第13話 夜の公園にて
十八時ごろ。夕食会はつつがなく行われた。ダイニングテーブルは人を招くときに使えるように、八人座れるほどの大きさがある。叔父さん、叔母さん、夜永が並び、三人の対面に透夜とサカナお姉さんが座る。
みんなで手を合わせて「いただきます」と言う。
「だし巻き卵、トウ君好きだったでしょう? だから作ってみました」
「ありがとうございます、叔母さん。懐かしい味です」
一口食べて、透夜は感謝を述べた。
今日のメインはエビチリと八宝菜で、中央に大皿が置いてある。夜永が無表情で小皿に持ってくれたそれを食べると、オイスターソースが効いた味が口内にひろがった。叔母さんは料理上手で、作る料理のどれもが市販品よりもだいぶ美味しい。
「透夜君が好きな味なんですか? よければレシピを教えてください」
サカナお姉さんもそんなことを言って、会話に加わる。
「うふふ、トウ君の好きな味を再現したいだなんて、愛されてるわねえ〜ふふ」
「……あはは」
別にサカナお姉さんとはなんともないので、顔が引き攣っていないか不安になる透夜である。
そのあとも雑談などをし、ほとんどみんな食べ終わる。
和やかな雰囲気で会食が終わろうというころに――
「姫の一人暮らしの話の続きがしたい」
と夜永が切り出した。
叔母さんと叔父さんの空気が凍った。だがそれも一瞬のことで、叔父さんと叔母さんはなんでもないかのように動き出す。
「最近寒いけれど、明日のお天気はどうなるのかしらね。洗濯物が乾きにくくて嫌になっちゃうわ」
「洗濯物用のヒーターを買おうって話をしてたじゃないか。電気屋さんにでも行こう」
「ちょっと、姫の話は――」
「あーそろそろ片付けましょうか」
「立つんだったらお茶を淹れてくれないか。透夜と奈々世ちゃんもどうだ?」
「あ、いえ僕たちは……」
叔母さんと叔父さんはあからさまに夜永を無視する。
僕とサカナお姉さんは言葉を挟むことができなかった。
「もういい」
夜永は大きく机を叩いて、席を立った。そのまま自室に帰ってしまう。
「叔母さん、叔父さん、あまり夜永の気持ちを無視しないほうがいいと思いますよ。夜永だってもう二十一歳なんですから。反発して変なことをするかもしれないし」
透夜は言おうか迷いつつも、そう言葉にする。
叔父さんは先ほどまでとは違う鋭い視線を透夜にやった。
「あの子が産まれて二十一年間、私たちは一緒に暮らしてきた。あの子のことは家族である私たちが一番よく知っている」
言外に家族ではない透夜は入ってくるな――という意味を含んでいる。
透夜はさすがに黙った。
叔父さんに威圧されたというよりかは、これ以上ここで言葉を重ねても、賛同は得られなさそうだという戦略的撤退だった。
「ごちそうさまです。お部屋で休ませてもらいますね」
隣でサカナお姉さんが角が立たない対応をしていたので、透夜もそれに倣い、その場を離れた。
叔父さんの寝間着を貸してもらい、風呂からあがったあと、それに着替える。
苺果:誕生日が終わったらなにしよっか
苺果:旅行に行きたい! 行きたい! 行きたい!
透夜:人の金で旅行に行きたい
毎日苺果とはLINEする。ふとんに寝転がりながら、そのようなやりとりを少ししていると、透夜はいつの間にか寝入っていた。
起きると、掛け時計の針は午前二時を指していた。電気がつけっぱなしだ。透夜はトイレに行ってから寝ることにした。廊下に出ると、玄関付近が灯りがついている気配がした。
こんな時間になんだろうか。
防犯的なさまざまな想像がよぎり、透夜は玄関に近付いた。
果たして、そこには黄色のスーツケースを横に置いた夜永が、靴箱を漁っているところだった。
「夜永、お前……!」
驚いて大きな声を出した透夜の口を夜永はすばやく塞ぐ。
「しーっ」
夜永は唇の前に人差し指をあてて、黙るように促す。
透夜が混乱から正気に戻ったのを見て、手を離した。
「夜永、どこに行くつもりなんだ」
「出ていく。ここにいてもお父さんやお母さんと平行線。行動で示したほうがわかりやすい」
「質問の答えになっていない。行き先は?」
夜永は無言でスマホ画面を見せる。XのDM画面で、最初の文は相手方の「東京住み。30歳です」から始まっている。
「え、いや、これはだめなやつだろ……何考えてんだお前」
夜永は俯く。無言になったかと思えば、ぽろりと、透明な雫が服に零れた。
「そんなの姫だってわかってるもん……」
ほとんど泣き声だった。
顔をあげた夜永は大粒の涙を目に溜めて、こらえきれず泣きじゃくった。
静かにしろと言った本人が大きな音を立てている。
そう突っ込みたくなったがやめた。透夜はため息をついた。
どうにかして宥めなければ、叔父さんや叔母さんが起きてきて、なにか誤解するかもしれない。同じく、泊まっている部屋に連れ込むのも、知られたら面倒なことになりそうだった。
「……話を聞くから、ちょっと公園にでも行こうか」
こくりと夜永はうなづく。
透夜は上着をとってきて、寝間着の上に羽織り、そのまま行くことにした。
◆
夜永と共に冷たいブランコに腰掛ける。
深夜の公園にはもちろん人はいない。この公園は桜の木に囲まれており、春になるとそれはもう見事なのだが、秋の今は葉の散った枝ばかりが並んでいる。
夜空は濃密な藍色で満たされて、木々は街頭で照らされている部分以外は漆黒の影が濃い。
「……姫はここから出ていけないんだ。一生ここに縛られるんだ。姫自身はなんの才能もなくて、仕事もできないのに、本家の娘ってだけでここに縛られて」
こらえていたのだろう、道中は落ち着いていたのに、夜永はまた泣き始める。
「まあここには人はいないから、好きなだけ泣けば」
そう言うと、夜永は声を出して泣き始めた。幼い頃に戻ったようだった。
盛り上がりが過ぎて落ち着いてきたころに、夜永は話し始めた。
「見た? 夕ご飯のとき。姫、無視された」
「ああ、見た」
ひどいね、と言おうと思えば言えたが、上部だけの共感をしても仕方ない。
「もう出ていくしかない。出ていって、もう二度と家には戻らない」
「考え直せ」
「トウは! トウだったらどうするの!」
「説得を試みる」
「……無理だよ」
夜永は嘆いた。
「姫とかいって大事にされている感あるけど、本当は親は姫の気持ちなんか知ったこっちゃない。姫は愛されていない。愛していたら、もっといろんな道を歩ませている」
「でもニートが十八の頃から三年間許されてた。叔父さんと叔母さんは夜永のことを普通に愛していると思う」
透夜よりは絶対愛されている。
愛されているからこそ、外に出してもらえない。世間の常識的には「かわいい子には旅をさせよ」だが、要らぬ苦労を子供にさせたくないと考える親もいるだろう。「親の甘いは子に毒薬」とも言うが、夜永の両親はまさにそう。
「なにか目標とかないの? 最近だと二十代になってから大学に行く人もいるみたいだし、そういうのでもいい。なにか親を説得できるような材料は?」
「進学はしたくない……。夢は……目標は……ある」
「なに?」
「好きな人と結婚して、家庭を築いて、ふつうの生活をすること。犬を飼って、子供も産んで、楽しく歳をとって暮らす」
「じゃあ好きな人を見つけるところからだな」
「…………」
夜永は沈黙の後に「メッセージ読んでくれてないの」と呟いた。
「メッセージ?」
「モールス信号」
「読んでない。……てか今の話にそれ関係ある?」
「……ううん」
夜永は首を振った。
「やっぱり、それは叶いそうにないから、好きな人に片想いするだけでもいいから、生活に充実感がほしい。一人暮らしして、犬か猫を飼ってしずかに暮らしたい。もちろん仕事もしながら。会社に行ったら、人と関わることも増えて、きっといろいろな感情を味わえる。そう、姫はいろいろな体験をして生きてる実感がほしい。このままみんなに取り残されるのはいや。ひとりでこのまま老いていくのはいや……」
夜永には友達がいるはずだ。LINEで水族館に行ったことをアピールしていたし、それを見てくれる友達がいるのだろう。
どんな友達かは知らないが、普通に就職して、普通に生活している人なのかな――と透夜はイメージする。早くに相手を見つけた人は結婚の予定もあるかもしれない。二十一歳とはそういう年齢である。その友達の輪のなかで、夜永だけ仕事をせずふらふらしていたら、そりゃあ浮く。一人取り残されている気分にもなるかもしれない。
「堅実な夢だ。浮ついたところがなくていい。実家の近くでも、ひとまずいいよね? それなら夜永が真摯に話せばわかってくれるんじゃない? 少しずつステップアップしていけばいい。まずは実家の近くに住んで、そこで大丈夫だって証明して、もっと行きたいところができたらそこへ引っ越すっていうのがいいと思う。それから僕は……僕は、夜永のことが嫌いだけど、幸せになってほしいとは思うよ。だから諦めないでご両親と話をしてほしい。さっき不審な人と会おうとしてたみたいな、不幸になりそうなことはしてほしくない」
少し間が空いて、夜永は言った。
「……うん。諦める」
「え?」
「――ズルして家を出るのは諦めるって意味」
夜永は空を見上げた。横顔は笑っていた。
「正攻法で幸せになる。トウを見返すくらい、幸せになる!」
全部の意味はわからなかったが、透夜は夜永なりになにかが解決したのだと思い、うなづいた。
「そろそろ帰ろう。体が冷えるよ」
「ありがとう、トウ」
正面きって感謝を言われるとは思わなくて、透夜はまごついた。
「……なにもしてないよ、僕は」
「そうだね。トウはなにもしてない。姫が現実を受け止めただけ」
「ああ、そうだね」
「ね、見て、空。星が綺麗」
「うん」
透夜は夜永と星空を眺めた。お互い言葉を発することはなかった。




