第52話 ユベール公子起つ
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ファドラ公爵家の第1公子、ユベール・ド・ファドラは、カルディア公からの要請で領都ファドルフィスに帰還していた。
たまには帰郷していたものの、久しぶりの故郷の地を踏んで彼の心には万感の思いが込み上げて、胸が一杯になる。
ユベールは今年で22歳になる古代竜ファルナーガの血に連なる者で、その血を色濃く受け継ぎ、若くして強大な力を秘めていた。
父親であるゼキレライ――ファドラ公がジャグラート懲罰軍に参陣しており不在のため、騎士団の兵舎もガランとしている状態だ。
領都に残るファドラ公爵家自慢の雷光騎士団は一五○○程度。
騎士たちに声を掛けたユベールは邸宅の執事や侍女などを労って回った後、久しぶりの自室に入ると堅苦しいマントや装備などを脱ぎ捨ててソファに放り出してベッドに倒れ込んだ。
普段は鎧などを付けるための従僕などが全てやってくれるのだが、長旅による疲れから今日は断ったのであるあ。
「しかし何なんだ? カルディア公はロストス王国の動向に気を付けろと言っていたが……」
正直、カルディア公に保護された時には意味が理解できずに困惑したものだ。
そして突然の領都への帰還要請。
「確かに王国が空に近い状態の今が危険なのは確かではある」
ユベールはごろりと転がって仰向けになると意志の強そうな黒い瞳で天蓋を睨む。そして思考を再開するが、カルディア公の懸念も頷けるのものの、直にジャグラート懲罰軍は帰還するはずである。
そこに攻めてくるほど小鬼族も馬鹿ではないと思うのだが。
だが、カルディア公はカルナック王家の側でグラエキア王国の内政、軍事に大きく関与している大貴族だ。
彼にはユベールの想像もつかないほどの情報網があるのかも知れない。
常に考えて備えるべきなのだが、肝心な判断のための情報がない。
こればかりは、まだ公爵家を継いでいない身からすると歯がゆい気持ちになる。
「うーん。いつでも出陣できるようにしておくくらいか?」
ベッド上でゴロゴロと転がりながら他に何か思考の余地がないか考えていると、部屋の扉がノックされた。
慌てて飛び起きたユベールの銀灰色のくせ毛が更に酷いことになっている。
それに気付くことなく、入室の許可を出すと、現れたのは雷光騎士団の5番隊隊長を務めるヴィエラ・レネであった。
「殿下、失礼致します」
「ああ、ヴィエラか。兵舎にいなかったな。留守居役ご苦労だった。何かあったのか?」
留守居役として公子を出迎えるのが普通であるが、姿が見えなかったのだ。
白銀に輝く鎧を纏ったその女騎士は、ユベールの問い掛けに答えることなく静かに柔らかい絨毯の上を進み、目の前まで来るとグラエキア王国式の敬礼をして曰く。堅物のレネと呼ばれる彼女の表情は凛として決して崩れることはない。
「此度は長旅でお疲れのことと思いますが、重大事です。ロンメル卿から急使が参りました」
まさに今、ユベールが考えていた内容だけに、その表情が真剣なものに変わる。
と同時に不吉な予感が脳裏を過った。
「ロンメルから? それで見かけなかったのか……それで使者殿は何と?」
「はッロンメル領の領都ロンメルにロストス王国軍が突如来襲した故、至急、援軍を求むとのことです」
表情には出さないが、ユベールは素直に驚嘆していた。
カルディア公に先見の明があったと言うこと。
「敵兵の数は?」
「はッおよそ五○○○○から六○○○○ほどかと。後詰がある可能性もありますが、その点は不明。また指揮官も不明です」
「多いな……ロンメル領には……五、六○○○と言ったところか。10倍もの兵力で侵攻だと……?」
眉間には皺が寄ってユベールの表情が強張る。
ゴブリンとは言えど、それだけの数が集まるだけで十分な脅威となる。
数は暴力なのだ。
「はッ領民を西に逃し始めているようですが、全員助けるのは無理でしょう」
「くそ……直ちに出陣の準備だ。ロンメルに援軍に向かう」
「はッ雷光騎士団の恐ろしさを身を持って理解させてやりましょう」
あくまで表情に出さずにさらっと恐ろしいことを言っているが、ヴィエラが怒りを纏っているのは雰囲気から伝わってくる。
「そうだな。我が国に攻め込んだことの愚行……忘れぬよう体に刻み込んでやるぞ!」
ユベールが覚悟を決めて右手を前に振りかざすと力強く言い放った。
雷光騎士団は、雷系の魔法を行使し、剣も扱える最強の騎士団だと彼は強い自負を持っている。
彼らならばいかな敵が大軍とは言え、負けることはないだろうと思っていた。
命令はすぐに各部署へと通達されて武具や食糧、薬、アイテムの用意が進められる。光魔導士、神官、司祭は後発組となり、それらを持って行軍。
雷光騎士団は携帯食を持って先行し一刻も早くロンメル領に入ることとなった。少人数なので迅速な行軍が可能なはずだ。
1度脱いだ鎧などを再び着込んたユベールは、すぐさま雷光騎士団、5番隊隊長ヴィエラと伴って東へと急いだ。
◆ ◆ ◆
ファドラ公爵領都ファドルフィスから、ロンメル男爵領都ロンメルまでは約6日ほど掛かる。
騎馬で飛ばせばかなり短縮できるのだが、予想外のことが起こった。
次々と避難民に遭遇したのだ。
しかも増加の一途をたどり、ユベールたちは次第に行軍すら危うくなってしまう。
ロンメル男爵領の付近には他貴族の領地も存在する。
ファドラ公爵領よりもロンメル男爵領に近い彼らが既に動いていて、避難民の救助や援軍派兵を行っているものと考えていたユベールは激怒する。
「一体何をやっているのだ! 敵は我々人間の敵、ゴブリンなのだぞ! 彼奴らを侮っているのか? 味方を見殺しにするなど断じて許せん!」
ユベールは父親であるゼキレライから、王国東部の重要性について繰り返し説明されていた。東には小鬼族のロストス王国、北にはドレスデン連合王国が存在している危険性を。
ロストス王国は言うまでもなく亜人国家であり、人間に敵対的な小鬼族の国家である。
ドレスデン連合王国は大きな力を持つ王家の連合体で、その盟主から現国王ヘイヴォルの継室を迎えてはいるものの、あくまで隣国との戦争のための婚姻政策であって一時的な友好国と言える。
現盟主は比較的に穏健派のようだが、その子供たちは野心家が多いらしい。
その上、連合を構成している王たちも隙あらば盟主の座を取って代わらんとしていると聞く。
「ロストス王国とは相互不可侵のような暗黙の了解が形成されておりました」
ヴィエラは落ち着いた様子で冷静に告げると、副隊長もそれに慌てた様子で続く。普段から温厚なユベールを見ているので、すぐに怒りは沈められると考えたのか。
「もう100年……それ以上、衝突はなかったのです。前王の代に我関せずと言う約定があったとの話です」
「いや、私が言いたいのはその口約束を信じて、仮想敵国から外している愚かさに関してだ! ロンメル卿はその点、しっかりと理解していらしたぞ!」
若さ故の激昂。
だが、それはファドラ公爵家の血に連なる者として当然のものでもある。
使徒派とは言え、カルナック王家を軽んじることもなく、グラエキア王国の行く末を案じている公爵家――それがファドラの血を継ぐ者。
ヴィエラを始めとした騎士団の面々は、誰も何も言い返せない。
「ファドラの寄り子の貴族たちも動いておらんとは……舐められたものだ」
まさかジャグラートで事変が起こったことなど、ファドラ公爵家に連なる者が知る由もない。寄り子の中にはそれを別貴族ルートから知って迂闊に動かないように引きこもっている者がいるのも知らないことだが。
とにかく避難民をまとめている間に、後軍がユベールたち雷光騎士団に追いつき、食料や薬は領民たちに使用されることとなった。
また、大怪我を負っている者は神聖魔法や光魔法で回復させている状況だ。
しばらく動くに動けなくなったユベールは周囲の貴族諸侯に伝令を出し、ロンメル男爵領に多くの斥候を放つ。
時間ばかりが過ぎていきユベールのみならず騎士団を含む全軍が不安と焦燥に駆られる中、情報は徐々に集まってくる。
貴族諸侯からの返答は芳しくないものばかりで、中には渋る者さえいたほどだ。
こればかりはユベールも呆れてガクリと肩を落とし、思わずため息が吐いて出た。
「明日は我が身だとさえ思えんのか……ひいては王国の危機でもあるのだぞ……」
失望するとはこんなにも心にくるものかと、ユベールの心は情けなさで一杯だ。
表情には影が射し暗いものに変わっている。
それも若さと言うことなのだろう。
だが、有益な情報も入ってきた。
ロストス王国軍は兵を分けて、街や村で虐殺や略奪を行っていると言う話である。
「ユベール様、これは好機です。わざわざ兵を分散してくれたのです。各個撃破していきましょう」
ヴィエラが不器用ながらもわざとらしい物言いで、落ち込むユベールに進言した。いつもより声に力が籠っている気がする。
そこへ更に吉報が飛び込んでくる。
生死も行方も分からなかったロンメル男爵の生存と言う報せが。
床几に腰掛けていたユベールは俯いたままで、フッと笑うと勢いよく立ち上がる。
「よく聞け! 敵は油断した! 知らぬ土地で兵を分散させると言う愚を犯し、街で虐殺と略奪の限りを尽くしていると言う! ここは我らが知り尽くした土地だ! しかもあの槍術家、ロンメル男爵は生きている! 吉報続きだ! 愚かなゴブリン共に報復を! そして王国から叩き出してやれッ!!」
『うおおおおおおおおおおお!!』
沈み込んでいた雷光騎士団に希望の火が灯り、静かに燃えていた怒りが爆発した。
ユベールの逆襲が始まる。
ありがとうございました!
次回、ユベール率いるファドラの軍が進撃を開始す。




