第21話 念液まみれにしてみました
この世界では、感情や運気などの目に見えないものが、消えることなく留まり続けている――と考えられている。
簡単に言ってしまえば、残留思念のようなものだ。
科学的な証明などできない超自然的な考え方ではあるが、現代では本来否定する立場である科学者でさえも認めているため、最早この世界の法則と言っても過言ではないだろう。
実際、強い感情の込められた武器は強力なものが多いし、持ち主の無念から呪われた装備が生まれることだって決して珍しくない。
死霊や怨霊などの霊的存在や、概念の集合体と言われる精霊も、全てこの考えに基づいて立証された現象である。
だというのに悪魔が同じ法則から生まれた存在だと思われなかったのは、見た目と肉体の構造が人族と全く変わらなかったためだ。
意外ではあるが、悪魔は非常に頑丈ではあるものの血肉はしっかり存在しているし、目や耳といった五感に関わる器官も人族と全く同じものが備わっている。
それもあって、昔は人族の突然変異種だと思われていたこともあったようだ。
しかし実際のところ悪魔は、血を流しても失血死することはなく、目を潰されても視覚は奪われず、心臓を貫ぬかれても死ぬことはない。
……同じなのは、本当に見た目だけだったのである。
「悪魔を殺す方法として有効なのは、首と胴体を切り離すこと――だったな?」
「ああ。しかし、金属が使えない以上それは難しい」
悪魔と戦ううえで大前提となるのが、『呪い』への対策だ。
というか、この対策ができないとそもそも戦いにすらならない。
過去に確認されている他の悪魔の『呪い』もファティーグと同じ法則でかけられるのであれば、防御も回避も不能なうえに視認すら必要ないため、隠れてやり過ごすこともできなかったハズだ。
認識されていない者が虚を突くことくらいはできたかもしれないが、『呪い』の指定の仕方次第ではそれさえも難しかったと思われる。
当然『呪い』にも射程や効果範囲に限界はあるだろうが、街一つを滅ぼした記録もあるので長射程広範囲であることは間違いない。
そんな化け物相手では血を流させることすら至難の業だったため、悪魔が人族とは似て非なる存在だと確証を得るのにも随分な時間と犠牲を要している。
……というか、再生の勇者レナトゥスがいなければ、今でもほとんど謎だった可能性すらあるだろう。
悪魔の殺し方についても、彼がスクラッチ相手に検証したからこそ確立できたものが多い。
「……せめてオルカ婆さえ動けていれば――」
「気持ちはわかるが、老人に戦闘を期待するのは感心しないぞ」
オルカ婆とは、この里で一番と言われている【水使い】のことである。
重症とのことだったので真っ先に施術を行ったのだが、残念ながら俺の技術をもってしても彼女を立ち上がれるほど回復させることは不可能だった。
理由は単純に、彼女が本物の老婆だったためである。
長命種は基本的に若い時期が長いため老人を見ることは少ないが、決して老いないワケではない。
エルフであれば、大体200歳を過ぎた辺りで見た目に変化が現れると言われている。
滅多に老人を見ないのは、単純に200年も生き残れるほど平和な世界ではないためだ。
オルカさんは現在280歳とのことだが、これはエルフの中でもかなり高齢に分類される。
エルフは一度老化が始まれば人族の老化速度と大差ないため、280歳は80歳の人族と同じと思っていい。
……正直、俺としてはそんな老人を戦力としてカウントしたくはない。
これは心情的な面もだが、信頼性や危険性の面でも色々と問題があるからだ。
「ぐっ、ぬぅ~! な、なんでだぁ? さすがに、おかしぃぞぉ? なんでお前ら、まだ、動けるんだよぉ……」
「さて、なんでだろうなぁ?」
会話がお望みなら喜んで付き合ってやるつもりだ。
下手に行動されるよりも、安全に時間稼ぎができるからな。
「お、俺のストレスにあてられて、動けるのもおかしぃが、動き続けられるのは、絶対におかしぃぞぉ! お前ぇ、何をやりやがったぁ!?」
「いやいや、教えるワケないだろ」
敵に対してわざわざ自分の能力を語るなんてことは、普通あり得ない。
やるのは恐らく余程の阿呆か、承認欲求の塊くらいのものである。
それ以外にやる理由があるとすれば、何らかの制約があるか、能力を誤認させるためのブラフか……
どうやらファティーグは一定の知性があるようだし、そのくらいのことは理解できているハズ。
しかし、理解はできていても感情が追い付かず、ついつい反射で無意味なことを口走ってしまう――なんていうのはよくあることだ。
そしてそれは、大抵の場合冷静さを欠いている状態であり、不意打ちが成功しやすいタイミングでもある。
「どうしても教えて欲しいのなら、アンタの言うストレスっていうのが何かを教えてくれ」
「あぁん?」
「だってそうだろう? 情報を得たいのであれば、そちらも等価な情報をよこすべきだ」
「等、価……、ん~……、わ、わかった、俺のストレスは――」
「あ、やっぱりいいや。大体わかってるし」
「っ!? おま――っ!?」
ファティーグの神経を逆なでし、意識が完全に俺に向いた瞬間を狙い、上空で密かに生成していた大量の粘液を解き放つ。
特技により生成、あるいは発生した万物は、基本的に使い手の体から離れた瞬間にこの世界の法則に従うことになる。
しかし、特技は鍛錬することで遠隔生成や遠隔操作をすることも可能になるのだ。
といっても、生成速度や操作速度は遅いし、細かな動作を行うことは残念ながら不可能である。
それもあって実戦で活かす機会はあまりないが、対象の動きを止め意識を割くことさえできれば当てることはできる。
――丁度、今のように。
「ぶぼっ!? なんっ……、ごぼ……」
上空に作り上げた特大の粘液の塊が、俺のコントロールから解き放たれスライムのようにドロドロと落下する。
蜜や糊のような高粘度の液体が頭上から降り注ぎ、ファティーグの体が徐々に浸食されていく光景は、生理的嫌悪を感じるほどにおぞましい。
「苦しそうにしているが、窒息はしないのではなかったのか?」
「一応だが、熱湯程度には温度を上げている。効果があって何よりだ」
「っ! 追加効果か」
俺の【粘液生成】は元々粘度の調整が可能だったが、それ以外にも追加効果として温度や匂いなども調整可能となっている。
それらは戦闘のためではなく、あくまでも整体の効果として習得したものだが、使い方を工夫すれば戦闘でも有用な効果を発揮する。
もしファティーグが普通の生物であれば、これだけでも勝負は決まっていただろう。
「本当は落とし穴でも掘れればもっと効果的だったんだが、とりあえず足止めするだけならこれでも十分だろう」
落とし穴は専門の工具などを必要としない誰にでも作れる簡単な罠だが、人や動物が丸々収まるほどの穴を掘るとなるとかなりの労力が必要となる。
そのために疲労しては元も子もないし、時間的猶予や誘導する手間なども考えた結果没案となった。
さて、ここまでは作戦通りだが、あまりにも上手く事が運んでいるときは大抵何か罠があるものだ。
油断するつもりはないが、果たして……




