の最後に書き記す。
化け物とは恐ろしいものである、と。