おまけ1 サカナお姉さん×いちごみるるちゃんの同人誌が発売されるってよ!
同棲して一年経たないうちの話である。
透夜が自室で音楽を聴いていると、ノックの音の後に乱暴に扉が開き、苺果がずかずか入ってきた。
「サカナお姉さん×いちごみるるの同人誌が発売されるんだってよ!」
苺果が某ご隠居の印籠のように掲げるスマホには、なるほど、とあるサークルのコミケのお品書きがあった。
「通販で買えばいいじゃん」
言わんとするところを察して、透夜はそう言った。
が。
「会場で買いたい! 会場で買いたい!!!! 作ってくれた人の顔を見て、楽しみたい!!!!」
気持ちはわからないでもない。牛ステーキを食べるのでも、シェフがその場で焼いてくれると、ちょっとお高い気分を味わうことができるのだ。
しかし……。
「VTuberが実際に買いに来たってあとでわかったら、ちょっといろんな界隈刺激しない? ジャンル的にも、実体がある、なまものみたいなものじゃん。本人に売ったって、サークル主が気づいたら心理的負担がかかるんじゃない?」
nmmnタグがつきそうでつかない……ぎりぎりの状況である。
「でもほかのVTuberは自分が出てくる同人誌を読み上げる配信もしてるよ?」
「それは大丈夫なのか……?」
「行くって言ったら行く! 夏コミのチケット、苺果がんばる! 覚悟しててね!」
夏コミが開催されるお盆前は別に用事がないので、チケットがあれば参戦は可能だが……。
七月の現時点ですらクーラーがないと死にそうなのに、炎天下の下に行くのか……? 透夜は寒くもないのに、身震いしてしまう。
その場でささっと調べたところ、チケットの抽選期間は過ぎているようだ。
「ちょっと待って……あ、苺果……行っちゃった……」
来た時と同じくずかずかした足取りで苺果は行ってしまった。
――ま、いいか。行けなくても困らないし。
と透夜は勝手に思っていた。
その翌日のことである。
「オンラインサイトでまだ売ってるところがあったから買った!」と報告を受けた。
なるほど、透夜が見ていたのはアーリーチケットのほうだったらしい。
まだサイトで販売しているのは盲点だった、というか気づかなかった。
「買えたから行くよ!」と言われ、しぶしぶ参戦することになったのだった。
◆
VTuberジャンルは一日目。
「コミケ、初めて来た! イエス、炎天下! イエス、コスプレ!」
青い空、三角形が特徴的な東京ビッグサイト、あたり一面にざわざわと密集する人の群れ。
集団に揉まれつつ、苺果は元気な声をあげた。
苺果のノースリーブから伸びた白い腕がきらきらと太陽の下、輝いている。今日は苺果はノースリーブの白いワンピースである。なんと、結婚を前提とした同棲をするようになって心境の変化でもあったのか、地雷服以外の、それも白などを着るようになったのだった。
フリルのついたややアニメ調な白いワンピースは、苺果によく似合っている。
「…………」
透夜は暑くて声が出せないでいた。コミケ行きの人たちが多いのかやけに混んだ電車の中で揉まれて、疲れていた。
意外にも、二時間しない程度で、列は進んで会場に入ることができた。
人混み、人混み、人混み、である。
どこへ行っても人がうようようようよしていて、気温も相まって、くらくらしてきた。
透夜は苺果にひっぱられるまま、意識を朦朧とさせて歩いていたのだが――
「あ、見つけた!」
苺果が一際はしゃいだ声をあげる。
苺果が指さすほうを見ると、なるほどそこには行列ができた机があった。コミケにはあまり詳しくないのだが、いわゆる「壁サー」というやつだろうか。机に張り出されたポスターからして目的のサークルだと断定する。
意気揚々と並び、ついに本を手にする。
売り子さんはメイドのコスプレをした若い女性だった。
愛想よく対応してくれて、苺果がお金を渡そうとしたとき――売り子さんが苺果の顔を初めてきちんと確認した。
「え、あ、えっと……い、いちごみるるちゃん?」
そこで売り子さんは苺果が「本人」であることに気が付いたらしかった。
「あ、握手してください……!」
「いいですよ。『いちごみるるを推してくれてありが㌧』! この本はあなたが描いたんですか?」
「そうです!! いやもう手洗えませんっっっ!!!!」
メイドさんは落ち込むのか崇めているのかよくわからないポーズをしたあと、
「えええご本人様に百合本なんか売れないってええ」と急に地声で叫んだ。
周りに聞こえていないか不安になったが、結構ざわざわしていたおかげでそれほど奇異には思われなかったようだった。
「私は私のファンのすべてを知りたいんです。新刊セットとやらをお願いします」
「くぅぅぅぅっ」
メイドは変な声で鳴いていたが、観念して、苺果からお金を受け取った。特製の袋――これもいちごみるるちゃんとサカナお姉さんのVTuberの身体が描いてあって特製版――を渡す。
「ご本人様に売ってしまった……これは烙印なのか、勲章なのか……罪と罰……VTuberものを描いている功罪……」
ぶつぶつメイドさんが呟いていて怖い。
ともかく現物は手に入れた。
「やったね! 今日の目標は達成しました!」
苺果はご満悦だった。
あとはVTuberの《《島》》を巡り、気になったVTuberまとめギャグ本やサカナお姉さんの本なども購入した。
◆
帰宅したあと、ものすごい量の汗をかいていたため、すぐにシャワーをした。シャワーを終えた後、さっそく苺果は百合本を読みはじめた。
今日は透夜が夕食を用意する日のため、台所に立った。その間の詳細はわからないのだが、「ごはんできたよー」と言いにいったところ、苺果がぼろ泣きしていた。
「ど、どしたの……」
「超いい話でぇ……! 青春を思い起こさせてくれたよ……! エモエモのエモ! てえてえ! 心が震えるほどの綺麗で繊細な百合だった……。透夜も読んで……」
「ごはん食べてからね」
苺果はぐずぐずと鼻をかんだ。
夕食は肉じゃがを作った。肉じゃがを盛って、出して、一緒に食べて、食後。
透夜もその本を読むことにした。
苺果の透夜とは正反対のごちゃごちゃとした部屋で、ベッドの横にもたれかかってページをめくる。
絵はプロ顔負けに上手い。あとペンが強弱が強くて、味があった。
ストーリーは学園もので先輩後輩の関係にある、サカナお姉さんと苺果がすれ違いながら、心を通わせていくというもの。
五十ページほどの厚みだ。
同人誌に詳しくないが、これは厚いほうなのではないだろうか。
「……うん、まあ、面白かったよ。すごい捏造だったけど」
「完全な捏造だから面白いんだよ!」
「そういうものなのかな……?」
二次創作に疎いので、よくわからない。でも現実で見られない姿が見たいと思うリスナーもいるのだろう。だから同人誌は人気なのだ。
「決めた! 苺果も漫画を描く! 創作意欲が刺激された!」
「え……ええ?」
透夜は困惑していたが、苺果の決意は固かった。優れた創作は創作意欲を刺激すると聞いたことがあるけれど――それにしたって急だと思う。
ほっといたら三日で辞めるのではないかと睨んでいたが、予想に反して、苺果はサカナお姉さんにアドバイスをもらい、デジタル絵を描く作業環境を整えると、描き始めてしまった。
作業配信と銘打ち、配信コンテンツにすらしてしまった。
そうして二週間――毎日コツコツ作業して十ページの漫画が完成した。
それはいちごみるるちゃんの設定の物語だった。
〈異世界のいちごの国からやってきた、好奇心いっぱいのお姫様。地球に興味があって暮らしてみたくてやってきたよ。仲良くしてね〉
その短文で綴られた設定を膨らまして、〈異世界のいちごの国〉のファンシーな描写を増やし、お姫様として生きる苦労話を挟み、望まない結婚を強いられて異世界・地球に脱走するという話を描き切っていた。
透夜は想像力に脱帽した。
「これは才能あるんじゃない……?」
「でしょでしょ。リスナーにも褒められた。えへん」
それが完成しても、なにやら苺果は秘密で作業しているようだった。
なんとなく気配でそういうのがわかっても、透夜とは部屋は別だし、配信をすべて追っているわけじゃないし、仕事もそこそこ忙しくてずっと付きっ切りなわけじゃないし、よくわからずにいた。
そして二週間後――
「読んでほしいものがあるの」
そう言われて部屋に招かれ、全貌を知った。
苺果はこの前みせてくれた漫画の続きを一人で描いていたのだった。
地球に脱走したお姫様・いちごみるるちゃんは地球でそっけない男の子に会う。男の子はツンデレだったが、いちごみるるちゃんの奔放さに振り回されて、心を開いていき、一番の仲良しとなるのだった――というストーリー。
「かわいい話じゃん」
読み終わったあと、透夜はそう感想を述べた。可愛らしくて、平和な話だと思った。
「この男の子、透夜モチーフだよ」
「僕はツンデレじゃない」
「でも私の中でこの子は透夜なの」
「えー……」
とは言いつつも、苺果が時間をかけて自分らしきものを描いてくれたことがうれしくなる透夜である。
プレゼントとか慣れないから、なにかもらえると嬉しい。
「これは透夜にあげる話だから、非公開ね。前半はいずれ同人誌とか出すときに出すけど後半はみんなには内緒」
「……ありがとう」
漫画はリビングの棚に飾られることになった。写真アルバムの隣だ。
苺果との思い出がひとつできた。




