表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/16

音は面接官を選ばない」


午前10時。

都内某所、合同企業説明会会場。大企業の面接ブース。

壁際の椅子で、ひとりの女が小刻みに震えていた。


後藤瞳

黒いリクルートスーツ、サイズは合ってない。足元は革靴じゃなく、スニーカー。

スーツの下に、ストラトキャスター型のギターケースを持参という、常軌を逸した就活スタイル。


まちがいなくこの会場でいちばん音楽的な人材だが、社会的にはたぶん最弱である。


「次の方、どうぞ」


受付係の声が、まるで地獄からの召喚のように聞こえる。

心拍数:160bpm。ステージに上がる直前のそれ。

だがここは、ライブ会場ではなく――


就活、である。


面接官は三人。

真ん中の男は「いかにも人事部です」な、スーツと笑顔の標準装備。

右の女はメガネを押し上げながら履歴書を見ている。

左の若い男はApple Watchを触っている(失礼)。


瞳は、名刺交換を失敗した。

そもそもポケットに入れておいた名刺が湿っていた。

震える手で履歴書を渡すと、書類がカサカサと音を立てた。

音楽以外の音に、今日はやたらと敏感である。


「後藤さんですね。では、簡単に自己紹介をお願いします」


その瞬間――脳内が真っ白になった。


自己紹介。

そんなもの、ライブMCでも詰まるのに。


「えっ、あ、はい……えと……あの……」


喉が、ギシギシと軋んだ。

沈黙が30秒続いたとき、面接官が微笑んで補足する。


「大丈夫ですよ、緊張されてますか?」


やめて。そういう優しさがいちばん効くの。


「えっと……わたし……」


その瞬間、背負っていたギターが、椅子に当たって**「キン」**と金属音を鳴らした。

リアルなGコードの残響だった。

誰も笑わなかった。というか、誰も反応しなかった。


ただ、瞳の中の何かが――ぶっ壊れた。


「すいません……」


と、立ち上がり――ギターケースを開けていた。


面接官が驚く間もなく、

彼女はギターを取り出し、コードを押さえた。


「えっ、ちょっ……」


ジャン。


Eマイナー。


「えっと、あの、これが……わたしの……自己紹介です……!」


彼女の指が動き始める。

A→D→E、定番のコード進行。

声は出ない。代わりに、手が真実を語る。

指先が語る、彼女の履歴書――それは六弦の上にしか書かれていなかった。


10秒。

15秒。


面接官Aメインが言った。


「……あの、それは……何を意図されてるんですか?」


瞳は、ギターを弾く手を止めた。


「……えっと……“コミュニケーション能力は、言葉じゃない形でも伝えられる”って……思って……」


その場が、完璧に凍った。


Apple Watch面接官が、咳払いをした。


数分後、彼女は静かに部屋を出た。

ギターを背負って。

たぶん、次に呼ばれることはないだろう。

でも、不思議と、心は静かだった。


外に出ると、雨が降っていた。

傘はない。ギターケースも濡れていく。


そこに立っていたのは――リョウだった。


「お前……やったのか?」


「うん……」


「ギター?」


「……うん……」


「面接で?」


「……はい……」


リョウは、ため息もつかず、ただ頷いた。


「よくやった。最高の事故だ。

これで私たちは、社会じゃなくて、音楽で死ぬことが決定したな」


ふたりは、濡れながら笑った。


それはきっと、失敗でも落第でもなかった。


ただの――

自分を信じた瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ