第29話 ガルダームとの出会い
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王都グランネリアの貴族街にある邸宅では、金髪を撫でつけるようにオールバックにしたスリムで長身の男が居室のソファに身を委ねて座っていた。
間もなく夕食だと言うのに、優雅な所作で紅茶の飲みながら甘いお菓子に手を伸ばしており、満足げな表情でリラックスしているように見える。
貴族らしくピシッと深緑色のロングジャケットを着こなしており一見完璧な容姿だが、唯一、鼻の下のチョビ髭だけがアンバランスさを醸し出していた。
この男の名はキレル男爵。
重要な地域である聖ガルディア市国との国境沿いに領地を賜り、西にローグ公、東にアドラン公の領地と接している。男爵にして貴族社会の中で上手く立ち回り、キレ者の呼び声高い有望株と目されていた。
そしてカルディア公が企てていた漆黒竜復活の密会に参加していた貴族でもある。
部屋の扉が音を立てたことで、キレル男爵はお菓子に伸ばした手を引っ込めた。
そして視線だけを扉の方へ向けると居住まいを正す。
「入るが良い!」
高い声で入室許可が与えられると扉が開き、ヴォルフラムがその巨躯を縮こませて入室してきた。
ソファの前まで来ると、キレル男爵は起ちあがろうともせずに顎をしゃくる。
「例のガキを捕らえたぜ。旦那」
「ほほほほ。ご苦労。傷は付けておらんだろうな?」
笑ってはいるが、その目つきと言葉は鋭い。
「ああ、暴れられたが問題はねぇよ。マールに寝かしつけるように言ったからな」
「確か、スリプの実を使うと申しておったと記憶していたんだがな?」
「ザルドゥの奴がヘマこいちまったんでな」
「所詮はゴールド級と言うことかな。それで今どこにいる?」
「離れの屋敷だ。ガキ共とザルドゥたちも一緒にな。見張りも付けてるぜ」
「よかろう。では見定めに行くかな」
キレル男爵は如何にも楽しみだと言った表情で足取り軽く部屋から出て、離れへと足を運ぶ。後ろには部屋を警備していた騎士2人と、仏頂面したヴォルフラムが付き従っている。やがて本邸の裏手にある人工林に隠れるように存在する離れに到着すると、ヴォルフラムの手下たちがしゃがみ込んで馬鹿話に興じていたようで皆愉快そうに笑っていた。
「たるんどるな。まぁ下賤の身だから仕方がないがね」
キレル男爵の言葉を聞いて一部の者が色めき立つが、ヴォルフラムがすぐに制止した。お付きの騎士が離れの扉を開けるとキレル男爵が入室して、そこにいる者たちに目を向けた。
室内は魔導具による灯りで煌々と照らされてとても明るい。
床には4人の男が転がされており、1人の少女が膝を抱えてうずくまっている。
「ぐっすりだな。マール、よくやったぞ」
そう声を掛けられたマールは少しだけ顔を上げると再び俯いてしまう。
「ふむ……全員、亜人種を使ったのか。しかしコイツがレクス・ガルヴィッシュか……普通の子供に思えるがな」
キレル男爵は昏倒しているザルドゥとドラッガー、カインを足で転がして退かすと、レクスの側にしゃがみ込んでマジマジと観察を始めた。世界には行使された力の根源を理解することが出来る者がいるが、彼には全く理解できない。
「そいつは強かったぜ。マールがいなけりゃ全員殺られてたかも知れん」
「ほう。それは興味深いな……マール! お手柄じゃないか」
戦いの様子を思い出しながらキレル男爵の隣りまで近づいたヴォルフラムが殊勝なことを口にした。
それを意外に感じたのか、キレル男爵の口からは感嘆の声が漏れる。
褒められても別に嬉しくもないマールは何の反応も返さない。
「こいつらは逃げ出せないように椅子にでもしばりつけておけ。レクスには猿轡も忘れるな」
命令を申し付けて去ろうとしたキレル男爵であったが、不安に駆られて自分の技能を使っておこうかとふと思い立つ。
「【未来視】」
技能【未来視】――名前の通り未来を視ることができるが、その範囲は技能を使う度に異なる。短いと数分後の予知、長ければ年単位での予知が可能である。
キレル男爵の黒い瞳が金色に輝く。
視点は何処とも結ばれていない。
何処かを見ているのではなく、その焦点は未来と繋がっているのだ。
「ふん……あ奴らが来るのか……ハズレだな」
どうやら今回の予知は短いものだったようで、立ち去ろうとしていたキレル男爵は離れから出ると扉の前でこれから来る者を待ち受ける。
そこへ壮年の執事が近づいて来ると、恭しく礼をする。
「閣下、司教殿と司祭殿がいらっしゃいましたぞ」
「分かっている。既にここへ向かっているのだろう?」
「は……申し訳ございません。お止めしたのですが聞き入れられず……」
「気にすることはない。そう言う連中なのだよ」
「それはそれは……随分な言われ様ですな……」
執事を労わるキレル男爵の耳に、ねっとりとした不快な声が届く。
声がした方へ振り向くと、そこには漆黒のローブを纏った司祭が4人。
そして更に後方を歩くは、深い皺が刻み込まれた禿頭の老人――漆黒の大司教ガルダーム。
纏っている空気そのものが違う圧倒的なまでの漆黒のオーラ。
まるで蠢く漆黒の闇そのものであり、老人とは思えぬ凄まじいまでの覇気を発している。他の漆黒司祭とは貫禄から存在感に至るまで全てが違う。
よくよく見ればローブすら汚れ1つない絹糸を使った上物で、漆黒に金色の縁取り、刺繍が施されてその存在を大いに引き立てていた。
「ククク……これはこれはキレル男爵、何やら漆黒なる風を感じましてな……急な訪問となったことをお詫び致そう」
「別に構わんさ。しかし本当に貴君らは目敏いな。ちょうど目を付けていた子供を確保したところなのだよ」
キレル男爵も最初からレクスに注目していた訳ではない。
全てはケルミナス伯爵の行動から始まったと言える。
元々はカルディア公が企てていた漆黒竜復活の謀議で、同じく参加していたケルミナス伯爵に目を付けたキレル男爵は徹底的に彼の周辺を洗った。
そこで出てきた名前がレクス・ガルヴィッシュ。
漆黒竜の器となり得る者を探して、レクスに行き当ったのだと知ったキレル男爵はケルミナス伯爵を出し抜こうと考えた。
そのために送り込んだのが、技能【万眼万視】を持つマールであった。
結果、キレル男爵は漆黒竜どころか、もしかしたらもっと上位の存在の憑代になり得るのでは?との結論に至っていた。
ケルミナス伯爵が先に動いた結果が、堕ちた聖者ジャンヌのレクス誘拐事件であった。結果的に彼がたどる末路を『予知』で知っていたキレル男爵は、余裕を持ってレクスを追い詰めるつもりだったのだが、消されたと思われていたケルミナス伯爵が生きていることを知り強行策に出たのが現在の状況である。
レクスが本当に漆黒竜の器になれる人物ならば、カルディア公の覚えがめでたくなるが故の行動であった。
キレル男爵は、既にカルディア公が翻意したことなど知らない。
「ククク……それではわしに見せて頂いてもよろしいかな?」
「ああ、貴君は力の根源とやらが分かるようだしな。見てもらおうか」
踵を返したキレル男爵が、ガルダームたちを離れに招き入れる。
途端――ガルダームの表情が明らかに変化した。
普段は不敵な笑みを浮かべるばかりで、表情を崩すことなどないのに目を大きく見開いたのだ、
キレル男爵がそれを見逃すはずがない。
「ククク……なるほどなるほど……これは大物を釣り上げましたな」
「そう勿体ぶることもなかろう。貴君の判断を聞きたいのだがね」
既にガルダームはいつもの不敵で何処か厭らしい笑みを浮かべた表情に戻っていた。
「確かに漆黒なる力の波動を感じますな。しかしこれは……(漆黒竜の血ではないのか……?)」
「まさか分からぬとは言うまいな。漆黒の大司教殿よ」
「わしとて万能ではございませぬ。キレル郷、この者をしばらく捕らえたままにしておくことは可能ですかな?」
「可能だ。しかし何をするおつもりかな?」
「漆黒の宝珠を探し出します故、しばし時間を頂きたい」
「なるほどな。宝珠があれば馬鹿でも分かる。時間時間と申すが少々手間取り過ぎではないかね?」
キレル男爵はガルダームを痛烈に皮肉った。
向き合った両者の視線が虚空で火花を散らす。
「ククク……これは手厳しい。ですがご安心召されよ。既に策はなっております故、そこまで急ぐ必要はございませぬ。キレル郷はのんびりとお待ちしておられるのがよろしいでしょう」
「せいぜいカルディア公の機嫌を損ねんことだな。あの方は無能だと気付いていない馬鹿がお嫌いだ。せいぜい急がれるがよかろう(俺が直接動くか……)」
キレル男爵が決意を改め、ガルダームが口を開きかけたその時――
何とも間の抜けた呻き声が離れの中に響いた。
「むーもむめま……」
離れにいた全員の視線が声の主に集中する。
声を上げたのは――
「むーまむむむま、まめめむもま」
レクスはすぐに状況を把握した。
どうやら猿轡で太古の言語を言えないように、要は魔法を使えないようにしたつもりだろうが――甘い。
甘過ぎて血糖値が爆上がりするレベルである。
「なんだ? もう気が付いたのかね……? レクス・ガルヴィッシュよ」
「ククク……何やら想定外のことでも起こりましたかな? キレル郷」
キレル男爵が驚くのも当然であった。
それだけ第5位階魔法【眠神降臨】の力は強いのだ。
暗黒魔法である第2位階魔法に【睡眠】が存在するが効果は桁違い。
少なくとも1日中、長ければ3日以上寝込む場合すらある。
現に他の3人は目を覚ます気配すらなく、ピクリとも動かない。
「も? まむまーむみゃめーま」
レクスが想像していたものとは状況がかなり異なるが、これで漆黒大司教ガルダームと顔を合わせる瞬間が訪れた訳だ。
これは好機。
ガルダームを殺せばストーリーは間違いなく変わることとなるだろう。
レクスはそう思いながら、この場にいる全員を消すことに決めた。
「めめーま、めっままみももむ!」
大事な者を護ることに繋がるのだ。
故にそこに躊躇などない。
あるはずがない。
次回、レクス大暴れ。
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