第22話 底辺からVTuberになって人生は変わった
夕刻、透夜は小さな公園でブランコに乗っていた。
時間を潰す透夜の前に、やがてその女性は現れる。白髪の混じる黒髪に、血のような深紅のマフラー。顔立ちは苺果と似通っていて、けれど、どこか加齢のためか歪んでいる。
写真通りの顔。
足早に通り過ぎようとしているその女性に、透夜は「すいません」と呼びかけた。
「なんですか?」
不審そうに振り返った女性に、透夜は手短に終わらせるべく本題から話す。
「苺果さんのお母さんですよね? 保釈中の姫野夏海さん。僕は苺果さんと交際させていただいている伊万里透夜という者です」
「は、はあ? 苺果の彼氏ですか? 苺果と私なんかもうなんにも関係ないけど、なんの用ですか?」
「なんにも関係ないと仰られましたね。それは本当ですか?」
「な、なによ……どういう意味よ。あの子ったら薄情なんだから、出て行ってそれきりですよ。電話もなにもない。他人も同然、私はあの子に捨てられたんです!」
「捨てられた、ね。捨てたのはあなただと思いますけど――でもどっちがどうだなんてもういいです。もう二度と、苺果を利用しないでください。あなたが今後、人生のどん底に陥っても、もう二度と苺果に縋らないと誓ってください」
「言われなくても――!」
本当にわかっているのかはわからなかったが、もういい。言うことは言ったから。
「今日から苺果は他人だと思って生活してください。あなたからの要求に今後一切苺果は応えません。苺果から最後にあなたにメッセージです。『寒いから温かくしてね』――だそうです」
「――っ」
苺果の母親は唇をかみしめると、非常に怒った顔になり、けれど透夜に怒鳴るでもなく背を向けて歩き出した。
夜永の他人宣言みたくなってしまったが――もういいだろう。お互い、あまり時間もないことだし。
透夜は踵を返した。
姫野夏海が現在同居して暮らしている男性宅を訪ねた際、ここの公園を通って近くの介護の仕事場から帰ってくるという話を聞いたので、ここで待っていたのだった。
苺果は近くのビルで待たせてある。
空を見上げると、曇っていて、またちらほら雪が降っていた。
今日はもう一人、縁を切らねばならない人に会いに行く予定だった。
◆
他人が羨ましいという気持ちは、自然に持ち得る感情だと思う。人生というのはどうにかなるもののほうが少ないし、親ガチャなんて単語が一時流行するくらい、家庭環境はどうにもならないものである。
それでも思う。
成人したんなら、自力でどうにか足掻けよ――と。
未成年の時は保護者や大人に抗うのは難しい。
けど成人してまで言いなりなのはよくない。足掻かなければ自分の人生がめちゃくちゃになってしまう。
足掻くことをやめて、羨望やら嫉妬やらで、他人の人生を悪い方にやろうとするのは、間違いだ。
周囲が暗く沈む二十時。駅に近いガストで、透夜と苺果は、黒髪の女性と向き合っていた。
「苺果、久しぶりだね」
「うん、久しぶり、宇吹」
「そちらの方は、苺果の彼氏さん?」
透夜は何も言わず会釈する。
「そう、透夜。今日はね、折り入って宇吹に話があって来たんだよ」
その女性は黒髪ロングかつ、化粧も控え目で、服装はカーディガンにブラウスと落ち着いている。見た目はとてもおとなしそうだった。
日記にも出てきた宇吹碧桜という女性。苺果と同じクラスだったが、苺果をいじめはじめて、高校になってからは離れたという旧友。
苺果のクラスLINEをたどって、宇吹に会う約束をとりつけたのは、なにも過去を懐かしむためではない。
「単刀直入に言うね。私を脅迫したり誹謗中傷したりしたのって、宇吹でしょ?」
宇吹ははてなマークが頭の上に浮かんでいるような、不思議そうな顔で、首を傾げた。
「なんのこと? 全然わからない」
「私の中学の頃の詳細を知ってるのなんて、宇吹くらいなんだよ。私をいじめてた主犯格は宇吹で、周りはあなたの取り巻き。私の詳細なんてきっとみんな今頃忘れてる」
苺果は続ける。
「しかも、法的に完全にアウトなことやらかして、でも私より上の立場だって未だに痛い勘違いしてる。そんなアホ、過去にいじめてて勘違いしてる人以外いないでしょ」
宇吹は俯いた。
その顔は強張っている――と思いきや、次に顔をあげたときにはうっすら笑みが浮かんでいた。
「だって、苺果が元気そうに幸せそうにしてるところ、見てらんないんだもん」
「それは認めたっていうことね」
「……うふふ。汚い女が話しかけないでくれる? 魂が汚れる」
苺果は微笑んでスルーする。
「ほかの友達から聞いたよ。宇吹も高校時代は苦労したらしいじゃん。お父さんが蒸発したんでしょ。だから学費稼ぐために年齢偽って水商売したりしてさ。パパ活もしてたって噂もあるって言ってたけど。そういうことに手を染めてたんでしょ?」
「私は苺果とは違う! 身体なんか売ってない!」
ほとんど悲鳴だった。
宇吹は聞きたくないというように、耳元を両手で押さえた。茶褐色の目に爛々《らんらん》とした光を宿し、目を見開いている。感情が昂っている様が見て取れた。
「私も自分からしたくてしてたわけじゃない。強制されて、してただけだもの。私たち同じ地獄にいたのに、わかりあえないね」
「うぅ……」
「この誹謗中傷はきちんと開示請求を出して、訴えます。会った時最初に謝罪の言葉があるなら、考えようと思ったけれど、なかったから。出るところ出ます。開示請求出したら、賠償の請求になるから覚悟していてね。特に私の仕事の顔を傷つけたわけだし、相応の額になると思っていてね」
「…………ぅ」
小声で宇吹はなにか言った。
「え? なに? もっと大きい声で言って」
「ごめんなさいって言ったの!」
逆切れの勢いだった。
宇吹はさらに叫ぶ。
「ごめんなさいって言えば満足!? 過去の後ろ暗いところなんて全部ないみたいに綺麗な面だけ見せて生きて、私のこと見下して!」
「見下してなんかないよ……。ずっと友達として対等でありたかった……。ねえ、私のVTuberの活動、どこで知ったの?」
「それはっ、たまたま流れてきた切り抜きで、声が苺果のだってすぐにわかって……。言動もほとんど素だったし……」
「そうなんだ。見てくれたのはありがとう……。『たくさんのVTuberの中から私を見つけてくれてありがとう』……」
その言葉はたまに配信で漏らす言葉だった。宇吹には伝わったのかはわからない。
「…………」
「あのね、VTuberってすごいんだよ。中学生のとき、親から売春を強要されて、人生ここで終わるんだって思った。でも人生は意外にも終わらず続いちゃった。自傷で身体は傷だらけで、終わってるのに死は訪れない。そんなクソみたいな生活で、東京に出ても自棄になりかけてたけど、私にVの身体を与えてくれた人がいた。二次元の中で鮮やかに動く私の新しい身体は、綺麗でなにものにも穢れてなくて、なにより、私が話すだけでみんなが喜んでくれた。みんな私のおかげで元気になれるって言ってくれた。ファンに愛されて、私もみんなを愛してあげることができた。今だってコメントでこんなにも応援してくれてる」
苺果はスマホ画面を見せた。
それはXのリプライ欄で
【こんなことがあってびっくりしちゃったけど、ずっと応援してます!】
【若いのに頑張ってきたんだっておばさん涙出ちゃった。次の配信待ってます!】
【なにかできることがあったら教えてください。可能な限り力になります! ファンはずっと味方です!】
……などの応援コメントが並んでいた。
「苺果はひとりじゃないから。だから、あなたの悪意になんか、負けない」
「…………私だって」
宇吹は机の上で拳を握っていたが、それを振り下ろすことはなかった。
「私だってねえ、いろいろ散々な目に遭って……、やりたくもない仕事、いまもやらされて、おじさん相手にセクハラされたり枕強要されたり……」
「現時点が地獄なら這い上がってみせなよ。宇吹が今やるべきことは、かつて友達だったVTuberのアンチをすることじゃなくて、自分の人生に取り組むことだよ。不幸に甘んじて、腐ってる人は嫌い。尊敬すべき点がない。まだ私たち二十歳。人生長いんだもの、宇吹はやり直せる」
「他人の人生だからって、適当に言いやがって!」
宇吹は乱暴にグラスを払いのけた。グラスは倒れて水がテーブルにこぼれる。
彼女は歯をむき出しにして、怒りを露わにする。
「いつもお前ばっかり澄ました顔しやがって! 私の気持ちなんかお前にはわからない」
「わかるよ。助けてくれる人がほしいんでしょ。私は不幸、不幸な私の前にはいつか王子様が現れてくれる。……そんなのは間違い。自分の人生は自分で救うしかない。運命の出会いは否定しないけど、あんまり期待しないで、自分の力で生きていかなくちゃいけないでしょ? だから自暴自棄になって犯罪行為なんかしちゃいけないんだよ」
「…………」
店員さんがこちらの様子に気づいて、慌ただしくテーブルを拭きに来る中で、苺果はカフェラテを一口飲んだ。刺すような冷たい目を、宇吹に向けている。
「もう話すことなにもない? 次にこちらからコンタクトをとるとき、宇吹に話しかけるのは弁護士さんだと思う」
「…………大ッ嫌い」
宇吹は言い捨てた。千円札をテーブルの上に置くと、立ち上がり、コートを持って帰ってしまった。
「……すっきりした?」
透夜は苺果に訊ねた。
「すっきりはちょっとだけ。あのころの腐った私を見ているようで、あまり楽しい気分ではなかったけど……。それに、まあ、これだけ言われたら、もうアンチ行為はやめるでしょ……」
「そうだといいね」
頭を撫でてあげると、猫がそうするみたいに、苺果はうっとりと目を細めた。
 




