第15話 ゲーセンデート+命令権+サカナお姉さんの過去
「は、はやいですね。お待たせしちゃってすいません」
時間ぴったりに着いたはずなのに、サカナお姉さんはすでに席に座っていた。今日は水色っぽい地雷服に近い形状の(水色だったら天使系っていうの?)そういう服を着ている。透夜には地雷服と天使系の区別はあまりつかなかった。
今日も金髪ウルフで、首に黒いチョーカーを巻いている。顔立ちは美人だ。
サカナお姉さんは時計をちらりと見て、「ぴったりじゃん! 気にしないでよ」と明るい声を出した。
「さて、行こうか」
サカナお姉さんはテーブルの上に広げていた手帳を畳むと、立ち上がった。
「? どこに行くんですか?」
「ここは渋谷だぞ、少年! ゲーセン行ってぇ、雑貨見てぇ、アイスでも食べてぇ、カラオケに行くのだヨ!」
「わ、わかりました」
てっきりカフェで話すだけかと思っていたので、怒涛の勢いでサカナお姉さんの口から出てきたデートプランに驚いた。だがぼうっと突っ立っていると、サカナお姉さんがさくさく動き始めてお会計に行こうとしたので、慌ててついていく。
店を出て、まずはサカナお姉さんの言う通り、ゲーセンに向かう。
ゲーセンは駅から近いところにある。
透夜は実はゲーセンというものに馴染みがない。ゲーセンに行くような友達はいなかったし、お金の無駄だと冷めた目で見ていた。クレーンゲームなど金の無駄、アーケードゲームにわざわざお金を払いたくもない。
けれど――
「え、なんか音ゲーめっちゃうまくない!? キミ、才能あるよ」
「あんまりうれしくないです」
ガチャガチャとパチンコや他ゲームの音がうるさい店内で、目の前で一際大きく爆音で流行曲を鳴らす筐体。
画面にはかわいいSDキャラが躍り、流れてくる譜面に合わせてタイミングよくボタンを押すと「Excellent!」などとコメントしてくれる。
いわゆる音ゲーというやつである。
これでサカナお姉さんと透夜は対戦していた。
難易度はHard。
ワンクレジット、三曲セット。初戦では透夜でも知っているような流行曲で対戦したのだが、透夜が勝ってしまった。経験者であるサカナお姉さんは「うわああああ」と叫んで、もうワンセットすることになったのだった。
初戦からHardモードでのプレイだったので、サカナお姉さんは透夜をこてんぱんにするつもりだったと思われる。意地が悪い。
今度も透夜が勝ってしまう。
「もうワンクレジット!! 対戦しよう!!」
「ええ、もう六曲もやったんですよ? 嫌ですよ……」と言いつつ、珍しく勝利の余韻らしきものを味わう。
これがゲームの面白さか。でも勝てないと楽しくないなあ……。
「じゃーえっと、あれしよ! あれ!」
サカナお姉さんが指さしたのは、国民的な認知を誇るであろう、太鼓リズムゲームだった。
知っているが、やったことはない。
ただリズムよく叩けばいいというわけではなくて、「ドンッ」と「カッ」の使い分けが難しそう。
正直、あれで勝てる気が全然しないが、せっかくだからやってみることにした。
サカナお姉さんと来ないと、ゲーセンなんて来なかっただろうし、記念だ。
「サカナお姉さんは好きな曲を選んでいいですよ」
「ハンデってこと? じゃあついでに……勝った人は敗者になんでもいうことをきかせられる! とかどうかな?」
「んー……あれこれ買ってほしいとかじゃなければいいです」
「おっけー! じゃあ勝負だ! 透夜君!」
意気揚々とサカナお姉さんはバチを振って、ポーズをとった。
――それが元気な姿を見た最後だった。
「透夜くぅん、なんでそんなにうまいの……」
「わかりません」
ゲーセンの中の休憩スペース、自販機の前にある長椅子に座って、サカナお姉さんは嘆いていた。背景に「ズーン」と擬音がつきそう。
透夜は白ぶどうジュースを自販機で買って、サカナお姉さんの前で立って飲んだ。
「でも約束だから、なんでもいうこときくね……なにがいい?」
上目遣いでサカナお姉さんは透夜のことを窺う。
若干、色目を遣っている感があった。
まあそれでも惑わされない透夜である。
「苺果の家の掃除してください」
「えええええー、なんでもしていい権ってそんなものに使うやつじゃないでしょ! もっとえっちいのとか、えっちいのとか、えっちいのとかに使うんだよ!」
「いや……大きな声で何言ってるんですか」
そこで若干、透夜は正気に戻った。
サカナお姉さんは苺果に負けず劣らず、透夜には不釣り合いな美人だ。こんな美人と二人で遊んでいる様を他人が見たらどう思うか――そりゃ恋人同士に違いない。
周囲に、あんなダサくて冴えない男とあの美人が? みたいなことを思われていそうで嫌だなと、周りをちらちら気にしてしまう。
VTuberにガチ恋している人はふつうにいるらしいと聞くし、BSS――ぼくのほうがさきに好きだったのに――を招きかけない状況だな、とか思ってしまう。VTuberに恋心を抱くのがあまりに無謀でばからしくて、VTuber相手へのBSSにそんなに負い目は感じないが、熱心なファンに突撃されたら嫌だ。
と、同時に、音ゲーの対戦の最中も、そもそもサカナお姉さんとの付き合いも、そんなことが気にならないくらい楽しいと感じていたのだなと自覚する。
気持ちが浮ついている。めずらしく。
「……なんかお願いごとないの?」
「うーん、ないですね……苺果のためになにかしてあげてほしいとしか……」
「自分のために使ってよー」
「じゃあ保留で」
「ぶー」
サカナお姉さんはむくれてみせたが、すぐに表情を変えて、クレーンゲームのほうを指差す。
「あっちもみたーい。あっちでも勝負する?」
「しません。クレーンゲームは金の無駄。メルカリで景品を買ってください」
「えー! 風情がない!」
「あとは……雑貨見て、アイス食べて、カラオケでしたっけ? 僕は苺果がいるので、二人きりの個室というのは断りたいんですけど」
「忠義が厚いねェ」
透夜は軽くかぶりを振った。
忠義というか信頼を裏切りたくないだけだ。
こうして楽しい思いをしていても、どこかで俯瞰している自分も頭の中にいる。「やっぱり何も感じない? 死んでるのといっしょだ、今すぐ死ぬべきだ」と囁いてくるときもある。その甘美な誘いに透夜は「苺果が僕に飽きるまでは死なない」と答えているだけだ。
あの日、川に落ちて、湯舟に浸かって、決意したことを透夜は覆さない。
ルールは順守し、慣習には従う。そのほうが何も考えず、楽だから。
「ま、いいや。じゃーそろそろ出よっか」
「そうしましょう」
ゲーセンを出た後は、雑貨やら安いアクセサリーを売る店を回った。
雑貨の良し悪しなどよくわからないが、サカナお姉さんが望むままに、いろいろ見た。
「ね、このピアスかわいい。いろいろ柄あるけど、どれがかわいいと思う?」
「どれも同じに見えます」
「そんなこと言わず、強いて言うなら?」
黒のハートが揺れるピアスを指差すと、サカナお姉さんはそれを買ってしまった。
「記念にね♡」
「……今日という日が嫌な日にならないように気を付けます」
「ならないって! だいじょうぶ!」
ピアスを購入したあと、近くにあったジェラート屋さんに入った。自然派素材を使っていることを謳っていて、種類が充実していた。抹茶、イチゴ、黒ゴマなんていうものもある。
そのなかで透夜はオーソドックスなバニラを、サカナお姉さんはやや異色なマスカット味を注文し、ジェラートの入ったカップを持って席に座った。
しばし、二人はかたいジェラートをスプーンで突くことに集中する。
やっぱりバニラは外さない。
食べ終わりそうなころになり、サカナお姉さんが話し始める。
「今日は疲れた?」
「はい、とても」
「翻訳みたいな返答しないでよ」
くすくすとサカナお姉さんは笑う。
「あと今日は残すところカラオケですか……」
時間は十六時を過ぎていた。
「カラオケ嫌なら行かなくてもいいYO」
ぐにゅっとほっぺを押さえながらサカナお姉さんは言う。
「じゃここで解散で」
「いやいや待ってよ、話すんでしょう? ボクが透夜君に惚れた理由を」
「いやいや惚れてないでしょ」
「むー」
サカナお姉さんが溶けかかったジェラートにスプーンをさくさく刺す。
「ちょっとここじゃ雰囲気でないね。店を出ましょう! ちょい歩きましょう!」
「はい」
おとなしく従うことにした。
食べ終わって、店を出る。
駅から反対方向に歩き、人混みが少し遠ざかって、やがて小さな公園にたどり着いた。
日はだいぶ傾いているが、子供たちは元気に遊んでいる。きゃっきゃという声が聞こえてくる。
サカナお姉さんは躊躇わず公園にずんずん入っていった。透夜もその後ろをついていく。
幸運にも空いているベンチに座ることができた。二人は隣り合って座る。
「……それで」
サカナお姉さんは小さな水色のピルケースから、錠剤を一つ取り出した。ピンクと白の丸い錠剤だ。
すうっとサカナお姉さんが大きく息を吸う。
「これを飲んだら死ねるって言ったら、透夜君、飲む?」
「……冗談ですよね?」
一つ飲めるだけで死ねる薬なんて、日本じゃ手に入らない。だから冗談だと思った。
でもサカナお姉さんの顔は真剣だった。
「聞かせて」
「……飲まないですけど」
「……良かった」
サカナお姉さんは安堵の息を漏らして、薬をぎゅっと握りこんだ。
「なんでそんな質問を?」
「透夜君と初めて会ったとき、死のうとしてたから」
脳裏にあの夢が蘇ってきた。
包丁を首にあてていた幼い頃の透夜を止めた女の子――
――キミが死にたいときには殺してあげる。
「『だからそれまでひとりぼっちで死なないでね』……ですか?」
「ああ、それ。そう、憶えてたんだ? そう多分透夜君のご両親のことがあってから、すぐかな? 透夜君、意識混濁してたでしょ? 離人症だっけ。ボクの両親も再婚することになって――あ、その再婚は結局うまくいかなかったんだけど――その挨拶に来たときにちょうど、透夜君がそうしてたから、ボクが止めたんだよね」
「そうだったんですか」
「ちょっとびっくりしちゃった。ボクもそのとき、人生に軽く絶望してて死にたかったのもあって共感しちゃって、透夜君が憐れにみえて……それであんなこと言っちゃった」
「なるほど」
「憐れみって正直褒められた感情じゃないよね? だからボクはもっとあのとき透夜君のためになにかしてあげるべきだったんじゃないかって後悔しててね……。飲み会で名前を聞いて、そのことを思い出したってワケ」
「優しいんですね、サカナお姉さん」
殺してあげるなんて、口先だけの希望だけど。小学六年生の透夜の意識がそのときもっとはっきりしていれば、その言葉に縋ってしまうこともありえたのかもしれない。
そうしたら、サカナお姉さんとの出会いも運命的に感じたかもしれない。
でも、そしたら――苺果のことが気にかかる。
苺果がいなければ透夜はあの日、死んでいた。サカナお姉さんと再会することもなく、過去のことを思い出すこともなく。
だから、やっぱり、透夜は苺果を大事にしたい。
「でも僕は苺果を選びます。出会った順番が……とかじゃなくて、あのとき、助けてくれた苺果を大切にしたいから。だから、ごめんなさい。サカナお姉さん」
少し間があった。
そして、サカナお姉さんが笑う。
「はは……フラれちゃった。まあでもそうか、ボクのは純粋な恋心じゃないもんね。死にたがってる人に同情してただけ……いつもそう。ボクは……」
「いや、苺果も純粋な恋心じゃないとは思いますけどね……でも、それでもいいんです。いつか本当に恋人になれるかもしれないし」
「……苺果の全部を受け止めてあげることは難しいかもしれないけど、できるところまで付き合ってあげてほしいな。ボクには無理だから」
なんだか言葉に寂しげな響きがあった。
「ところでその薬、なんなんですか?」
「あ、これ? これはラムネ! お薬みたいに加工されてるやつ」
シリアスな空気から一転、サカナお姉さんは朗らかに笑ってそれを食べた。
「紛らわしいことしないでください」
「あはは、ごめんね」
サカナお姉さんは、もう一度「ごめんね」と言った。
なにやら深い意味が込められているような謝罪だったが、そこに込められた意味のすべてを、透夜は知ることができない。ただ一難去った感があった。夜永のことも、サカナお姉さんのことも、一気に片付いた感じだ。
「これからも仲良くしてくださいよ、苺果の友達として」
「うん、苺果のことをいっしょに支えよう。あ、命令権。ボクになんでもお願い事ができる権利はまだキミが持ってるからね」
サカナお姉さんは唇に指をあてて、蠱惑的に囁いた。
本当に――美人がそうするとサマになる。




