断章:「仕事って、なんですか?」
場所は――喫茶ココリコ、閉店後。
カウンター席。深夜一時。掃除も終わって、誰もいない時間。
外は雨。レナはコーヒーを淹れていて、萌絵はノートパソコンを閉じたばかり。
「ねえ、レナちゃん。あんたって、仕事って何だと思ってる?」
そう聞いたのは、私――萌絵。理学部情報系。人生設計は未着手。就活サイトの登録だけは済ませた。
レナはコーヒーミルを回してた。例によって無表情。静かに挽く。聞いてないかと思った。
けど、数秒後、ぽつりと答えた。
「命令です」
「は?」
「命令されたからする。それが仕事です」
……出た。軍人かお前は。
「じゃあ、命令されないことは?」
「自分で選んだことです」
「え? それって仕事じゃないの?」
「違います。趣味です。あるいは生きがい、または逃避」
即答かよ。
「でもさ。私たち、大学出たら、“仕事”をしなきゃいけないわけよ」
私はストローでアイスコーヒーの氷をぐるぐる回す。冷えてないし、人生も同じくらいぬるい。
「朝9時に出勤して、メール見て、会議出て、夜7時までに納品、週5日×40年。
そのために、今日も“ガクチカ”ってやつを考えなきゃいけない」
「ガクチカ?」
「“学生時代に力を入れたこと”の略。今の就活の儀式。
AIにも人間にも同じ質問を投げて、差を測るための呪文」
レナは少し黙った。で、また言う。
「それは仕事に必要なんですか?」
「面接では、必要みたい」
「実際の現場では?」
「知らん」
「では、それは命令ですか?」
……たぶん違う。でも、みんな従ってる。
「……仕事って、やっぱ、命令じゃないかもな」
私が言うと、レナが少しだけ首をかしげた。
何かを考えてる顔だった。AIでも恋でもなさそうな、純粋に“仕事”の顔。
「チサト先輩はね、たまに言うんだよ」
レナはそう言って、コーヒーをカップに注いだ。音が静かで、香りだけが残った。
「“好きだからやってる”って。それが仕事か趣味かは知らないけど、
お客様にラテを出すのも、笑顔で対応するのも、全部“自分が決めたこと”だって」
「へえ。……それで、レナは?」
「私は、チサトに言われたから、ここで働いてます」
「それ、また命令じゃん」
「でも、言われて嬉しかったから。やってて良かったから。
それは……“ちょっといい命令”です」
私は笑った。小さく。あまりに真っ直ぐで、ズルくて、いい。
「……じゃあ、あんたにとって“いい仕事”って何?」
レナは答えるのに少し時間をかけて、それから真っ直ぐ私を見て、こう言った。
「やった後に、“これでよかった”って思える命令です」
なんだそれ。ずるい。
私も、そういう仕事がしたい。言葉にすると軽いけど、胸の奥は、ちょっとだけ熱かった。
その夜。コーヒーの残り香の中で、私は静かに決めた。
就活用の“ガクチカ”には、たぶん、何も書けない。
でも、“やってよかった”と思えることを、探し続ける。
それが、今の私にできる、仕事だと思った。