第29話 色んな意味で逃げ出したくなりました
「遠距離攻撃までできるのか……。なんと厄介な」
「……」
火炎放射は本当に厄介な攻撃方法だ。
矢のような速度はないが、範囲が広いうえにに燃え移っただけで致命傷になり得るため、非常に対処が難しい。
ただ、幸いなことにファティーグの火炎放射はあまり射程距離が長くないようだ。
これは恐らく、ガスの噴出力が肺活量に依存するからだと思われる。
人間を模した身体構造であるためか、悪魔の身体能力自体は常識の範囲内であることが多い。
違う場合もあるので断定はできないが、そもそも悪魔は呼吸自体不要なようなので極端に肺活量があるということもないだろう。
「厄介は厄介だが、ファティーグの火炎放射は射程も短いし、燃え移ったとしても消火は俺に任せてくれ。吸い込まないようにだけ注意をしてくれればいい」
「「……わかった」」
ドラゴンの炎の息吹が厄介なのは、可燃性の気体ではなく液体を放出している点にある。
気体であれば空気の抵抗を受けやすいため射程も短く、風などで吹き散らすことも可能だが、液体の場合は射程も長いうえに液体を燃料に燃え続けるため消火も困難と厄介さでは大きな差がある。
見た目こそ似ているが、ファティーグの火炎放射は文字通りの劣化版と言えるだろう。
俺の【粘液生成】は炎との相性も良いので、対処は容易い。
……ただ、残念ながら生成できる粘液は無限ではない。
今日は既に結構な量の粘液を生成しているうえに、整体の際に追加効果も使用している。
まだ余力はあるが、消火活動ばかり強いられると流石に厳しいと言わざるを得ない。
「ぐっ、くそがぁ……、立てねぇ……」
そう簡単に立たれても困る。
何せあの粘液は、俺が長年の経験から導き出した最も滑りの良い粘度に設定されているのだ。
どんなにバランス感覚の優れた生物であっても、一度転倒してしまえば起き上がるのが極めて困難という自慢のトラップである。
「今のうちに、ピローは頭くらいの大きさの石を見つけてきてくれ。ネイルは投石で牽制を頼む。ファティーグは、俺が全力で相手をする」
「全力で相手をするといっても、奴は立てないのだろう?」
「ああ、だがファティーグは――と言ってるそばから来たぞ! 二人ともすぐに離れろ!」
「「っ!?」」
俺の粘液トラップは汎用性が高く非常に強力ではあるが、万能というワケではない。
当たり前ではあるが、地に足を付けずに移動可能な飛行系の魔物には無力である。
鳥のように翼で飛ぶタイプであれば一度粘液まみれにしてしまえば飛行は困難になるのだが、特技で飛ぶタイプは嫌がらせにしかならない。
そして、もう一つの通じないケースは「足がない生物」である。
「ぐぞいでぇーーーーーー!!!」
「ひぃ!?」
ファティーグは悲痛な叫びをあげながらも、芋虫のような動きで滑って近づいてくる。
その速度は中々のものなのだが、正直見た目がかなり悪い。
あまりの生理的嫌悪感から、冷静なピローですら思わず悲鳴を漏らすほどだ。
まあ裸のオッサンが地面を滑って近づいてくるのだから、はっきり言って無理もない話である。
「チィ! 立てないのであれば、立たなければいいということか!」
「そういうことだ! ピロー! 早く行け!」
「あ、ああ……」
ピローは吐き気を催したのか口を押えていたが、なんとか絞り出すように返事をしてこの場を離脱する。
「ネイル、なるべくファティーグの直線上に立たないように動くんだ。恐らく急な方向転換はできない」
「だろうな。というか、奴の推進力はまさか……」
「……ああ、多分、……屁だろうな」
「クソッ! 本当に最悪だ!」
強敵との戦闘だというのに、こんなにも格好がつかないことがあっていいのだろうか?
歴史に残るレベルの戦いだというのに、はっきり言って心の底から歴史に残したくない。
小汚いオッサン相手に集団で石を投げつけ、鍋でとどめを刺そうとしたら自爆されて戦線崩壊、今度は火を吹くオッサンに屁で追い回されるという――
もう、何もかもなかったことにして逃げ出したい……
「いでぇ、いでぇ、お前ぇらぁ、ぜぇってぇ、オモチャにしてやるからなぁ!!!」
痛いならやらないで欲しいのだが、ファティーグにとっては本当に痛いだけなので我慢はできるということなのだろう。
これも悪魔ならではの強みである。
ネイルの言う通り、俺の粘液トラップの攻略方法の一つは「立たない」ことだ。
しかし立たなければ、歩行を基本的な移動方法にする生物は普通動くことができない。
地面を這うことはできるだろうが、その速度は極めて遅いうえに、普通の生物なら体中が傷だらけになってしまう。
それは粘液で滑ったとしても防げるものではないので、本来なら実現不能の攻略方法――のハズだった。
悪魔って本当クソだぜ……
「チィ! 奴には恥という概念がないのか!」
「ない! 悪魔に人間の常識や感覚を期待しても無駄だ!」
人間を含む足のある生物は当たり前のように立っているが、そもそも立つという行為は高度な技術で成り立っている。
特に二本足で立つ生物は、奇跡的と言っていいほどのバランス感覚が備わっているからこそ、立った状態で色々な動きができるのである。
それゆえに足への攻撃は大抵の場合有効であり、接地自体に干渉できる俺の粘液トラップは足のある生物にとっては最悪と言っていいほどの効果を発揮する。
しかし、足がない生物であれば立つという概念がないので効果を発揮しようがない。
その点でいうと悪魔は人間を模した身体構造をしているため二足歩行ではあるのだが、あくまでも模しているだけであるためか呼吸をせずとも問題ないし、どんなに血を流しても失血死することはない。
普通の人間であれば足を切断すれば移動することは困難になるが、悪魔は腕だけで走り回ったという記録も残っている。
あのような無様な移動手段を躊躇いなく選択できるのも、悪魔ならではと言えるのかもしれない。
「ジェル! 手頃な石を見つけた! これで問題ないか!?」
ファティーグの攻撃を数回躱したところでピローが戻ってくる。
随分と早かったが――ってそういうことか。
「問題ない! できればもう一つか二つ用意できるか!?」
「確認する!」
さて、これで決められればいいが……




