第19話 アンチの影/脅迫/自殺未遂
USJ、京都観光は、つつがなく済んだ。
USJは苺果曰く「TDLより混んでる」そうで、アトラクションに乗るのに、二時間待ちなどがザラだったがなんとか乗り越えた。「TDLより大人向けでお金かかったぐわんぐわん揺れるアトラクションが多い」らしい。乗ったアトラクションはハリー・ポッターエリアとジェットコースター系の三種類だけ。それだけで人混みに揉まれることになってだいぶ疲れた。
京都は八坂神社と、ねねの寺・高台寺や安寧坂や二年坂から清水寺などを見た。安寧坂は人がぎゅうぎゅうで、一人転んだら将棋倒しの要領で人死にが出そうだなと思った。言い伝えでは坂で転ぶと寿命が縮むという話もあるそうだが、それより直接的に死にそうなのが怖い。
一月一日は京都駅で新幹線に乗る前に、伏見稲荷に行った。伏見稲荷の千本鳥居は神秘的だった。階段を上がるときの息切れもやばかったが、下りるときのほうが膝に負担がきてつらかった。何度も休み休み、下りた。
「頂上付近の自販機二百五十円ってまじか……」
休憩した際に自販機の値段が目についた。やっぱり観光地だから高いのか。
苺果の方を見やると、スマホを持ったまま難しい顔をしていた。さっきまで写真を撮ることに熱中していたのに、いまはなにを見ているのやら。
「苺果?」
「…………」
名前を呼んでも気づかないほど集中している。
少しいたずら心が芽生えて、苺果に頭突きするように、横から画面を覗き見た。見たかったわけではない。何の気なしにやったことだった。
サッと苺果は画面を隠した。その顔はいつもの嬉しそうな、楽しそうなものではなく、今まで見たことがないくらい暗い顔だった。
「見ちゃダメ」
「……苺果?」
その顔の険しさに、異変を感じて。
透夜は訊ねるが、苺果は無言で階段をおりた。
「ねえ、なんかした?」
「なーんにも。疲れちゃっただけ」
地上に着くころにはまたいつもの雰囲気に戻っていた。
◆
京都駅で新幹線に乗り、東京へ帰る。
透夜は職場の人へおみやげを買い、苺果はサカナお姉さんや友達などにお土産を買っていた。
席は見つからないかに思えたが、探し回って二人で座ることができた。
帰り道も、苺果は無言でスマホを見ていた。唇を軽く噛んで、どうしたらいいかわからず頭を掻きむしるような仕草をする。
楽しかった気分がだんだん醒めていくのを透夜は感じていた。
そして透夜もXを開き、おすすめ欄に【人気VTuberの過去のパパ活・売春を告白します】――というのが流れてきて、ようやく事態を掴んだ。
そのポストには、モザイク処理されているが、いちごみるるちゃんと苺果の実写の顔が載っていた。
ポスト投稿主のアカウント名は「VTuberの裏側・噂話」となっている。そこそこフォロワーがいるようで、下世話な話を見たい人間がこれほどいるのかと透夜は気持ち悪くなった。
苺果についての投稿のいいねは一万を越しており、《《バズっている》》。
「い、苺果、これ……」
「お兄ちゃんのほうにも流れてきたんだ……」
苦し気な声。
さっきから苺果が苦しんでいたのはこれか。合点がいった。
とりあえず状況を把握するべく、透夜はツリーになっているポストをすべて見ることにした。
――【人気VTuberの過去のパパ活・売春を告白します】
――十九歳VTuber某ちゃん・かつての顔出し配信者sssちゃんの秘密。彼女は中学生のころからパパ活・売春をしていました。
――仙台では有名なNN中学生だった彼女は、自分の父親くらいのおじさんに人気だったみたい。
――彼女の被害にあったのは、総勢百人越えかも?
――今回、仙台で取材した際、彼女のことを――……。
きちんと読めたのはそのあたりまでだった。あんまりにもひどい内容で読む価値を感じず、ツリーの最後までスクロールするのが精いっぱいだった。
――彼女にお金を盗られて恨んでるおじさんたちが、復讐したがっているかも?
最後のその一文が目に入る。
なにが復讐だ。売春は犯罪だし、中学生なんてまだ未成年だ。パパ活が本当のことでも賠償するべきは彼女の親ではないのか。親はなにをしていたんだ。その当時の親は。
「全部、本当のことだよ……」
苺果は震えるようなか細い声を出した。
そして、うっと嗚咽して、泣き始める。
新幹線の周りの人たちがこちらに注意を向けたのが気配でわかる。けれども、苺果が泣いているだけだとわかると、その注意はすぐに離れていった。
透夜はわずかに驚いていたが、納得もしていた。苺果の病みの根本的な部分を、今回のことで垣間見ることできたと思った。
「お兄ちゃんにだけは知られたくなかった。お兄ちゃんに苺果が必要なんじゃなくて……苺果がお兄ちゃんを必要としていること……。これを知られたら嫌われるんじゃないかって、ずっと思ってた。隠して生きようって思ってたのに……こんなふうにして、暴露されるなんて、思ってなかったよ……」
「…………なんと言うべきかわからない。ご愁傷様とか?」
くすっと苺果は泣きながら笑った。
「だよね。お兄ちゃんはそういうことを言う人。あのね、ちゃんと聞きたいの。これを知ってどう思ったのか……引いちゃった……?」
「べつに引かない。どうも思わない」
過去の男のことを考えると嫉妬が少し頭をもたげるが、このことに関してはあまり感情が動かない。
なんだか事件・事故を聞いている気分に近い。実際、犯罪行為に未成年が巻き込まれたという形なのだろうし。
大変だったんだなあ、みたいな。
「そうなんだ……」
そう言うと、苺果は黙ってしまった。涙はいまだに苺果の頬を濡らし続けていたが、なにかかけるべき言葉も思いつかなくて、二人黙ったまま東京に着いた。
◆
「じゃあね」
苺果の最寄り駅まで送ると、彼女は力なく笑い、片手をあげた。
手を振り、別れる。
電車に乗り、ふと思う――ここで彼女を一人にして大丈夫なのかと。
でも透夜は引き止めるための理由も、ついていくための理由も、うまく言い出せなかった。
苺果は個人勢VTuberで、法律的なところは専門家に相談するしかない。一月一日から稼働している法律事務所なんかあるのかわからない。開示請求するにしても正月は何も動けない。
透夜:サカナお姉さん、よろしくお願いします
サカナ:うん、苺果の様子は見ておくよ
LINEでサカナお姉さんにヘルプは出していた。
だからきっと大丈夫――
透夜はそう信じた。
それから苺果からの連絡が途絶えた。
翌朝、七時くらいにふと目が覚めた。LINEの通知でスマホが震えたので、見てみると苺果からだった。
苺果:総合病院七階に入院してる
透夜:昨日の今日でなにしたの?
苺果:迎えがないと退院できないみたいだから迎えに来て。面会は十時から
答えをはぐらかしている感じがした。
薄々察しながらも、透夜は病院に向かった。
七階に行き、ナースステーションに苺果の名を告げて、部屋を教えてもらう。
教えてもらった病室をノックする。
どうやら一人部屋らしい。
「どうぞ」と苺果の声が聞こえたので入った。
カーテンの仕切りの中に入ると、厳重に腕に包帯を巻かれて、点滴の管を刺されている痛々しい苺果の姿があった。
「お兄ちゃん、来てくれたんだ……」
「呼ばれたから来た」
「……苺果ね、薬大量に飲んで、道端にふらふら出て、腕切ってたらしい。記憶がないんだけど……。本当は、高いところから飛び降りたかったんだけど、幻覚見ただけで終わったっぽい」
「飛び降りしなくて良かった」
透夜は優しく苺果を抱きしめた。
無事に生きてくれていてよかった。それは心からの想いだった。
「あのね……実は、あのポストの前に、脅迫を受けてたんだよね……」
「え?」
苺果はXのDM画面を見せてくる。そこには「秘密をバラされたくなければ、YouTubeアカウントを引き渡せ」「Xデーは一月一日だ」「アカウントを引き渡すのが嫌なのであれば、三百万でもいい」などと脅迫の文章が並んでいた。
「XだけにXデー……」
「うん、まあ、それはいいから」
「警察に行っても対応してくれるんじゃないのか? 明らかにやってることアウトだし、名誉毀損とか脅迫罪にひっかかりそうな気がする」
「うん……でもね……やったのは、たぶん、苺果と同じ地獄にいる子なんだ」
「知り合い?」
「うん。たぶん……」
苺果は小さくうなづいた。
それから、透夜をまっすぐに見つめる。
綺麗な鳶色の目だった。
「だからねえ、ここまで知ったなら、苺果の人生に踏み込んできてくれる? 透夜」
初めて名前を呼ばれた――透夜は瞬き、少し考え、口を開く。
答えなんて、決まっていた。あの橋から落ちた夜に、透夜は苺果と付き合う覚悟をしたのだから。
「ちょっと面倒そうだけど、いいよ。僕の人生、暇だから」
そう、透夜の人生はなんにもなさすぎる。味がなにもしない。苺果がいるから、最近はなにか感じることが増えた。
苺果がいなければ、人生がつまらないと言い換えることもできる。
「それって結婚してくれるってこと?」
「考えてもいいよ」
苺果はくすっと笑って「それなら一緒に仙台に行こう」と提案した。
「仙台?」
「うん、結婚するんだから、お祖母ちゃんに会っておいてもらいたいの。苺果の家がどんなふうで、いかにして苺果が育ったのか、知っていてもらいたいの」
「うん、わかった」
透夜は二つ返事で了承した。
ここまで来たからには、できるところまで関わってみるのも一興だと思った。
 




