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第20話 苺果の故郷・仙台へ

 仙台へは新幹線で行くことになった。


 事はすでに起きている。動くなら早いほうがいい。


 一月十一日から十三日の連休に休み申請をした。


 新幹線をとるのに、東京から南はスマートEXだが、東京から北はえきねっとである。

 そしてえきねっとだと自由席でも、時間指定したものに乗るという処理になっているため、遅れは許されない――のだと思う。一本乗り遅れてみるとか、あまり試す気にはなれない。

 前回の大阪と京都は乗車時間はかなり気楽だったのに対し、仙台は厳格で、やや緊張した。

 とはいえ、二人とも遅刻するような人間ではないので、楽勝ではあるのだが。


 今日も苺果は黒の上着に、薄紫のフリフリがついた地雷服だった。

 透夜も黒いコートに、シャツ、下にヒートテックを着ている。


 宮城県仙台市――


 透夜は東北に来るのは初めてだった。たしかに気温は東京に比べてだいぶ低く感じる。数度しか差がないが、冷たい風が体感温度を下げている。


 今年は積雪はない。


 雪がちらほら舞い散る中で、仙台駅で名物(?)のペデストリアンデッキに、苺果が佇むと美少女モデルのポートレート写真が撮れそうだった。


 ペデストリアンデッキの下には、車が行き交っており、「仙台が発達してるのは駅周りだけで、あとは車がないとやっていけない田舎なんだよ」とは苺果の談である。


 バスなんてまどろっこしいことはせず、タクシーに乗ることに決めていた。

 バスは出ているが、遠いところに降りることになってしまうから。


 タクシーに苺果は住所を告げ、車に揺られること三十分ほど。メーターはかなり回ったが、苺果はすべて現金で払った。


 たどり着いたのは、林のなかにある一軒家だった。見るからに古い茶色い戸に茶色く枯れた雑草たち。


「ただいま、お祖母ばあちゃん」


 建付けの悪そうな戸を開けて、苺果は入って行った。


 透夜も後ろから「おじゃまします」と続く。


 誰の声もしない代わりに、廊下から黒猫が一匹走ってきた。その猫だけではない。廊下の奥には成猫せいびょうと子猫らしき、茶トラ。

 こちらを見つめる三毛猫の黄色の目玉。

 猫たちは揃って、透夜と苺果を不審そうな目で見ている。


 家の奥からは鈴の音が聞こえていて、猫たちが遊んでいるのかもと思われた。


 猫屋敷――と言われていても、おかしくない。


 猫の尿の臭いと、タバコの煙さが次に嗅覚にアタックしてくる。

 猫の臭いはペットを飼っていない者にはきつい。

 透夜は思わず涙目になったが、それでも入るのをやめようなどとは思わなかった。


「お祖母ちゃんには連絡してるから、部屋にはいるはず。行こう」


 苺果は靴を脱いで進んでいく。透夜はもう一度、「お邪魔します」と言って、家にあがった。


 靴下一枚を挟んだ床から、なんだか粘つきみたいなものを感じて、嫌だった。


 家の廊下には、洗濯機と冷蔵庫が置いてあった。使っていないものを廊下に置いているみたいだ。


 居間に入ると、猫の尿の臭いがまた強くなった。


 思わずせてしまう。


 今は電気がついていないが、暖房はついていた。


 ローテーブルの上には、ゴミがたくさん。明らかに使用済みとわかるちり紙の類が散乱していた。なにかコーヒーらしき液体の入ったカップも置きっぱなしになっている。客が来るとわかっていなかったわけでもあるまいに、それらは片付けられずに置いてある。


 ――まったく歓迎されていない。透夜は少し呼吸を整える。


 室内では、年老いた女性がひとり。ヒーターの前の安楽椅子に座っていた。予想していたより、だいぶ細い。そして日焼けている。皮膚がかなり茶色い。髪の毛は白く、枯れ木を連想させる女性である。


 女性はウインストンのタバコに火をつけようとしているところだった。


 火をつけて、ゆっくり煙を吐き出す。

 それを待って、苺果は言葉をかけた。


「お祖母ちゃん、ただいま」


「帰ってくることも、出ていくことも、なにもかも許可した覚えはないね。まずは謝罪から。そうだろう?」


 かなり小さな、聞き取りずらい声だった。


「《《私》》は出て行ったことは後悔してない。謝るべきことだとは思っていない」


「私にはお前を育てた恩があるだろう? どうやって返すつもりなんだい。こっちは年金暮らしでカツカツなんだよ。お前の母親もいい年して、警察にお世話になって。周りの目っていうのが本当につらくてねえ、年寄りをいじめて楽しいかい。……ったく、お前もお前の母親も本当にクズだねえ。わかったら、今までの養育費、持ってきな」


「…………嫌だよ」


「え?」


「嫌って言ったの」


「拒否する権利がお前にあると思ってるのかい。しつけてやらなきゃねえ」


 老婆が身を起そうとした瞬間、透夜は口を挟んだ。


「あの……僕は、伊万里透夜といいます。苺果さんと結婚を考えて、お付き合いさせていただいているものです」


「……結婚?」


 老婆の注意が透夜に向いた。座りなおして、透夜のほうを見つめる。


 微妙な間があったあと、老婆が空笑いする。


「こりゃ、傑作。親子は似るんだね。夏海なつみも二十でどこぞの馬の骨の子供身ごもって、結婚するといきなり言ってきて、予想通り、産んだら捨てられて。みっともない姿晒して。お前もそうなんだろう? 外に出していた猫が身ごもるみたいに、誰彼構わず盛って、堕胎もできなくなって。挙句の結婚なんだろう? そうだろう?」


「そんなんじゃないです」


 透夜は断言した。


 この短時間で老婆の立ち位置ははっきりとわかった。

 この人は苺果と透夜の人生に関わらせてはいけない害悪だ。


「お祖母ちゃん、私、べつに子供身ごもってたりしないから。ただ幸せになるために好きな人と結婚したいだけ」


 老婆は鼻を鳴らした。


「お前みたいな子は不幸になるって決まってるんだよ。不幸になるんだ、お前ら、全員。不幸になるんだよ、ばかどもめ」


 か細い声で投げかけられる呪詛じゅそ


 呪詛に対し、苺果は絶句していたが、透夜の気持ちの灯は消えなかった。


「あなたが不幸だとか、苺果の母親がどうだとか、苺果には関係ありません。苺果は幸せなります。僕が守ります」


 今まで――それを言う覚悟は決まらなかった。でも、こんなに身内から不幸を願われる苺果をそばで見ていると、守りたいと思った。


 身体的なものだけじゃなくて、心を、きちんと守りたいと思った。


「今日はそれだけを言いに来ました。あなたと苺果を関わらせることはもうありません」


 老婆はまだなんやかんや言っていたが、透夜はそれを聞き流した。


「行こう、苺果」


「うん。私、ちょっと持っていくものがあるから、先に家を出ていて」


 家を出る。外の空気は綺麗で澄んでいて、大きく吸うと気持ちがよかった。あの家にいるのはよどみであり、亡霊だ。


「お待たせ」


 外に出た苺果は手にノートを持っていた。


「さよなら、お祖母ちゃん」と苺果は一度だけ家のほうを振り向き、最後の挨拶を告げた。

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