第57話 竜神裁判 ③
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とうとう、原告であるケルミナス伯爵と被告であるロードス子爵の間で始まった竜神裁判の最終審問が行われようとしていた。
聖地リベラには前回同様に立会い人を含め、多くの貴族や傍聴者が集まっている。
刻は聖グローリア暦1329年3月15日。
◆アングレス教会
教皇パパス・グリンジャ(グリンジャⅦ世)
◆アングレス教会・竜神裁判長
総大司教パトリア・ルヒス
◆アングレス教会・審問官7名
◆カルナック王家・見届け人
ロイナス・アウラ・カルナック王太子
◆6公爵家・見届け人
カルディア公爵家現当主:クレイオス・ド・カルディア(カルディア公爵家)
将軍:コルネウス・ド・イヴェール伯爵子息(ローグ公爵家)
内務卿:ブリス・ド・ニュワンヌ子爵(ダイダロス公爵家)
将軍:セザール・ド・ジュリオ子爵(アドラン公爵家)
家令:アルフレッド・ジェルマン(イグニス公爵家)
家令:エドモン・ダルトゥ(ファドラ公爵家)
「ではこれより竜神裁判を執り行う。開廷の前に古代竜アウラナーガ様に祈りを」
聖地リベラに存在するアングレス大聖堂の大法廷、裁判長席ではアングレス教会総大司教、パトリア・ルヒスが厳かに開廷を宣言した。
しかし、アングレス大聖堂の大法廷の騒めきは一向に収まる気配がない。
「静粛に! 静粛に!」
ルヒスの叫びにも似た注意の言葉にようやくではあるが、徐々に静けさが戻ってくる。
何故、こんなにも場が荒れたのか?
それはカルディア公爵家の現当主であるクレイオス・ド・カルディアが見届け人として参加したのが原因であった。
6公爵家から当主が出席するなど前代未聞の出来事だったのである。
当の本人はそんな騒ぎなどどこ吹く風と言った感じで、肘掛に手を添えて堂々たる態度で静聴している。
ようやく静まった大法廷にルヒスが事件の調査を担当した聖堂騎士団《テンプル騎士団》の責任者である団長を呼び出す。
「聖堂騎士団団長、前へ進み出よ!」
「はッ!!」
団長が勇ましい返事をして証言台へと赴くと、ルヒスが問う。
アングレス教会に対する宣誓である。
古代竜に対してではない。
「聖堂騎士団は此度の件について総力を挙げて捜査し、証拠、証言を精査したと、アングレス教会の名において誓うか?」
「誓います!」
その言葉にルヒスは満足そうに頷く。
団長は胸に手を当てて敬礼すると、捜査員席へと戻っていった。
「此度の件はケルミナス伯爵からの訴えであったが、同時にロードス子爵からも訴えがあり、双方が提示した証拠と証言などを調査した。ここに起訴内容を再度述べておく」
ロードス子爵家の者、ガルヴィッシュ家の者たちの表情が険しいものに変わる。
当然、彼らもアングレス教会に対して色々な方面から働きかけてはみたが、元々各貴族との繋がりが薄いため色よい反応は返って来なかった。
ほとんど影響力を及ぼすことができなかったと言ってもよい。
一方のケルミナス伯爵であるが、当初の余裕の態度は何処へやら神妙な顔付きをしていた。
ルヒスが起訴内容を述べ始める。
まずはケルミナス伯爵からのものだ。
「1つ、ロードス子爵家の不始末によりケルミナス伯爵領へ魔物や盗賊が流入しており領内に被害が出ている。これは領地経営の致命的なミス、そして王家から領地を預かる者として怠慢である。1つ、ロードス子爵家令嬢セリアがケルミナス伯爵領へ不法に侵入した。これは領内への不法な侵入である。1つ、ロードス子爵家との領境の関所に置いてセリアがケルミナス伯爵家の騎士に対して剣を抜き彼らを負傷させた。これは王国内での私闘の禁止を破ったと言える」
次にロードス子爵からの訴えが説明される。
「そしてロードス子爵家からの異議としては、1つ、魔物と盗賊の流入についての証拠がないので提示して欲しい。1つ、スターナ村を襲撃した者の中にケルミナス伯爵家の正騎士が混じっていた。根拠はロードス子爵家令嬢セリアが放った『暗黒剣』で呪いを受けたため、確認すれば分かるというもの。1つ、セリア嬢がケルミナス伯爵領へ入ったのは堕ちた聖者ジャンヌが拉致・誘拐し、ケルミナス伯爵領へ連れ去ったためであり、関所に現れたのは彼女から逃亡したためである。1つ、領境の関所でセリア嬢がケルミナス卿の正騎士を負傷させたのは無理やり捕らえようとしてきたためであり自衛行為である」
全てを話し終えたルヒスが双方へ向けて問うた。
「これで相違ないか?」
「ありませぬ」
「ございません」
ケルミナス伯爵、ロードス子爵夫人共に異論はないと同意する。
それを確認したルヒスは頷くと聖堂騎士に調査結果を報告するように告げた。
証言台へ向かった騎士が敬礼し、発言を始める。
「魔物や盗賊の流入についてですが、これは事実のようです。我々調査部隊が領境を監視しておりましたところ、実際に確認されました。侵入した魔物の数54、盗賊団の数3です」
「異議あり!!」
その言葉にロードス子爵夫人がガタッと椅子から立ち上がる。
ルヒスは冷めた目を彼女に向けると、異議を認めて発言を促す。
「我が騎士団は領境に展開し終始監視しておりましたが、そのような事実は確認できませんでした。そもそも聖堂騎士団が監視していたとは思えません。我々は彼らの姿を見ていない!」
「領境と言っても距離がありますので、見落とされていたものと考えます」
「我が領とケルミナス伯爵領が接している箇所は限られています! それほどの距離はございません。見落としたなどと言うことは有り得ぬものと主張します!」
審問官たちが戸惑ったような表情で、ぼそぼそと話し合う声が聞こえてくる。
ルヒスが再び、聖堂騎士へ目を移すと彼はすぐに反論した。
「我々はケルミナス伯爵領にいたので気付かれなかったのだと思います」
「ケルミナス伯爵領にいたとしても領境にいれば気付かぬはずはございません! 嘘を言わないで頂きたい!」
「領境から少し離れた場所におりましたので、仕方のないことかと存じます」
「離れた場所? そんなところにいて確実に我が領からの侵入があったと言えるのですか? これは捜査の怠慢でしょう!」
あまりの発言に子爵夫人アネットが激怒して反論するが、報告する聖堂騎士に全く悪びれる様子はない。
ルヒスはそれを見て口を開く。
「静粛に。少々離れていたところで結果は変わらぬと思うが? 審問官の判断を聞かせてもらおう」
審問官には事前に証拠や報告書が渡されており、彼らによって精査済みである。
形式上、聖堂騎士に証言・報告させているだけだ。
「本気で仰られているのですか!?」
その物言いにアネットの顔が愕然とした表情に変わる。
審問官たちはしばらく話し合うと1人が代表して立ち上がると平然と答えた。
「問題はないかと存ずる。審問官全員の意見は同じである」
大聖堂が騒めきに包まれる。
ロードス子爵家側は皆、唖然とするのみ。
「では次の案件に移るものとする。スターナ村を襲撃した者の中にケルミナス伯爵家の正騎士が混じっていた件についてだが、調査結果を述べよ」
あっさりと最初の件は終了を告げられ、次の事案に入ることになってしまう。
別の聖堂騎士が前へ進み出るとすぐに報告を開始した。
「証拠は見つかりませんでした。ケルミナス伯爵家の騎士団に呪いを受けた者はおりませんでした」
「馬鹿なッ! 本当に全員調べたのですか? 直接確認させて頂きたい! 我々が調べて然るべき事案のはず!」
ケルミナス伯爵が先程までとは違い、ホッとした表情になっている。
彼の心配は杞憂に終わったようだ。
「その言葉はアングレス教会に対する侮辱である。以後、気をつけられるよう」
ルヒスが怒気を含んだ声色でアネットに釘を刺した。
有無を言わせぬ口調である。
「ぐッ……」
彼女は大いに不服であったが言葉に詰まり、竜神裁判が茶番劇であることを強く認識する。そして審問官へ見解が求められ、代表者が無慈悲に宣告した。
「我々も報告書に偽りはないと判断する」
レクスはあまりの理不尽さに愕然としつつも、呆れ果てていた。
何と言う茶番!
これが宗教裁判か!
国家で最も権威のあるはずのアングレス教会の名の下に行われるものがこの程度!
裁判と言う名の吊し上げ。
ある程度は酷い結果になるだろうと予想はしていたが、ここまでとは思わなかった。何しろ審問官が直接、報告書の裏を取るための組織を持たず、結果を丸のみするだけなのだ。
勝負は始まる前に決まっていた。
結果ありきの宗教裁判である。
思わずレクスの呟きが口から吐いて出る。
「なるほど……これまでもこんな感じで権威を笠に着て無理やり結審してきたのか……」
反論は聞き入れられることもなく、粛々と裁判は続いて行く。
誰かが書いた筋書きに従って。
「では次だ。セリア嬢がケルミナス伯爵領に不法に侵入した。しかしこれはケルミナス伯爵と結託した堕ちた聖者ジャンヌにより誘拐されたためであり、やむを得ない事情と言えるとの主張だが、この件について報告せよ」
すぐに聖堂騎士が報告する。
一切表情を変えることもなく、その口調も滑らかなものだ。
「セリア嬢が聖者ジャンヌに誘拐された証拠は見つかりませんでした」
「異議あり!! セリアとレクス殿がジャンヌに誘拐されたこと、そして関所で彼女と戦闘になったことは我が騎士団及び、衛兵たち、そしてケルミナス伯爵の衛兵により目撃されております! これは厳然たる事実! 誘拐から逃れたからこそジャンヌは追ってきたのです。騎士たちも「ようやく見つけた」、「どうやって逃げたのかは知らんが、手を煩わせやがって」などと言う言葉を耳にしております!」
アネットが申し立てた異議に対して、もう1度回答するようにルヒスが聖堂騎士に命令する。
再び登壇した聖堂騎士が詳細を口にした。
「誘拐に関してはセリア嬢、騎士団、スターナ村のレクス殿などロードス子爵家側の者からの証言は得ております。ですが第3者からの証言は得られておりません。また関所でセリア嬢、レクス殿がジャンヌと戦闘になったことは確かであると認めますが、それが誘拐から逃れた上でジャンヌに追われた結果であるかどうかまでは証拠がなく判断できません」
「我々の狂言だと仰りたいのですか?」
「そうではなく、厳然たる事実を述べただけであり、第3者からの証言がないことが重要だと言っているのです」
アネットの問いにも聖堂騎士は揺るがない。
これを聞いたルヒスは厳しい表情を作ると、捜査員席の聖堂騎士団に厳命した。
「聖堂騎士団に忠告する。報告は詳細に述べるように。言葉は飾らず、不足なく扱うことを申し渡す」
そしてこれ以上の報告はないと判断し、審問官に問う。
「審問官、これについての見解を述べよ」
「確かに第3者の証言は認められませぬが、ロードス子爵家側の証言は一貫しており、少なくともセリア嬢とレクス殿がジャンヌに誘拐され敵対していたであろうことは確かであると思われます。故に不法にケルミナス伯爵領に侵入したかと言われれば否と言えましょう。しかしケルミナス伯爵とジャンヌとの関係性までは特定できぬと思われます」
不法侵入したと言う言い掛かりは認められなかったが、ケルミナス伯爵とジャンヌの繋がりについては証拠がなく否定された。
こればかりはアネットも沈黙するしかなく、唇を噛みしめる。
「では最後の件だが、関所内でセリア嬢とケルミナス伯爵の正騎士が戦闘になり、正騎士が傷を負わされたと言う。しかしそれはあくまで自衛行為であり、私闘禁止を故意に破った訳ではないとの主張である。これについて報告せよ」
担当の聖堂騎士が登壇して報告を述べる。
それと同時に見解も付け加える。
「双方の供述は真っ向から対立しており、証明は不可能であるとの結論に至りました。ただ理由はどうあれ、私闘禁止の法を破ったため双方に罪があると思われます」
対する審問官もそれに同調する姿勢を見せた。
「我らもその見解が相応であると判断しております。セリア嬢が不法にケルミナス伯爵領に侵入した証拠がない以上、双方の罪を問うべきとの見解です」
審問官の出した結論にルヒスが満足げに首肯する。
そして大仰な態度で最終判決を下す。
「ここに結論が出た。1つ、魔物や盗賊の流入に関してはロードス子爵家の責任問題であり、明確に統治に問題があると判断する。よってアングレス教会の名においてロードス子爵家は男爵位への降爵が妥当であるとの判決を下す」
大法廷が揺れるかと思われるほどのどよめきが鯨波となって押し寄せる。
別にアングレス教会の判決を必ず王家が受け入れる必要はない。
しかし影響力は計り知れない。
重い判決に多くの者が動揺を隠し切れずにいた。
「1つ、スターナ村を襲撃した者の中にケルミナス伯爵家の正騎士が混じっていた件についてだが、これについても根拠なき訴えであり、ケルミナス伯爵の名誉を著しく貶めるものである。よってアングレス教会の名において、ロードス子爵家はケルミナス伯爵に対して正式に謝罪し、グラン大金貨5枚の支払いを命じるものとする」
最初の判決に続き、またもやロードス子爵家の敗訴が宣告された。
彼らが受ける代償は非常に大きな物となる。
2つの判決を聞いたケルミナス伯爵は満足しているようで余裕の態度に戻っている。
「1つ、セリア嬢がケルミナス伯爵領に不法に侵入したが、これは堕ちた聖者ジャンヌにより誘拐されたためであり、やむを得ない事情であるとの主張の件についてだが、これについては少なくともセリア嬢が誘拐されジャンヌとの間に敵対関係があったものとし判断し、不法侵入であることは認められないものとする」
ようやく主張が認められたことにホッとするアネットであったが、その顔色は優れない。セリアは第1、第2の判決に納得がいっていない様子で悔しい気持ちが態度に現れている。
口惜しさで泣き出さんばかりで、今にもその瞳から涙が零れ落ちそうだ。
レクスはそっとセリアの手に自らの手を重ねた。
「1つ、関所内でセリア嬢とケルミナス伯爵の正騎士が戦闘になり、正騎士が傷を負わされた件。セリア嬢側が先に剣を抜いたとの主張であるが、それはあくまで自衛行為であり私闘禁止を故意に破った訳ではないと反論があった。これについては双方の主張が対立しており、どちらか一方の主張を認める訳にはいかぬ。よってアングレス教会の名においてケルミナス伯爵、ロードス子爵の双方に罰金としてグラン大金貨1枚を王国へ納めるものとする」
最後の判決は喧嘩両成敗と言う結果に終わった。
結局、ケルミナス伯爵の主張の多くが認められ、ロードス子爵家は大きな損害を被ることとなった。
ケルミナス伯爵としては最後以外は判決内容に満足しているようで、ほくそ笑んでいる。
一方のアネットは俯いて項垂れており、力不足を痛感していた。
セリアやドミニクも同様であるが、むしろ悔しさが勝っている感じだ。
ある程度は予想していたとは言え、レクスもまた強烈な無力感を味わっていた。
いくら家族や身内を護りたいと思ってもそのための力がないのだ。
個人としての強さは自身の努力で何とかなるかも知れないが、大きな権力や権威には逆らうだけの力はない。レクスなりに伝手を作るべく動いて来たが、結局繋がりを持つことはできなかった。
如何にして大きな力を手に入れるかは大きな課題である。
大法廷の騒々しさは中々収まる気配を見せない。
果たして竜神裁判に対して満足なのか不満足なのか、それは分からない。
そんな中、大法廷に1人の男が威風堂々とした態度で入ってきた。
そして1人の見届け人が挙手すると静かに立ち上がった。
竜神裁判は未だ終わらず――
ありがとうございました。
また読みにいらしてください。
明日も12時の1回更新です。




