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第12話 夜永の一人暮らし計画~不本意な結婚話~

 十月二十六日。十月第四週の土曜日。

 夜永を連れて埼玉に向かうことになった。


「おみやげにドーナツ買っちゃったけど、もっとしっかりしたもののほうがよかったかな」


「奈々世ちゃんがしっかりしたもの買って持ってきたらびっくりすると思うからいいよ」


  埼玉へ向かう電車の中で、サカナお姉さんと夜永が和やかに話している。透夜は彼女たちを座席に座らせて、その前にドーナツの箱を持って立っていた。


 サカナお姉さんに夜永といっしょに実家に行く理由などを説明したところ、「じゃあ久しぶりにボクも本家様に顔を出そうかな」と言ってついてきたのだった。


 夜永が一人暮らししたいという意向を伝えても、叔母さんや叔父さんから強い反対を受ける可能性がある。夜永の味方はひとりでも多くほしかった。


 今日は透夜は青のシャツの上に薄手のコート、夜永は深緑のカフェラテ色のオーバーシャツ、サカナお姉さんは意外にもまともな藍色のブラウスを着ている。サカナお姉さんは変な恰好をしているところしか見たことがないので、普通の社会人っぽい服を着ているのを珍しく感じた。


「そろそろ駅のはず」


 透夜は腕時計を確認する。

 定刻どおり、十三時すぎに電車は大宮駅に着いた。


 電車から降りて、駅を出て、バスに乗る。駅前のロータリー、小さな店がごちゃっと並ぶ様。道路をひっきりなしに行き交う車と人。土煙っぽさと中華料理屋から漂ってくるにおい。

 二年ぶりの景色は懐かしい。

 バスの座席に座っていると時間が早く感じた。

 緊張しているらしい。手を握ったり、開いたりしてみると、若干のこわばりを感じた。


 バスは住宅街に入る。

「たしかここで降りるので合ってた?」

 サカナお姉さんに話しかけられて、透夜ははっとして、「そうです」と言った。


 バスを降りて、少し歩いて、本家にたどり着く。本家はThe・和風な家で、松や紅葉が庭に生えている。比較的、富裕層とわかる立派な門もある。

 立派な家の門の前に三人は立っていた。


 家に着くまで三人は黙りこくっていた。

 それぞれ胸の内で考えることがあったのだろう――と透夜は思う。


「久しぶりだ、緊張するなあ。中学の頃に顔出して以来だから、夜永ちゃんのおじさまとおばさまは驚くかもね」


「僕も驚かれるでしょうね」


「…………」


 ちらりと夜永の様子を窺うと、彼女は指を嚙んで俯いていた。なにか考えているようで、反応しない。


「まあ、一回ではだめかもしれないけど、何度か交渉すればいいから。やれるだけやってみよう」


「……うん」


 夜永は顔をあげた。目にはなにか吹っ切るような、強い光が宿っていた。


 夜永が先頭になって、家に入る。


 広い玄関は綺麗に掃除されている。


「ただいま」と夜永が家の奥まで届くように叫ぶと、台所からばたばたと音がして、エプロンをした叔母さんが出てきた。若いころは相当綺麗だったろうと思わせる、淑やかな垂れ目の顔。二年前から叔母さんは髪型が変わっていて、紫の巻き髪をしている。


「おかえりなさい、姫ちゃん! やっと帰って来てくれたのね! ……そちらはトウ君と奈々世さん?」


「うん、LINEで言ったでしょ。トウはついで。奈々世ちゃんはこの一週間くらいお世話になってた」


「あらあら、姫がお世話になって! ありがとうねえ、奈々世ちゃん」


「いえ、そんなー。久しぶりに夜永ちゃんに会えてうれしかったです」


 サカナお姉さんは胸の前で手を振る。


 夜永は透夜の手からドーナツの箱をさりげなく取って、母親に渡した。


「これ、トウと奈々世ちゃんからおみやげ。リビングにあがっていいよね?」


「まあ、気を遣ってもらっちゃって。あがってくださいな。お父さんもいるわよ。ドーナツ今開けてしまいましょうか」


「おじゃまします」


 透夜は頭を軽く下げて、靴を脱いであがった。サカナお姉さんも「おじゃまします」と続く。


 透夜は廊下に立って、不審に思われない程度にあたりをぐるりと見まわした。

 どこも綺麗に片付けられて、掃除されている。叔母さんはまめな性格だから。


 この家は高校生のころから変わっていない。透夜に宛がわれていた部屋はもう物置となってしまっているが、リビングや夜永の部屋は配置が変わっていない。


「懐かしいにおいがする」


 思わずつぶやいてしまうと、隣にいた夜永に腹を小突かれた。


「姫の家のにおいに興奮しないで」


「してない」


 夜永はふんふんと歩き出して、リビングの戸を開けた。

 暖かい空気が漏れ出す。

 畳の部屋に少しばかり早くストーブと、大きなテーブルのこたつが出してあった。

 そして座椅子に夜永の父親が座っていた。

 渋い色の着物を着ている。

 彼は新聞から視線をあげて、夜永たちを見据える。


「おかえり、夜永。それからいっしゃい、透夜、奈々世ちゃん。話は夜永から聞いているよ」


 透夜とサカナお姉さんは部屋に入る前に、頭を下げて挨拶をする。


「お久しぶりです、叔父さん」


「十年ぶりですかね。覚えていてもらえてうれしいです。お元気でしたか?」


「堅苦しい真似はしなくていいから、こたつに入っておいで。外は寒かっただろう? 姫は荷物を置いてきたらどうだ」


「そうする」

 夜永はうなづき、部屋から出ていく。


「急に冷え込みましたもんね」


 透夜たちもこたつに入り、世間話をする。


 そうして話していると、夜永と叔母さんが戻ってきた。叔母さんはお盆に、さきほど渡したドーナツを広げた皿と、コーヒーカップ二つを乗せていた。夜永は自分のマグカップを持っていて、こたつに座る。


 叔母さんはコーヒーカップをそれぞれ、透夜とサカナお姉さんの前に置く。


「みなさん、トウ君と奈々世ちゃんにいただいたドーナツ早速みんなでいただきましょ。さあ選んで選んで」


「ありがとうございます」


 サカナお姉さんがよそ行きのような笑顔とかわいらしい声で喜んでみせた。


 透夜も「いただきます」と言ってひとつ選ぶ。


 透夜はチョコファッション。

 サカナお姉さんはエンゼルフレンチ。

 夜永はゴールデンチョコレート。


 叔父と叔母もひとつ手に取って、みんなで食べ始める。


 叔父はドーナツをかじり、湯呑を啜り、それからふうっと息を吐いた。


「じゃあみんな揃ったところで本題だな――今日は結婚の挨拶に来たんだって?」


 ぶっとサカナお姉さんが吹き出した。


 叔母さんは目を丸くして、夜永はノーリアクションでドーナツをもそもそ食べている。


「だ、誰が誰とです……?」


 透夜もかじりかけのドーナツを置いた。内心ではサカナお姉さんと同じリアクションをとれそうなほど驚いていた。


「もちろん透夜と奈々世ちゃんだよ」


「ちが、違いますっ……!!!」


 サカナお姉さんがむせながら慌てて否定する。


「え、だって二人とも交際しているんだろう? それともなにか? 透夜は結婚する覚悟もなく、女性と交際しているのかな?」


 叔父さんの背後にゆらっと揺らめく炎のようなオーラを感じ取ったので、透夜も否定しておく。


「交際している《《女性》》とは本気でお付き合いさせていただいていますが、今日はそういう話をしに来たのではありません」


「じゃあ……どうしたんだい?」


 夜永のほうに視線をやると目が合った。こくりとうなづく。


 透夜から言った。


「実は夜永から相談を受けていまして……」


「お父さん、姫、働く」


 透夜の言葉を引き継ぐように夜永は宣言した。


 これには叔父さんは驚いたようで、わずかに眉を動かした。


「働いて、一人暮らしする」


「おお……それは、それは……」


 と言って、叔父さんは黙ってしまう。


「姫、お母さんのお金、盗んだ……ごめんなさい」


「気づいていたわ。でもそれは姫ちゃんのために貯めていたお金だから、姫ちゃんが使っても惜しいものではないわ。姫ちゃんはひとりっこなんだから、お母さんたちの全財産あげるんだからね」


「うん……お母さん、ありがと」


 夜永はまるで初めからわかっていたようにたいした感慨もなくお礼を言い、またドーナツを食べるのを再開した。


 その光景を見ながら、透夜は思う。


 ――夜永は甘やかされている。


 透夜のことを夜永は羨ましいと言うけれど、透夜だって夜永を羨ましく思う気持ちは探せばある。でもそれを口に出さないのは、出しても仕方ないからだ。


 他人を羨んでも、両親は帰ってこない。


 視界の端で微妙な顔をしていた叔父が口を開いた。


「ええと……一人暮らしに関してだが、お父さんは反対だ」


「お母さんも反対です」


 やはり叔父と叔母は反対してくるようだ。


「カレーひとつまともに作れない、家事もなにもできない姫を外にほっぽり出すのは、親として非常に不安だ。他人様ひとさまに迷惑をかけるようなことがあったら、責任が持てない」


「お母さんも同意見だわ。洗濯機の使い方も知らないでしょ、姫ちゃんは」


「せ、洗濯機の使い方は、奈々世ちゃんに習ったもん……」


「一人暮らしなんてできやしないよ、姫は」


 叔父はわがままを言う子供をなだめるように言う。


 透夜はずばっと、切ってしまうことにした。それが夜永が透夜に望んだことだからだ。


「洗濯機ひとつまともに使えないように甘やかして育てたのは、叔父さん、叔母さんですよね。一人でまともに生活できないように育てておいたのは親のエゴじゃないですか? どこにもいってほしくないという気持ちの表れじゃないですか?」


「ううむ、まあそうなんだが……」


 叔父は顎に手をあてた。

 叔母は黙っている。


「二十一歳なんだし、自力で生きていけるようにしないと最悪、死にますよ。親鳥が運んでくる餌で生き永らえている雛じゃあるまいし。叔父さん叔母さんに何かあってから、なにもできないと絶望しても遅いんです」


「それなら……透夜が夜永を嫁にしてくれるというのはどうだ?」


「……え?」


 良いことを思いついたというふうに、叔父の顔は輝いている。


 夜永といい、叔父といい、急によくわからないことを言い出すのはとても似ていると思う。

 今の自分は間抜けな顔をしているはずだ――と透夜は俯瞰してそんなことを考えた。


「親は子どもを遺して先に死ぬのが定めだ。私たちが亡くなった後、夜永の生活をサポートしてくれる人がほしい。それを透夜がやってくれるというのであれば、うちの会社できちんと雇うし、結婚式だって《《挙げさせてやる》》。それに夜永も……透夜ならいいだろう?」


「…………」

 夜永は感情を読み取れない表情をしている。


「僕には交際している女性がいます」


「でも、結婚をいますぐ考えるほどではないんだろう? うちは……ものすごく儲かっているわけじゃないが、貧しいわけでもない。うちの婿になるというのは、悪い話ではないはずだ」


「話を逸らすのをやめてください」


 透夜はとりあえずそれだけ言った。


 挙げさせてやる、だなんて上から目線で、嫌だ。叔父が取締役をしている上に、今は本家を取り仕切っている偉い立場というのは理解しているつもりではあるけれど。


 今の時代、結婚は好き合った人と自由にするべきだと思う。


 夜永と義務感で結婚して、会社でも社会でも通用する地位を手に入れるなんて、そんなのは透夜の人生ではない。


「まあ、準備をさせるから、二人とも今日は泊まっていきなさい。夕食時に奈々世ちゃんのこれまでの話なんかも聞かせてもらいたいな」


「はい、ありがとうございます」


 サカナお姉さんが作った可愛らしい声で答える。


 泊まるための荷物は用意してきていないが、滞在を勧められることは予想はしていた。


 夜永の一人暮らしの許可を得るまで話をしたかったのでそれはいいのだが――


「はい、それじゃあ、お部屋にご案内しますから、奈々世ちゃんとトウ君ついて来てくださいね」


 叔母に部屋に案内されても、透夜は胸がもやもやしていたのだった。

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