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第21話 鍵付きの日記に秘されていた過去

 ホテルに戻って、シャワーをし、汚いものを洗い流してから、苺果はそのノートを取り出した。

 実家から持ってきた、小さな鍵のついたノートだ。これまたおもちゃみたいな小さな鍵を鍵穴に入れて回して、開く。


「これはお祖母ちゃんの家にいたときの日記。読んでほしいの」


「……わかった」


 ここに隠された過去が秘められているという予感があった。


 最初のページをめくる。


〈今日から日記をつけてみることにする。


 まったく祝おうとも思えないけれど、友達の宇吹うぶきにこの鍵付きノートを誕プレでもらったから、活用していこう。


 誰か私を知らない人に読み返されることもあるかもしれないから、プロフィールも書いておくね。読んでね、誰か知らない人(←重要)


 私の名前は姫野苺果。


 今年で十三歳。第一中学校の美術部所属。O型。好きな食べ物は甘いものと中華料理。


 お母さんの名前は姫野夏海。おばあちゃんの名前は姫野トモエ。


 お母さんは基本的に帰ってきません。水商売をしていて、そこのお客さんだった男の人の家にお世話になってます。


 私と暮らしているのはおばあちゃんで、お母さんは私を産んでほったらかし。私を育ててくれたのは、おばあちゃんです。でもおばあちゃんは私のことが邪魔みたい。悲しい。おばあちゃんに私のこと好きになってもらえるように、がんばりたいです。


 だから今日からつけていくこの日記は、おばあちゃんとの距離が縮まっていく記録でもあるのだ~〉


 シャープペンシルの筆記は濃くて角ばっていて時折解読できない。


〈三日坊主すぎ。仕切りなおしのなお太郎〉


〈八月一日。今日は麻婆豆腐を作った。暑いときにこんなもの食えるかって、おばあちゃんに皿を投げられた。頭に当たった。最低な気分〉


〈八月二十七日。おばあちゃんはよく「うちは男の縁がない家系なんだ。じいさんもおまえの父親もクズだった」って愚痴言ってくるんだけど聞き飽きた〉


〈九月一日。マユと海に行った。九月に海に足を浸すのはエモし〉


 などと、短文の報告が並ぶ。内容は痛ましいものもあったが、あまり止まらずに次々と読んでいく。


 読んでいくうちに、気になる記述に遭遇する。


〈九月十八日。お母さんが私の処女を四万で売ることにしたって言ってきた。車検のお金が足りないんだって。ヤダって言ったら、お前が四万払えって言ってきた。中学生がバイトできるわけないでしょ? 四万なんて大金どーしよ。おばあちゃんに言ったら絶対、私のこと叩くから言えない。ヤダなーてか売春って犯罪だよね。まじ無理。ゲロ吐きそう〉


 記述はそこから飛んでいる。


 次のページには〈死にたい〉という文字だけが、書きなぐられていた。


 日付の記載もない。時がどれだけ経ったのかわからない。


〈お母さんも、おばあちゃんも、私なんか産まれないほうが良かったって言ってる。私自身もそう思う。私なんか産まれなきゃよかった。私なんか、この世界にいないほうがよかった。


 ねえ、お母さん、私、宇吹やマユのおうちに遊びに行ったとき、とっても羨ましいの。


 綺麗なおうちで、宇吹のママは専業主婦だから、ずっと家にいて、宇吹が帰って来たとき「おかえり」って言ってくれるんだよ。クッキーとかを妹と焼いてね、たまに私にもくれるの。すっごく、羨ましい。私、宇吹のおうちに産まれたかった。お母さんの子じゃないほうがよかった。そしたらお母さんも、私がいなくて、嬉しかったでしょ。そう思うのは悪いことなのかな? 宇吹に言ったらきもがられるだけだから言わないけど、日記ならいいよね。宇吹みたいに甘えた声で、お母さんって呼びかけてみたかった。そう思う。そう思うの、お母さん。どうして私のお母さんは、だめなの〉


〈なんで女に生まれたんだろ。男なら、男と抱き合う必要ないのに。オエッ〉


〈死にたい。腕切りすぎちゃった。宇吹に傷見られて、引かれた。もう遊んでくれないかも〉


〈宇吹に悪口言われてるって、マユが教えてくれた。どうして。家のことあんなに聞いてくれたのに。裏切られた。死にたさが増えた〉


〈体育の時間、女子に囲まれてボール投げつけられた。鬱〉


〈売春やってるんだって、噂されてる。もう学校行けない……死にたいよ……全部私のせいなのかな〉


 次のページからは、筆跡が少し綺麗になる。


 シャープペンシルではなく、三ミリのボールペンを使っている。


〈マユと話して、決めた。高校卒業したら東京に出ていく。こんなクソみたいな親とおばあちゃんとはさよならする。


 目標:高校卒業までに百万貯めて、東京に出ること!! 百万貯めるためになんだってしよう!!


 私には若さっていう武器があるんだから、これを活用しよう!〉


 そこから、日記の記載ではなく、なにかのメモが続く。


〈四月一日 固定 三万〉


〈四月三日 新規 一万〉


 ……など。


〈四月合計 固定六 計三十万〉


 ……〈でもお母さんに全部盗られた。「あんた最近積極的じゃない」って褒めてくれた。歪んでるよ、このクソババア〉


 そこでいったん、透夜は読むのをやめた。


 ノートから視線を外す。


「苺果、今からでも、お母さんを訴えよう」


「無理だよ、訴えたってなんにもならないもん。っていうかもう接点を持ちたくない。お母さんと関わるとロクなことにならない。絶対に透夜を近づけたくない」


 苺果ちゃんは悲痛な表情をしていた。


「顔を合わせるのが、怖い……?」


「うん、怖い。お祖母ちゃんは、透夜が一緒にいてくれたから耐えられるけど、お母さんは多分……耐えられない……」


「……じゃあ僕一人で会ってくる」


 苺果ちゃんが口を薄く開けたまま、固まる。


 再び言葉が発せられるまで、少しの時間があった。


「…………どうしてそこまでしてくれるの。怖い。優しいけど、怖いよ」


「僕はべつに自分が優しいとは思わない。ちゃんと苺果を守りたいって考えたとき、そうなっただけ。僕は苺果がふつうの生活ができるまで支える。苺果と出会うまで、あの橋から落ちたときまで無気力に生きてきたけど、苺果と出会ってからはいろいろ楽しくて、自分が優しい人たちに育てられたんだっていうのも気づけたし、なにより、本当は自分自身で現実をどうにかする力があるって思い出させてくれたから、そうするだけ」


 感情がいっぱいいっぱいになってしまったのだろう、苺果はまた嗚咽した。涙が滂沱と零れ落ちる。


 透夜は日記を放り出して、苺果を抱きしめて支えた。


「支えてくれるんだ、こんな私を……」


「うん」


「あのね、あのね……中学の時は一番地獄だったけど、高校はそんなでもなかった。なんとかお母さん経由じゃない客見つけて、お母さんから逃れて百万貯めて、東京にマユと二人で出たの。そっからは、超天国だった。体売らなくていいし、デパスもらってラリったり、マユと昼も夜も遊んで……」


「うん」


「マユは今はシンママやってて私とは遊ばなくなっちゃったから、死にたいのは私ひとりだけになったと思ってた」


「うん」


「でも、お兄ちゃんをあのとき、見つけられたから。お兄ちゃんと死にたいって思ったの」


「……声をかけてきたのは、一緒に死にたかったから?」


「最初はそうだったけど……お兄ちゃんと付き合ってるうちに、楽しくなってきて、ほんとに好きなのかなって錯覚もしたし、結婚もありなのかなって思えてきた」


「…………」


「怒った?」


「いや、べつに。僕も最初は、孤独を癒してくれるなら誰でもいいって思ってたし」


「今は?」


「苺果がいいって思ってるよ。闇を抱えながらも懸命に生きようとしている君がいい。あのとき声をかけてくれたのが苺果で、よかった」


 泥沼から努力して這い上がろうとしている姿が、好感を持てる。応援したくなる。そういう気持ちに駆られていた。


「……そう言ってもらえて嬉しい。ありがとう、透夜。私、あなたに言わなきゃいけないことがある」


「うん、なんとなく、察しはついている」


「自殺したお兄ちゃんがいるって、嘘なんだ。私はひとりっこなの」


 別に衝撃的なことではなかった。日記を読んでいる最中から、そうなのかなと薄々と察していたことだった。


「日記に書いてなかったから、わかってた」


「……私のこと、嘘吐きだって軽蔑しない?」


「しないよ。その嘘に救われたから」


 嘘でよかったとすら思っている。


 苺果の心を曇らせるようなことすべて、この世界から消えてほしい。

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