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第10話 偽恋人と万札ひらひらハッピーバースデー(遅)

「死にたいの?」


 女の子の声がして、透夜は振り返った。


 横にある冷蔵庫がだいぶ大きい。

 そのときの透夜は幼く、いまより視点も低く、手も小さかった。


 透夜は我に返った。

 台所で包丁を握って首筋にあてている。

 ほとんど夢の中のような朦朧とした意識での行動だったため、透夜自身自分の行動に驚いていたが、どこかで納得する部分もあった。


 両親が亡くなって、透夜も生きている意味がわからなくなって、同じところへ行きたくなったのだ。


 刃が肌に食い込んでいる。呼吸が浅い。


 どれくらいの力をこめれば、刃が大動脈に至るだろうか。きっとすごく痛いよな。


 そういうことを考えながらも、けれど包丁をおろすことはできなかった。


 そのまま周りを見渡せば、ここは佐伯家本家――夜永の家の台所であることがわかった。


 窓の外は茜色に染まり、カラスの鳴き声も聞こえる。


 玄関のほうから話し声がするような気がするが、見える範囲には人気ひとけがなく、その女の子とふたりきり。


 黒髪を男のようにショートカットにした女の子は、日焼けた肌が印象的で、にかっと笑った。その笑みで、誰かを思い出しそうになったが、そのときはよくわからない。見ようとすればするほど、女の子の顔はぐにゃりと歪んだ。でも彼女が無邪気に笑っているのは、感じ取れる。


 女の子は躊躇なく、透夜の手を包丁の持ち手ごと包んだ。


「キミが死にたいときには殺してあげる」


 そして甘く囁く。


「だからそれまでひとりぼっちで死なないでね」


 心臓が跳ねた。


 そこから急にどくどくと景色も脈打ち、明滅めいめつし、歪曲わいきょくする。


 すべてがない交ぜになってしまった――


 ――……


 ◆


「夢……」


 起きると、喉がからからに乾いていた。

 夢をみていたようだった。なんだか懐かしい気もしたが、けっこうドラマティックだったので脳の作り物なような気がする。


 今、死にたい気持ちは蓋をされているかのように感じないのに、そういう夢をみたことが不思議だった。


 綿の寝巻の襟首を引っ張る。汗をかいている感覚があった。


 時計を確認すると、十六時過ぎ。だるい身体をなんとか起こして、台所に行き、グラスに水を入れて飲み干す。喉仏が上下する。


 やや乱暴にグラスをシンクに置いて、部屋に戻る。


 スマホにLINEのチャットが届いていることに気づいた。


 確認すると、苺果だった。


 苺果:おはよー。起きたら電話して


 苺果に通話をかける。数コールで彼女は出た。


「おはよー、お兄ちゃん。今日がなんの日かわかる?」


「おはよう。えっと……なんの日?」


 考えてみるがよくわからない。今日は十月二十一日。いちごみるるちゃんの誕生日から二日、夜永が東京に来てから一日しか経っていない。

 なんだかここ数日慌ただしかった。


「なんと……なんと……! サカナちゃんの誕生日なのです!」


「え、そうなの? なんにも用意してないんだけど」


「っていうと思って、連名でケーキを用意して、配送手続きもしてる! 今日、サカナちゃんの家に、ケーキが届くはず!」


「ありがとう。paypayで半分送るから」


「うん、あとね……苺果の誕生日覚えてる?」


「十一月三十日でしょ?」


「うん、あのねー、その日ね! お兄ちゃんの家にお泊りしたい!」


「……え」


 答えに窮してしまう。

 いろいろな思考が頭のなかを巡った。逡巡しゅんじゅん。無断外泊はよくない――苺果は両親と暮らしてるわけじゃないけど――とか、二十歳だから酒を飲みながら泊まるのもいいかもしれないとか、いやでも大切な女の子を我が家に泊めるわけにはいけないとか――。


「それは……ちゃんと考えて決めたことなの?」


「うん!」


 元気いっぱいにそう言われては、はっきりと断れない。


「考えておくよ」


 それだけ言うのが精いっぱいだった。


 それから、冷凍パスタを食べて、YouTubeアプリで音楽を流しながら家事をしていると、バイトの時間になっていた。

 今日はワン・リーさんとシフトがかぶる。憂鬱になる気分を、どうにかお気に入りの曲を聴いて落ち着けて、家を出た。


 休憩時間にスマホを見ると、サカナお姉さんからLINEが来ていた。


 サカナ:ちょっとこれを見てほしい


 貼り付けされた写真には万札の束が映っていた。


 サカナ:些細なことで言い合いになったんだけど、そしたら「お金あげるからいうこと聞いてよ」って夜永ちゃんに渡された。彼女ものすごい量の万札持ってるみたいなんだけど、これ大丈夫かな? とりあえず渡されたやつは押し返したんだけど。家来て問い詰めるのでもいいんだけど、事情聞いたほうがよくない?


 透夜:すいません。家行って問い詰めます


 バイト終わりにサカナお姉さんの家に行く用事ができてしまった。




 教えてもらった住所をGoogleMapに入力し、乗換案内アプリなども駆使して、サカナお姉さんのマンションにたどり着いた。


 スマホの画面には「10:00」と表示されている。


 サカナお姉さんが住んでいるのは、お洒落な外観のそこそこ金がかかっていそうなマンションだ。


 エントランスで番号を押して、呼び出し、ドアを開けてもらう。エレベーターで目的の階まであがる。深呼吸をしてからチャイムを鳴らそうとして、既視感を覚えて、ふと笑った。そっと押す。


「あ、キミ。よく来たね」


 ドアが開く。サカナお姉さんはゆるくふわっとした淡い色のナイトウエアを着ていた。これはたまに苺果が口にする「ジェラピケ」ではないだろうか? 透夜にはジェラピケかそうでないかは見分けがつかなかったが、そういう系統だということは理解した。


 綺麗な女の子っぽい装いを見て、透夜は自身が油っぽい空気を吸ったパーカー姿であることに、少し恥じらいを覚えた。


 だがそれも一瞬の感情だった。


 ドアを開けて入るように促されて靴を脱ぎ、廊下を越えて部屋へ。

 部屋に入るとすぐさまモノが飛んできた。ティッシュケースだった。顔に当たる前に叩き落して、透夜は投げてきた人間――夜永に厳しい目を向ける。


 夜永は寝巻の簡素な綿のワンピース姿で、ふとんの上に寝転がり、箱に入ったクッキーを食べていた。


「夜永、お前なにしてるの?」


「え、姫、なにもしてない」


「お金どこから持ってきたの? 事と次第によっては警察だ」


 サカナお姉さんは透夜の後ろのキッチンでなにかしている。


「あれは姫がパチンコで稼いだお金」


 夜永はパチンコを捻る動作をしてみせる。


「……本当か?」


「ほんと」


 透夜はこの女の口を割る手段を持っていない。夜永はけして口を割らないと決めたらそうするだろう。透夜なんかの前で折れるわけがない。


 嘆息して、透夜は床に座り込んだ。


 ――だから、ねばる。


 粘って、粘って、粘って、夜永が根負けするのを狙う。


 決意を決めた透夜の肩を、サカナお姉さんがとんとんと突く。「これ」と言ってズイッと前に出されたのは、皿の上に乗った四分の一のケーキだった。

 白い生クリームがしぼられて苺が一個乗っていて、可愛らしい。


「せっかく来てくれたんだから、ケーキをどうぞ。昨日バースデイケーキを贈ってくれてありがと」


「いえいえ、……ありがとうございます。お誕生日おめでとうごさいます」


「ありがとね! 二十六歳になりました、ぶい」


 そういうつもりではなかったが、せっかく出してもらったのに食べないのも失礼だ。


「いただきます」


 透夜がケーキにフォークを入れていると、なにを思ったか夜永はポーチから万札を取り出した。


 鮮やかに、万札をばらまく。ひらひらと宙を舞い、床に落ちる紙幣たち。


 金のない人からすれば、拾って離したくなくなるであろう、価値のあるものたち。それがパーティグッズのようにばらまかれている。


 苦労して稼いだお金を貯めている人は、お金を使うことを渋る傾向があり、宝くじなどで一瞬で楽してお金を得た人は、散財することに躊躇がない――という俗説を思い出した。


 ローテーブルに透夜は食べかけのケーキを置いた。そういう気分ではなくなってしまった。


「なにやってんだ」


「バースデー演出。トウにはあげない。奈々世ちゃんには少しだったらあげてもいい」


「いやいや、しまって! その感覚が怖いよぉ。てか大金を持ってる人を泊めるのが怖い!」


 サカナお姉さんがそんなことを言うが、透夜も同感だった。

 パチンコで勝ったなんて絶対嘘だ。このお金はトラブルの種だ。そういう予感があった。


 透夜は夜永を睨み、告げる。


「今すぐそのふざけた真似をやめろ。ここで白状しないなら、実家に電話をかけて、迎えに来てもらう」


 次にサカナお姉さんをキッと睨み、


「サカナお姉さんは夜永を甘やかしすぎです。自分で拾わせてください」


 サカナお姉さんが床に散らばった紙幣を集めて、綺麗に整え、夜永に返そうとしていた。透夜に言われて、あははと困ったように笑った。


「実家に連絡されるのはだし、甘やかされてるっていうならトウのほう。それにこれは……べつに非合法なことをして得たお金じゃない」


「僕が甘やかされてるっていつも夜永は言ってるけど……それはそれとして。金はなに?」


「貯金」


「だれの?」


「……お母さんの箪笥貯金たんすちょきん


 観念したように夜永は言った。


「身内でも窃盗は成立する。それはお母さんが苦労して貯めた大事なお金で、夜永には使う権利はない。返して謝ろう。夜永も悪いことした自覚はあるよね? だって最初に正直に言わずに、嘘を吐いたんだから」


「う……」


 夜永は答えに詰まった。


 サカナお姉さんが「正直に言ってほしいな」と首をかしげて、夜永に心配そうな視線を送っている。


「謝りには……姫、ひとりで行けるもん。姫、もう大人だから、一人で返す」


「そりゃそうだ……もうこれ以上、お金をばらまくようなことするな。夜永のお金じゃないんだから。大事にしまって」


「……わかった。謝りには一人で行くから、明日、明日行くから! 今日は泊まらせて」


「えっと……よくわからないけど、夜永ちゃんもなにか大変なことがあって実家を出てきたんだよね? 事情を詳しく聞かせてほしいなーなんて……ボクは思うんだけど」


「甘やかさないでください、サカナお姉さん。こいつはこのまま実家に速達で送り返したいくらいですよ。とりあえず明日帰るんだよな? な?」


「うん……」


「とりあえず今日はここまでで僕は帰ります」


 夜永の煮え切らない態度に不信感はあった。

 実家に帰ったとて、夜永のことだから、本当に謝罪できるのかわからない。

 透夜は夜永に疑いの目を向けつつ、嘆息した。


 そのあと、透夜はおすそわけしてもらったバースデーケーキを急いで食べて、サカナお姉さんの家を後にしたのだった。


 サカナお姉さんの自宅訪問がこんな形になってしまうなんて、予想していなかった。部屋はとてもきれいに片付き、掃除もしてあって、サカナお姉さんの苺果とは対照的なこまめな性格が窺えた。


 もう夜永と関わるのは今日が最後であることを祈ろう――と、部屋を出た後に空を見上げて思ったが――


 翌日、その祈りは報われず終わる。



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