第28話 想像以上に面倒な特技でした
ファティーグが言った通り、俺の体は少しずつ疲労の『呪い』の影響を受け始めている。
その理由は、単純に俺自身へ施術が完璧ではなかったためだ。
そもそもな話、整体は基本的に他者に対して行うものであり、自分自身に行うものではない。
もちろん、触れられる範囲であれば自分で簡単な施術をすることは可能だが、手の届きにくい箇所に対してはあまり力を込められないため満足いく効果を得られないのだ。
俺は日頃から健康に気を遣っているため回復不能な疲労は残さないようにしているが、たとえ回復可能な疲労であったとしても自分で施術できないのであれば意味は無い。
必然的に他の整体師の手を借りる必要があるのだが、そんな都合のいい存在はこの里どころかこの国にいるかさえ怪しいレベルだ。
そのため、俺に対する施術は素人であるアシュアさんの手を借りざるを得なかった。
「ネイル、そう心配そうな顔をしなくても大丈夫だ。確かに疲労の影響は出始めているが、アシュアさんの腕が良かったこともあってすぐに動けなくなるようなことはない」
これは強がりなどではなく、実際にアシュアさんの整体技術は素人とは思えないレベルに仕上がっていた。
恐らくは長年の経験もあるのだろうが、単純に地頭が良く俺の説明を正確に読み取り実践できる理解力があったのである。
正直、未来視の特技抜きに弟子として欲しいと思ってしまった。
……ただ、アシュアさんがどんなに優秀でも、この短期間で完璧な技術を修得するのは不可能だ。
結果として、俺の疲労状態を完全に0にすることはできなかったのである。
それでも本来であれば十分に疲れにくい状態にはできるのだが、残念ながら疲労を問答無用で増幅できるファティーグの『呪い』を防ぐことはできない。
これもスクラッチで検証されたことだが、『呪い』による増幅はほんの些細なものであっても対象となってしまうからだ。
それがわかっていたからこそ、ネイル達には俺も『呪い』で動けなくなる可能性があると説明してあった。
「……今はそれを信じるしかないが、それにしたってこのままヤツの話に付き合っている余裕があるとは思えんぞ」
実のところ時間稼ぎはこちらの望むところでもあるのだが、このままお喋りを続ければ流石にファティーグにも怪しまれる可能性がある。
それに、これ以上ネイル達の不安を煽られても厄介なので、動かざるを得ないだろう。
「わかってるさ。ただ、迂闊に近付くワケにはいかないから色々と手を考えているところなんだよ」
「ん……? 爆発の心配はないのだろう?」
「爆発は、な。面倒なことに、ガスは他にも厄介な性質を持ってるんだよ」
ガスは可燃性の気体というだけでなく、吸い込んだ際に色々な症状を引き起こす危険性もはらんでいる。
主な症状としては幻覚や幻聴、酸素欠乏などだ。
これはガスの種類によっても変わるが、特技で生成されていることを考えればどんな症状を引き起こしたとしてもおかしくはない。
有毒ガスを生成できるという話は聞いたことがないが、それに類するものは生成可能と思って動いた方がいいだろう。
「なんだぁ? 近寄りたくないってかぁ? それじゃあ、近寄らずにはいられねぇなぁ!」
「っ!?」
全く動く様子のなかったファティーグが、突如として走りだす。
まさか、今のやり取りでこちらの時間稼ぎを悟られたか?
それとも、人の嫌がる行動を好む悪魔の習性ゆえか?
……何にしても、まずはファティーグを止めるのが先決だ。
「寄らせるか!」
「っ!? ぐおぉぉぉぉぉぉっ!!?」
素早く生成した粘液を足元に放つと、ファティーグは盛大に足を滑らせ転倒する。
大した速度ではなかったとはいえ、あの勢いで転倒すれば普通の生物なら死んでもおかしくないダメージが入るハズだが……
「いってぇなぁ! クソがぁぁぁっ!」
やはり致命傷には至らなかったようで、ファティーグはすぐに立ち上がろうとする。
しかし――
「ぐおぉ!? た、立てねぇぞぉ!?」
「氷の上よりツルツルだからな」
相手の足元や自分の周囲に粘液罠を設置するのは、俺が最も信頼する攻防一体の基本戦術である。
大型の魔物でも転倒させて致命傷を与えることができるし、その後起き上がることも困難となるため拘束力も抜群だ。
先程のように全身粘液まみれにするよりも少量の粘液で済むため効率的であり、生成自体も一瞬で可能なため汎用性も高い。
……惜しむらくは、乱戦で使用すると仲間も被害を受けるため、基本的にソロでしか使用できないことだ。
「ファティーグは俺が抑えておく。ネイルとピローは、今のうちに――っ!?」
追加の粘液を当てつつ少し距離を詰めた瞬間、再び視界が赤色に染まる。
それが炎の色だとは一瞬で理解できたが、体が硬直し反応が遅れてしまった。
「チィッ!」
そんな俺を、ネイルがギリギリで首根っこを引っ張るようにして救出してくれる。
「……すまん、助かった」
「それはいいが、いくらなんでも反応が遅すぎるぞ! ジェル、お前やはり……」
「いや、今のは別の原因だ」
「別の……?」
「ちょっと背中に痺れがあるだけだ。集中していれば問題無い」
この背中の痺れは、疲労だけが原因ではない。
もちろんその影響もあるが、主な原因はダメージによるものだ。
記憶が飛んでいるため想像になるが、俺は先ほどの爆発の際に近くにいたピローのことを庇ったのだと思う。
でなければ、ピローが無傷ということはあり得ないからだ。
倒れていた位置関係から察するに、恐らくは抱くように庇ったのであろう。
……咄嗟とはいえ、女性に抱き着くなんて真似をよく俺ができたものである。
よくやったぞ、俺。
ピローはこの戦いにおいて重要な役割を果たすため、守ることができたのは最良の結果と言える。
しかしその代償に、俺は爆発により少なくないダメージを負ってしまったようだ。
……ネイルにはああ言ったが、実は結構しんどい状態である。
粘液の防御は点や線の攻撃にはめっぽう強いが、面の攻撃には弱い。
爆発による飛来物は防げても、衝撃自体は防げなかった――ということだろう。
「ジェル、私には今、奴が火を吹いたように見えたが?」
そんな俺の状態を理解しているピローが、ネイルの追及を遮るように割り込んでくる。
特技の性質上当たり前と言えば当たり前なのだが、空気を読むのが抜群に上手い。
「ああ、多分見ての通りの火炎放射だろう」
先程の爆発でもわかっていたことだが、ファティーグは何らかの火種を持っている。
その火種に体内で生成したガスを吹き付けることで、ドラゴンの炎の息吹の真似事をしたというワケだ。
情報が少ないので知らなかったが、意外と応用の効く面倒な特技だな……




